156話 救援要請への道
カフカがヒナの追跡や監視に利用していた召喚獣は、とあるギルド対抗イベントにて首位を獲得した際に入手した物だ。
それは俗に言われるようなドッペルゲンガーと同じような物であり、ヒナがアリスとの戦いで最後の最後で使用していた『死せる勇者の魂』の完全劣化版のような物だ。
いや、正確にはお互いの魔法にはそれぞれ長所と短所があるので、完全劣化と言うには少々言葉が厳しすぎるか。
ヒナが扱う死せる勇者の魂――エインヘリヤルは、使用者が20メートル以内に居なければ発動出来ず、また、その範囲内以上に行動範囲を移す事が出来ない。まさにプレイヤーの用心棒のような立ち位置の存在だ。
ただ、イベント限定のスキルや魔法、装備なんかはそっくりそのまま使えなくなってしまうし、倒されてしまえば次に使えるようになるまでは500時間という膨大すぎる時間を要さなければならない。
そのインターバルは当然ながらいかなる手段を用いてもリセットできず、まさに最後の切り札と言うにふさわしい。
一方で、アリスやwonderlandの面々が扱うドッペルゲンガーは、召喚魔法であるが故に使用者からいくら離れていようとも問題なく行動が出来る。
それに、エインヘリヤルとは違って自分の意志で行動が出来るのも差別化出来ているポイントだろう。
もちろん言葉も話せるし、それがイベント限定の物であろうがなんであろうが、インターバルに入っていない物であればスキルなんかも使用する事が可能だ。
その姿は使用者と瓜二つとなって声もまったく同じものになる。横に並んだ際、本人を見分けられる人間はまずいない。
しかし、召喚魔法であるが故にその維持には膨大な魔力を消費するし、ドッペルゲンガーの使用した魔法やスキルのインターバルはそっくりそのまま使用者に跳ね返ってくるというデメリットがある。
例えば、ドッペルゲンガーがアリスの姿で鬼人化を使用した場合、本体のアリスは鬼人化を使用出来なくなり、そのスキルの『次に使用するスキルの効果が倍になる』という効果を受けるのもドッペルゲンガーとなる。
なので、あまり遠くの方でドッペルゲンガーを召喚すると予期せぬ事故を招く原因になり、ゲーム中では分身としての役割を期待して使用されることが多かった。
もう1つ差別化出来ている点を挙げるとするならば、やはりその耐久力を挙げるべきか。
ヒナの扱うエインヘリヤルはHPも防御力も、その他のステータスも全てが使用者の物を参照してそこから値が導き出される。更に生贄にしたモンスターの種類や種族特性によって左右される事になるのだが、今はいい。
なので、エインヘリヤルの強さは使用者にかなり左右されるのだが、いかんせん使用者は最強と謡われている魔王だ。その強さは折り紙付きと言える。
一方でドッペルゲンガーに至っては、そのHPや防御力などの各種ステータスは召喚獣の域を出ていないので、同じ魔法やスキルを使用したとしても本体と同じダメージが期待出来るかと言われるとそうではない。
ここが完全劣化と言われる所以なのだが、やはり偵察に出すのであれば一定以上の強さを誇るドッペルゲンガーを置いて他にはいない。そう、カフカは考えたのだ。
「やぁ、意外と早かったね」
「……毎度思うが、君から見て私はそんなに澄ました奴なのか? 自分ではそんな自覚は無いんだが」
ヒナが今現在数日滞在しているというダンジョンの前で、自分の姿に化けているドッペルゲンガーと相対する。
だがその瞬間、カフカは変身を解いてはぁと分かりやすいため息を吐いた。
見た目だけで言えば鏡で見る自分の姿とまったく同じだし、その声も耳を塞いだ時に骨伝導か何かで聞こえてくるそれにそっくりだ。
いや、正確に言えば自分の声は自分で聞くと気持ち悪く感じると言うので少し美化されているような気もするが、この際それは誤差だろう。
「カフカはいつもこんな感じだ。シャドウと話している時なんて今の“私”そっくりだろ?」
「……帰ったら確認しないといけない事が出て来た。っと、そんなことはどうでも良い。この先の森が焼き払われていたようだが、あれはなんだ? 途中で墓石のような物も見たぞ」
「ん、それはだな――」
それからしばらく、カフカはドッペルゲンガーから語られるここ数日で起こった出来事を黙って聞いていた。
ディアボロスの幹部メンバーがほぼ全員揃っているという事にも驚きを隠せないが、何より驚きなのは、ヒナのその強さと精神力だ。
ドッペルゲンガーでさえも気圧され死を感じたという彼女の殺気は、元々平和な国――世界で暮らしていた少女のそれとは思えない。
それに――
「戦闘NPCは私達のギルドにいなかったから確認のしようが無かったが……そうか。やはり、戦闘訓練などせずともゲームの時と同じ性能を発揮出来るのか」
「そうみたいだな。それにしても、あの強さは異常だ」
「魔王のNPCはそんなもんだ。あの子達は、ゲーム中でも大概だった」
むしろ、魔王本人ではなくそのNPC達も1対1で倒せるプレイヤーはかなり限られていたはずだ。
特にその装備の内容がゲーム終了のその時までまったく解明されなかったマッハに関しては、タイマンで倒せるプレイヤーは2人いれば良い方だとカフカは考えていた。
少なくとも、アリスでは剣士と魔法使いという相性の事もあって勝つことは難しいだろう。
同じ理由で、カフカ自身も勝つ事は出来ない。
いや、今は戦う訳でもなんでもない彼女達の性能を解析している場合ではない。むしろその助力を願いに来たのだ。
これからどうすれば彼女達を説得出来るか考えなければならない。そう思っていた矢先、彼女の背後からとてつもない殺気を放つ剣士が現れる。
「っ!?」
カフカはランキング上位者という事もあって当然ながらそのレベルは100に到達している。
それに、外では何が起こるか分からないので常に索敵スキルを張り巡らせているし、常に警戒は怠っていない。それも、ドッペルゲンガーも含めれば2重になっている。
その警戒網を潜り抜けられる存在なんて現地人には絶対いないし、ラグナロクのプレイヤーでもそう多い訳では――
「貴様ら、何者だ?」
その剣士は右目を長い前髪で隠しつつ、左前頭部に痛々しい刀傷を刻んでいる男だった。
身長はかなり高く2メートル近い。どこか日本人のような顔立ちはなんとなく懐かしい思いになるが、着ているそれが水色の袴である事や、左腰に吊るされている2本の刀を見れば悠長に構えている訳にはいかない。
なにせ、カフカはその人物の正体を知っているからだ。
「坂本龍馬……。冗談だろ……」
「俺を知っている? 何者だ、名を名乗れ」
その召喚獣は、かなり不評だった日本史シリーズに登場した偉人の1人だ。
クエストをクリアすると入手出来るタイプの召喚獣にしては性能がかなり高めで、かといって当時最前線で戦えるような性能をしていたかと言えばそうでは無かった中途半端なキャラだ。
無論歴史上の人物であるその人個人の実力や逸話にはなんの関係も無いのだが、それでも坂本龍馬好きのプレイヤーから非難が殺到したのは言うまでもない。
かくいうカフカも、その性能にガッカリしてクエストに参加すらしなかったので彼を呼び出す事は出来ない。
しかし、目の前で見て見ればその凛々しい顔や威厳溢れる男らしい低い声は十分魅力的だ。
現実にこんな男がいれば絶対に一目惚れしたことは間違いないだろうし、哀れな親友が好きそうなタイプだと場違いながら思ってしまう。
「一応聞くんだけど、君の召喚者はヒナとか言う?」
「なに? ……主君の知り合いか?」
「まぁ、そんなとこ」
正確には一方的にその強さや存在を知っているだけで、ヒナが彼女の名を知っているかどうかは分からない。
それでも、アリスと並んで有名だったカフカの名は彼女の記憶に残っている可能性はあるし、この世界に来ているという事はサービス終了のその時にログインしていたという事だ。
ならば……。魔王と恐れられ、圧倒的なプレイヤースキルとゲーム理解度、そして知識で他のプレイヤーを一切寄せ付けなかった彼女ならあるいは。そう、思った。
「しばし待て。そういう事なら取り次ぐのもやぶさかではない」
「……斬らないんだ? てっきり斬りかかってくると思ったよ」
「そのつもりだったがな。俺が命じられたのは不審者を斬り殺す事ではない」
その意味は良く分からなかったし、ならばなぜこんなダンジョンの入り口付近を見張るようにしてこの場を張っていたのか。それを問いただしたい気持ちに襲われる。
と、そこでドッペルゲンガーが龍馬に気付かれない程度にカフカの肩を軽く叩き、隅の茂みを注意深く観察するように目線で訴えて来た。
(……ミミズ? あぁ、なるほど。他の召喚獣からの要請でここまで来たって事か。龍馬の隠密能力なら私に気付かれずとも接近出来るという訳か)
流石の彼女達も、そこらに生息しているような小動物や虫なんかまでには気を配る事は出来ない。
第一そんな事をしていれば自然破壊をするに等しく、この世界の生態系を著しく破壊する事になりかねない。
まぁ元々、そんなことは対象とする生物の数が多すぎてあっという間に頭がパンクするのでやらないのだが……。
ともかく、警戒を怠っていたわけでは無い彼女達の前に龍馬が突如として現れた謎は案外簡単に解き明かされたし、もしもがあったとしても、2人ならば龍馬に遅れは取らない。
この召喚獣はどうしてもその見た目や名前から強敵に勘違いしてしまいそうになるが、実際のレベルは70前半とかなり低い。
いくら彼が剣士でカフカが魔法使いだと言っても、その程度のアドバンテージで後れを取るような彼女では無い。
「主君は今忙しいそうだ。なにか要件があるなら俺が聞くようにと。それと、あまり時間は取れん。主君の命に従い、即座に任務に戻らねばならぬ故手短に済ませてほしい」
「忙しい? ヒナは今何をしてるんだ? 出来れば本人に直接言いたいんだが……」
「すまないが、主君は今そういう精神状態ではない。どうしても直接話したいのならば数日、あるいは数週間、もしかすれば数か月単位で待ってもらう必要がある。それ程までにひっ迫した状況なのだ」
「?」
龍馬が何を言っているのか分からなかったまでも、そういう事ならと渋々自分がここに来た理由を話す。
龍馬もすぐにこの場を立ち去りたいと言いたげだったので出来るだけ簡潔に。それでいて自分達の身分はしっかり伝わるように説明をする。
全ての話が終わると、龍馬はなるほどと深刻そうに呟いたのち、再びダンジョンの奥深くにいるのだろうヒナに確認を取るべく瞳を閉じた。
しかしすぐにブルっと肩を震わせると恐怖でその凛々しい顔を歪めて思わずぺこりと頭を下げる。それだけで、相手の反応は伺い知れる。
「すまないが、主君は今そんな事などどうでも良いそうだ。この世界のどこで誰が死のうとどうでも良い。そんな事を聞く時間があったのなら命令を遂行せよと仰せだ。悪いが、俺はこれで失礼する」
「ま、待ってくれ! 君の言うその、任務ってのはなんなんだい? 彼女は、なんでそんなに荒れている?」
早々にその場を立ち去ろうとしていた龍馬の袴の裾を掴み、カフカはそう言った。
ドッペルゲンガーの話からある程度は推測しているまでも、ゲーム感覚が未だに抜け切れていなかったのがその原因だろう。
だって、ありえないではないか。ヒナに創られたはずのNPCが自ら彼女の元を離れ、消息を絶つなんて……。
そして、単なるNPCに過ぎないそんな存在を必死で探すプレイヤーなんて……。
NPCとはカフカにとって着せ替え人形に過ぎず、自分が良いなと思った服を着せてどんな感じの姿になるかを試すマネキンでしかなかった。
似合わないと思えば金を使っていくらでも着せ替えて遊んでいたし、気に入った物があればそれは自分用のカスタムとして取り入れる。その程度の認識だった。
そんなNPCが自分の傍からいなくなろうともすぐに代わりを探すだけであり、そこまで固執するなんておかしい。そう思わざるを得なかった。
「許せ。それは主君への侮辱だ。次にそんな事を言えば、いくら主君の知り合いと言っても斬らせてもらう」
「……」
「他に何もなければ、俺は行く。気休めを言うわけでは無いが、その故郷とやらに早く戻る事を勧める。主君の助力は期待しない事だ」
そう言った数秒後、龍馬は風となってその場から姿を消した。
残された2人は不思議そうに顔を見合わせ、同時に呟いた。
『なにか、おかしいこと言ったか……?』
それが2人の……ヒナ以外の、普通のプレイヤーの共通思考だった。
普通NPCとはそういう物であり、代わりなどいくらでもいるような存在でしかない。
いなくなっても悲しくなんて無いし、数日……事によっては数時間で代わりを見つけてこられるような存在だ。
しかし、ヒナは……。そう。ラグナロクの全プレイヤーの中で唯一ヒナだけは、それに当てはまらなかった。ただそれだけの話だ。




