140話 目的達成と新たなる障害
時間を少し遡り、レベリオがヒナからの愛を注がれるという目的を達成した直後の事だ。
彼女達4人は、レベリオが念のためにと持ち込んでいた数々の課金アイテムの力によって窮地を逃れ、なんとかディアボロスの拠点へと戻ってきていた。
そしていつも彼女達が集っている祭壇へと辿り着くと、まずフィーネが疲れたようにはぁとため息を吐いた。
「こういう事はもうこれきりにしてほしいね。あんな事されたら、命がいくらあっても足りないよ」
「フィーネの言う通りだ。お前があいつに愛だのなんだのを受けたいって思うのは勝手だけどな、僕やイラを巻き込むな」
呆れたような、怒ったようなその言葉に同調したのは同じく疲れ切った様子で妹のイラに肩を貸してもらいながらノロノロとここまで歩いて来ていたミセリアだ。
まるで普段家から出ない人間が、友達に誘われて数日ぶりに外に遊びに出て帰宅した直後のように疲弊し、肩で息をしながら椅子にどっかりと腰掛ける。
そんな姉をどこか痛ましそうに、可哀想な目で見つめつつ、イラも同意とばかりに未だ頬を染めてウットリしているレベリオへ非難の言葉を口にした。
いつものようにネチネチとした嫌味を受けつつもレベリオは高揚や幸福感で自身の胸を満たしており、普段であれば殺意を沸かせるだろうその小言すら耳に入ってきていなかった。
(お姉ちゃんの怒り……殺意、愛、全部想像以上だったなぁ……。あんなに凄い事出来るなんて、やっぱりお姉ちゃんは凄いや……)
両手を頬に添えながらフフフっと不気味な笑い声をその部屋にこだまさせ、その場に居る全員をドン引きさせる。
「その様子だと、任務は無事に成功したようですね。昨日ミセリア達から任務失敗の報告を受けた時はどうなるかと思いましたが、無事になんとかなって良かったです」
「これが無事に見えんのか~? だとしたらアム、お前もいよいよ老眼が来てんじゃねぇのか? なぁイラ?」
「……お姉ちゃん、これはアムニスなりの皮肉。魔王には手出ししちゃダメって約束を破ったイラ達への、遠回しの皮肉とヤジだよ。あんまり本気で受け止めない方が良い」
「そういう訳ではないのですが……まぁ、あなた方がどう受け取ろうが私はどうでも良いです」
はぁとため息を吐きながらそう言ったアムニスは、イラとフィーネにも座るよう促すと、どうせ話を聞いていないのだろうレベリオを無視して今回の総括を口にした。
曰く、メリーナという魔王の貴重な情報源を失った事は痛手となったが、彼女が想定通りラグナロクのプレイヤーだったことに関しては間違いがない事。
そして、魔王の存在を含めて、プレイヤーの周期的な転移が今回もやって来たのだと改めて共通認識として確認する。
「今までのパターンで言えば、5年単位のズレはあろうとも、一度に10ギルド程が転移してきます。その周期は大体50年。今回は既に3ギルド……ないしは2ギルドが確認されています。残りの者達の動向に注意しつつ、不安定になりつつある世界情勢にも気を配りましょう」
「世界情勢が不安定になってんのは、主に魔王のせいだけどなぁ~! なぁイラ?」
「……お姉ちゃん、それは違う。元々イラ達を含めたプレイヤーが暗躍していた物が、魔王の介入によって良い方向にも悪い方向にも動き出したってだけ。正しく回っていた歯車に急激な力が加わると、その動きは早くもなるし遅くもなる。それに、場合によっては壊れちゃう。いま世界各地で起こってるのは、そんなイレギュラーな事態であって、その全ての責任を魔王に押し付けるのは違う」
イラはヒナを擁護したのではなく、サンの失敗の結果ブリタニア王国での長期に渡る任務が失敗に終わった事や、ここ最近になって活発に動いている冒険者ギルド創設者のムラサキについても同罪だと言っているのだ。
ムラサキは元々そこまで活発に動くタイプでは無かったのに、ヒナが冒険者になってからかなり活発に世界各地を飛び回っている。
自身は仕事をしていないと言っていながら、その実かなり忙しなく働いているのは既に確認済みだ。
「最近ではブリタニアとの和平を進めているとも聞く。メイシアとブリタニアが組んだら、表立って戦力を使えないイラ達は凄く面倒な立場に立たされる」
「そうだね。その件に関しては既に手を打ってある。ステラに送り込んでいる私のドッペルゲンガーが上手くやってくれるだろう」
「相変わらずこの世界じゃせこいよなぁ、その能力。人形師の固有スキルだっけか?」
「まぁね。その代わり、専用の装備やアイテムが必要だからそこまで使い勝手が良いという訳では無いけどね」
ふふっと不敵に笑ったアムニスを呆れたような目で見つつ、ようやく椅子に腰かけたと思ったら周りの目を気にせず股を開き始めた女に唾を吐く。
「おい晩年発情してる猿。お前、まだ他に何か企んでたりしねぇだろうな?」
「はぁ……。はぁ……。お姉ちゃん、お姉ちゃん……お姉ちゃん…………」
「ダメだこりゃ」
やれやれと言いたげに肩を竦めた彼女は努めて数メートル先から聞こえてくる水音と女の熱っぽい吐息を無視する事に決め、改めてアムニスに向き直る。
「で、これから先、私らはどうしたら良いんだ? そこの猿のせいで、私らは魔王一派に顔バレしちまった。多分フィーネももうシャルティエットのとこには戻れねぇだろ?」
「あぁ、そうだろうね。幸いにも、あそこには装備の類を残していないから武器を奪われてもそこまで支障はないんだけど……顔バレしているというのが何より痛いね」
この世界では幻術でも纏わない限りその人物の顔を変える事は出来ない。
ゲーム内であれば課金アイテムやら何やらを使う事によってアバターの外見や細かい設定なんかを変える事が出来た。
しかしながら、この世界ではそういう訳にもいかないし、幻術に関しても課金アイテムで賄っていた部分を普通の魔法でどうこう出来るはずもなく、ラグナロクにその手の魔法は存在していない。
時間凍結を施している彼女達だが、この世界の魔法に関しては魔力に対する理解が無さ過ぎるせいで何一つとして身に付けられていない。
一応魔法使いでは無い剣士の者達は必要最低限の戦闘訓練を行っているので一般の兵士並みに動けはするのだが、それでもマッハのようなNPC相手には分が悪いことは、今回の戦いで証明された。
その事についても議論をせねばならず、魔王を殺す時に弊害となるだろう1番の害悪が彼女だということも、既に全員の共通認識だった。
それに、ヒナがいつどこに現れるか分からない現状、顔が割れているアムニス以外の面々に潜入任務は任せられないし、もしも旅先で鉢合わせしてしまえば戦闘になる事は避けられないだろう。
サンのような、ヒナの体に傷をつけた……程度の相手であれば、ヒナやその傍に付き従っているNPC達も、周りの街や集落が被る被害状況によっては本気を出さないかもしれない。
しかし、メリーナを目の前で殺害し、あまつさえイシュタルというNPCの1人を殺害しようとした彼女達の顔を見れば、自分達が暴れる事によって国が亡びる可能性があろうとも、今度こそ全力で仕留めに来るだろう。
「もう一度ステラに赴いて魔法技術の習得を本格的に始める……というのも手ですが、最近狂犬がピリピリしているようなので危険でしょう。あの者達の情報収集能力は、下手をすれば私達を凌ぎます。下手な事をすれば私達が危険に晒される」
「狂犬~? あぁ、あのマザコンか~」
「お姉ちゃん、そういうこと言わないの。アリスは魔王やアーサーに次ぐ強敵だった。その人を母と崇めているんだから、マザコンになるのもしょうがないよ。いくらイラ達が同じ立場でもそこまで傾倒しないと言っても、その人にとっては過去に心を許せたのがアリスしかいなかったんだよ。可哀想に、友達や恋人の1人もできない寂しくて虚しい人生を送ってきてるんだよ」
何もそこまで言わなくても良いのではないか。
アムニスとしてはそう思わなくもないのだが、イラの恐ろしい所は、これを悪意も何もなく、ただ感じたままに言っている所にある。
彼女は、姉のミセリアと違って本当に他人に興味が無く、その感情の起伏や行動理念の全てを理解していない完全なサイコパスだった。
レベリオが現実世界での連続殺人犯という面でのサイコパスであるならば、イラは純粋に他人の気持ちやら何やらが全く分からないナチュラルサイコパスという訳だ。
唯一の例外は姉のミセリアだけだが、その原理は“双子だから”という、何よりも単純な言葉だけで表せるものだ。
もしも2人が双子ではなく単なる姉妹だったなら、彼女はミセリアの内心でさえ一切分からず、2人して同じゲームに没頭する事も無かっただろう。
「ともかく、狂犬が目を光らせているうちは無暗に入国させない方が良い。私がドッペルゲンガーと知識や経験を共有出来れば話は早かったんだけどね……。ゲームでは分身としての役割しか与えられていなかったからか、その手の事は出来ないらしい」
「ま、仕方ないわな~!」
当然ながら、魔法の技術が他国と比べて圧倒的に発達している魔法大国ステラでは、魔法を無詠唱で使う事が当たり前。
魔力の流れなんて視認して当然だし、その扱い方も一級品でなければ上層部の人間……ひいては王城に立ち入る事すら許されることはない。
故に、王城に潜伏しているアムニスのドッペルゲンガー……いわゆる分身体は、彼女のそれより遥かに優れた魔法技術と知識を習得している。
アムニスが彼の国でも数少ない剣士ではなく魔法使いだったなら、確実に国でも片手に収まるほどの魔法使いになっていた事だろう。
だが、先程彼女自身が言った通り、仮にドッペルゲンガーというクラス固有のスキルを解除したとしても、それは彼の国から彼女が潜り込ませている分身体が消滅するだけだ。
分身体である彼女がその場で独自に習得した魔法技術や知識が本体であるアムニスに還元されるわけではない。
その為、優れた魔法技術やこの世界で言う所の魔法という物にもっと詳しくなりたいのであれば、優秀な魔法使いを数人彼の国に派遣するしかない。
「それが出来ない以上、時間凍結以上の強化は望まない方が良いでしょう。彼の国に関してはしばらくノータッチ。ブリタニアとメイシアの事についてはあちらの私がどうにかします。それと並行して進めなければならないのは、先日ようやく場所の特定に成功した『wonderland』の面々をどうするか……です」
そうアムニスが言った途端、その場には1人の女が自分を慰める生々しい音だけがしばらく響き渡った。
それをその場の全員が無視しているので気まずい静寂と言い直しても良い。
その場には、クラスのバカな男子が寒いギャグを自信満々で言い放った時のような極寒の静寂が広がっていた。
「300年以上どうやってこの世界で身を隠していたのか疑問ですが、恐らくアイテムの力でしょう。バルバロスのコンパスを使ってもこれだけの年月がかかったのです。恐らく、現地の人間には気付かれていないでしょう」
「面倒だよなぁ~。なぁんであっこ、未だに5人も残ってんだよ。長命種ばっかこっちに来てんじゃねぇよ」
「……お姉ちゃん、今はそんなこと言っても仕方ないよ。これから考えるべきは、アムニスが言った通りその人達をどう処理するか。ランキング1位ギルドの連中が、何かの間違いで魔王に味方でもしたらイラ達に勝ち目は無くなる。時間凍結の存在を知られるのもマズいけど、戦力的な差がこれ以上広がるのは勘弁」
「イラの言う通りです。もし彼らが魔王に肩入れしてしまっては、私達が魔王を殺す事が不可能になってしまいます。それはつまり、私達の真の目的すらも達成不可能になってしまうという事です」
彼女達の最終的な目標が完全なる世界征服である以上、必然的にwonderlandに残っている面々もいつか殺害しなければならない。
しかしながら、魔王という爆弾の詳細が掴めていない以上、下手に動けば足元を掬われる可能性がある。
メリーナが死んだ今、彼女が今後どんな行動を取るのか分かるのは、この場で数回目の絶頂を迎えたレベリオだけだ。
そこで、アムニスは半ば無駄だと知りつつも、頬を紅潮させてミセリアとは別の不純極まる理由で肩で息をしているレベリオに向き直り、コホンとわざとらしく咳をした。
それには流石の彼女も行為を止めて耳を傾けざるを得なかったようで、自分が殺されない為に、まだ完全には収まっていない下腹部の熱をもどかしく感じつつ、ねっとりと液体がこびりついている指先をペロっと舐める。
「なに?」
「この後、魔王がどう動くのかあなたの予想を聞かせてもらう事は可能ですか? 出来れば、3人の優秀な人材が今後無暗に動かせなくなる代償くらいは支払ってほしいのですが?」
「……はぁ。そんな事も分からないなんて、つくづくあなた達って可哀想だよね。なんであんなに素晴らしくて尊くて、愛らしいお姉ちゃんのことを少しも理解できないの?」
分かりやすく嘆きながらそう言った彼女は、はぁと深いため息を吐きながらも、この件についてアムニスの言う通りにしないと殺される……少なくとも数か月単位で地下の牢獄に軟禁されることは間違いないと正しく悟っていた。
ヒナがこの世界に来たのならそんな悠長な事をしている暇なんて無いのだから、ここは必要最低限でも良いので情報を公開しておいた方が良いと即座に判断を下す。
「お姉ちゃんはこの後、まず私達の体の謎について解く為にしばらくダンジョンに籠る。その後か、もしくは同時並行で無詠唱魔法についての研究と練習を重ねるだろうね。次にするのは私達をどうやったら殺せるのか考える事。もしかすれば離脱した妹ちゃんの事を考えて連れ戻す方向に動くかもしれないね」
「あ? おい待て猿。離脱したってのはなんなんだ」
ミセリアの、まるで何も分かっていないそのアホ面に心底失望したといった感じのため息を吐きつつ、教師が子供に教えを授けるように、あえて丁寧に説明する。
「良い? 私がやったのはお姉ちゃんからの愛を受け取るための準備とその仕上げ。その過程で、イシュタルちゃんにはかなりの精神的な負荷をかけて来た。だから彼女は『自分はお姉ちゃんの隣にいるべきじゃない』って考えて離脱する。想い人の幸せを考えて行動するなんてロマンチックだよね。単なる道具だとか思ってるあんたらには一生分からないだろうけど、お姉ちゃんは強大すぎて、その隣に並ぶのだって一苦労する存在なんだよ。それくらいの逸材で、秀才で、天才で、神みたいな人なんだよ」
「『……』」
「だから“生き残ってしまった”イシュタルちゃんは、必ずお姉ちゃんの元を離れる。お姉ちゃんは中々素直になれないだろうから、数日は私への憎悪とか怒りで魔法の研究に没頭する。それでも答えが出ないと分かったその時、初めてイシュタルちゃんを探しにダンジョンの外に出る。私は、そう思うね」
正確にはまだまだ言いたい事はあったし、そこに至ると思った理由や確固たる証拠もあったのだが……そこまでは言わない。
なぜなら、語っているうちにその美しく尊い姉妹愛と自分が抱いている愛に勝るとも劣らないほどの重すぎるイシュタルの“親愛”を感じ、再び下腹部の熱がぶり返してきたからだ。
これ以上は耐えられないと、再び自らの体を慰め始める。
「あ〜あ、もうダメだこいつ」
「まぁ情報は渡してくれましたので良しとしましょう。魔王が動かないのであれば、次の目標は決まりです。ディアボロスの全メンバーに召集をかけます。Wonderlandに残っている者達の、殲滅に動きます」
そう言った瞬間、その場の全員――レベリオを除く――に緊張が走った。
ラグナロク最強と呼ばれた個が魔王ならば、ラグナロク最強の集団と呼ばれた者達が、ランキング一位ギルドの彼らなのだ。
その総数は今や本来の何十分の1という規模になっているが、それでも決して油断して良い相手ではない。なにせ、1人1人がヒナが傍に侍らせているNPCと同等かそれ以上の力を持っていると言われているからだ。
いやこの場合、トップギルドに所属している者達とほぼ同等の性能を誇っているNPCがおかしいだけとも言えるのだが、それだけ手強い相手だという事だ。
そして、無論そんな強敵と戦うのだからこちらも全戦力をぶつけなければならない。
そうなれば必然的に、今現在自室でダラダラと日々を過ごしている女にも声をかけなければいけない。
「イラ、サンを呼んできてもらえますか?」
「……なんでいつもイラばっかり」
不満そうに……いや、実際不満なのだろう。
口をアヒルのように尖らせながら渋々その部屋から出て行った少女がもう1人の嫌そうな顔の少女を連れて戻って来たのは、わずか4分後だった。