167話 全ての怒りを、あなたに
夜刀神が剣士の2人を亜空間へと隔離したのと同時に、その場に残された相性最悪の2人はどちらからともなくはぁと深いため息を吐いた。
イラとしては唯一本気で殺したいと思っている――レベリオは例外――サンと共闘するくらいなら、今この場でだけはチャン達に協力して一旦サンを殺害した方がマシだ。
そう本気で考えるくらいにはサンの事が嫌いだった。
幸いにも、今この場でその殺害現場を目撃するのはやる気がなく完全に萎えているレベリオと、これから死ぬことになるチャンとシャドウ、そして彼が呼び出した龍達だけだ。
こちらからは少し上空に浮かんでいる檻の中で今にも戦闘が起こりそうという状況が見える物の、向こう側からこちらが見えていない事は既に2人の視線や動きから明らかだ。
声を出しても恐らくは届かないだろうから、後から文句を言われることも責められる事も無いだろう。
唯一の問題はチャンや龍達がこの案に乗ってくれるかだが、その結果は相談を持ち掛けなくても分かる。なにせ、サンと他のギルドメンバー……特にミセリアとイラの姉妹が仲が悪い。そんな情報はディアボロスの中でも限られた者達しか知らないからだ。
レベリオはここでイラがサンを殺害したとしても告げ口するようなタイプでは無いし、仮にそうなったとしても普段から不真面目なレベリオと真面目に任務をこなしているイラ。どちらの方が信用があるのかはもはや言うまでもない。
つまるところ、イラからしてみればこの場所、この瞬間こそが前々から邪魔だと思っていた存在を消し去るのに最も好都合であり、今後これ以上のチャンスが舞い込むとは思えなかった。
まぁ、イラ自身も時間凍結を施した状態でどうやってサンを殺すかについては分かっていないのだが……。
(魔法で攻撃された時のレベリオの再生が遅い事がなにか関係ある気がするけど、時間凍結時になにかあるとして、分かってるのはそれだけ。それに、ここでサンを殺すとあいつらにも希望を見出してしまう可能性がある……)
そう。一番大きな問題は、仮にサンを殺害出来たとしても、それは自分達の不死性の否定になるだけだ。
時間凍結という名は知らなくとも、今自分達の体を守っている不死性があるからこそ保てている優位性。
サンを殺害するという事は、それが綺麗さっぱり消えてなくなる事を意味している。
相手がそこまで強くないプレイヤー達であればそこまで問題では無かったかもしれないが、相手は誰あろう魔王の次に厄介だと思われるwonderlandの面々だ。
仮にその方法が分かったならば確実に全員を始末しなければいけなくなるし、最悪の場合その方法が魔王に伝わってしまっては自分達の命までも危険に晒されることになる。
それは……それだけは、絶対にあってはならない。
「行きますよ!」
『グラァァァ!』
チャンと龍達が雄たけびを挙げて迫ってくる中でも、迎撃をサンに任せてイラは考え続ける。
この場でサンを殺しに行くことは、本当に正しい事だろうか……と。
「イラ、お前もサボりか?」
「……」
「だったらさぁ、私は死んだことにしてくれて良いからここから逃げる許可くれない~? お姉ちゃんに会いに行きたいんだけど~! 謝りたい事もあるし、メリーナのお墓参りにも行きたいし。ほら、おねがーい」
「晩年発情してる猿は黙ってて。お姉ちゃんが帰ってきたら許してあげない事も無いけど、多分まだかかる」
スカーレットと戦ってるだけでも面倒なのに、そこにバイオレットが加わるとすればいくら姉でも厳しい戦いを強いられるだろう。
スカーレットの力量が一切分かっていないので確実な事は言えないまでも、バイオレットに単身で即座に勝てるほど、己の姉は強くない事は妹である自分自身が一番よく分かっている。
というよりも、自分で殺していながらお墓参り? お前は頭でも湧いているのか。
そう言いたい気持ちをイラは必死で抑え、魔王に謝りたい事とはなんなのか。そう、反射的に口にしてしまう。
「お姉ちゃんに対して、私は一つ大きな嘘を吐いちゃったの。もちろん世の中には人を傷付ける嘘と傷付けないための優しい嘘の2種類が存在する事は分かってる。でもあの時の私は、お姉ちゃんに愛されたい一心でお姉ちゃんを傷付ける方の嘘を言っちゃったの。それが、前に私が言った内容と凄く矛盾するってその時は分かって無かったの。あんなに愛を向けられるなんて思ってなかったし、お姉ちゃんの本気の一部の力を味わっただけでも私は大満足だったから。でも、そこだけは訂正しておかないと私が最低な奴になっちゃうでしょ? だから、お姉ちゃんには私の事を誤解されたままは嫌なの。ちゃんと誤解を解いて――」
「あー、もう良い。分かった、お腹いっぱい」
「……つまんないな。ようやくイラもお姉ちゃんの素晴らしさと愛おしさが分かったと思ったのに……」
残念そうにそう言ったレベリオに、心の中で「そんなの永遠に分かりたくない」と唾を吐き、改めてサンの殺害に関して真剣に悩む。
一方で、サンもこの時イラの事に関して1つ重大な事を考えていた。
それは――
(ここでこいつを殺しても、私が責められる事はない……)
奇しくも、イラのそれと全く同じだった。
サンはディアボロスの幹部メンバー――特にミセリアとイラの姉妹とレベリオ――にはかなり嫌われてしまっている物の、普通のメンバーとは仲良くやっていた。
まぁ、他のメンバーはサンの力を恐れて何も言わないだけかもしれないが、それでも露骨に嫌いだとぶつけられるよりは良いし、ミセリア姉妹のように妨害もしてこない。それだけで十分と言えば十分だった。
この世界の全人類に好かれるなんてことは無理だと分かっているので、彼女も自分を嫌いになる人間がいる事それ自体は仕方が無いと思っている。
1人の女としてはやはり心に来るものがあるのだがそれは今はどうでも良い。
問題は、彼女もイラの事を本気で殺したいと思っている事だ。
すぐ傍で堂々とサボっているレベリオに関しては、もう毛ほども興味を示していない。
「オイ、チョットハカセイシタラドウダ。ワタシハマオウジャナインダゾ」
大量の龍から雨のように降り注ぐ属性ダメージを伴うブレスを魔法で相殺しつつ、時に攻撃を喰らいながらも時間凍結に物を言わせて実質的に無傷に抑え、相手に攻撃を与える。
その中で、前衛職であるチャンも抑えるなんて芸当はただの魔法使いでしかないサンには少々厳しい物がある。いや、これだけの所業を平気でやってのけるのは、それこそ魔王くらいしかいないだろう。
いくらディアボロス1の魔法使いだとしても、その実力は“上位プレイヤー”という枠組みから外れている訳では無い。
まぁ、こんな事はランキング上位に名を連ねている者達でも出来るプレイヤーの方が少ない……というか、魔王しかできないだろうがそれは良い。
「私は今考え事をしてる。どうせ死なないんだからそのまましばらくサンドバックになってて」
「ッ! キサマイイカゲンニ――」
「仲間割れですか。人間は哀れですね」
龍達も何かがおかしいと気付き始め、後ろで未だに身動き一つ取ろうとしないイラを無視し、サンに全てのリソースを割き始めた。
少しばかりイラにも向いていた攻撃がなんの比喩も無く全てサンに向けられれば、彼女にそれを防ぐ手段などあるはずもない。
いくら無詠唱によるタイムラグほぼゼロの攻撃が可能だからといっても、それでも限界という物はあるのだ。
『悪魔の腕』
無詠唱でスキルを発動し、己の背後から禍々しい文様を刻んだ悪魔族の腕を2本出現させる。
正面から見ると背中から2本の腕が生えたようにしか見えないので少々滑稽だが、この2本の腕はそれぞれサンの魔力を消費することなく指定した魔法を発動する事が出来る珍しいスキルだ。
そう長くは続かないが、非常に有用なスキルであることに違いはない。
攻撃を相殺するだけなら十分に役に立つそのスキルを併用しつつなんとか攻撃を防ぎ、女は思案する。
(理論的に殺せる方法はある。だが、ここでその方法を奴らに見せて、もしカフカが帰ってくるまでに勝負がつかなければ……私の命が危なくなるな)
サンがブリタニア作戦を失敗してギルド本部に帰還して実質的な謹慎を言い渡されていた時、何も捕まえてきていた現地人を拷問してストレスを発散していただけではない。
いつかミセリアとイラ、オマケにレベリオを殺せる機会がくれば殺せるように、時間凍結の仕組みを理論的に解き明かそうとしていたのだ。
幸いにも魔法に関する知識はブリタニアにいた頃シャトリーヌから散々聞き出しているのである程度あったし、サンは元々名門と呼ばれた高校・大学を出ている。つまり、頭もそれなりに良いのだ。
その証拠に、時間凍結を攻略する術を理論的にではある物の見つけ出しており、魔法による攻撃に弱いのではないかという仮説も立てている。
まぁ、それにはヒナに受けた一撃があったおかげというのもあるのだが、本人は全て自分の力だと思っているので黙っておいた方が良いだろう。
ともかく、イラと違う点はそこだ。
イラはサンを殺したいと思っていてもその具体的な方法を掴めてはいない。
一方で、サンはイラに殺意を持ち、かつその殺害方法についてもある程度見当を付けていた。
両者迷っているのは、仮に相手を殺せたとしても自分達の優位性を捨てる事になるがそれで大丈夫なのか。そこだけだった。
ここに2人しかおらず、なおかつ誰も見ていないという絶好のロケーションであれば2人ともが迷わず相手を殺しにかかるだろう。
その勝敗の結果がどうなるかは分からないが、“ゲームの世界の時から戦力が変わっていないのであれば”サンの方に軍配が上がるだろう。
「まぁ良いや。お姉ちゃんが来たらその時決めればいい」
やがてイラはそう小さく呟くと、無詠唱で2匹の龍をその存在事消し炭にする。
自分1人では決断が出来ず、サンを殺す術が思いつかなくとも、己の姉がこの場に戻ってくれば代わりに判断を下し、殺す術も何か思いつくかもしれない。そう思ったのだ。
そして、その圧倒的な火力をもってして龍達の意識の外側から魔法を放ち、サンの攻撃でHPを削っていた2匹の龍を消滅させることに成功する。
「オマエ、ミセリアガカエッテクルトハカギラナイゾ?」
「お姉ちゃんのことをあんたにあーだこーだ言われる筋合いはない。絶対に帰ってくる」
スカーレットとバイオレットという強者を2人同時に相手しているだろうミセリアに対するその謎の自信に呆れてしまうが、サンは振り返ったその瞬間にニヤリと厭らしい笑みを浮かべた。
その笑顔はまさに「言わんこっちゃない」と言いたげで、少しだけイラの事を嘲笑っているかのようだった。
「オイシスコン。ウシロヲミテミロ」
「シスコン? それはあっちでサボってるクズだけで十分。お姉ちゃんはイラと同じくらい凄いんだから尊敬するのは当然。それより、よそ見してて良いの?」
一方で、イラもイラでニヤリと笑い、龍の1匹に頭から食いちぎられたサンを見てキャハハと珍しく笑い声をあげる。
それはレベリオでさえ初めて見たイラの笑う顔であり、初めて聞いた歓喜の声だった。
「良いね、ありがとう。あなたを殺すのは最後にしてあげる」
サンを食いちぎった霊龍にニコッと微笑むと、イラは再び魔法を使用するべく上空を漂いながらこちらに狙いを定めている3匹の龍を睨む。
しかし次の瞬間、彼女の右腕は肩から先が吹っ飛び、数メートル先へと転がる。
「……もう、今度はなに? いい加減鬱陶しいんだけど」
片腕を失い、その傷口からおぞましい量の血液を吐き出しながらそうボヤいたイラは、はぁと肩を落としながらゆっくり振り返った。
しかし、文字通りその目の前に立っていた存在を前にするとポツリと零した。
「……は?」
その瞬間、彼女の顔はぐしゃっと凹んで鼻と片目が潰れた。
決して傷付ける事ができないと思えるほどの強度を持った機械の腕で思い切り殴られ、まるで小学生に蹴られた石ころのようにゴロゴロと惨めに地面を転がる。
「健在で何よりです。シャドウ、チャン」
「……バイオレット。戻って来たのか」
「我がマスターは皆での逃亡をお考えでした。最優先事項がスカーレットだったというだけです」
無表情にシャドウへそう言い放ったバイオレットは、少し後方にいるスカーレットにお姫様抱っこされて若干顔を赤くしている幼女を指さしながらそう言った。
「なるほど……ね。色々と察したよ」
呆れたように肩を竦めたシャドウだったが、すぐに気を取り戻すとその気持ち、分かるぞと同情の瞳を幼女へと向けた。
「う、うるっさい! あんたなんかに私の気持ちなんて絶対わかんないんだから!」
プンプンという効果音が相応しいほどの剣幕で怒鳴り散らした幼女は、ピシッとシャドウを指さしてあっかんべーをする。
だが、その様子に困惑しながら彼女のおでこに手を当てた少女が居た。スカーレットだ。
「ど、どうしたんだレガシー。さっきから顔も赤いし……実は風邪でも引いてるのか?」
女王の威厳の効果が切れて完全に元の吸血鬼へと戻っていた彼女だったが、今は長年の引きこもり生活でまともに歩くことが出来なくなっていたレガシーを抱えていた。
文字通りおんぶにだっこの状態なので家に辿り着いた時は笑ってしまった物だが、自分よりも戦闘能力の高いバイオレットがこの役をするよりも幾分か良いと思ったのだ。
しかし――
「だぁぁぁぁ! もう良いってば! スカーレット、そういうとこだぞ!」
「……分からんな。日本人はこういう時、なんて言うんだ?」
「私はイタリア出身のアラサーだよ! って、悲しい事言わせないでよ! サッサと逃げるよ!」
そう叫びつつもどこか嬉しそうなレガシーを見て微笑ましそうにニコッと笑みを浮かべたシャドウとチャンだったが、彼らは逃げるという選択肢をつい数分前に己の中から排除したばかりだ。
いや、より正確に言えばシャドウはディアボロスが攻めてきた時には既にこの地に骨を埋める覚悟を決めていたし、チャンも一時は臆していた物の、元々覚悟は決めていたのだ。
そして、スカーレットとレガシーにその事を伝えようと口を開く……そのわずか数秒前に、1人の少女がプルプルと怒りに震えながら口を開いた。
「お姉ちゃんは、どうした」
そのドスの利いた怒りの声は、サボっていたレベリオが思わずビクッと体を震わせ、傷の再生を終わらせたサンがその薄気味悪い笑みを引っ込めてしまう程だった。
無論スカーレットとレガシーもぴくっとその背筋を震わせ、足を小刻みに揺らしてしまうが……感情を持たないバイオレットは違う。
むしろ自分の主人が怯えている事をいち早く察し、彼女を守るために1歩イラに歩み寄り、告げた。
「私が蹴散らした。それ以上の説明がいるか?」
「貴様……。きさまきさまきさま! きさまぁぁぁぁ!」
その瞬間、空気が震え、大地が震え、空が割れた。
比喩でもなんでもなく、イラの魔法の効果によって本当に、空が割れた。2つに割れた空から現れた物。それは――
「天界への、階段……」
レガシーがポツリと呟いた声が、その場に小さくこだました。そして、スカーレットは自分の耳を、目を疑った。
なにせ、その階段から降りて来たのは――
「おい……。おいおいおい! さっき見たぞ……冗談だろ……」
天界への階段というスキルは、呼び出されたモンスターが地上へ降りるまで一切の攻撃を受け付けない。
それはシステム的な物であり、いわばこの登場シーンは演出であって攻撃を仕掛ける事は絶対に不可能なのだ。
だからこそ、その威容が今度はありありとその瞳に焼き付く。
それは、対剣士を想定するならこれ以上の適任者はいないと言われ、天界への階段で呼び出せるモンスターの中でも最上位に君臨する――
「我、天空より参りし堕天。またの名を、サタン」
「殺す!!」
その瞬間、その地に絶望が舞い降りた。