150話 負けられない理由
魔力の全回復がこの時点でのヒナの最大の奥の手だとするならば、アリスの奥の手はそこまで数は多くない物の、絶大な効果を及ぼすだろう物が2つあった。
だが、そのどれもヒナが魔力の全回復という無茶苦茶な奥の手を切っていなければそこまで効果を及ぼさない……というか、そもそもその奥の手を使われるだけで相殺される類のものだ。
そんな理由もあって今まで彼女は奥の手を使ってこなかった訳だが、通常のプレイヤーはヒナのように何個も奥の手となり得る切り札的な存在を持っている事はない。
大抵が1つか2つ持っていて、それが超強力な起死回生の一手となるが故に奥の手だと言われるのだ。
むしろそう呼ぶにふさわしい強力な一手を一人で何個も所有しているヒナの方が異常なくらいだ。
(魔王は存在してる魔法とスキルを全て所持してるって噂があったっけ……。イベント限定の奴はともかくとして、現存してるそれらは全て使ってくると計算して良い)
ヒナの打ってくる手立てはもちろん戦う相手やモンスターによって違う。
しかしながら、彼女の立ち回りの豊富さや手数の多さは普段狩場での彼女の姿を見ていたり、大会やイベント中に公式が好んでピックアップしている彼女の戦う姿を見ていれば誰でも分かる。
新規のプレイヤーが彼女の多彩な戦い方を見てそれを目指してゲームを始め、それがどれだけ困難な道のりなのか理解して辞めてしまう事も決して少なくないほどだ。
無論マッハやケルヌンノスなどのNPCが存在している時点でヒナ自身が全てのスキルや魔法が扱える訳では無い事は確かだ。
正確に言うなれば、彼女達4人で全てのスキルや魔法を使えるという意味であり、その無尽蔵にも思える資金力から持っていない課金アイテムも無いだろうと考えられていた。
昔から廃課金の法則に、課金アイテムのガチャやキャラは、出るまで回せば出るという謎の名言が残されている。
つまるところ、欲しい物があるならばそれが出るまで回すのが廃課金であり、出るまで回せば必ず出る……という事だ。
アリスも、そんな感じで1つのアイテムに最高23万という破格の値段を費やしたことがある。
「魔王の奥の手は今判明している中だと21個。その中で今使ったのが大体半分に満たない数。状況と私という相手を想定して捨てていると思われるものが7個だから、残りは半分にも満たないはず。で、奥の手の中でも閻魔召喚はリスクが高すぎるからしないはずで、そう考えると魔王の奥の手はあと何個も無いはず」
自室でブツブツとそう言った彼女は、今一度頭の中で閻魔召喚なる最近追加された魔法の効果をおさらいする。
魔力の消費がかなり激しく、呼び出すのに時間がかかるという難点はある物の、それを呼び出す事が出来れば対プレイヤーであればほぼ確実に勝利を納める事が出来るとまで言われているそのモンスター。
それは、この戦いでは決して出てこないだろう。
そんな強力すぎるモンスターにももちろん弱点はあるし、それがアイテム1つ持ち込むことで可能であるならば、アリスが持ち込んでいない可能性なんてヒナは考えない。
敵認定していない状態ならともかく、明確に1人の敵として認識された今、ヒナにそんな驕りは無い。
相手がいつも最高の状態であることを想定し、最悪の選択を踏まないように細心の注意を払って行動を起こしている。
「後ハッキリして使えるって断言出来るのは音楽シリーズが2つと地獄の番犬シリーズに1つ。崩壊シリーズも持ってると仮定するならもうちょっと増えるか。その中で今一番されて嫌な行動は――」
早口でマシンガンのようにそんなことを吐き出した女は、すぐさま距離を取って崩壊シリーズと呼ばれている強力な魔法の効果範囲に入らないよう努める。
今すぐにでもその魔法を唱えられると大ダメージを与えられる事は間違いがなく、残り少なくなってきているHP回復のアイテムが全て消えるほどの損害を受ける。
そうなってしまえば早いうちに決着を付けなければいけなくなるが、魔力を全回復させたばかりのヒナにそれは厳しい。
一方で、崩壊シリーズと呼ばれる魔法を発動しようとしていたヒナは距離を取って離れていくアリスを見てチッと舌打ちをしつつ、魔法の使用を急いで取りやめる。
それから、未だにチャットで数分おきに流れてくるNPC達の自分に対する絶対的な信頼と、まだ作られて日が浅いイシュタルが心配をする様が微笑ましくつい気が緩みそうになってしまう。
(誰かからのチャット通知が邪魔だって感じないの、初めてだな……)
マッハが必死でこれ以上通知を送るなと怒っているにも関わらず、律儀にそれへ返信しているので結果的に口論のような形になってずっと通知が送られてきている。
ただ、ヒナはその通知がむしろ心地よく、自分は孤独の中で戦っている訳では無いとその度に勇気付けられるような気がしていた。
だから、むしろチャットの通知を止めないでほしいと言いに行きたいのだが、流石の彼女も戦闘中にそこまでやる余裕はない。
今一度早口で自分が今使える奥の手を詠唱して頭に叩き込みつつ、状況に合わせて今後のプランニングを修正する。
当初の予定通り相手の魔力とHPを削るという行為そのものは順調に進んでいるし、かなり雑に砂時計を消費している所から見て、持ち込んでいるほぼ全てのアイテムがそれだろうという事は当に見破っていた。
無限にも思えるほどHP回復アイテムを使用しているので錯覚しそうになるが、その感覚は砂時計のそれに比べると圧倒的に低い。
それに、HPを出来るだけ消費してそれらを使用しようとしている風な戦い方を見る限り、そこまで余裕がある物でも無い事が分かる。
ヒナもアイテム残数に余裕が無い時はそんな風な戦い方をするので、相手が考えている事が手に取るように分かるのだ。
「閻魔を呼び出せれば一番早いけど、アイテム1つ分枠を割いていれば良いだけだから対策は簡単。私だって持ってるんだしそこは慎重になるべき。砂時計の使用は今ので126個目。よし、大丈夫」
目をギンギンに光らせ、ヒナはこの場で最適だと思われるスキルを即座に発動させる。
それは、自分の周りのエリアを魔力の自動回復可能エリアという、アリスが先程使用したHP回復のそれと似たような効果を及ぼす物だ。
これを解除するには地形変化を発動させるしかないが、そうなると相手は再び鬼人化と神格化を使用する為に砂時計を消費しなければならないし、その他の身体能力強化スキルもかけ直す必要が出てくる。
貧乏性であろうアリスにとって、砂時計を使用した直後のそれはかなり痛いだろう。
そして考える時間を与えない為に奥の手をもう1枚切って、音楽シリーズと呼ばれる魔法のうち、相手に攻撃を与える物ではなく自分へのあらゆるダメージ――属性を含まず――を軽減する物を選ぶ。
『ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト ピアノソナタ第11番』
その魔法が発動された瞬間、先程ベートーヴェンの名曲が流れた時と同じようにゲーム内BGMが変更される。
絶対にシリアスな戦闘場面で流れるような曲では無いのだが、それはそれとしてあまり集中力をそっちへ持っていかれない事が重要だ。
この魔法は先程の魔法と違って効果を打ち消す事が出来るし、その手段もそこまで高難易度のクエストをクリアしなくとも入手可能だ。
「さぁ、どうで――」
『地形変化 不協和音』
少しは迷って判断を鈍らせるだろう。そう思ったヒナは、迷うことなく現状を打開するためのスキルと魔法を発動させたアリスへの警戒度をもう少しだけ高める。
どれだけ警戒してもしたりないというのは彼女の中に存在する持論でもあるのだが、今の彼女はアリスを敵として認識しただけで警戒が不十分だったと考えさせる一打になった。
通常、ヒナのようなアイテムを使用する際に出来るだけその効果の恩恵に預かろうとする貧乏性気質のプレイヤーは、そのアイテムが貴重であればあるほど効果が薄いタイミングで使う事を嫌う。
だが、彼女はそれを一切気にすることなく、鬼人化が解除されることを前提にしながらも迷わず地形変化を発動させた。その思い切りの良さに、少しばかり動揺する。
「侮ったな、魔王! 今こそ、私の”切り札”の使い時!! 『創世記 6章 大災害』」
その動揺を見逃すほどアリスは甘いプレイヤーでは無い。
今まで使えていなかった奥の手の1つであるギルド対抗イベント首位獲得景品であるスキルを発動し、その場を瞬く間に海のような地形へと変化させる。
実際には地形変化のような効果を及ぼすわけでは無いので、この魔法を発動したところでヒナが使用した魔力自動回復の効果は打ち消す事が出来ない。しかし、この魔法はもっと別の効果をもたらす。
旧約聖書の創世記6章~9章に登場する大洪水。分かりやすく言えば、ノアの箱舟が出てくるその話。
この魔法は、その現象を正確に再現する形で発現し、辺り一面を一瞬にして水で満たし、使用したプレイヤー以外の者達を呑み込む。
その渦から抜け出すためには特別なアイテム、もしくは同じ魔法を唱えなければならないが……ヒナは、当然ながらその魔法を使用出来ない。
そして、その渦から抜け出すまで永遠と巻き込まれたプレイヤーを襲う事象。それは――
「魔力奪取か。面倒な……」
噂に聞いていた程度だったヒナも、この瞬間その魔法の効果を瞬時に理解する。
自身のアバターの周りを紫色の毒々しいエフェクトが回りながら魔力をかなりの勢いで吸い出しつつ、遥か上空に優雅に佇んでいるアリスのアバターには回復を示す緑色の閃光が常に体の周りを回っている。
この状況で彼女が何を回復しているのか。それは考えるまでも無い。
(あのアイテムはピンポイントすぎて流石に持ってきてない。同じ魔法も当然使えない……。なら、こうする)
この魔法の効果時間は公式に明言はされていないまでも、自分が持っていないという事は、イベント限定の物であることは容易に想像出来る。
イベント限定の物はそれなりの性能では許されない事が多いので効果時間がすぐに消えるという甘い考えは消して、今現在自分を守る手段を即座に選ぶ。
『魔力固定』
低レベルモンスター相手にしか使用しないその魔法も、今回に限りその効果を存分に発揮する。
根本的に大洪水のそれから逃げる事は出来ないのだが、その主な効果である魔力吸収の効果からは逃れられるし、それを使用している間も魔力を使用しないスキルであれば使用する事が――
「私だってそんなことしてくるだろうなってのは想像してんのよ! 『星々の煌めき』」
アリスは早速2つ目の奥の手を使用する。
その思い切りの良さはヒナがさらに数段階彼女の評価を改めるきっかけになり、そのスキルもまた、過去のギルド対抗イベントで手に入れた物だった。
ゲーム画面には美しい星々が右へ左へと交差しながら流れる様が天空に映し出され、まるで天の川と流星群を混ぜたような光景が広がる。
仮にこの現象が現実で起きたならば、それを近くで見られるスポットはたちまち人で埋め尽くされることになるだろう。
それ程幻想的な光景で、一度で良いから誰もがその目で本物を見てみたいと思うほどだ。
しかし、そんな綺麗な情景を映し出すだけに留まるほど、この魔法は甘くない。
使用した直後から、当然ながら相手プレイヤーのゲーム画面にもその光景が表示されており、相手のプレイヤーが画面上にいくつ星を映したか。それを計算して、その数に応じて強制的にそのHPを削るという理不尽極まりない物だ。
知られていると対策が簡単なのであまり軽々しく使う訳に行かないのが難点だが、この魔法は使いどころが本当に難しいので、アリスを含めたギルメンはまだ誰一人としてそれを使用したことが無かった。
誰もがその魔法を目にすればあまりにも美しい空模様に目を奪われ、嫌でもその全ての星々を目にしようとマウスを操作してしまう。
それがそのスキルの攻撃力を上げる事になるなんて夢にも思わず、もっといろんなところを見てみたいと顔を左右に向けるはずだ。
「あんたにどんな理由があるのかは知らないけどね! 私にだって負けられない理由があんのよ! カフカの前であんな啖呵切っちゃったら、負けたとか言えないでしょうが!」
ヒナにとってしてみればあまりにも軽く、ヒナのそれに比べると圧倒的にどうでも良いようなその“負けられない理由”を孤独な部屋の中で叫んだ女は、マウスを握る手にギュッと力を籠める。
次の瞬間、そのスキルの効果が発動してヒナの体を無数の流星が襲った。
空を自由に泳いでいた星々が、突如として親を見失った迷子の子のように……。いや、迷子の子が見失った親を見つけた時のように、一目散にヒナの元へと迫った。
「そういう感じか……。マズいな……」
大洪水の中にいる時は、魔力固定で魔力吸収による影響を無効化していようとも、その渦に囚われていることに変わりはない。
つまり何が言いたいか。逃げる事でその流星から身を躱す手段が無く、轟々と炎を上げて降り注ぐ大きな塊を受け止めるしか、今のヒナに出来ることは無かった。
(みんな。私は……。私は、負けないから)
今やチャットの未読通知が13件に達した左上のそれを見ながら、ヒナは心の中で小さく呟いた。
その直後、最初の一撃がヒナの小さな体を襲ってその圧倒的な威力と速度でHPのゲージを削り始めた。
決着が着くまで、残り6分。