147話 最強の奇策
ヒナが攻勢に出た事で変わった事が2つある。
まず1つはアリスの方の魔力が段々と消費され始めた事だ。
ソロモンの魔導書による攻撃力の増加と元々ヒナに備わっている攻撃力のステータスがかなり高い事が原因で、魔法によって相殺するなりダメージを軽減しなければ即死級のダメージを喰らう事は火を見るよりも明らかだった。
それに、負ったダメージをそのままにしておく訳にはいかないので当然ながらHP回復の魔法やらアイテムやらもどんどん吐き出す事になり、魔力を消費しないスキルばかりを選択してきた彼女の魔力が凄まじい勢いで減り始める。
だが、ここまではアリスももちろん想定していた。
いや、むしろここまでの展開は彼女の想定以上に上手く行っていた。
戦闘開始と同時にヒナが攻撃を仕掛けてきていれば、10分も経たないうちにHPの回復アイテムは尽きていただろうし、魔力の消費も今よりもっと早かったはずだ。
そこから完全に魔力が枯渇するのも時間の問題だっただろうし、戦闘の時間がかなり短縮されることになっただろう。
アリスは魔王が攻撃に転じてこないのではないかと不安に思っていたのだが、その想いが杞憂に終わって内心ホッとしていたのだ。
このまま防御に回られると魔力の全回復という切り札や、彼女も持ち込んでいるだろう大量のアイテムによって勝敗が分からなくなってしまったから。
しかし、このまま攻撃で貴重な魔力を消費してくれるのであればなんとかなる。その確信があった。
「次のフェイズ行くよー!」
そう叫んで手元のマウスを操作し、砂時計のアイテムを使用してほぼ全てのスキルを使い切った直後、発生していた各インターバルが全てリセットされる。
これによって魔力を消費しない攻撃が再度可能になり、ヒナの魔力を次から次へと消費させるという、陰湿だが、決まれば非常に効果的な攻撃を行う事が出来る。
だが、ヒナが攻勢に出た事で変わった事の2つ目に、アリスは気付いていなかった。
それは、ヒナの考え方やこの戦いの最終的な終着点のビジョンだ。
ヒナはこの戦いが始まった直後、自分の魔力が完全に尽きるよりも前に相手のスキルが尽きて自滅するだろうと考えていた。
アリスの後先考えていないようにしか思えないスキルの連打でそう確信し、早いうちから攻撃で無駄な魔力を消費する事を避けて徹底的に防御に回っていた。
しかしながら、ヒナは考えを変えて万が一が無いようにアリスの魔力を消費させることを選んだ。
それによって、当然ながらヒナの頭の中には『自分の攻撃で地に伏しているアリス』がいる事が最終地点として定められており、そうと決まれば後はそれに向かってただ突き進むのみだ。
攻撃魔法の中でも特に攻撃力が高い物や属性ダメージを与える物だけを積極的に選び抜きながら次々と放ち、時には相手の防御が絶対に間に合わないだろうタイミングで小突く程度の魔法を浴びせる。
それによって多少なりともストレスを与えつつ“隙に向けられる攻撃はそこまで怖くない”という意識を刷り込む。
アリスが砂時計を取り出してすぐさま使用した時、彼女の頭にはその奇策の全てが透けて見えており、この戦いがかなり面倒で長期戦になる事を察した。
砂時計が何個あるかは不明なれど、HPの回復アイテムも無数に使用していることから、今回持ち込みが許されているアイテムの上限数持ち込んでいるという可能性は排除出来る。
「でも私に勝つって想定なら上限の半分近くは持ち込んでると想定するべき。だとするなら軽く100は超えるだろうから、それを前提にした動きをするべき。こっちの残る戦力は砂時計8つと無効玉2つ、反射板と相殺板がそれぞれ39。魔力とHP回復が残り半数って具合……」
相変わらず誰に聞かせるわけでもない早口で自分の現状を整理しつつ、戦闘中にも関わらずそれが正しいかどうかアイテムボックスを一瞬だけ開いて確認するという離れ業をサラッとやってのける。
そして、これならまぁなんとかなるかと戦闘の進め方をイメージし、それをすぐさま実行に移す。
『鏡の魔術師』
皮肉にも相手のプレイヤーネームとまったく同じ名前のイベント報酬魔法を唱え、数分間の絶対無敵状態を創り出す。
正確にはその魔法は全ての魔法と物理的な攻撃をそっくりそのまま反射するという効果を持っているだけで、防御をしなければそのままダメージを負ってしまう。
しかし、仮にその攻撃をヒナが無効化したとしても魔法の効果は発動され、ヒナに攻撃を向けたプレイヤーに綺麗に跳ね返る。それも、その攻撃は存在隠匿系のスキルを使う事でしか回避できず、属性ダメージのように軽減すらも出来ない理不尽なダメージとなる。
「2個目の切り札消費~!」
しかし、アリスは焦ることなくモニターの前で喜びの声を上げる。
前回の個人イベントで彼女が手に入れた魔法も既にその効果は調べ上げているし、砂時計を使ってもそのインターバルを回復させることができないという重大な弱点も当然把握済みだ。
まぁ、ヒナは今まで個人イベントで首位を逃したことが無いので他のプレイヤーよりも切り札になり得る物は多いのだが、その中でも特にネックだった2つが消費された事で、彼女はますますこの戦いの勝利を思い浮かべる。
しかし、それと同時に自分が犯してしまった笑えないミスに気付き、一瞬だけその動きを止める。
(あ、やべ……。鬼人化と神格化無効にしてから砂時計使わないといけなかったんだ……。もう効果切れる!)
この作戦が成り立っているのは、言うまでもなく攻撃力を大幅に上げる鬼人化と神格化があってこそだ。
それが無ければ本職が使っていないペナルティというのが重くのしかかりそこまでのダメージは期待できないし、スキルによる攻撃は全てが属性ダメージという訳では無いのでダメージ効率が非常に悪くなる。
ヒナには魔法がほとんど通じないので物理ダメージと属性ダメージを与えるスキルを大部分に添えつつ、囮として魔法ダメージのスキルを盛り込む事もやってのけている。
しかし、なぜそれが成立しているのかと言われると、やっぱり最初に挙げた2つのスキルの存在が欠かせない。
モニターの右下に表示されている自分に掛けられているスキルや魔法の残り効果時間を示す時計では鬼人化が残り3分を示しており、神格化に関してはもう数秒で効果切れだ。
本来はこの2つのスキルを自分に強化魔法なんかを施して強制的にインターバルに入れた後に砂時計でそれをリセットして再び使用する。これが大前提だった。
そんな隙をヒナが見逃すはずもなく、すかさず3つ目の切り札である『天地開闢』というスキルを発動する。
「やっば! 逃げろありすー!!」
空を覆っていた暗雲が比喩でもなんでもなく真ん中からパックリと割れると、その隙間から神々しい光が無数に降り注いで荒野をクレーターのような巨大な凹みだらけの空間に変えてしまう。
その威力は一撃で圧倒的な防御力とHPを兼ね備えている巨人族のモンスターを倒しうるほどで、ヒナが個人イベントで手に入れたスキルの中で一番気に入っている物だった。
広範囲攻撃のスキルにも関わらずケルヌンノスに託していないのがその証拠だ。
アリスを操作している女はこのスキルについても当然ながら調査済みだった。
防御・軽減不可。存在隠匿系のスキルでも無効化する事が出来ない数少ない滅茶苦茶なスキルで、レベル90後半の巨人族を一撃で屠る圧倒的な火力。
まともに喰らえば壊滅的な被害を受けるだろう。
「やばいやばいやばいやばい! にげろにげろにげろー!」
結局魔王に対する対策を纏めていた彼女だったが、これと存在隠匿系のスキル『世界断絶』に関してはどうしようもないとして結論付けていた。
厄介なのは、このスキルは効果時間が長い割に広範囲攻撃として規定されているので使い勝手が悪く、使用後の硬直が非常に長く設定されている事だ。
運営としてはそれで釣り合いが取れていると思っているようで、砂時計のようなインターバルをリセットするアイテムで再び使用可能になる。
(絶対おかしいだろほんと! なんでアヌなんてそこまで強くない神討伐するイベントでそんなバカみたいなスキル配ってるんだ!)
メソポタミア神話に登場するとされているアヌという名の神を討伐する時間を競う個人イベントで魔王が入手した物。それが、今彼女が発動している『天地開闢』というスキルだった。
そのネーミングセンスが残念過ぎると一部で話題になったのだが、今はどうでも良い。
それよりも問題は――
(逃げるしか無いって、どんだけ理不尽なのよこのスキル!)
圧倒的な火力を誇るその攻撃はどんな手段でも無効化・軽減などをすることができないので、発動されたが最後、逃げるしか回避する方法が無い。
そのスキルが影響を及ぼす範囲は広範囲攻撃にしてみればそこまで広くはないので、回避だけに重きを置くなら問題にはならない。
ただ――
『英雄王の威光』
ヒナが所有している、この時点での最高火力を誇るそのスキルは、対象との距離が離れていればいるほど威力が増すという特徴を持っている。
厳密には魔法ではなくスキルなのでソロモンの魔導書の恩恵は受けられないのだが、それでもこの距離なら一撃当たるだけで6割ほどHPを削られてもおかしくはない。
まぁ、それでも喰らわなければ良いだけなのだ――
『神王の鎖』
ここで、その効果を存分に発揮させるためのヒナの切り札が投下される。
その魔法はフェンリルという神の名を冠したモンスターを討伐する“クエスト”をクリアする事で誰でも手に入れる事が出来る物だ。
しかし、元々そのモンスターはギルド対抗イベントで出現したモンスターをリメイク……つまり修正しただけなので1人で挑まなければならなかった。
そんな側面もあり、クリア出来るプレイヤーはかなり少なかった。
元々ギルド対抗イベントで討伐対象になるモンスターは、ギルドメンバー全員で挑むことを想定されているのでかなり強く設定される。
それが対個人用に調整されたところで難易度それ自体はそこまで変わらないし、大前提として、神に単身で挑んで勝てるプレイヤーの方が少ないのだ。
そのクエストをクリアしているのだって、現時点では100人もいないのが現状だ。
しかも、フェンリルは非常に魔法防御力が高いので魔法使いでは攻略が難しいのだが、そのクエストをクリアする事で得られる報酬が『対象をその場に拘束する魔法』なので、魔法使い以外がクリアしても恩恵はあまり受けられない。
クエストのクリア報酬は別途与えられるが、神を討伐するという労力に見合った物かと言われると微妙なのが惜しいところだ。
神話上で神々をも苦戦させたロキの長男――正確には狼の姿をした化け物――フェンリルを拘束する事に成功した鎖と同じ名前が付けられている事から分かるように、この魔法の拘束力は絶対だ。
いかなる魔法やスキルでも無効化できないのは天地開闢と同じだし、例に漏れずアリスも天から伸びて来た神々しい鎖によって四肢をガッチリと拘束される。
(鬼人化と神格化……は、切れてるか。なら、私もとっておきを切るしか無いね!)
攻撃が命中するコンマ何秒という非常に短い時間に、女はモニターの右下に表示されているスキルの残り効果時間を確認する。
そしてそこに鬼人化と神格化を使用している際に表示されるマークが無い事を確かめると、自身の数少ない”とっておき”の1枚を使用する。
『八岐大蛇』
海外のゲームとしては珍しく、日本神話に登場するヤマタノオロチがモデルになっている魔法。
その効果は、神話で語られている通りの姿にプレイヤーを変身させるという物で、ヒナが首位を獲る事が叶わないギルド対抗イベントにて獲得した物だ。
その姿で受けたダメージはプレイヤーのHPとは別で換算され、ある一定値を超えると強制的に変身が解除される。
魔力は使用しないし、攻撃力は神の名を冠するモンスターに変身するという事もあってかなり上昇するのが分かりやすいメリットだ。
その代わりに変身中は一切の魔法やスキルを使用出来なくなるという制限があるのだが、アリスがこの魔法に期待した役割は身代わりであって攻撃では無い。
プレイヤーが変身するとはいえ、仮にも神の名を冠しているモンスターだ。そこそこのHPは備わっている。
その為、身代わりとして利用するには少々過剰とも言える。
そもそも、神話上のヤマタノオロチとはなんなのか。その疑問に、まず答えておこう。
ヤマタノオロチは頭が8つ、尾が8つ。谷を8つ渡るほどの超巨体と伝わっており、ラグナロクの中では巨人族に勝る大きさを誇っている。
その表面は紺色の鱗に覆われ、腹部がまるで火に焼けるように爛れており、全部で16ある目は闇夜でも光り輝く。
一部では洪水の化身としても解釈されており、その伝説は調べれば他の神と同様詳しく知る事が出来るほどには有名だ。
彼の神は龍よりも勇ましく、力強く、それでいて不気味な雰囲気を絶妙に併せ持つそのビジュアルを与えられ、海外のプレイヤーも多く在籍しているwonderlandの面々からは非常に好評だった。
しかし――
「一瞬で私のとっておき消滅させないでくれる……? ほんっと……滅茶苦茶な火力……」
拘束魔法によって身動きが取れなくなったというのもあり『英雄王の威光』と、ギリギリ効果範囲だったらしい『天地開闢』の攻撃を受け、その威容は瞬く間に愛らしい少女へと戻ってしまう。
当然ながら、変身したヤマタノオロチのHPは今現在のアリス本人よりも膨大に確保されている。つまり――
(冗談じゃない……。ほんとに人が勝てる存在なの、これ……)
戦闘開始から距離が物理的にも心理的にも遠くなってしまった少女を見つめつつ、女はモニターの前でそうボソッと口にした。
その一方で、今の攻撃で決まらなかったことに少々驚いているヒナは、天地開闢の事後硬直でしばらく身動きが出来ない。
意外と知られていない事実だが、何かしらのスキルで事後硬直が発生している場合でも問題なく魔法やスキルの類は発動出来る。
ただ、その場から身動きが出来なくなるというペナルティを受けるだけだからだ。
だが――
(アイテムの使用も出来なくなっちゃうから、今ので完全に決めるつもりだったんだけど……。ちょっとマズイな)
そう。そのペナルティを受けている間はアイテムの使用が出来なくなる。
アリスが思うよりヒナはピンチに陥っていたし、ヒナが思っていたよりもアリスは手強かったのだ。
ヒナは今攻撃を仕掛けられれば為す術が無いし、攻撃を雨でも降らすかのように次々と向けられ、アイテムの使用が出来るようになる前にHPを全損させられるような事があれば敗北する。
反対に、アリスは遠くに佇む少女が魔王と呼ばれている所以を改めて思い知らされ軽く絶望していた。
この期に及んでまだ残っているだろう切り札を畳みかけるように使用されると、ゲーム内で敗北するよりも先に心の方が折れてしまう。
まだ砂時計は1つしか使っていないというのに、だ。
決着が着くまで、残り25分。