171話 反則
マッハが目を覚ましたのは彼女が眠りについてちょうど半日が経過した頃だった。
その間お詫びとしてなのか、それともヒナ自身もこの数日寂しい思いをしていたからなのか。その真相は分からないまでも、マッハは最愛の人の柔らかい太ももの上でスヤスヤと眠っていた。
「……」
「あ、アハハ……」
無論ケルヌンノスは目覚めて満足そうにニコニコしていたマッハに詰め寄り、無言でその顔を覗き込んだ。
それは抗議として何よりも意味を成しており、怒ったら分かりやすく怖いマッハとは対照的な静かな怒りがケルヌンノスから発せられていた。
その、なんだか懐かしいようなやり取りを微笑みながら見ていたヒナは、今一度だるまにお礼と謝罪を述べ、ここ数日お世話になった召喚獣のルーにも礼を述べた。
「いえいぇ〜。私はただマッハちゃんに頼まれてやっただけですしぃ。それに、ヒナ様から謝られると、なんだか申し訳なくなっちゃいますぅ」
「私も、マッハ様とケルヌンノス様に頼まれてご協力した次第です。なので、主様が謝られる事はおろか、お礼を述べる必要はございません」
真面目な顔をして2人に否定されると少しだけ悲しくなってしまうのはもはや性格なので治しようがない。後は雛鳥だが……彼女には、こんな軽い謝罪で済まない事はヒナが誰よりも分かっている。
それに、この場にはいないイシュタルこそ、最もメリーナの死に責任を感じているはずだ。
そんな子を、たった1人で雛鳥に謝罪させる訳にはいかない。
(雛鳥に謝りに行くのは……私も一緒じゃないと……)
傲慢かもしれない。余計なお世話かもしれない。過保護と、そう言われるかもしれない。
それでも、3人で謝りに行って後日イシュタルにも謝らせるのと、遅くなろうとも4人で謝るのではイシュタルの気持ちの軽さという物が全然違うはずだ。
ただでさえ責任を感じている小さな女の子に、これ以上のプレッシャーや負担をかける訳にはいかない。
それは、ヒナも十分よく分かってる。
なにせ、マッハとケルヌンノスにでさえとてつもない心配と負担をかけ、その末に彼女達が心を痛めてまで自分を攻撃するという事態に陥らせ、最悪の選択をさせてしまったからだ。
彼女は分かっている。
マッハ達が背後からいきなり襲わなかった理由やそこに至るまでの身を引き裂かれるような辛い葛藤も。
(そんなこと、もう絶対にさせない……)
この世界において、自分の命よりも大切な人にそんな辛い役目なんて、もう二度と押し付けて堪るか。そんな役目、させて堪るか。
少女はそう心に誓い、改めて遠くの方で可愛らしく揉めている2人を見る。
「主様。それで……イシュタル様を探す件ですが……どうなさるのですか? マッハ様のお話によりますと、主様は命を狙われる立場にあるとお伺いしているのですが……」
「外に出て探すのかって事を言いたいの?」
「……はい。危険ではないでしょうか」
召喚獣のくせに何を言っているのか。そんな事を内心で考えつつも、少女は言った。
ここで怒りを買って消滅させられる事すら覚悟しつつ、それでもヒナの身を案じる事を口にした。
2人の姉妹……いや、イシュタルを含めた家族には及ばないかもしれない。
この想いは、絶対に叶う事も無ければヒナに届くわけでもない。それでも、口にしない訳にはいかなかった。
ヒナがまだ目覚める前、ルーはマッハとケルヌンノスから、イシュタルがこの場にいない理由を聞いていた。
その内容には信じられないと瞠目するほど驚愕したが、彼女達が嘘を吐く理由が無い事は分かる。だからこそ、余計にその衝撃が強かった。
「主様は確かにお強いです。ですが、マッハ様達によれば、この世界はまだ未確定の事が多すぎる……と。主様自身の身の安全を考えるのであれば、私のような召喚獣に頼っていただけないでしょうか。こんな時こそ、僕である我らの出番です」
召喚主のヒナと違い、召喚魔法やスキルなんかで呼び出されるモンスターはこの世界で死亡したところで、大抵の場合は時間を置く事で再度召喚する事が出来るようになる。
マーリンを助けた時の南雲のように、自滅を選んで二度と召喚出来なくなる場合はあるものの、それ以外の場合であれば大抵復活は可能だ。
召喚獣を無数に呼び出せばいくら無限に近い魔力を保有しているヒナだろうが、いずれ魔力切れに陥る。
実際、メリーナを失ったあの時は捜索の為に無数に召喚獣を放っていたせいで一度切り札を使用して魔力を全回復させているのだ。
その時に感じた不快感や体の節々の痛みは想像を絶する物だった。経験したことは無い物の、出産の時にはあんな感じになるのではないかと勝手に思ったほどだ。
「それに、我らはほとんどの場合疲れを感じません。その点でも、人探しであれば我らの方が適任かと。イシュタル様を早々に見つける為にも、どうか我らの力を頼ってくださいませ」
深々とお辞儀をした少女を見つめ、ヒナは考える。
合理的に考えれば、彼女の言う通り召喚獣を無数に召喚して捜索させる方が自分で探すよりも安全で確実だし、何より人海戦術で早く見つかる可能性が高い。それは分かる。
だが、感情の面で考えれば自分で探しに行きたいと言うのが本音だった。
メリーナを失ったあの時、ケルヌンノスが言った。イシュタルは、自分の意志で自分から離れていったのだと。
その時、後を追っていれば今は4人で雛鳥に謝りに行って、メリーナの亡骸を彼女が最も望んでいる場所に埋める事だって出来ていたはずだ。
その後は今まで通り家族4人で暮らして……
(ダメだ。こんな事考えてちゃ、また死にたくなる……)
もしも、あの時油断なんてせずに戦場をよく観察できていれば、メリーナは死ななかったかもしれない。
もしも、あの時ケルヌンノスの言葉なんて無視して強引にでもイシュタルを追いかけていれば、今頃は4人で以前のような生活を送れていたかもしれない。
もしも、あの時本気であの女を殺しにかかっていれば、この苦しみは無かったかもしれない。
そんな、無数のもしもが頭に思い浮かぶ度、ヒナの中にある罪悪感と死にたいという暗黒の闇が心の内にジワジワと広がっていく。
それをなんとか頭を振って振り払うと、ヒナはイシュタルの家族としてのヒナではなく、ゲーム内で恐れられた“魔王”として合理的な判断を下した。
今この瞬間も、イシュタルはどこかで泣いているかもしれないし、危機的状況にあるかもしれない。
もし今は大丈夫でも、時間が経てばそういう事態に巻き込まれないとも限らない。ならば、悠長に自分の感情に任せて探すよりも、効率的な手段を選んだ方が良いと判断したのだ。
それに、いざイシュタルの身に何かが起こり、それが自分の判断で彼女の発見が遅れたせいだとなれば、今度こそヒナは自分を止められるかどうか自信が無かった。
「分かった。じゃあ、たくさん呼び出す。出し惜しみなんてしない」
「ありがとうございます」
それから、場所をだるまの部屋から第四層へと移し、ヒナは早速イシュタルを捜索する為の召喚獣を召喚するための準備に取り掛かった。
といっても、予備で持って来ていた魔力回復ポーションをありったけ手に届く範囲に置くくらいしかやる事は無いのだが……。
「やるよ」
「ん。私も呼び出した方が良い?」
ケルヌンノスのその問いに一瞬迷ったヒナだったが、イシュタルがいない今、魔力を回復する手段は非常に乏しい。
それに、もしもイシュタルが危機的状況にある場合はすぐさま助けに行かなければならないので、魔力は出来る限り温存しておきたいのが本音だった。
この世界の住人ならマッハだけでも十分に対処出来るだろうが、ディアボロスの面々がこの世界に来ている事を考えると、そんな慢心は出来ない。
大抵のプレイヤーは『イシュタル』という名前を聞けば魔王のNPCの1人という事くらいは察しが付くし、そんな人に危害を加えようとは思わない。
それでも、念には念を入れて戦闘力は極力落としたくなかった。
ヒナはいざとなれば魔力を全回復させる事が出来るし、恐らくだがこの世界では――
『召喚 墓犬』
墓荒らしから墓場を守っているという設定の黒く大きな犬――レベルは30程度――を呼び出したヒナは、そのモンスターに自分を攻撃するように指示を出す。
当然ながら器用に首を振ってその命令を拒否する墓犬ではあったが、大丈夫だとヒナが微笑んだことで遠慮がちにわおーんと一声鳴いた。それは、どこか寂しそうであり申し訳なさそうでもあった。
「ヒナねぇ?」
「多分ねぇ……この世界だったら召喚獣相手でも出来るんじゃないかな?」
そう言いながら切り札である『終焉の時計』を発動させる。
1回の戦闘毎に1回だけ魔力をノーリスクで全回復できるという破格の性能は、もちろん狂いなくその効果を発揮して微々たる量しか消費されていなかったヒナの魔力を回復させた。
その瞬間に墓犬の役目は終わりを告げ、ヒナに軽くいなされて戦闘の終了を告げられる。
「くぅーん……」
「ご、ごめんって……。でもほら、魔力の補完がいつでも出来るって事を報せたかったというかさ……?」
「ヒナねぇ、流石にそれは残酷。私でも、されたらちょっと傷付く」
「うぇぇぇ!? ご、ごめん!」
あからさまにしょんぼりとしたその犬の頭をヨシヨシと必死に撫でてご機嫌を取りつつ、ヒナはケルヌンノスに微笑む。
その顔には『私はいつでも魔力全快に出来るから、けるちゃんはもしもの時の為に温存しておいて』と言いたげだった。
それなら魔力の回復ポーションはいらないような気もするが、何かあった時の為の保険と考えれば良い。
実際、ヒナも召喚獣相手でも“戦闘”とカウントされることが分かった今、使う意志は無いのだから。
「でも、ヒナねぇのそれは反則に近い。魔力無限は、魔法使いにとって最強の武器」
「そうだよなぁ~。しかも、ヒナねぇは相棒のせいでただでさえ魔力消費の効率良いし、火力も高いし……インチキだよ」
魔力消費の燃費が良いのはケルヌンノスも同じなのだが、彼女はヒナのような魔力の自己回復手段をほぼ持っていない。
イシュタルが居なければ満足に魔力の回復も出来ないので、少しだけ恨めしそうにそう言う。
そしてマッハも、ヒナの強さと火力の高さを引き合いに出しながらぶーっと頬を膨らませる。
本来魔法職は剣士なんかの前衛職にはめっぽう弱い。
遠距離攻撃が得意な魔法使いは、剣士のような速度のある近接戦闘をこなすタイプは攻撃を躱すので精いっぱいというのが普通だ。いや、むしろ何もできずにやられてしまうというプレイヤーの方が多いだろう。
上位プレイヤーでも、魔法使いでありながら同じ上位プレイヤーの剣士に太刀打ち出来る者はそう多くない。
アリスのようにスキル主体で器用に戦うタイプはまた例外だろうが……。
「呼び出す子達って、低レベルの子から高レベルの子まで、ほぼ全員で良いよね? この際閻魔以外なら出しちゃっていいかなとか思ってるんだけど」
「じっちゃんは魔力食うしな~! 良いんじゃない?」
「それ、回復なしでどのくらい魔力持つの?」
ケルヌンノスのその問いに、ヒナは今から呼び出す予定の数百体にも及ぶ召喚獣の維持に必要な魔力量を即座に計算し始める。
算数が得意というわけでは無いのに、こういう計算だけはそろばんの有段者並みに早い事を疑問に覚えつつ「多分……」と自信なさげに言う。
「12分くらい? 魔導書の効果は乗らないから、もしかしたらもっと早いかも……」
「へ〜、乗らないんだ」
「うん。召喚魔法にかかる魔力は減らせるけど、召喚獣の維持に掛かる魔力は関係ないから」
「へぇ……」
そんな面倒な制約があるのか。そんな事を思いながら、ケルヌンノスは12分……と小さく呟く。
正直、自分じゃ霊龍だけでもかなりの魔力を消費するし、ヒナのように数百という馬鹿げた数の召喚獣を一度に呼び出したくとも、ソロモンの魔導書を借りなければ不可能だ。
その維持なんて数分と言わず数秒持てば良い方だし、マーリンやエリンもそんな事は出来ないだろう。
これは、魔力総量が呆れるほどに多いヒナだからこそ出来る芸当だ。
その、防御を一切考えていないステータスの割り振り方がもたらした結果ではあるのだが、通常はそんな事をすればまずモンスター相手だろうがプレイヤー相手だろうがまともに戦えなくなる。
そこを、ヒナは強力な装備と自身の火力。そしてマッハというゲーム内でも最強レベルの前衛に物を言わせてなんとかしている。
これを、反則と言わずしてなんと言おうか。
彼女が魔王と恐れられ、誰も彼女に太刀打ちできないとまで言われた理由の一片が垣間見えた事に少しだけ身震いしつつ、2人はヒナを見つめる。
「きっと……無事だよね」
「……うん。たるは、攻撃力は皆無だけど死なない事に関してはラグナロク1。しぶとさだけは、誰にも負けない」
「そうも言えないんじゃないか? ほら、トライソンもたる殺そうとしてたし、物理的な手段だと回復とかもあんまり意味ない――」
「バカ。そんなこと言ってヒナねぇ不安にさせないで」
と言っても、止めるのが少々遅かったせいで、既にヒナは若干涙目だ。
イシュタルにもしもの事があったら……。そう思うだけで泣きそうになり、怒り狂いそうになる。
「い、急ごう!」
「……マッハねぇのせい。私、知らない」
「うげぇ……」
早々に第四層に次々と呼び出される無数の召喚獣とヒナの鬼気迫った表情を横目で見つつ、ケルヌンノスは若干頬を膨らませて言った。
マッハも目の前に広がっていく地獄のような、まるで世界を滅ぼすのかと言いたくなるような召喚獣の群れにやれやれと首を振りながら応える。
「みんな、頼むよ! なにかあったらすぐに知らせて! 探す場所は任せるけど、時間無駄にしたら許さないから!」
『了解しました!』
自分1人で勝てない召喚獣が一体何人いるだろう……。少なくとも両手じゃ足りないなぁ……なんて思いつつ、マッハとケルヌンノスの2人は、その集団を見送った。
だが、マッハの無責任というか無神経な言葉がきっかけで、ヒナの機嫌は1日経つ毎に悪くなっていった。
「まだ……見つからないの?」
「手抜いてるんじゃないでしょうね?」
「……ッチ! もう! 早く見つけてよ!!」
そして、後1日経っても見つからなければ冗談抜きで世界を滅ぼしかねないほどイライラしていたヒナの元に届いたのは……
「ま~ちゃんけるちゃん! たるちゃんが見つかったって!」
イシュタルが見つかったという報せだった。