166話 夜刀神
「でさ~……あいつ誰? イラ知らない」
シャドウとチャンが死ぬ覚悟を決めて戦闘態勢を整えたのと同時だっただろうか。
戦場の緊迫した空気を吹き飛ばすような、どこか眠たくなるような気の抜けた声が響いた。
その声を発した少女――イラは、シャドウが呼び出した擬人化した龍を不遜にも指さしつつ、ハムスターのように頬を膨らませて不満げな顔をしている。
彼女が知らないように、レベリオはまるで興味が無いので明後日の方向を向き、サンも知らないとばかりに首を横に振る。
「役に立たない……。フィーネとアムニスは?」
「うーん。確信は無いけど、夜刀神じゃないかな」
「……なにそれ。そんな神様いたっけ」
イラが首をかしげるのも当然で、その名はラグナロクでもかなり珍しかった日本の神様だ。
それも、なにかの神話に登場するというよりは常陸国風土記という奈良時代初期に編纂……現代で言えば出版された本の中に登場する蛇神なのだ。
ラグナロクの元になっているのが北欧神話というのはかなり有名な話だが、ゲーム内に登場する神は世界中の神話から集められている物が多い。
ギリシア神話やらケルト神話、メソポタミア神話など……本当に、ありとあらゆる神話から神の名を貰ってきている。
しかしその中でも、言ってしまえば単なる雑誌の中の神様が取り上げられた例はあまりない。
それをしてしまうともうなんでもありになってしまうので運営が忌避していたというのもあるのだが……。
「雑誌……。なにそれ、ヘボ。ていうか蛇神なのになんで龍の擬人化とか言われてるの。蛇じゃん」
「蛇は龍の化身って一説があったんじゃなかったかな。あれ、逆だっけ?」
フィーネもそこら辺は詳しくなく、神の名を冠しているモンスターを相手にする事なんて無かったのでそこら辺の神話を調べている訳でもない。
ヒナはもちろん、アーサーやアリスなど、その手のモンスターに挑む上位プレイヤーのほとんどは、神の名が公開されるとこぞってどんな神なのかを自分なりにリサーチし、どんな攻撃を行ってくるのかを推測して対策を固める。
そのおかげで世界各地の神話なんかに妙に詳しくなってしまうのがあるある話としてプレイヤー間でよく上がる話題なのだが、それは今関係ないので割愛する。
ともかく、ディアボロスの面々が得意としていたのは神をも殺す上位プレイヤーを不意打ちだったりだまし討ちの類で討ち取ってその装備をプレイヤー自身の誇りやプライドもろとも強奪する事だ。なので神話なんかには興味のあるプレイヤーの方が少ない。
ただ、その中でも例外なのはディアボロス内でも頭脳を担当していたアムニスだ。
彼女はフィーネに問いかけられてウンザリしたようにはぁとため息を吐くと、自身の脳内にある記憶と照らし合わせ、わざとらしく「どうだったかな……」なんて口にする。
これをすれば知的に見えるだろうという勝手な思い込みなのだが、存外顎に手を当てながらそう言っている彼女の姿は普段より聡明に見えるので不思議だ。
「蛇って言うのは龍の化身ですね。例えば白蛇は弁財天の化身として知られていますし、出雲大社には龍神と蛇神が祀られていると聞いた事があります。まぁ、これは仮説であって、私が調べた限りという前提のお話です。どこかのサイトで纏められているのを見ただけなので」
「白蛇が弁財天……。意味が分からない。七福神の真ん中にいるギターみたいなの持ってる女って認識しかない」
「罰当たりな事を言いますね……。まぁ実際、そう思ってる人は多いでしょうけど……」
確かに弁財天はどんな神だ。街でそんなアンケートを取れば、大体が今のイラと同じような事を言うだろう。
その中で、彼女は水の神様で、元はヒンドゥー教の女神様だ。ついでに言えば弁財天は仏教における呼び名で、特に農家から信仰されることが多かった。
でも、今は財運や芸術、学問などの多種多様なご利益がある神様として広まっている……。なんて、そんな答えが返ってくる可能性は万に一つも無いだろう。
話が逸れたので元に戻すが、シャドウが呼び出した男は唯一擬人化が許された龍――正確には蛇神――であり、その名は夜刀神。つまり……神の名を冠しているモンスターという事だ。
蛇は龍の化身と呼ばれている事もあり、キッチリ龍神の効果も乗ってその性能は本来の数倍に高められている。
無論、その状態でマッハといい勝負が出来るというので、ここでも魔王のNPCの株が上がっているのだが、それはもう良いだろう。
その見た目は20代前半くらいの若い男で、髪の色は艶やかな黒。その中に赤いメッシュやインナーが入っており、その瞳の色は夏の夕焼けのような茜色だ。
非常に動きにくそうな、韓国ドラマなんかでよく見る宮廷の臣下が来ている赤い衣装を身に纏い、その腰に漆黒の鞘に収まっている剣を下げているのが特徴的だ。
衣装とのミスマッチ感が否めないが、それを言うなら、なんで龍の擬人化なのに両耳に丸く小さなピアスが空いているのかという説明が付かなくなる。
つまるところ、このキャラをデザインした人間の完全な趣味だ。
無論、そのデザインした人間と言うのは彼を手に入れたシャドウ……というわけでは無く、ラグナロクを運営している会社のキャラクターデザインを担当している人間という意味だ。
「ふ〜ん。で……主な攻撃手段は物理って理解で良いの?」
「アリスと同じでスキル主体の戦い方だったはずですよ。そこまで出てくる機会が無かったのでおぼろ――」
おぼろげにしか覚えていない。アムニスのその言葉が最後まで紡がれる前に、彼女は自分の本能に従って腰の剣を抜いて正面に構えた。
次の瞬間、彼女の目の前には怒りで髪を逆立てながら剣を振っている男の姿があった。
「おっと……。これはこれは……随分とお怒りのようですね……」
「今のを防ぐか、小娘。ワシの事を好き勝手言いよってからに。分かった気になってベラベラくっちゃべるでない!」
尖った牙を無数に晒しながらそう叫んだ夜刀神は一瞬で後方に移動すると、今度はやる気のなさそうなレベリオに斬りかかる。
その速度はとても人間が目で追えるものではなく、元々やる気のなかった彼女は抵抗らしい抵抗をするでもなく、アッサリ上半身と下半身をお別れさせる。
「あ~……つまんない」
「なに? これは珍妙な。シャドウが言っていた事は真であったか。胴体を斬られても生きているとは……」
「お姉ちゃん以外の奴に殺される気はないんだって~。私は何もしないから気にしないで良いよ」
「……」
そんなことを眼下でつまらなそうに言ったレベリオを見て、流石の神の名を冠する彼も困惑しながらシャドウの方を振り返った。
しかし、彼はそんな事を気にしている余裕はなく、無数の龍達に指令を出しつつ、異常なほどの速度で減っていく魔力を補完する為に無数のアイテムに手を伸ばしていた。
(そこまでの余裕は流石に無いか。まぁよかろう。こやつからやる気を感じられないのは本当だ。なら、ワシが相手するまでも無いか)
早々にそう結論付けた夜刀神はレベリオを処理する事を後回しにして、目の前で戦闘態勢に入りつつある4人を見つめる。
その中でチャンとシャドウが呼び出している龍達が相手にするべき敵と自分が相対した方が良いだろう敵を瞬時に判断し、即座にスキルを発動させる。
『蛇龍の檻』
一辺が数メートルの小さな箱のような空間を空中に創り出し、その中に自分が仕留めるべきだと判断した2人を強制的に押し込める。
その箱は4つの頂点に蛇と龍が絡みついている独特の装飾が施され、外から内を見守る事は出来るが、その逆は無理というマジックミラーのような造りになっていた。
箱全体は緑と紫を混ぜたような独特の光を発しつつ、その異様な姿にその場の全員が思わず息を呑む。
これは夜刀神のオリジナルスキルで、彼以外のモンスターやプレイヤーが使う事はない。
効果は、彼自身――ゲーム内ではプレイヤー――が設定したプレイヤー、もしくはモンスター数匹と己をその空間に強制的に押し込め、どちらかが死亡するまで戦う事を強制されるというもの。
無論、この檻を破壊する事はシステム的に不可能であり、一度指定されてしまえばその瞬間に押し込められるので回避は不可能だ。
仮にヒナがこの空間に閉じ込められたとして、ソロモンの魔導書を用いてどんなに強力な魔法やスキルを使用してもこの空間を破壊する事は出来ない。
それに、この空間は一種の亜空間とシステムに認識される関係で使えるスキルや魔法に一部制限がかけられる。
例えば天候を操作するような魔法やスキルはその効果を及ぼすことなく、檻の外側の世界で発動される為に使っても仕方がない。
地形変化のような自分の周りの環境を弄るような類の物も、この空間では意味が無いとして使用不可能になる。無論、世界から消えてしまう存在隠匿系のスキルや魔法も使う事が出来ない。
そして最も重要なのは……この空間には、最初に指定された者以外が立ち入ることはどのような手段を用いても絶対に不可能と言う事。
仮に召喚魔法などでモンスターを呼び出そうとしてもそれは不発に終わるし、ヒナがアリスとの戦いで切り札としていた『死せる勇者の魂』も、この空間内では使用不可だ。
なにせ、あれは比喩でもなんでもない自分の分身を生み出す物であり、この空間に存在を許されているのは『ヒナ』だけだからだ。
そんな、圧倒的理不尽のバーゲンセールのような空間に押し込められた2人は――
「まぁ、剣士2人隔離ってのは妥当か。シャドウは今動けないしね」
「召喚主を殺せばあなたも消えると安直に考えて即座に行動に移そうとしてしまった私の失態ですね。非常に面倒な事になってしまいました」
ディアボロス内でも屈指の剣士であるフィーネとアムニスだった。
夜刀神は、召喚主であるシャドウが魔力の使い過ぎとその補填でアイテム漬けになってしまうので動けないという事をちゃんと理解している。
そして、その中で彼が狙われてしまっては彼が呼び出した龍達が存分に動けず、チャンも満足のいくように動けないだろうことは容易に想像が出来た。
なので、魔法使い2人に対処するのは龍と前衛職という事で有利が取れるだろうチャンに任せ、自分はこの空間で2人の剣士を相手にすることにしたのだ。
フィーネはかつてアーサーと死闘を演じた程の強者であり、その実力は“ゲーム内では”知らぬ者などいないプレイヤーだった。
無論、魔王には剣士でありながら一蹴されてしまった訳だが、それは比べる相手が悪すぎたのでここで持ち出すのは彼女が可哀想だ。
そして、ディアボロスでは彼女に次ぐほどの実力者であるアムニス。
彼女は本来あまり表に出て戦うタイプでは無いのだが、たった1人でシャドウが呼び出した龍数体を屠って合流してきたことからも分かるように、その実力はこの世界でも本物だ。
まぁ、それを言うならこの世界の事をあまりよく理解していない状態のメリーナに90レベルは確実に超えていると言わしめたフィーネの実力も相当な物なのだが……。
「主ら4人相手でもワシは余裕じゃが……あ奴らの実力が知れぬ今、慢心は禁物よの。それに、龍共にも出番を与えてやらねば不満も生まれるだろうからな」
そう言いながら外の様子が見渡せないはずのその空間で、正確に龍達が漂いながら咆哮をあげているそこを見つめ、夜刀神はフッと薄く笑う。
シャドウの能力で呼び出された龍は最も弱いとされる神より強くなる個体が多い。
そんな存在が14体も居ながら、相手する侵入者が1人というのは不満が生まれるだろう。
まぁ2人が相手だったとしても不満を言う龍はいるだろうが、それを言うなら数十年ぶりに呼び出された彼にも言い分があった。
(ワシだって戦いたいのだ。力ではワシが勝っておるのだから、これくらいは見逃すが良い)
彼はスカーレットのように自分を偽っている訳ではなく、本物の、正真正銘の戦闘狂だった。
そんな彼が数十年出番なしとなればその欲が爆発するのも仕方が無いだろう。
フィーネとアムニスだけで満足できるかと言われるともちろんそうでは無いのだが、相手の不死性はレベリオのそれで既に確認済みだ。仮に2人の剣技が思っていた程ではなくとも十分サンドバックにして楽しめるだろう。
彼は、密かにそう思っていた。
「良し、待たせたな。……では始めるか。『龍神の加護』」
邪悪極まりない笑みを見せながら、夜刀神は言った。
その瞬間、彼の体を神々しい光が包んで身体能力がさらに数段階高められる。
「やれやれ。まぁ、私達は死なないから問題ないけど――」
「時間を食うのが面倒ですね。カフカが連れてくる援軍によっては、もっと面倒な事になりかねません」
そう言った2人は、未だに動き出そうとしない神に向かって風を斬るように走り出した。
「さぁ、存分に踊れ」
その場に君臨した圧倒的な力の化身は、そう言って邪悪に笑い、剣を振った。