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169話 家族の絆と信頼

 ヒナを眠らせた直後、マッハはだるまに頼んでこの状態でも喉の奥に入れられるような物を作ってほしいと頭を下げた。

 相手が友達であれ、嫌いな人間であれ、マッハはヒナを始めとした家族を助けてもらう時は必ず頭を下げるようにしている。

 無論、それはヒナに設定に書き込まれた事ではなく、彼女が自発的にやっている事だ。


「もちろんですぅ。胃に優しい物を、なるべくたくさん、早く作ってきますぅ」


 相変わらず気の抜けるような口調でそう言っただるまは、早々にその場を後にしてキッチンへと戻った。

 次にするべき事。それは、地面に寝込んでいるヒナを心配しつつも、その意識を取り戻させるために彼女が回復魔法をかけないように見張っているケルヌンノスを睨んでいる召喚獣の説得だ。


 彼女の名はルー・ヴァリリアン。

 設定上ではラグナロク内に存在していた小さな町で商店を営む夫婦の長女として生を受け、その魔法使いとしての才能を恐れた町の人間に迫害されてきた過去を持つ。

 彼女を呼び出す条件として、彼女が住んでいる町まで行って彼女の願いを……町の人の誤解を解き、町の平和を取り戻す手伝いをしなければならない。

 無論そのクエストは高難易度の物として認定されており、中位プレイヤーであればまずクリアする事は叶わないだろう。


 ひまわりのような明るい髪と翡翠色の透き通るような美しい瞳が特徴的なその少女は、歳の頃は大体20代前半。若干膨らんだ胸元はヒナの嫉妬の対象にギリギリ入らない程度であり、その可愛らしい見た目からは想像出来ないほど強力な魔法の数々を行使する。

 身に纏っている衣装は小さな町の少女らしい質素な物だが、その首に下げているネックレスだけは違う。

 海のような深い蒼色を輝かせる宝石は、クエストクリア時に町長から今までのお詫びとして受け取る物だ。


 この宝石はプレイヤー自身が自分で受け取るか、それとも受け取った物を彼女にプレゼントするかを選べるのだが、ヒナはそんな物いらないと彼女に渡していた。

 まぁ、本来は『あなたが貰うべきもの』という言葉が最もふさわしいのだろうが、ヒナの性格が表れているだけなので見逃してあげるべきだろう。


「どういうおつもりですか? いくらヒナ様のご家族だろうと、これは許される行為ではありません」

「そんなの分かってる。でも、ヒナねぇの命を守るためにはこうするしかなかった」


 怒りで拳を震わせながらも、彼女はヒナが呼び出した召喚獣であり、彼女の家族である2人に危害を加える事は出来ない。

 システム的な拘束力はこの世界では発生していないが、ヒナが目を覚ましたとしても2人に手を挙げた事が知れれば自分の命が消え失せる事を彼女は知っている。

 だから、納得は出来なくとも2人を睨みつけるだけに留めているのだ。


「ヒナねぇの容態が悪化してたの、るーちゃんも分かってただろ? 私らだって本当はこんなことしたくないし、出来る事なら自分の意志で休んでほしかった。だから最初に、ヒナねぇに確認を取ったんだ」


 真っ先に後ろから襲い掛かれば……。そしてその後、彼女をこの世界から排除する形で討伐していれば、今のこの面倒な問答は起きていない。


 しかし、マッハ達はそうしなかった。それはなぜか。


「家族だから。私とマッハねぇ、もちろんたるも。私達はヒナねぇの家族だから、後ろから不意に襲う事はしない。たとえ命を守るための最終手段に頼るってなっても、そこの境界線は守る」

「そうだ。私達は家族だ。家族なら、心配はしようとも背後から襲う事はしない。警戒しながら生活しなきゃいけない相手なんて家族じゃない」


 ヒナはただの女子高生ではあったものの、その戦闘センスはゲームで培った物そのままこの世界にやってきている。


 ワラベやシャトリーヌも言っていたが、彼女は何かあった時に自分や家族の身を守るために、自分が知らない場所に足を踏み入れた時はまず逃げ道を探す習性がある。

 普段平和な世界で生きていた少女には絶対に必要ないだろう能力だが、ヒナはゲームでそのような癖をつけており、それがそのままこの世界で生きていく上でも引き継がれているだけだ。


 通常、ゲームなんかでそのような“日常生活では特に何の役にも立たない癖”が付いたとしても、普通の生活でそんなことをしてしまっては異常な人間に見られる。そんな心理が働き、人前では出さぬようブレーキが働く。

 それが日常化して、ゲーム内での嗅覚とも言って良い戦闘センスは、ほとんどの場合この世界に来てからプレイヤー自身から抜け落ちてしまう。


 だが再三言っている通り、ヒナは家から出る事も他人と接する事もほとんど無かった人生を送っていた。

 そんな理性のブレーキが働くような場面には出会ってこなかったし、必要とされる場面も無かった。

 だから、そのゲーム中でしか役に立たないはずの戦闘センスがそのままこの世界に来てからも引き継がれている。


 ダンジョン内で最初にトライソン――レベリオ――と遭遇した時、無詠唱魔法を始めて目の当たりにしたにもかかわらずマッハへの攻撃を予知して反射的に魔法を発動した。それだって、ゲーム内で培って育てられた第六感とも言うべき感覚だ。

 魔王と呼ばれた少女はそれが通常の何倍も鋭く冴えわたっているので、あの場面でマッハを庇う事が出来たのだ。


 しかし、マッハとケルヌンノスが言っているのはそういう事では無い。


 ヒナ程の戦闘センスがあれば、一度背後から襲われたなら、たとえ平常時に戻ったところで背後に誰かいるのではないか。襲われるのではないか。そんな意識が潜在意識に刷り込まれてしまう可能性があった。

 仮に背後にマッハやケルヌンノスが居たとしても、襲われたのは彼女達からなのだから安心などできないだろう。

 ビビリで用心深い性格故に、彼女は家族だろうが誰だろうが警戒して日々を過ごす事になってしまう。


「そんなのは家族とは言えないし、ヒナねぇは自分が悪いって絶対言う。自分がそんなことをさせたから、私達に非は無いって言ってくれる。でも、そうじゃない」

「そうだ。これは私とけるの判断で、ここにいないたるやヒナねぇは全然悪くない。なのに、ヒナねぇは必要以上に自分を追い詰める気がする。だから、少しでもその身の負担を軽くしないといけないんだ」

「たるが帰ってきた時、私達家族の関係が変わってたら絶対自分のせいだって後悔する。私達もだけど、全員ヒナねぇに似てるからそれは間違いない。そんなのはもう、前の私達みたいな関係とは言えないし、修復するのも無理なくらいの溝が生まれる」


 もちろん、ヒナを追い込んでしまった原因は少なからずイシュタルにもあるし、戻ってきたら一番にその事を謝らせないといけないだろう。

 だが、それはあくまで“家出した子供が親に謝る”程度の事であって、家族の枠からはみ出している事ではない。


「詭弁です。ならば、正面から襲うのは良い事だと? 家族として、許される事だと?」

「そうは言ってない。でも、ヒナねぇもちゃんと分かってくれるし、背後からの奇襲以外じゃ不意を突かれることはない。それは、本人が一番よく分かってる。そこに関しては、本業の私よりも相手からの殺気に敏感だから」

「……」


 ヒナは、現実の世界で小さな少女の身ではとても抱えきれないほどの重たい不幸に何度も見舞われた。その度に感情を表に出して暴れ、泣いて、発狂して来た。

 だが同時に、ラグナロクの多くのプレイヤーから尊敬の念を向けられてきた。それと同じくらいの畏怖を始めとした負の感情をその小さな体に受けて来た“特異”な少女だ。

 

 だからだろう。彼女の『人から向けられる負の感情』を察知する能力は剣士であるマッハ以上だ。

 まぁ、その半分以上は勘違い、妄想の類なのは問題ではあるのだが……。


「それでも、まだ納得できない? ヒナねぇに事前に確認を取って休む意思が無いから最終手段に出て、背後から襲うんじゃなくて正面から立ち向かった。もちろんヒナねぇは抵抗する事も出来ただろうし、その元気が無かったのかもしれない。でも、もし仮にその元気さえ無かったならどれだけ限界の状態で持ち堪えてたのか。あなたになら、分かるはず」

「……」

「あなただって、数日飲まず食わずで過ごした経験くらいあるはず。私達の事に関してはどうでも良い。でも、あなたを助けると判断したのはヒナねぇ。恩人に報いると思って、私達に協力してほしい。あなたの助けが、必要になるかもしれない」


 そう。面倒だと思っていながらも……絶対に怒られると分かっていながらも彼女を亡き者にしてこの場から退場させなかったのは、彼女の力が必要になるかもしれなかったからだ。


 今現在行方が分からなくなっているイシュタル。彼女は4人の中で唯一回復魔法やスキルを使用出来る存在だ。

 つまるところ、眠っている状態のヒナに無理やり食事を摂らせる過程でなにか間違いでも起こってしまおうものなら、彼女を癒す事が出来る人がいないのだ。


 メリーナが創り出した雛鳥であれば回復魔法の類は使えるかもしれない。だが、彼女はあれ以来メリーナの自室に閉じこもって一向に出てきていない。

 だるまによれば毎日3回部屋の前に食事を置いて、その全てが綺麗に完食されていることから餓死してはいないのだろう。


 しかしながら、メリーナを守る事が出来なかったマッハとケルヌンノスは、彼女に『ヒナを助けたいから協力してくれ』なんて無神経な事を言える頭は備わっていなかった。

 ヒナがルー・ヴァリリアンを呼び出したのだって、彼女がマッハと仲が良かったのもそうだが、一番は何かあった時に幅広い回復魔法を扱え、医療にも精通している彼女が居れば安心だと思ったからだ。


 彼女は迫害されてきた経験から、自身の身を守る術を多く持っている。

 その中には当然ながら治癒魔法の数々であったり、医療の知識なんかも含まれているのだ。


「私の、助けが……?」

「そう。ヒナねぇにもしもの事があったら、あなたの力がいる。私とマッハねぇじゃ、回復魔法は使えないし、たるが居たから回復系のアイテムはあんまり持ってきてない」

「たるが来てから、冒険に持ってくのは魔力の回復ポーションとか、そっち系の物中心なんだよ。基本たるが居たら事足りるし、あいつもヒナねぇと同じで基本魔力切れとか起こさないからな。でも、念のために魔力の回復ポーションを数本持って行って、その他はもっと有用なアイテムで固めるんだ。そっちの方が効率良いからな」


 ラグナロク内では、敵モンスターからドロップした素材やダンジョン内なんかで入手したアイテムは強制的にアイテムボックスへと送られる。

 それを開くことが出来るのはモンスターが発生しない安全な場所セーフゾーンか、PKも禁止されている街の中やギルド本部の中だけだ。

 つまるところ、一度冒険に出てしまえば無限にアイテムボックスからアイテムを持ち出す事は出来なかったのだ。


 冒険に出る際は必要なアイテムをなにかしらの手段――例えばNPCに預ける――で持ち運ぶしかなく、ヒナ達はそれ用にわざわざポーチのような物を買い揃えた。

 無論、持ち歩けるアイテムの上限は課金によって増えるが上限はある。

 つまり、使う可能性が非常に低いアイテムなんかは持ち込まないのが普通なのだ。


 ヒナ一行の場合はイシュタルが全ての回復役を担ってくれていたので持ち込めるアイテムの幅が普通のプレイヤーより幅広く、冒険や探索を有利に進める事が出来ていた。

 それが狩りやらなにやらの効率化を推し進めていたのだが、今はどうでも良い。


 話がだいぶ逸れたので本筋に戻し、マッハは再度協力を要請するべくぺこりと頭を下げた。


「お願い、るーちゃん。るーちゃんが居てくれたら、安心してヒナねぇにご飯を食べさせられる! ヒナねぇを守るために、少しでも安心な要素を作りたいんだ! 納得いかないかもだし、私らの事は最悪嫌いになっても良い。でも、今回だけは協力してくれ!」

「…………分かりました、今回だけは協力します」


 長い沈黙の末、少女はそれだけをポツリと口にした。


 少女の命の恩人でもあり、町の恩人でもあるヒナを助けたい。

 そんな事を言われては断れるはずが無いのもそうだが……一番は、彼女達が羨ましくてしょうがなかったのだ。


 自分だってヒナの事を大切に思っているが、召喚獣の分際では何かを意見する事なんて出来るはずもない。

 いや、仮に出来たとしても、彼女達のように強硬手段に出る事なんてとてもじゃないができない。


 実際、召喚されて数日、彼女はヒナの事を心配するだけで何もできなかったのだ。

 それなのに“家族だから”そう胸を張って言える2人の少女が状況を変えた。それだけでも驚くべきことだし、とても羨ましく、尊敬に値する偉業だ。

 自分にはできない、恩人を助けるという所業をやってのけたのだから。


 だが同時に、少しだけ妬ましくもあった。

 なぜ自分はヒナの家族では無いのか。ヒナの事をそこまで心配する事を許されないのか。

 なぜ彼女達はヒナに……。ヒナに、笑顔を向けられ、絶大な信頼を寄せてもらえるのかと。


 彼女は、自分でも知らないうちにそんな感情を胸に抱き、彼女達にその怒りをぶつけてしまっていた。


(愚かな……。私如きがなにか思ったところで、あの方は何も思ってくれない……)


 家族であり、最も近くにいるNPCの彼女達は別として、ルーは単なる召喚獣であり、家族でもなんでもない。


 ヒナは家族に向ける愛情は人一倍強いが、反対にそれ以外の存在にはなんの興味も示さないし、示したとしてもそれは恐怖だったり怒りだったり、負の感情である事の方が多い。

 稀にエリンのような例外はいる物の、それにルー自身が入り込めるかと言われると無理だろう。

 なにせ、彼女はどこまで行っても召喚獣でしかないからだ。


「ありがとう! 後はだるまがなにか作ってくれるのを待つだけだな!」

「ん。上手く行くと良いけど……ちょっと心配」


 ルーが少しばかり複雑な感情を抱いている事なんて露ほども思っていない少女達は、交渉が上手く行った事を喜んでひとまず胸を撫でおろしていた。

 悲しい召喚獣が……。いや、彼女と同じような感情を抱いている召喚獣は他にもいるが、彼女達が報われることは決してないだろう。

 なにせ、今まで生きてきた中で、ヒナは他人に優しくされた事が無いから。


 他人を信用する事なんてできないし、出来たとしてもそれは自分と同じ境遇を味わってきたような人だからだ。

 その前提が無い限り、家族以外で彼女の傍にいる事を許される人はいないだろう。


 唯一それが許されるかもしれなかった少女がこの世界を去ったその日から、彼女の傍に“居ても良い”人間は、彼女の家族3人だけになったのだから。

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