155話 敵襲
数年に一回カフカの言によって避難訓練や戦闘訓練と乗じたそれをする時と同じように、それでいていつもよりいくらかひっ迫感のあるその轟きで、カフカはパッと目を覚ます。
2年ほど前に敵襲を想定した訓練をしたばかりなので次の予定はまだしばらく入れていないし、シャドウやその龍達も普段はいい加減なれど、こんなシャレにならないようなおふざけをするタイプではない。なのでこれは、正真正銘本当の敵襲だ。
「マジか。無いと思ってたな」
今現在、この世界に存在が確認できているラグナロクのギルドは全部で28個。
それらは召喚獣の偵察やら、出て行ったはずのギルメンが近況報告のために戻ってきた際に残していった情報が元になっている。
それによると、まともにギルドランキング1位のwonderlandとやり合おうなんて思いそうな所はディアボロスともう1つくらいだ。
無論、その1つというのは魔王であるヒナのギルドだ。
ヒナは基本的には温厚な性格ではあるものの、カフカの性格分析によれば、大切なものが傷付けられた時はその温厚な仮面を脱ぎ捨ててこの世の何よりも凶暴で鋭利な牙と爪を剥き出しにする。
魔王1人で全盛期のwonderlandのギルメン半分と戦っても勝利を納められるだろう事はアリスやその他の頭の回るギルメンが証明してくれている。
なので、今の彼女達では対処のしようが無い。
ただ、魔王に接触するのは止めようと結論付けたばかりだし、魔王やその傍に付き添っている最強のNPC達はこの世界に彼女達が来ているというそれ自体に気付いていない。
いや、他のギルドが何個来ているのか。それすら把握していないだろう。
彼女達は良い意味でも悪い意味でも世界が4人やその周囲だけで完結しているので、あまり他の者達に興味が無いのだ。
「ディアボロスが攻めて来たって事は、結構人数がいる想定で動いた方が良いか。まずシャドウと合流――」
カフカがベッドから飛び起きて家を出ようとしたそのタイミングで家の扉が勢いよく開け放たれ、緋色の鱗を全身に纏っている巨大な龍の背中に跨ったシャドウが現れる。
その顔はいつもの胡散臭い笑みで彩られているが、彼自身が纏っている雰囲気は戦闘モードの時のそれだ。周囲の空気をピリつかせ、嫌でもこちら側の士気や緊張感を極限まで高めてくれる独特のそれとギャップにいつも救われてきた。
緊急時に指示を出すのはシャドウの役目でもあるのだが、それによってアリスやカフカは非常に楽が出来たし、彼の言う通りに物事を進めていれば大体上手く行くのは、まるで本当の魔法のようだった。
だが、そんな超人的な指揮能力を持つシャドウでも、流石に今回は予想していなかった。まさか、ディアボロスと思われる面々が200人近い軍勢でこの場所に向かってきているなど。
「その報告をしに来たよ。もう各人戦闘態勢は整っているけど、なにせ相手の規模が規模だ。対人に特化した彼らでは私の龍を数体同時に相手にするだけでもかなり消耗するだろうが、無論全てを抑えられるわけじゃないからね」
「そうか。君の龍達は最大で何体まで同時召喚出来るんだったかな?」
「その後を考えず、私自身が一切戦わない事を前提にするなら14体だね。まぁ、現実的なところで言うなら今出してる5体で限度だ。アンジュも、ここまで私を連れてきてくれただけですぐに前線に上げる」
シャドウが選択している種族『龍神族』は、召喚魔法やアイテム等で龍系統のモンスターを呼び出した時、本来のそれの数倍の力を発揮出来るようにすることが出来る。
だが、あくまで召喚魔法なのでその姿を維持し続けるだけでも魔力は消費するし、この世界ではゲーム時代では関係の無かった食料の問題や友好関係の構築等の問題も発生する。
だが、食料に関しては危機的状況に陥っているまでも、魔力や龍達との友好関係については全く問題なかった。
その証拠に、アンジュと呼ばれたその緋色の龍は一声鳴くと背中に乗せていたシャドウが下りたのを確認してすぐさま上空――湖の上――へと昇って行った。
なんでそんな名前を付けているのかという問題については、シャドウが好きだったなんらかしらのキャラが原因なのだろうが、カフカは興味が無かったのでそこまで深くは聞いていない。
「魔力の残りは?」
「そっちは問題ない。装備で自動補完出来る範囲さ。スカーレットは既に戦う気満々。チャンに関してはあまり乗り気じゃない。バイオレットは……まぁ、いつも通りやる気があるんだか無いんだか分からないね。ついでに言うなら、士気は上々」
「とてもじゃないが、上々に聞こえない報告だな。ともかく、剣士と槍使いの2人はなるべく前線には出さない方が良いだろう。倉庫からアイテムの補完をさせて、戦闘は必要最低限にする」
「誰に言ってるのか分かってるかい? それくらい既に命じてあるよ。それに、もしも幹部連中がいれば彼女達に相手はさせないさ。面倒な事になりかねない」
「……すまんな」
ついいつもの心配性が出たと少しだけ反省する。
カフカを始めとしたアリスやシャドウ、それから例外ではある物のバイオレットに関しては転移した先であるこの世界でもゲームと遜色ない動きが出来る。
しかし、剣士や槍使いのスカーレットとチャンはそうはいかない。
今でも定期的に戦闘訓練は行っているし、特に戦闘狂のスカーレットはしょっちゅうシャドウの龍と戯れと言う名の殺し合いをしている。
その結果、シャドウの能力によって最弱と言われている神の名を冠するモンスターより若干強い程度の龍1体を相手にするなら難なく勝てるまでに成長している。
だが、それは相手も同じかもしれないし、元々フランス在住のエンジニアだったこともあって“彼女”は体力面に不安が残る。
この世界に来てからは長いし、体力なんかの面も少しは解消されているのだが……やはり、魔法使いのそれに比べるといくらか心配な部分がるのは事実だ。
それに、ディアボロスの面々はバカだが、その全員を裏から操っているアムニスという女はバカでは無い。
死んでしまえば復活できないこの世界特有の仕様について理解していないはずが無いし、仲間も寿命などでそこまで残っていないはずだ。
なにせ、ディアボロスの面々の大半は人間種を選択していたし、亜人や魔族、モンスターを媒介にした種族を選んでいるプレイヤーはそこまで多くなかった。
幹部連中の中でも、人間であるレベリオやサンに関しては、この世界に来たとしてもやってきた時期を考えると絶対に寿命で死んでいる。
ただでさえギルドメンバー全員がこの世界にやってきている訳では無いので、ディアボロスの全員が相手というわけでは無い。
それに、その大半はアポカリプスがリリースされてからそちらに流れているはずなので、最後の方のラグナロクはプレイすらしていないはずだ。
インフレにインフレを重ねたサービス終了間際のラグナロクのスキルやアイテムなんかも揃えている彼女達とは、元ある戦力差以上に絶望的なそれが広がっている。
「どう思う、この攻撃」
「愚問だね。僕らから死者が出るだろう」
「……」
シャドウは何も言わずとも分かっている。
賢いアムニスがなんの勝算も無くこの場所に攻め込んでくるはずがない。
それはつまり、相手方にはこちらの戦力を把握されている事はもちろん、絶対的な勝算があるという事だろう。
「ヘルを戻そう。戦況を報告させる」
そう言うと、シャドウは1歩カフカの家から出て天空に向かってピューと綺麗な指笛を吹く。
それはwonderlandの広い敷地をあっという間に駆け回り、戦場にいた5体の龍にも遅ればせながら届く。
その指笛が主人からの招集であることにいち早く気付いたヘルと言う名を与えられた灰色の鱗を全身に纏う龍は、すぐさま湖の中へと潜って主人の元へ帰還する。
シャドウが指笛を吹いて2分も経たないうちに、その龍はカフカの家の前へと降り立った。
荒れ狂う暴風を起こして周りの建物に被害が出ないように気を付けつつ、敬愛する主人に一応の礼儀として起用にぺこりとお辞儀をする。
「戦況はどうだ」
「正直に申し上げると芳しくありません。相手方にこちらの攻撃が利いている様子がまるでなく苦戦している所です。こちらは天空ですので相手方の攻撃が届きにくく、かつソフィアがいるおかげで戦線が崩壊していない状況です」
「なるほど。全力を出してそれなのか?」
「もちろんです。この期に及んで、我らの中に力の温存を考えているような愚か者はいませぬ」
少しだけ申し訳なさそうにそう言ったヘルと呼ばれる龍は、それ以上は口を噤んで主人からの言葉を待つ。
シャドウは怠けている龍がいるのではないか。そういう意味で言ったのではなく、あくまで、なにかしら全力を出せない要因があるのか。そういう意味での質問だった。
しかし、問題はそこではないようだ。
神の名を冠しているモンスターとほぼ同等――最弱の部類にはなるが――の力を持っている龍を5体も同時に相手にして、その攻撃の全てを防ぐ事なんて魔王くらいにしかできないだろうし、それが200人近い大軍勢ともなれば流石の魔王でも無理だろう。
ラグナロクにそんな広範囲、かつ大勢に影響を及ぼす防御魔法なんて存在していないし、この世界のオリジナル魔法に関してはいくら頑張っても使用できないのは確認済みだ。
まぁ、これは旅に出て戻って来たギルメンの1人が言っていたので、彼らが直接調べた訳では無いのだが……。
ともかく、そんな広範囲に効果を及ぼす防御魔法は無いし、アイテムなんかももちろん存在していない。
なので、彼らが龍達の攻撃を受けて無傷でいられる理由は他にあると考えた方が良いし、そう遠くないうちにこの国にも侵入を果たすだろう。
有用なアイテムや資材なんかは全て安全なアリスや国の中央部分にある幹部メンバーの家に移動させているので、全滅しない限り盗られる心配はない。
緊急時に集まる広場もカフカの家から少し歩いた先にあるし、この国の敷地面積はアリスを始めとした多くのギルメンの無限にも思える資金力のおかげでかなり膨大なので、端から端まで歩こうとすれば平気で数日はかかる。まぁ、プレイヤーの力ならば数時間で走破可能だろうが……。
「なら、君達は相手を倒そうとするよりも時間を稼ぐことに集中してくれ。湖の中に侵入されるのは最低限に留めてくれると助かるけど、無理はするな。その魔力とHPが尽きるまで、ただ相手をその場に留めるようにしてくれれば十分だ」
「? かしこまりました。では、そのように」
その命令が出た事に若干の違和感を覚えつつも、ヘルを含めた彼の呼び出す龍は、全員が彼の頭脳を信頼し、その力を尊敬している。
その為大人しくそれに従って再び上空へと舞い戻り、仲間達にその命令を伝えに行く。
カフカもすぐにその意味を悟ると、戦闘に入る準備を止めて俊敏性を上げるアイテムと狼人間の種族固有スキルを発動する為の準備に入る。
彼女が選択している狼人間。その寿命は最大で1200年ほどとゲーム内で設定されており、寿命にはまだまだ余裕がある。
そしてその種族固有スキルは……狼人間の代名詞でもある変身だ。
彼女達全員の切り札にもなっている『八岐大蛇』と同様、変身してHPをまた別に得るという非常に強力な物だが……狼人間のそれは、小型犬程度の子供狼に変身する非常に地味な物だ。
無論使用したその日が満月の夜であれば数メートルはある巨大な狼に変身する事が出来るのだが、生憎と今は満月でもなければ夜でもない。
ただ、小型犬程度の大きさになれる関係上、隠密行動には適している。
「魔王に救援要請に行ってくれ。彼女なら何か知ってるかもしれないし、なによりその圧倒的な力と存在感で彼らを壊滅させられるかもしれない。僕の方でも心当たりがあるから昔の伝手を使ってステラに支援を要請してみるけど、本命はそっちだ」
「はぁ……だと思った。良いのか、彼女を説得出来る保証なんぞ無いぞ」
「その件なんだが……なぜだろうね。私は、必ず彼女が来てくれると思っている。あくまで直感でしかないけどね」
「あぁ~? なんだそれ」
怪訝そうに首を傾げたカフカだったが、結局それ以上出来ることは無いので言われた通りヒナに協力を求めるべく召喚獣に案内させてダンジョンへと移動した。
カフカが去った後もぬけの殻になった彼女の家を一瞥し、シャドウはいつもの胡散臭い笑みを消して憂鬱そうにはぁとため息を吐いた。
「彼女だけでも、生き残ってくれると良いんだけどね……」
その、どこか寂し気な声は上空で警告を示す龍達の咆哮によって瞬く間に掻き消された。