142話 母が創り上げた王国
母と縁のある方々が暮らしている場所。そう言われた時のジンジャーとソフィーの動揺はかなりの物だった。
つい2週間前にジンジャーから初めて聞かされた今は亡き母の話にも、幼き日のジンジャーがその人達に会いたいと言っていた時の事があった。
しかし1番は、そんな人達が住んでいる場所が戦火に晒されているという、その信じたくもない事態だった。
無論ジンジャーやファウストも含めその場所には行ったことが無かったし、ファウストに至っては母が酔った勢いで話していた事をうろ覚えで記憶していたくらいで、話が上がるまで「そんな事もあったな」程度の認識しか持っていなかった。
母がいないのであればそんな場所に行きたいとも思っていなかったし、母を知っている人物にマウントを取られるのも嫌だったので、その場所を調べようとも思っていなかったのだ。
「そもそも、なぜそんな場所が戦火に見舞われている? 母上の故郷が見つかったなんて話はここ数百年聞いてこなかったが?」
「上層部の人間もまともに探そうとは思っていなかっただけの事だ。母上の話には世迷言と思われても仕方の無いようなものが多かった。それを信用していたのは僕と父上だけだったし、僕が王城内での発言力が弱いのはジンジャーも知っているはずだ。だが、向こう側から助けを求められれば話は別だ。そうだろ?」
「……」
それは本当の話なのか。
この瞬間、ジンジャーの脳裏にはその疑念が過ぎった。
まず、母の故郷の話は当然ながら聞き及んでいるものの、母の話によると彼女でさえ1番強いという訳では無かったらしい。
そして、その強さの格は今この場にいるセシリアと並ぶか、もしくはそれ以上と言える。
攻撃魔法の類を所持していない関係上、2人が戦ってもセシリアが勝てる道理はない。
しかしながら、セシリアの防御能力によっては“負けない”事が勝利に繋がる事もある。なにせ、魔力切れになってしまえばかつてのアリスのように戦えない体になってしまうからだ。
その場合魔力が多く残っていた方が勝ちになるのは当然で、セシリアは魔力を回復させる魔法すら扱えるので、その手の勝負には強いと言える。
話が逸れたので元に戻すが、それだけ強かった母の知り合いという人が自分達のように力のない存在だとは思えないし、むしろセシリアのような馬鹿げた力を有していると考えた方が自然だ。
そしてその者達は十中八九同じ異端者だろうし、セシリアの言う“生きる世界が違う”者達なのだろう。
それはセシリアよりも一段階上の存在という事であり、彼女より力の強い魔法使い……もしかすれば剣士もいるかもしれない。
その人数が非常に少ない事くらいはジンジャーだって聞いている。
それに、自分達には終ぞとして影響を及ぼさなくなった『寿命』という、人の身であるからには絶対に逃れられない物に体を縛られている関係上、そこに残っている者達もそこまで多くないのでは無いか。
あれから300年以上経っているのだ。人間であればまず生き残っていないだろうし、亜人や魔族のような長命種だったとすれば、その強力な者達がまだ存在しているという事になる。
「そんな者達が、戦時下とはいえほぼ鎖国中の我々に応援要請だと? ハッ、ちゃんちゃらおかしい。嘘を吐くならもっとマシでバレにくい嘘を吐け」
「姉さま……」
「誰が悲しくて、自分より弱い者達に助けてくれと借りを作るような事を言うんだ? 私ならそんな惨めな事をするくらいなら死を選ぶ。そして、母上だってそうだろう。決して誰かの力を借りようとはしないはずだし、そもそも自分の力だけで大抵の事をどうにかしてしまうような人だったじゃないか」
仮に援軍を求める場合なら、自分達よりも力のある者に協力を求めるのは必然だ。
なにせ、自分達の力で困窮しているというのに、それより力の無い者達に助けを求めても事態が好転する可能性は低いからだ。
唯一言えばその援軍を囮にして自分達が逃げる時間を稼いだり、囮としての役割しか期待していないのなら話は別だ。
実際、この国の連中もその手は良く使うし、同盟国の者達はそれが理由で戦時中のそういった取り決めに関してここ数十年で制約を厳しくしたくらいだ。
だが、仮にも母が過ごしていたその場所に住まう者達で、オマケに母と縁のある者達がそんな人の道から外れたような事をするとは到底思えなかった。
それに、仮に援軍を頼むとすればブリタニアが滅んだ今、軍事力では最強だと言われているメイシア人類共和国の力を借りるのではないか。その疑問があったのだ。
「つまり、何が言いたい?」
「ハッキリ言ってしまえば信用できないね。上が何を言っているのかは知らないけど、都合の良い理由で私達をこの国から追い出そうとしているように見える」
今後の顛末を知っているジンジャーとしては、無駄だと分かっていつつもこの国から一歩も外に出たくはなかった。
自分の身に降りかかる不幸ならば自分の今までの罪を償うためだと思って承諾しよう。
そう。自分の身にだけ降りかかる不幸であればこんな事でウダウダ言わず、ソフィーのように深く考える事も無く二つ返事で了承したいという気持ちに襲われるだろう。
しかしながら、魔導書で未来を視たのはこの場にいる“少女”であって、自分ではない。
自分にも不幸が降りかかる事はあっても、それは大前提として少女自身に降りかかる災厄の内の1つでしかない。
少女にこれ以上の不幸をまき散らしたくないと思うのは当然で、これ以上自身の罪を増やしたくないという思いも、少なからずある。
「仮にそうだとして、母上の故郷が襲われているのは確かな情報だ。僕達が駆け付けなければ壊滅的な被害を受け、最悪の場合は母上に縁のある方々が全滅してしまうだろう。それでも行かないと?」
「姉さま……」
ファウストはどう思っているか分からないが、ソフィーは母の顔を知らないという事もあって、その縁のある者達と話してみたいと思っているかもしれない。
しかし反対に、そんなのはどうでも良いので自分の判断に任せようとしているのかもしれない。
人の内心を見透かす事も、理解する事も難しいと思っているジンジャーに、これほど難解な選択肢はない。
自分としては不幸をまき散らしたくないので、無駄だと分かっていつつもこの場に残っておきたい。
その後なんらかの理由で強制的に外に連れ出されてしまうだろうが、ここで抗う事でまだ視た事の無い『魔導書で視た未来が変わる』という事象を経験出来るかもしれないのだ。
だが、ソフィーが母の故郷の者達を救いたいと思っているのなら話は別だ。
そんなの断れるはずもないし、自分だってその話が本当なのであれば助けに行くのになんの躊躇もない。
侵略なんかの武力行使に力を使いたくないのは、この力は誰かを傷付ける為ではなく守るためにある物だと再三母に言われてきていたからだ。
しかし、侵略されそうになっている場所に力を貸すのであれば誰かを守るために力を振るう事になるので母の教えに背を向ける訳ではない。
そう考えれば、力を使いたくないというのは行かない理由にはできない。
「その場所の名前は分かるのか? 母上はその場所について私にすら語って聞かせてくれる事は無かった。故郷がある事は話してくれたが、その場所の名前については聞かせてくれなかった」
「名前? それがなんの意味がある?」
「……良いから、教えてくれ」
ファウストは知らないだろうが、この場には母と同じ異端者であるセシリアがいる。
彼女がもしもその名前に関して反応を示すようであればこの話は本当である可能性が高いし、仮に知らないとなれば信用できないと突っぱねてソフィーを納得させるだけの十分な理由になる。
セシリアが全く別の世界の事について知らないというのなら話は別だろうが、ヒナという少女の傍で頭脳的な役割を担当していたという本人の言もある。
そんな人物が、仮にもかなり力のある魔法使いだとして知られていた“らしい”母の事を知らないとは考えにくいし、その故郷の国なり街なりの名前を知らないとは思えなかった。
「情報によれば『wonderland』と言うそうだ。使者は夢の国という意味だとか、鏡の国という意味があると言っていたが、そこに関しては良く分からん」
「ふーん。セシリア、聞いた事はあるかい?」
なぜセシリアにそんなことを聞くのか。
そんな怪訝そうな顔をして首を傾げたファウストを無視しつつ、ジンジャーは真剣な顔で彼女の顔を見る。
そこには少しばかり知らないと首を横に振ってくれることを期待するような眼差しも含まれていたのだが、セシリアが出した答えは――
「ランキング一位ギルド。知らない人は、多分いない」
「……知って、いるのか」
「うん、知ってる。勧誘された事は無かったけど、全員に襲われたらひとたまりもないだろうって、ヒナが前に愚痴ってた。そんな風に言ってた人達は、円卓の騎士とその人達だけ」
ランキング2位ギルドの者達は脅威となる上位プレイヤーがそこまで数多く在籍していた訳ではなく、ただ数十人の廃課金プレイヤーが頑張っていただけで、戦力としてはそこまで大した事は無かった。
第三位ギルドのディアボロスは対人戦に特化した者達だが、仮に全員に襲われたとしてもその全員分の詳しいデータが頭に入っている状態で万全の対策をしていれば怖くないと、ヒナは当時語っていた。
唯一問題だったのは、幹部メンバーのほぼ全員がSNS等でその情報を確認できなかった円卓の騎士の面々であり、剣士や槍使いなどの前衛職が数多く在籍していた事から、あまり勝機を見いだせないと語っていた。
その事を、セシリアはキッチリと覚えていた。
「……はぁ。どうやら、本当のようだな」
ここでファウストが嘘を言ったとしても、セシリアという同じ異端者が居なければ納得させるだけの材料にはならない。
仮に適当な名前を口にしたとしても、その真偽が分かるのはこちらにその名が虚偽であると確証出来る、信用に足る人間が居なければならない。
今回はたまたまセシリアが居たのでその真偽が確かめられたものの、もしいなければその真偽は不明だったし、ファウストはセシリアが異端者だとは知らない。
つまり、少なくとも彼に情報を渡した者は、母やセシリアと同じ“異端者”だ。
「もう1つ聞いて良いか、セシリア」
「……?」
「そこに、アリスという名の人はいたか?」
「アリス? うーん……。確か、ギルドマスターがそんな名前だった。勧誘してきてた訳でもないし、ヒナもそこまで頻繁にその話題を出してなかったから記憶は曖昧。でも、名前は聞いた事がある。ヒナと互角の戦いが出来た魔法使いは、その人だけだった」
正確には聞いた事があるのではなく、メリーナの部屋にアリスという名の魔法使いについて資料が残っていただけで詳しく知っている訳では無い。
そこに記されていたのは、当時も最強だと言われていたヒナに唯一対抗し得る存在として『アリス』という名の力のある魔法使いが居る。という程度の事で、そこに記されているという事は自分が生まれる前の話だったという事だろう。
そんな面白そうな話を聞いてみたいと思わなかった訳は無いのだが、ダンジョンにいた時は日々をその資料室で過ごし、それよりも気になる情報がゴロゴロ出て来たので、ヒナと並ぶだけの力を持ちながら、結局勝てなかったというその人物に対する興味は後回しにしていたのだ。
「そのヒナっていうのは、君の冒険者仲間の事か?」
「……言うつもりはない」
「そうか。まぁ僕にはどうでも良いが、母上の事を侮辱するようなら容赦しない。そう、言っておく」
「……私、お前の事嫌い」
「それは偶然だな。僕も、今の話で君の事を心底嫌いになった」
睨みつけるような視線を送りつつ、ファウストは口の端を少しだけ歪める。
対して、ヒナやメリーナの資料に書いてあったことをただ言っただけのセシリアは、彼女達を侮辱されたように感じてその拳を怒りでプルプルと小刻みに震わせる。
もしもここに立っていたのが自分でなければ、こいつの命は無かったのに……。
そんな物騒で、自分が無力だと証明するような事を考えつつ、少女ははぁと静かに怒りに燃えた。
「分かった、行けば良いんだろ」
「……そうだ。すぐに準備しろ」
だが、目の前で壮絶な殺し合いが繰り広げられる前にジンジャーが結論を出し、その場に援軍に行くことを決めた。
母が暮らしていた土地の名前が出たのもそうだが、一番は“少女”を守れる可能性が出たからだ。
魔導書で視た未来は絶対に変える事は出来ない。
しかし、そこに異端者というこの世界における文字通りの異端の存在が加われば、それはどうなるか分からないと考え直したのだ。
そして研究者として、その結末を見届けたいと思ってしまったのだ。
(私も、つくづくバカだな……。その結果、自分が死ぬ事になろうとも……か)
自嘲気味に笑った彼女は、2週間前に魔導書で視た未来を再び脳裏に蘇らせる。
そこでは、怒りの形相で自分を殺しているファウストの姿が、ある少女の視点から映し出されていた。
(あの光景は……いつ、来るんだろうね……)
ジンジャーは内心で死に対する恐怖を覚えつつ、それ以上の好奇心でその顔を歪めた。