148話 魔王が魔王足る所以
アリスとヒナがお互い違う意味で傍観し合っている中で、いち早く立ち直ったのは普段から家に引きこもって1人でその低すぎる自己肯定感をさらに低くしているヒナ……ではなく、良い意味でも悪い意味でも前向きなアリスだった。
彼女は、圧倒的な力の差を感じつつも、それで負けるなら仕方がないと割り切ると、すぐさま砂時計を1つ消費してインターバルをリセットし、再度鬼人化と神格化によって攻撃力と身体能力を大幅に上昇させる。
ヒナは、ゲーム内に限っては絶対無敵という誰もが羨むような称号を持っているが、根は暗すぎる孤独な少女だ。
そんな彼女が、自分の油断や慢心故に訪れたピンチから立ち直るにはもう少しだけ時間がかかる。
スキルや魔法は変わらず使えるのだから、間髪入れずに攻撃を仕掛けていればもう少し楽に勝てただろうが、ヒナはそれをする事が出来なかった。
自分に自信が無い人ほど、自分のせいで生じたミスや責任には人一倍敏感になってしまう。
普通の人であれば「ドンマイ! 次からは気を付けよう!」となるような些細で気にする必要なんてないミスでも、自分はダメな人間だと必要以上に自分を追い込んでしまう。
それは彼女だけでなく、彼女を元に創られたマッハ達3姉妹にも共通しているのだが今は良い。
ともかくそんな性格だからこそ、ヒナは相手の力を見誤ったと非常に深く後悔し、戦闘中であるにも関わらず若干ネガティブな思考に陥っていた。
だから数秒単位ではあっても反応が遅れたし、立ち直るのが遅れた。
『緋龍の咆哮』
鬼人化と神格化を施したアリスから飛んでくる物理ダメージ換算のそのスキルを、反応すらできずにまともに受けてしまう。
回復魔法を所持していればあまり問題にはならないようなダメージではある物の、彼女はその手のスキルや魔法は例外なく全てイシュタルへと預けている。
ソロモンの魔導書を存分に生かすためにはしょうがないのだが、今回ばかりはアイテムに頼っているが故に、回復出来るHPには上限がある。
(あ~……やっば。HP回復ポーション3つ分か。反応遅れた……)
無論装備でもHP回復は可能だが、それらは全て自動回復という名のあって無いような副産物なのでアテにする方が間違っている。
基本はイシュタルがHPを消費した直後に全てを回復してくれるのでHP回復に装備を回す余裕はなかったのだ。
あくまで強力な装備にはそれらの能力が付随している事が多いよねというだけで、これは上位プレイヤーにとってはあっても無くてもそこまで変わらない物だ。
しかしながら、それは何度も言うように回復魔法やスキルを扱える場合に限る。
絶対値を設けなければならないヒナにとってその損失はかなり大きく、本来は防げたダメージを受けるというのは致命傷になりかねない痛手だ。
それに、魔法による攻撃を防ぐために装備を選んでいる事もあり、物理的なダメージに関しては通常のそれより多く貰ってしまうというのも痛かった。
「硬直が解けるまで残り29秒。その間に今の4発貰ったら負けか。今回の報酬ってなんだったっけ……」
未だ勝敗が決していない段階で、ヒナはゲーム画面から目を離して隣のモニターに表示していた今回のイベントに関する公式ホームページを見つめる。
そこには1位報酬として、神の名を冠しているスキル・魔法の選択(効果は同じ)と、好きな課金アイテムと交換出来るチケットと課金アイテムを購入出来るゲーム内通貨が15万円分。後はいつも貰える『第■■回個人イベント1位』という称号が授与されると書かれていた。
2位の商品は、称号の部分が2位となり、神の名を冠しているスキル・魔法が与えられなくなるだけだ。
(それだけなら……まぁ、良いかな……。今回の敗北は、私の事前リサーチ不足が招いた結果だし……)
ゲーミングチェアの背もたれにゆっくりと体重を預けて完全に試合を放棄しよう。
そう決めたその瞬間、目を逸らしていたゲーム内のモニターの左上にチャットが来た旨が通知される。
普段から勧誘だったりいかがわしい誘いだったりを受ける事が多いヒナだったが、他のプレイヤーからの無限にも思えるフレンド申請やチャットの通知は、邪魔なのでイベント中と狩りやボス戦の時は絶対に切るようにしていた。
他の時は上位プレイヤーの人から来ていたら失礼に当たるかもしれないという謎の心配から通知をオンにしていたのだが……
(今回も切った気がしたんだけど……気のせいだったかな。あ~あ、憂鬱……)
左上に表示されるチャットの内容を確認する前に消えてしまったので、ヒナはそんな事を思いながらゆっくりと前のめりにモニターに向き直る。
今まさに次の攻撃が向けられそうになっているというのに、悠長にチャットの通知を切ろうと設定画面に移行しようとして……再び通知が届く。
「あ~もう! なんなのこんな時……に……」
思わずマウスを握っていない方の手で机をバンと叩き、忌々しそうに左上のチャットに表示されている内容を見る。
するとそこには、話したことも無いプレイヤーの名前が表示されている訳でもなく、いかがわしい誘いが来ている訳でもなく――
『ヒナねぇイベント中だろ? あんまり通知飛ばすと後で怒られるぞ? 大人しくしとけよ、イシュタル』
そこに表示されている名前。それは、自分が創り出したNPCであるマッハだった。
それを見た瞬間、彼女は思い出した。
プレイヤーから受けるチャットやフレンド申請は皆同じく『他プレイヤーとの交流』という欄から通知の有無を設定出来るのに対し、自分が創ったNPCに関しては最近新しく追加された『NPCとの交流』という別の欄から設定を施さねばならないという事を。
そして、ここ最近はずっとアイテムボックスの中身が心許なくなっていたのでイベントで戦う事になるだろう上位プレイヤー達の情報収集を最小限にしつつ、ずっと狩りに勤しんでいて通知を切るような設定をしていなかった事を。
こう言ってはなんだが、疑似的にゲームの世界で生きている彼女と本来の意味でゲーム中で生きているNPCの3人では、システムの理解度にも雲泥の差がある。
ヒナがその通知を切っていない事なんて3人は当然把握しているので、イシュタルが何事かギルド内で呟いてヒナに通知が行く事をマッハが危惧しているのだ。
何をしているんだこの子達は……。そう呆れてしまいそうになるが、続けて画面の左上に通知が届く。
『ヒナねぇは絶対に勝つ。だから心配なんてする必要はない。今回も1位を取って私達に自慢してくる。それを待っていれば良い』
(自慢って……。ごめんじゃん……)
ケルヌンノスの辛辣すぎるその言葉に若干の罪悪感を覚えつつ、その絶対的な信頼はかなり嬉しかった。
なにせ、彼女はもう何年も孤独に日々を過ごし、誰かに求められる事はあれど、本当の意味で求められた事は無い。
皆その体や力が目当てだっただけで、それは必ずしもヒナ本人じゃ無ければダメだった訳ではない。
極論を言えば、女性であればかなりの確率でいかがわしい誘いはチャットにて飛んでくるし、ランキング上位に名を連ねていながらどこのギルドにも所属していなければ、その力を求めてヒナじゃなくとも声がかかる。
そういう意味で頼られても彼女はちっとも嬉しくないし、求められたところで嫌悪感を示すだけだ。
だからこそ、アーサーの『君自身が欲しい』という説得には心を揺らした訳なのだが、それとは別で、彼女は両親以外の人間から何かを期待された事も、信じられたことも……信頼という感情を向けられた事すら無かった。
そういう意味でも、唯一その信頼を向けてきてくれているNPC達に誇れないような事をして……負けたと、言ってしまって良いのだろうか。
仮に、ここで負けたと言ってしまった場合、その信頼は、一体どうなってしまうだろうか。
高々NPC相手にそこまで本気になるか? そう言われると、恐らく彼女以外のプレイヤーはそんなわけないだろと一蹴するはずだ。
しかしながら、両親を失ってから孤独に生きてきて、誰からも求められず、誰からも信用されなかった少女にしてみれば違った。
その信頼を裏切った結果、本当の意味で孤独になってしまう事を誰よりも恐れた。
孤独になることを恐れない人は、真なる意味で孤独になった事が無い人間だけだ。
真なる意味で孤独にならず、誰かしらに必要とされ、心配され、信頼される生活を送っている人間は、孤独になる事を恐れない。むしろ孤独である方が楽だとか、そんな見当違いな事を言い出す。
挙句の果てには孤独こそカッコいいと意味の分からないことまで言う輩もいるだろう。
だが、ヒナは……。ヒナは、真なる意味での孤独を身をもって体験していた。体験、している最中だった。
この上でNPC達にも見放されるようなことがあれば……もう、生きている意味すらなくなってしまうかもしれない。
大げさでもなんでもなくそう思ったし、自分で創ったNPCに裏切られるなんてあるはずがないと分かってもいる。
でも、理屈じゃなかった。孤独には、なりたくなかった。
「そうだよね……。ごめん、自分勝手に負けて良い場面じゃ、ないよね……」
自分の敗北は、今や魔王と呼ばれているらしいヒナだけの敗北ではない。
彼女が創り出したマッハ、ケルヌンノス、イシュタル3人の敗北であり、それは彼女がこの世界でもっとも許せない物の“1つ”だ。
自分だけの敗北ならばまだ許そう。ソロモンの魔導書を手に入れる際も何度も敗北してきているし、今までだってボス戦で“1人で戦った”際に返り討ちにあう経験など何度もしている。
だが――
「私達が4人揃って、負けるわけにはいかないよね。だって私達は――」
ニヤリと笑ってヒナがマウスを操作したその瞬間、彼女に降りかかっていたアリスの攻撃が全て相殺され、クレーターのような巨大な穴が無数に空いた荒野にオーロラのような虹色のカーテンが展開される。
ゲーム内のBGMがその魔法を使用した証に変更され、彼女が望むままにその曲を奏でる。
『ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン 交響曲第5番』
ちょうど数日前にコラボイベントが終わったばかりのそれは、ベートーヴェンを始めとした著名な音楽家達がモデルとなっているキャラが多数ボスとして出現する物だった。
当然ながら音楽に関係したスキルや魔法、その偉人達の名が付いた武器などが創れるようになったのだが……そのうちの1つは、彼女の新たな切り札として採用されるほど強力だった。
「出たよ……。言っとくけど、ベートーヴェンを単騎で倒すとかいう無理ゲークリアしてんの、全ユーザーであんただけだからな!?」
ヒナと同じく真っ暗な部屋の中で己の頭をガシガシと引っ掻きながらそう叫ぶアリスを操っているプレイヤーは、はぁと大きなため息を吐いた。
後に修正が施されて彼女の切り札から離脱する事になるその魔法の効果。それは――
「曲が演奏されている間の、無敵効果付与……か。もう、滅茶苦茶だよ」
流石に本来の交響曲第5番をそのまま流している間無敵の能力を付与してしまうと、40分近く無敵になってしまうのでそこまでは無い。
しかし、よく世間一般で知られているその曲がゲーム内BGMとして置き換えられている約4分間の間、彼女にはいかなる攻撃も利かなくなる。
それでいて、存在隠匿系のスキルを発動した時に使用できなくなる各種攻撃魔法やスキルの類は――
『母なる大地』
ゲーム内のヒナが天に向かって右手を振り上げると、月ほどの大きさを誇る巨大な隕石が上空より降り注ぐ。
そう、この魔法『ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン 交響曲第5番』は、その効果が働いている時でさえ攻撃魔法の類を使用する事が可能なのだ。
もっとも、この魔法が最大限効果を発揮するのはこのイベントだけになってしまうのだが、それはその強力すぎる効果を考えれば妥当と言って良い。
「私は、負けるわけにはいかなかった。それを思い出した。この戦い、勝たせてもらう」
実際には自室のモニターの前でそう言ったヒナだったが、アリスはしっかりと魔王がそう言っているだろうと認識していた。
本来はあり得ないはずのその現象だが、本人達は不思議と相手がそう言っているだろう事も、そう言っている事を気付いているのだろうという事も、分かっていた。
だから、お互いチャットに高速で文字を打ち込む。
『絶対負けねぇからな! 魔王!』
『勝たせてもらう』
2人の戦いは、名曲が響き渡る荒野にて再開された。
ヒナは硬直が解けてHP回復のアイテムを惜しげもなく使用し、アリスは迫り来る隕石を自身が放てる最大威力の魔法で迎撃し、ダメージを最小限で抑える。
決着が着くまで、残り20分。