165話 戦友
バイオレットが戦線を離脱し、レガシーの願いを叶えるためにスカーレットの元へと向かった直後、彼はなんでこうなったのかと失望を隠すことなく大きなため息を吐いた。
周りにはバイオレットを追っていった有象無象のディアボロスの戦闘員以外……つまり、幹部メンバーが4人揃っている。
スカーレットが連れて行ってしまったミセリアと、なぜかこの場には姿を見せていないアムニスを除いた全ての幹部が集まっているという訳だ。
まぁ恐らく、彼女は上の龍達が苦戦している所を見るに、そちらで力を振るっているのだろうが……。
一切戦う気のなさそうなレベリオのおかげで彼女達の秘策が露見したは良い物の、チャンはその過程で神の名を冠している愛武器を失い、わずかに存在していた希望はバイオレットの失踪によって完全に失われたようだ。
その顔を見れば誰しもが言うだろう。
それは、死期を悟った老人が覚悟を決めたような勇ましい物だ……と。
「無念……と、言って良いのでしょうか。ここまでの屈辱と絶望を味わうのは初めてです」
「あはは。まぁ、それは私も同じだよ。まったく、困ったものだね……」
ミセリアがいないとしてもイラの戦闘能力の高さは侮れるものでは無いし、それに勝るほどの実力者であるサンもいる以上、この場に魔法使いに対して有利を取れるバイオレットがいないのは痛い。
それに、シャドウは主に龍を召喚して彼らに戦闘を丸投げするスタイルなので、剣士であるフィーネやレベリオにはかなり弱い。
無論身を守る魔法程度ならば使えない事も無いのだが、それで持ちこたえられるような者達であれば、ゲーム内でその悪名が知れ渡る事は無かっただろう。
唯一魔法使いに対して前衛職だからという理由だけで有利を取れそうなチャンだが、彼1人で2人の上位プレイヤーを抑えるのは流石に無謀という物だ。
ゲーム内であればその性能を遺憾なく発揮出来るために可能な芸当だっただろうが、この世界は生憎とプレイヤー個人の力量で肉弾戦の勝敗が決まってしまう。
この場に残っていたのがスカーレットであればまた違ったかもしれないが、それは言っても仕方ないだろう。
「ランキング1位ギルドも、こうなってしまえば情けない限りだね。ここまで来ると、虐めている気分になってしまう」
「暢気すぎ。カフカの姿が無いのはおかしい。残ってる中だと、バイオレットの次に厄介な奴」
「タシカニミョウダナ。ヤツホドノマホウツカイヲエングンヨウセイニデモツカッタノカ? シャドウ、キサマハソコマデセンキョウノミエナイオロカモノジャナカッタトオモッテイタンダガ……」
少しだけ残念そうにそう言った、妙に聞き取りにくい声のサンに微笑を浮かべ、シャドウはここにカフカがいない理由を正直に話した。
無論、それは表向きの理由で個人的な感情については言わなかったし、救援を求めに行った相手の事は言わなかったが……。
「それよりも、君達はなんでここに来たんだい? 間の抜けた質問だと思うけど、答えてくれよ」
「君、日本人だったっけ? さっきから気になってたけど、ずいぶん流暢な日本語を話すんだね」
「ああ、それね。この地に来てからカフカとアリスに習ったんだ。この世界の標準語が日本語らしいという話を聞いたから、一応ね。あらゆる可能性を想定して鍛錬をする。それは常識だろう?」
肩を竦めながらそう言ったシャドウは、完全にやる気と戦意を喪失しているチャンを庇うように数歩前に進んだ。
いざとなれば砂時計でもなんでも使って龍を最大数呼び出した後、この場から逃走する事も視野に入れる。
(バイオレットがどこかへ去ってしまったのは、恐らくスカーレットの身を案じての事だ。なら、全員で生き延びて魔王に協力を要請しに行く方が、今この場から生還するというそれだけの目的であれば最善手か……。だが、やはりここを明け渡すのは――)
自分達にとって、この王国は聖地だ。
苦楽を共にしたギルドメンバーとの数々の想い出がここにはあるし、汗と涙、そしてラグナロクにつぎ込んだ資金の全てがこの場所に眠っている。
そんな地をこんな者達に明け渡し、挙句に数々の装備やアイテムまで渡してしまうのは身を引き裂かれるよりも辛い。
それは戦いが始まる前に言っていた通りだ。
それに、この地を明け渡した場合、いずれ訪れるであろう彼女達との決戦時に不利になる。
まぁ、装備や武器に関しては対プレイヤーを考えるのであれば彼女達が元々持っているような物品の方が優秀だろうからそちらを使うだろう。
しかし、数々のアイテムに関しては話が違ってくる。
中でも厄介なのは、どんなスキルや魔法でも無効化してしまう無効玉や反射板などの魔法を反射する数々の品。
そして……軽く30は超えるだろう神を呼び出す事が出来るアイテムだ。
無論、そうやって呼び出した神の名を冠するモンスターを使役する事は出来ないが、もしもの時の切り札には十分なり得るだろう。
ゲームの世界であれば残っている各人が単騎で亡ぼせるようなモンスターだったとしても、この世界はゲームでは無い。
本来の動きが出来るのはバイオレットとシャドウくらいだし、全員で挑んでも全能神や最強と呼ばれていた冥府の神なんかは勝てないだろう。
魔王の戦力があれば話は別だろうが、それでも30体の神を一気に呼び出されてしまえば不死身でもなんでもない自分達には致命傷になり得る。
(せめてチャンだけでも逃がせないか……? ステラからの援軍は思っていた以上の戦力が来る……。カフカが魔王を連れてきてくれるなら、私も後から離脱出来る……。だが、もし連れてこられなければ……)
その時は、ステラからの援軍もろともこの地に骨を埋める事になる。
ステラからの援軍と言うのが、アリスの子供達であるというのは流石になんの冗談だと笑ってしまいそうになるが、プレイヤーの血を引いている子供はこの世界の人間よりも強く、プレイヤーにも対抗し得る存在だ。
アリスの子供達を無為に殺す事はしたくないが、それでもなんとか持ちこたえる事が出来れば――
「カフカが戻ってくると面倒だし、さっさと済ませちゃおうか。どうやら、上も終わったみたいだ」
「……すまないね」
フィーネがそんなことを言いながら上を見上げたので、シャドウは愚かだと分かっていながらも上空に目を向けた。
そこには、苦し気で悲し気な声を上げながら倒れ伏していく無数の龍達の姿があった。
その声が耳に届くだけでも、召喚主であり彼らと友好的な関係を築く事が出来ていたシャドウは泣きたくなってしまう。
ただ、戦場でそんな事が出来るはずもない。上で懸命に戦って時間を稼いでくれた彼らも、そんなことを望んでいる訳では無いだろう。
「チャン、悪いが君を庇うのは難しそうだ。逃げたいなら逃げて良い」
「……あなたはどうする。たった1人で奴らを相手取るつもりですか」
そんな事を言ってくる“戦友”に、シャドウはいつもの胡散臭い笑顔を浮かべながら言った。
「私は1人じゃないさ。そうだろう、皆? 『龍神の導き』」
胸の前で手を組んで、まるで教会で祈りを捧げるかのようにギュッと握り込む。
直後、彼の呼びかけに答えて本来の性能から数倍の力を与えられた龍達が無数の雄たけびをあげた。
それらは彼の直前の問いに答えるかのように力強く、そして今しがた殺されてしまった同胞の無念を想い怒りに震えた、空気を揺らす咆哮だった。
「私はこういうキャラじゃないんだが、まぁ旅の最後くらい、華々しく散ろうと思ってさ。着いて来てくれるかい?」
『ウロォォォォォ!』
シャドウが胸の前で組んでいた手をまるでハグでもする時のように大きく広げると、彼の背後に暗黒の闇が広がった。
「はぁ、やっと片付いた……。めんどくさいったらありゃしないね。やっぱり龍神族は面倒だ……」
「アム、おかえり。早速だけど次の仕事だ。おかわりだよ」
所々服が焼け焦げて香ばしい匂いを発している物の、本人は傷を負ってすらいないアムニスがその場に合流したのと同時だった。
その暗黒の闇から1匹の緋色の鱗を持った龍が勢いよく飛び出した。その全長は実に数十メートルに及び、舞うように上空へ飛び立つ。そして、侵入者達に向かって吠えた。
「ガグラァァァ!!」
「……もうトカゲはうんざりなんだけど。しばらく見たくないね」
「それはお生憎様だね。これからパーティーなんだ。ね、皆」
こんな緊迫した場面でも能天気すぎるその呼びかけに、龍達は呼応する。
暗黒の闇から次々にその姿を現し、最初に飛びだった緋色の龍の傍まで行くと口々に威嚇するように空気を揺らす。
その場には時に突風が、暴風が、雷雲が、炎が、雨が、雷が、冷気が。龍達の登場によって吹き荒れ、地面や周りの建物は次々に崩壊していく。
だが、そんなことは気にするにも値しない。
「どれだけ出てくるの。面倒とかそういう次元じゃない」
「ヘタナカミヨリヤッカイダゾ。ショウジキ、コイツラヲアイテニスルナラマオウヲアイテドッタホウガマダラクダ」
「帰ったら絶対魚食べよ……。しばらく肉とか食べたくない」
「あっはっは……。流石に骨が折れそうだね」
「あ~あ、つまんない……。こんなむさくるしい男と女しかいない空間なんて来るんじゃなかった……。お姉ちゃん、来てくれないかなぁ……」
総勢14匹。彼が一度に呼び出せる限界の数を呼び出し、彼はニヤリとその胡散臭い笑みを浮かべた。
まるで詐欺師が絶好のカモを見つけた時のようなその笑顔は、レベリオ以外の全員が嫌な予感を覚える類の物だ。
そしてそれが間違いでは無かった事を、まもなく全員が知る事になる。
「全く……ワシの出番が毎度まいど遅すぎるのはどうにかならんのか、シャドウ。ワシとてあの筋肉だるまと同じように戦いたいのだぞ」
「スカーレットの事をそんな風に呼んだら怒られると思うよ」
「ふん、知らぬわあんな小娘。それよりお主……魔力の方は持つのだろうな? ワシを呼び出しておいて、中途半端なところで帰還させるなど許さぬぞ」
上空でグルルと唸っている龍達の姿を見め、男はそう言った。
彼はシャドウが個人イベントで唯一2位という輝かしい成績を収める事が出来た際に入手したスキルによって召喚する事が出来る『ある龍が擬人化した姿』だ。
擬人化した龍は後にも先にも彼だけだし、その性能は神を単騎で滅ぼす事も出来るほどだ。
設定上、その性格は勝ち気で短気。それでいて戦いを非常に好み、酒と女が嫌いという特殊すぎる一面を持っている。
加えるならば、彼は様々なスキルを習得しており、この世界では間違いなくマッハ達と同格の強さを誇っている数少ない人物だ。
その分、彼の維持には膨大な魔力を必要とするのであまり長時間顕現させておくことはできないのだが――
「ま、2日くらいならアイテムフル活用でなんとか持ちこたえてみせるよ。それだけあれば十分だろ?」
彼のその発言はもちろん嘘だ。使ったとしても、持ちこたえられるのはせいぜい1日だろう。
しかし、それだけの時間を貰えればステラからの援軍はもちろん、魔王の加勢の是非に関わらずカフカが戻ってくる。
バイオレットが離脱した今、この戦いで勝利を納める事は難しい。それならば、出来るだけ時間を稼いで未来に繋ぐことを考えるしかない。
(死んでも、この場所は渡さない。仲間の命も、君達には渡さない)
たとえバイオレット、レガシー、スカーレット、そしてチャンがこの場から逃げて今後の戦いに備えようと言ってきたとしても、既にシャドウはこの場を離れるつもりは無かった。
それは合理的な理由でも個人的な感情からでもない。ただ――
「私は“軍師”だ。悪いが、引くことはできない」
「……軍師が引けば、全軍が壊滅する。そう、言いたいのですか……?」
「アリスからの受け売りだがね。軍師とは、この場での勝利のみを考えるのではない。近くとも遠くとも、未来の勝利の為にその時最善の手を打つ。バイオレットが離脱し、敵方の『不死身』という奥の手によって私達の勝利という二文字が消えた今、次なる勝利のためには君達の生存が必要不可欠だ。ならば私が殿を務めるのが合理的。そうだろう?」
ただ、彼がこの場に残ると決めた理由はただ1つ。
それが、アリスとカフカから任された使命だからだ。
『軍師ってさ、常に戦場を観察してその時そのときの最善の手を打ち、仲間を勝利に導く将の事なんだけど……私じゃその任は重すぎるんだよね。ほら、軍師が死んだり逃げたりしたら戦線って崩壊するっしょ? したら、前衛職の私と、後衛だけどあんまり器用じゃないカフカがするのは問題があると思うのね』
『アリスはともかく、私は不器用じゃないんだが……』
『カフカはちょっと黙ってて! んで、2人で話あったらシャドウが良いんじゃないかってね。責任感ありそうで、そこそこ強くて、頭が回る人!』
当時はなんで自分が……。そう思わなくも無かったが、やっていくうちにその奥深さや楽しさに気付いていった。
そして敗北という二文字がwonderlandから消えたのは、彼が軍師を始めて3か月後の事だった。
「この先、私が行く道はない。歩める道は、残されていない。仲間達の為に、私は私の人生を捧げる」
「あなたは、怖くないのですか……。死ぬのですよ……?」
「チャンがそれを言うのかい? 死ぬ覚悟は出来ているんだろう?」
「……」
そう言われた瞬間、圧倒的な力と絶望に精神を支配されていたチャンは思い出した。戦いが始まる前に、他ならぬ自分自身が言っていた事を。
『どうせ終わる命なら、ここで燃やし尽くしても良いでしょうと思っただけです』
そうだ。どうせ、寿命を考えれば生きられても残り50年程度だ。
ならば、ここで死のうがあまり関係ないし、どの道死ぬという結末に変わりはない。ならば、こんな老いぼれの命くらい――
「くれてやりましょう。すみません、腑抜けていましたね。もう、大丈夫です」
「良いんだよ。あんなものを見た後なら仕方ない。『How very little can be done under the spirit of feat,』というじゃないか」
「全くその通りですね……。恐れを抱いた心では、小さな事しかできない」
「そう言われると、わざわざカッコつけた意味が無いじゃないか。相変わらずだね」
ふふっと笑いつつも、シャドウは戦友の戦線復帰に少しだけ歓喜していた。
本当なら彼にも逃げて未来への勝利のために動いて欲しいのだが……戦う覚悟を、死ぬ覚悟を改めて決めた友にそんなことを言えるはずも無かった。
「行こうか、戦友」
「ええ。あの世でまた、美味い酒でも飲みましょう」
にこやかに笑った2人は、うげぇとウンザリしているディアボロスの幹部連中に向かい、叫ぶ。
『さぁ、未来の勝利の為にだ!』