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136話 母の大きな愛と期待、それと少しの呪い

 後に『魔力欠乏性衰弱病』と言われるようになるその症状は、極稀に体内の魔力を自動的に保管する術を持たない赤子や乳児などがよく発症する病気だ。

 大抵の場合は赤黒い凝固した血液を吐き出し、段々と体力を奪われて衰弱していく事からその名が付けられ、世間に知られることになる。


 だがその一方で、この病における死者は後にも先にも1人だけとなった。

 なにせ、ほとんどの場合は発症から数時間、遅くても1週間以内には魔力の自動補完の術を身に着けて体内の魔力を充填し、勝手に症状が安定していく。

 しかしながら、それはこの世界の人間特有の魔力総量の少なさとレベルの低さ。そして魔法という物に関して遺伝子レベルで理解を深めているという事が原因だった。


 この世界の人間の数百倍という単位で魔力を保有しているアリスは、装備やアイテムの力を借りない限りは体内の魔力を自分で供給する事が出来ないし、その大量の魔力総量をいっぱいにするには、それらの力を借りても数日という膨大な時間を要する。


 ヒナが所有しているような、ある一定条件下での魔力の全回復という装備は当然ながら彼女は所持していないし、その手の魔法に関してもアイテムや装備でなんとでもなっていたので取得していないというのが現状だった。


 そもそも、彼女はその手のサポート系の魔法は仲間に全て任せており、ヒナ達4人のパーティーで言えばヒナのようなアタッカーの役割を担っていた。

 そんな彼女が、HP回復以外のサポート魔法なんて所持しているはずがなかったのだ。


 段々と薄れゆく意識の中で、女はギルド本部でもあり、自分と仲間達が数年かけてゆっくりと築き上げた王国『wonderland』を旅立った時の事を思い出す。

 その脳裏にはしつこいくらいに「そんな装備で大丈夫か」と、親の顔よりも見たネットミームと同じ文言を口にする親友の姿があった。


 着飾る事しか考えていないような着物なんて持って行かずに、もっと有用なアイテムや装備を持っていくべきだ。

 この世界に共に迷い込んでしまった親友はそう言って譲らなかった。

 この世界では何があるか分からないのだから、見た目重視のそんな装備ではいつか命を落とす。そう、何度もなんども言われていたのだ。


「ごめんねカフカ……。結局、あんたの言う通りだったや……」


 朝起きた時、出産による全身の疲労や痛みを感じる間もなく、体が動かないと悟った。

 心臓の鼓動はかつてないほどに弱くなり、肺が酸素で満たされる事なんてない。

 呼吸はしているけれど、肺の半分程度しか酸素は満たされていないし、横隔膜が上手く機能していないのか、まともに呼吸という動作が出来ているかどうかも怪しい。

 手足には既に力が入らないし、2分おきくらいに吐血し続け、もはや掠れた声しか出てこない。


 出産までは……この、お腹の中の命がこの世界に誕生するまではと必死に耐えていたが、昨日その使命を果たしたことで、体が限界を迎えたのだろう。


 アリスは、柄も無くそんなことを思った。


(あんたの忠告を聞いておけば……もっと、あの子達と一緒に居られたのに……ね。ほんっと、私はバカな女だよ……)


 親友が言った事に、今まで一度も間違った事は無かった。

 イベントのボスの攻略についてもそうだし、魔王をギルメン総出で襲って屈服させ、半ば無理やりにではあるがギルドに入れる案を打診した時もそうだし、現実世界で結婚詐欺に引っ掛かりそうになった時だってそうだった。


 彼女はいつだって正しいことを言って自分を窘めてくれた。


 イベントのボス攻略にはもう少し慎重になるべきで、ギルメンで情報をもう少し交換し、収集するべきだと言われた。

 結局その通りにしたらギルドは多大な恩恵に預かる事になったし、魔王にそんなことをすれば彼女がその理不尽さのあまり引退してしまうかもしれないと言われ取りやめた。


 実際、後からヒナに対する彼女の憶測を個別で聞けばその通りだと思ったし、仮にそうだとすればどこのギルドが誘ってもそこに入るとは思えなかったので良しとした。

 自分がヒナをギルドに入れたかったのは、その圧倒的な戦力が他ギルドに渡る事が脅威だと考えただけだったからだ。


 そして、現実世界で結婚詐欺に引っ掛かりそうになり、相手の男からお金を貸してほしいと言われたと相談を持ち掛けた時だって……って、これは今はどうでも良いか。


 結局、その人は親友が不審に思って通報してくれたおかげで逮捕されたし、彼の両親が指定難病に侵されていて今すぐ高額な手術費が必要という事実も無いことが分かったのだ。

 つまり、私自身には損害らしい損害はなかったのだ。


「そう思えば……私の選択って……いつも間違いだらけだなぁ……」


 もはや自嘲気味な乾いた笑みしか出てこないが、それでもこの世界で過ごした時間は……家族と共に過ごした時間は、とても有意義で悔いのない人生だったと言える。そう、思った。


 我が生涯に一片の悔いなし!と言って生涯に幕を下ろす事が自分の人生の目標だ。そう語ったのは何年前だっただろうか。

 おぼろげにそんな事を思いつつ、部屋の扉がガチャリと開かれた事でその思考を中断する。


「母上、もうそろそろ起きる時間ですよ。今日の朝食は僕……が――」


 出産という一仕事を終えた母を労り、気遣う為に2人の姉や父よりも先に起きて水分が足りていないだろう彼女の為にキッチンから水を持って来ていたファウストは、ベッドで寝ている変わり果てた姿の母の姿を目にして一瞬動きを止めた。


 そして、誰よりも尊敬するその人が。誰よりも……この世界の誰よりも愛しているその人が死にかけていると悟ったその瞬間、少年は手に持っていたグラスを床に落して母に駆け寄った。


「母上!? しっかりしてください、母上!」


 自分が生きてきた中で一番大きいのではないか。そう錯覚するほどの叫び声をあげ、少年は母の手を握った。

 ギュッと優しく、それでいて力強く握られたその手からは、彼が密かに教えてもらっていた回復魔法が発動されていた。


 しかし、その回復魔法は体の傷を治すだけの物であり、ファウスト本人もその原理は良く分かっていなかったのでこれで効いているのかどうか。それすらも判断が出来ない。


「母上……。ははうえ……」


 祈るように回復魔法を唱え続けるも、アリスの体に起こっている異常は、その体内に魔力が枯渇している事で起こる現象だ。

 それを解決するには彼女の体内にあるはずの魔力を全て……ないしは8割以上回復させなければならず、少量の魔力をその体に注いだくらいでは、その体の不調は治せない。


「何事だ! ファウスト、アリスに何が――」


 まだ名前も決まっていない女の子を抱きかかえた男か女か一瞬分からない容姿をした父が部屋に入って来て、続くように2人の子供達が部屋に入ってきたことで、アリスもようやく覚悟を決める。

 今まで隠してきたが……もう、それは不可能になったのだ。自分の命の灯は、あと数分と持たずに消えるのだ……と。


「みんな、ごめんね……。お母さん、ちょっとドジっちゃった……」


 ベテルギウスは力のある剣士ではある物の、魔法に関しては全くと言って良いほど知らない。

 それに、彼の容姿を受け継いで中世的な可愛らしい見た目のファウストは魔法に関してはまだ習い始めたばかりで、その才能を十分に発揮できていない。


 アマリリスは、才能はあるもののまだ自分の強さや恵まれた才能に気付いておらず真面目に魔法の勉強をしていない。

 唯一ジンジャーと一緒に学ぶ時だけは真面目に話を聞いてくれるが……それも、頻度がそこまで多くないので将来が心配だったりする。


 長女のジンジャーは魔法に関しても剣技に関しても、そして勉学に関してだって自分以上の才能を持ち合わせており、一体どこをどう合わせれば自分の子供がこんなに優秀になるのかと、アリス本人も驚いていた。


 そのサッパリした性格は幼少期の自分によく似ているし、親に捨てられた時にこの世界の全てが敵に見えていたあの頃とまったく同じ瞳をしている気がするのも気になる。

 まぁ、彼女のそれはただ『カッコいいから』というような、男子中学生が陥る不治の病に似た物だろうが……。

 ともかく、そんな可愛らしく愛らしい子供達と、自分が居なければ自ら死を選びそうなほど危なっかしいベテルギウスを残して逝くのは心配でしょうがない。


 それに、昨日生まれたばかりの新たな宝だって、どんな人生を送るのか、どんな子に育つのか楽しみでしょうがない。

 それを傍で見守る事も叶わないなんて……。そう、思わずにはいられない。


 悔しくてくやしくて、今すぐにでも、どんな手を使ってでもこの状況を打開したいと思ってしまう。


 遥か当方の地にいるはずのカフカに助けを求める事さえできればあるいは……。そう思ってしまうが、彼女が今もその地にいるかどうかは分からないし、そもそも助けを求めたとして、どうにかしてくれるとは思えなかった。


(親友の最後の言いつけを守らなかった代償としては……十分だね)


 ふふっと笑ったアリスは、今にも号泣しそうなファウストに小さな声で大好きだよと囁くと、扉の前で呆然としている“4人”にも同じように大好きだと伝える。


 もっと気の利いた言葉があるだろ。

 そう内心で自嘲しつつ、自分には、こういう時でも笑っている顔が似合っていると自負していた。

 それくらい愛らしいアバターを作れたと思っているし、それを狙っていたので間違ってはいないだろう。

 だから辛くとも、全身を焼かれるような苦痛が襲ってきていようとも、笑みを絶やさなかった。


「母上……嫌です……。いかないでください……。僕を置いて、僕らを置いていかないでください……」


 ファウストにとって、この世界の全ては己の母親以下の存在だった。


 父やジンジャーやアマリリスといった3人の家族ももちろん尊敬しているし愛しているが、それとは別格の愛情を、尊敬を、己の母に向けていた。

 それは宗教団体の信者が教祖に向ける類の物とまったく同じような物であり、レベリオ程とは言わずとも、かなり歪んだ『愛』として彼の中に宿っていた。


 そんな彼は、ボロボロと涙を流しながら嫌だと首を振る。


 自分の中にある大量の魔力を癒しの波動に変えて、無駄だと分かっていながらもアリスの体に魔力の奔流として流し込む。

 だが、その行為ですら僅かな命の延命にしかならず、彼の体内の魔力を全てアリスに注ぎ込んでもその2割を満たす事も出来ない。

 そして――


(このままじゃ、この子も私と同じ末路を辿っちゃうなぁ……)


 今までの経験からそう感じ取ったアリスは、皮肉にもファウストから貰った魔力を使って最後の魔法を使用する。

 それは本来、低レベルのモンスターが扱う『魔力吸収』という攻撃から身を守る際に有効とされる低レベルの魔法だ。

 初心者の頃は魔法使いの誰もがお世話になるだろう魔法だが、上級者になるにつれてその手の魔法は扱わなくなり、装備でそれらの耐性を補うようになる。


 だが、彼女はそんなマイナーすぎる魔法に関してもしっかりと記憶に宿していた。

 そして、今この場ではちょうど良いとして瞬時に使用するだけの判断力も持ち合わせていた。


『魔力固定』


 それは自分の体内にある魔力を固定し、外部から吸い取られることも与えられる事も出来なくする特殊な魔法であり、後にジンジャーが開発する事になる“時間凍結”の元になった魔法でもある。

 もちろんこの魔法それ自体には魔力の付与や奪取を無効化する事しか出来ないのだが、それでもこの場では十分すぎる効力を発揮した。


「は、母上!? な、なにを……」

「ファウ君にはどうにもできないよ……。これは、私のせいなんだから気にしないで……? ね?」

「っ! 僕には……なにも……?」

「うん、なにも。ありがとうね、その気持ちだけ、ありがたく受け取るよ」


 ふふっと笑ったアリスは、自分のせいだと思っているだろう……いや、十中八九そう思っている顔をしているジンジャーに視線を移し、気にするなといつもの妄言を吐くテンションで口にした。


 それは彼女が最後の力で振り絞った虚勢であり、星の重力よりも遥かに重く、膨大な愛の形だった。


「みんなを、頼んだよ」


 そう言った数秒後、アリスはゆっくりと眠るようにその瞳を閉じて永遠の眠りについた。

 彼女の最も傍に寄り添っていた1人の小さな少年の心にどす黒い闇とちょっぴりの呪いを植え付けてしまった事など気付くはずもなく、女はこの世を去ったのだ。


「そん、な……。わたし1人で、この先どうやって……。どうやって、生きて行けば……」


 膝から崩れ落ちたベテルギウスは、辛うじて腕の中でスヤスヤ眠っている赤子にケガを負わせることなく、それでいて最愛の人を失った深い悲しみに溺れるように床に伏せた。

 子供達が傍で見ている事など気にする事もなく、ただ年甲斐もなく惨めに泣いた。


 2人の少女も、落ち着きがなく変わり者だと思いながらも尊敬し、自分達の魔法の師匠でもあり、命の恩人でもあり……もっとも愛していた母が帰らぬ人となった事に、大声で泣いた。


 その場で泣く事もなく、ただ黙って自分が握っているまだ温かい手を見つめていた少年は、ただ“怒り”でその手をプルプルと震わせていた。


(僕には……何もできない……)


 この翌日から、ファウストは家族の誰とも積極的に言葉を交わす事は無くなった。

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