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138話 別たれた道

 男の朝は早い。陽の光が街を明るく照らし始めるよりも前に自室のベッドから起き上がり、自身が8歳の時に母から譲り受けた巨大な姿見の前で身だしなみを整えるところから1日が始まる。


 時間を止めているので本来睡眠の必要はないし、そもそも食事の必要もない。

 だが、男は己の母の「人にとって睡眠と食事は必要不可欠な物だからね! 絶対に欠かしちゃダメなんだぞっ!」というお茶目と言えば聞こえの良い言葉を律儀に守っていた。


 まぁ、睡眠の必要が無いと言っても時間凍結を施しているほとんどの人間は以前の生活リズムが崩れるのが気持ち悪いという理由から睡眠をとっているし、食事も変わらず口にしている。

 この国で時間凍結を施しておきながら睡眠をとらないのは、狂ったように魔法や死者蘇生の研究を重ねている2人の研究者くらいだ。


「……ふぅ。良し」


 王の護衛という、ある種この国で最も重要かつ、最も必要ないだろう矛盾に満ちた役割を任せられている男は、姿見の中に映る自分の完璧な姿に小さく頷く。

 子供の頃から変わらない美しく輝く銀髪を肩のところで短く纏め、潤んだ光の灯っていない水色の瞳を儚く輝かせる。

 その見た目は一見すると女のようにも見えるし、その華奢な体格は少女のそれと相違ない。

 胸元の膨らみが全くないので幸いにも女と間違われることはあまりないのだが、初めて彼の姿を見た人々は、その鈴の音が鳴るような甲高い声に一瞬ではあるが動揺する事だろう。


 左目の下にある泣きぼくろは女達を虜にする事に長けており、潜入任務や暗殺任務なんかでは非常に強力な武器として扱われる。

 それは魔法大国ステラの上層部に、彼が言い寄って落とせない女はいないと言わしめたほどだ。


 その男こそジンジャーの弟であり、ソフィーの兄であるファウストだった。


「行ってきます、母上」


 狭苦しいその自室には、簡易的なベッドと下着や制服などを入れておくためのタンス。それと数本の剣を置いておくための飾り棚のような物があるだけだ。


 タンスの上には彼が愛してやまない人物の肖像画が置かれており、それは彼の姉が生み出した魔法によって本人の記憶から画像を投影するという、自分の為に開発したのかと文句を言いたくなるような代物によって創り出された物だ。


 その写真に主人である王に対して向ける物よりも圧倒的に大きな愛と尊敬の気持ちを向けながら胸に右こぶしを当て、軽く頭を下げる。この国での、最大級の敬礼のポーズだ。


 彼の朝は、毎日20分ばかりの身支度が終わると終焉を告げ、主人が起きてくるまで王の自室の前で警戒に当たるのが最初の任務となる。


「おはようございます。今日はどちらに?」

「ようファウスト。今日はブリタニアんとこの英雄が、またなにかやらかしたらしいからな。その報告を受けに行くってとこだ。ま、どうせろくな事じゃねぇだろうけどな」

「……了解しました」


 ここ最近よく名前を聞くようになった、死亡したと思われていた大英雄マーリン。

 彼女は腐敗しきっていたブリタニア王家を一蹴して自らを王の座に据えただけでなく、荒れ果てていた国内の状況をも解決に導くため尽力しているそうだ。

 そこには冒険者ギルドも全面的な協力を示しており、排除された王族や絶大な力を持っているとされていた騎士団の面々の影はすっかり消えた。

 情報によると4人の冒険者に滅ぼされたという事だが、あまりに滑稽な話なので上層部は信用していなかった。


「そうそう、そう言えばお前んとこの研究室によそ者が入り込んだって報告はその後どうだ? 進展はあったか?」


 会議室へと向かう道すがらそう聞かれ、ファウストはなんのことだと一瞬考える。

 しかし、すぐに思い当たったのかコクリと小さく頷いた。


「数日前に我が国に入国したと思わしき人物が最高ランクの冒険者であるという事は掴めました。当時門の警護に当たっていた警備兵は依然行方知れずで、足取り一つ掴めておりません」

「ん~、それが他国の間者だったら面倒だ。早急に始末出来るよう、さらに人員を招集して事に当たれ。それにしても、よりにもよって最高ランクの冒険者が迷い込んだか」

「ハッ! それに、ジンジャーの研究室に入り込んだのは“監視”していた者の報告によるとジンジャー主導の元だったという事です。ですので、その冒険者が他国と関係がある……というよりは、その冒険者を招き入れた何者かの方が、他国との繋がりがあると思われます」

「ふん、そんな事だろうと思った。お前んとこの姉ちゃんは、相変わらず好き勝手やってやがるな」


 その事については何も言わず、ファウストはただ黙って頭を下げるに留めた。


 彼にとって家族と言えるのは、今や300年以上前に自分で命を絶った父と病気でこの世を去った母だけであり、姉と妹の3人は家族とすら思っていなかった。

 なので本来は姉という言葉を使うのすら嫌だったし、他人から姉や妹など、家族のような名称を使われるだけでも虫唾が走るほど嫌だった。


 だが、王に忠誠を誓っている身としてはそんな不遜な事は言えないので黙って耐え、プルプルと怒りで震えそうになる拳を意志の力だけで抑え込む。

 身に纏っているピチッとした黒の制服や、腰に下げている国宝級の長剣が小刻みに揺れているかもしれないが、そこまでは抑える事はできないので仕方がない。


 それに、目の前でふふっと愉快そうに笑っている男もそれは承知しているので特段咎める事もなく歩みを進める。


「ところでその最高ランクの冒険者という奴の素性は割れたのか?」

「はい。ここ最近冒険者ギルドでも話題に上がっている4人組の内の1人だそうです。残る3人の所在は掴めておりませんが、今のところ我が国に入国したという情報はありません」

「4人組? あぁ、ロアの騒動を沈めたっていう魔法使い共か」

「左様です」


 ロアの街のモンスターの大群を追い払った冒険者の話は、当然ながらこの国の上層部も把握している。


 それどころか、その時はまだ今のように鎖国状態では無かったので各国に諜報員や商人達が出張っていた。

 その中で彼の街での異変を報告されており、冒険者ギルドにとんでもない魔法使いと剣士が入ったと上層部の間で問題になっていたのだ。


「確かその者達は、今メイシア人類共和国で話題になっている例の小説の登場人物と名前が同じだったな。まさかとは思うが、同一人物か?」

「その件については不明です。彼の国に潜り込ませていた私の部下と連絡が取れなくなりました。奴には著者であるメリーナという女に陰ながら張り付くよう言っておりましたが、正体がバレて殺されたか、もしくは不測の事態で連絡が取れない状況にあるかのどちらかだと思われます」


 一応メイシア人類共和国には追加で数人部下を送り込んでいるのだが、その者達からの定時連絡では『商会からメリーナが消えている』という不可解な物だけしかもたらされなかった。


 商会に潜入して情報を集めるのが一番手っ取り早いのだが、あそこの商会のボスがかなり厄介な人物である事くらいは突き止めているので潜入など不可能だ。

 むしろ、商人を数えきれないほど抱えているシェイクスピア楽団には何人もの諜報員が潜り込めている事を考えると、厄介度ではシャルティエット商会の方が上だと言える。


「そうか。また情報が更新されたら報告しろ」

「仰せのままに」


 恭しく頭を下げたファウストは、やがて目的の部屋の前に辿り着くと執事のように先行して扉を開け、中に居る会議に出席するいつものメンバーが揃っている事を確かめ、部屋の中の安全を確認したうえで主人を部屋に招き入れる。


 彼を始めとしたこの部屋に居る全員が時間凍結を施しているので命の危険なんてものはほとんど無いに等しいし、本来ならば護衛なんて物も必要ない。

 それでも彼が王に付き従っているのは、他国の人間と会う場合に護衛が居なければ不自然だからだ。


「待たせたな、皆の者。早速で悪いが、彼の国の英雄がどうしたって?」


 部屋の中央に置かれた丸いテーブルの一番上の部分……つまり、扉から最も遠い場所に用意されていた先に座りながら、男は苛立たし気にそう言った。


 ファウストは男の後ろに控えて静かに話を聞く姿勢に入り、諜報部を取り仕切っているシリウスという名の老けた老人がケホっとわざとらしい咳をしながら話をする様に嫌悪感を募らせる。


「ブリタニアに潜入している者達からの報告によりますと、彼の国の英雄は自身の過去の栄光や力に物を言わせて強引に他国との連携を進める方針を固めつつあるようです。無論、武力行使はせず、侵略もしないと誓う前提での交渉ですが……」

「ま、妥当だな。なんの地盤も無い英雄が国を率いて行くとなれば、まずやるべきことは他国の人間との交渉や貿易路の改築だろうからな。先代までが酷すぎたせいですぐには承認されないだろうが、あそこの軍事力に他国の資金や資源が回るとなると厄介だ」

「それが、冒険者ギルド創設者のムラサキによってメイシア人類共和国との友好的な関係が築けつつあるようです。交渉がスムーズに進みすぎているので、我々としては他に別の要因があるのでは……と、現在調査中でございます」

「ふむ」


 交渉が有利に運ぶような別の要因。この場合シリウスが言っているのは、ブリタニアの軍勢における侵略が今後一切行われないという絶対的な安心と安全以外に……という意味だ。


 正直騎士団が崩壊した今となっても、彼の英雄1人だけで攻め込まれても大変な被害が国に出る事は想像に難くない。

 その結果国が滅ぶかどうかはともかくとして、本気で怒りを買えば再建にかなりの時間がかかる被害が出るだろう。


 しかも、マーリン本人を討ち取れるのかと言われると答えは否だろうし、ファウスト自身も彼の英雄と戦って勝てる自信は4割程度しかなかった。


「諜報部の予想ではどうなんだ? 推測でも構わんから言ってみろ」

「……やはり、ヒナの存在があるのだと思われます。ロアの街を救った大英雄は冒険者ギルドと懇意にしていると考えられ、一部ではブリタニア崩壊にも一枚噛んでいると思われます。メイシアにはムラサキの奴がおります故、ヒナの名を使っての条約を結ぶことは可能かと」

「バカな! あのバカげた戦力の騎士団をたった4人の冒険者が壊滅させるだと!? 諜報部は気でも狂ったか!」


 そう叫んだのはアルファルドという名の軍事における最高責任者だ。


 この国にはブリタニアとは違って剣士は数名程度しか在籍しておらず、軍に所属する人間のほとんどが魔法使いだ。

 それは魔法大国という名前の通り、他国とは一線を画すほどの魔法技術を保有しているからなのだが今はどうでも良い。


 そんな彼は、ブリタニアの騎士団の強さを戦場にてその目に焼き付けている。

 過去に何度か戦った事があるファウストとしても、個々の力は間違いなくステラのそれより遥かに上だと確信出来る。

 仮にそんな者達をたった4人で壊滅させることが出来る者達がいるとすれば、それは紛れもなく母と同じ“異端者”だろう。


 アーサーやマーリンも同じ異端者だろうという結論がファウストの中で出ている以上、その手の存在は母だけではない事が証明されている。

 そして、その手の者達に共通する事柄として、この世界の人間と戦っても赤子の手を捻るように蹂躙出来るほどの圧倒的な強さを保有しているという事が挙げられる。


 唯一この世界の人間でその異端者に対抗出来るとすれば、同じ異端者から生まれた自分やジンジャーのような存在だけだろうと、ファウストは考えていた。


「ファウスト、お前なら可能か? 正確には、お前んとこの姉ちゃんも含めて……だな」


 その王の発言に、その場の全員の視線がファウストに集まる。


 いきなり12の目玉に睨まれて反射的に魔法を発動しようとする彼だったがなんとか踏み留まり、自分の今の実力と姉達の実力を総合し、かつて戦ったロイドという名の騎士団長と、シャトリーヌという名の剣士を思い浮かべる。


「相手が時間凍結を施していないという前提であれば可能でしょう。ジンジャーはもちろん、ソフィーに関しても個の力だけで言えば彼の国の連中の上を行きます。私達には時間凍結という絶対無敵の防御がありますので、可能か不可能かで言われると可能です。実際ジンジャー達が侵略の為に己の力を使う可能性は低いでしょうが」

「ふむ。なら、お前達が時間凍結をしていないと仮定した場合はどうだ?」

「その場合ですと、ロイドとシャトリーヌ相手にかなりの苦戦を強いられるかと思います。少なくとも、我々3名のうち1人は道連れにされるでしょう」


 ロイドに関してはそこまで警戒するべき相手では無い物の、装備が他の兵士達とは段違いの性能を誇っていた当時幼かったシャトリーヌにでさえ後れを取ったファウストは、気まずそうにそう言った。


 時間凍結を施していなければ、当時20歳前後だっただろう彼女に命を刈り取られていた事は間違いない。

 その技術が他国に漏洩するのを防ぐためにわざと傷を負って死んだふりをするという屈辱を味合わされた記憶は永遠に消える事は無いだろう。


「ジンジャー殿とソフィー殿のお2人はこの国でも並ぶ者のいない大魔法使いだ! その者達でさえ敵わぬと言うのだ! ヒナとかいうポッと出の輩に出来る訳なかろう!」

「それはどうかな。ボクは最悪の事態を想定しておくべきだと思うけどね。なにより、そう仮定してしまった方が様々な事に納得がいくのも事実だ」


 アルファルドに向かって不敵な笑みを向けながらそう言ったのは、スピカという名のこの国の防衛責任者だった。


 この場で唯一の女性という事もあって歳を重ねた者達の多いこの場では多少浮いているが、その実力は本物だ。事実、この場にいる人間の中ではファウストに続く実力者だろう。

 そんな人物が軍に所属する事も冒険者になる事もなくこんな役職についているのは幸運だったと、皆が思っている程だ。


「ここでも仮定の話だが、そのヒナという人物が巷で話題の魔王と同一人物であるなら、それくらいの事は出来るのではないか? それに、同一人物とした場合はマーリンらの恩人でもあるのだろう? 彼女達がヒナを引き合いに出して和平を結んでいると仮定すれば話の進み具合が異様に早いのも納得出来るのでは?」

「む? ん~……確かに。だが、あの魔王とか言う奴の力は異常だぞ。あんな力を持つ人間が本当に存在するというのか?」

「さぁね。ボクは断言した訳じゃなく、あくまで居ると仮定しただけに過ぎないからね。そこまで真面目に聞かれると、ボクとしても困ってしまう」


 わざとらしく肩を竦めた彼女は、続いてファウストにも「君はどう思う?」とからかうように笑みを向ける。

 その様子だけを見れば彼女もファウストに惚れているのではないかと誤解しかねないが、実際にはただ単に混乱するアルファルドを面白がっているだけで深い意味はない。


 その事を十分承知しているファウストは、その意見を一蹴する。


「ありえない。母上を超える魔法使いなんて存在するはずがない」

「アハハ。君は相変わらずだね~。でも確か、君の母上の話では、自分は一番の魔法使いじゃないって話じゃなかったかな?」

「……誰から聞いた」

「さぁ、誰だったかな。最近、ボクの記憶力には問題が生じていてね」


 舌を出しながらそう言うスピカに殺意が湧いてくるがグッと堪え、意識を切り替えるために軽く頭を振った。


「ともかく、事を起こすなら早い方が良いでしょう。彼の国の内通者に今後の動向を注視させつつ、侵攻を早めるのが賢明かと思います」

「あれ、もう終わりかい? ちょっと拍子抜けだが……まぁ、王の御前だしね。ボクもその意見には賛成だ。メイシアと手を組まれると軍事力的にも相当面倒な事態になる。今彼の国にはまともに動かせる駒は無い。せいぜいが、マーリンとシャトリーヌくらいだろう。それなら、サッサとやっちゃった方が良いと思うね」


 スピカのその言葉にその部屋に居た全員が頷くと『ブリタニア侵攻』を数か月単位で早める事が決定事項として可決された。


 その後、議題はこの街からほど近い森の大部分が燃え尽きた事へと移行した。

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