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135話 地獄の大王とその代償

 地獄の大王が初めに放つスキルをまともに喰らって勝利を納められるプレイヤーは存在しない。それはいくらヒナだろうが例外ではなく、1分もしないうちに侵入者の男達は形も残らないほどに消滅し、役目を終えた閻魔もその場から消え去った。

 屋敷は倒壊していないのが不思議なほどにボロボロに崩れ去り、閻魔が存在していたそこには大きな穴が開いているが、それでも自分の宝を守れた事に、女は安堵していた。


 閻魔は呼び出すのに時間がかかり、魔力の消費もゲーム内ではトップクラスを誇る魔法だったためにその性能は非常に強力に設定されている。

 ヒナですら相手がそれを使ってくると分かっておらず対策を怠っていればまず間違いなく呼び出された瞬間に敗北が決定するだろう数少ない召喚獣の1人であり、どんな大ピンチの状況だろうと大逆転を可能にする切り札でもある。


「はぁ……ドッと疲れた……。ていうか、魔力半分ちょっと持っていかれたんですけど……」


 アリスも生半可な鍛え方はしていない。というよりも、女性プレイヤーの中でヒナの次に有名で、なおかつゲーム内でも10本の指に入る強さを誇る彼女の魔力量は常人のそれではない。

 ヒナが防御を一切考えないステータスの割り振りをしているのと同様に、彼女も防御を最低限にしつつ、鬼族という攻撃力がもともと高い種族を選んでいる関係で魔力量だけで言えばヒナとどっこいくらいだった。


 総合力で言えばもちろんヒナが勝っているだろうし、ヒナと違って防御力なんかにもステータスを割り振っている関係で火力勝負になっても彼女には負ける。

 無論それ以外のところ……例えば仲間を率いるコミュ力だったり統率力、カリスマ性なんかの部分では圧勝しているのだが、ゲーム内で彼女に勝てるほどでは無かった。


(あ~……こんなに疲労を感じるのって、大会であの子と戦った時以来だわ……)


 第何回かは忘れたが、アリスは過去に一度だけヒナとPVPのイベントの決勝で矛を交えている。

 当時のヒナも、今彼女が身に着けている『魔法の効果を8割ほどカットする』という物を装備していたのだが、その中でも魔法使いの彼女は善戦し、あと一歩のところまでヒナを追い詰めた。


 約30分という、PVPとは思えぬほどの試合時間を要したその戦いはヒナの粘り勝ちによって幕を下ろしたが、その時PCの前で疲労のあまり髪を掴んで叫んだ事は未だに彼女の脳裏に焼き付いている。

 だが、その時と同様……もしかすればあの時以上の疲労が、アリスの小さな体に濁流の如く押し寄せていた。


(魔力を使いすぎるとこうなるってことか……。うわぁ、しんど……)


 生理痛なんて比較にならないほどの痛みが遅れて全身を襲い、不快感や嘔吐感なんかも同時にその小さな体を侵食していく。

 段々と呼吸が荒くなっていき、魔力の回復ポーションくらいは本部から持ってくれば良かったかもしれないと彼女が”何回目かの”後悔をし始めたその時、荒れ果てた玄関ホールに1人の少女が姿を現した。


「母上!」


 その愛おしい声を耳に届かせ、女はゆっくりと顔を上げた。


「ジンジャー……。ダメじゃない、しっかり……ファウ君とリリーを守ってくれないと……」

「リリーが起きたから任せて手伝いに来たんです! って……母上、あの男達は……?」

「ふふっ、優しいね~。でも大丈夫。お母さんね、結構強いんだから」


 瞬きの間に目の前まで移動してきた少女の小さな頭を撫でつつ、泣きそうになっているその幼くも可愛らしいその子を、ゆっくりと、まるで壊れ物でも扱うかのように優しく抱きしめる。

 少女の体は小さく小刻みに震えており、未だに怯えているのか、ゆっくりと母の背に腕を回し、その存在を確かめるかのようにギュッと抱きしめ返す。


「母上……。話して……くださいますか……?」

「んぁ~? なにを~?って、誤魔化せる状況じゃないよねぇ」


 いつもふざけ倒している彼女だが、家族は紛れもない宝物だった。

 そんな宝物に害をもたらそうとする存在は何者であろうとも許さないし、どんな手を使ってでも出来る限り守る。結婚して子宝に恵まれたその時に、そう決めていた。

 そして同時に、彼女達に自分の正体がバレそうになったその時には……その正体を聞かれたその時には……潔く、自分の身分を明かそうとも考えていた。


「ちょっと、複雑な話になるよ。信じてくれる?」

「……わかり、ました」


 普段の調子のいい母の声ではなく、魔法を授けてくれる時以上に真剣なその声色と表情に、ジンジャーも覚悟を決めた。

 そこから語られる、いつもの世迷言としか思えない酔っぱらいの妄言――いや、母の真実は、ジンジャーにとって驚愕するには十分すぎる内容だった。

 秘密の暗号だと教えられていた“にほんご”なる文字は母の故郷の文字だったと言うし、種族の事に関しても、圧倒的なその実力に関しても、その全てを説明された。


 ついでのように、いつも面白半分で着させている着物やらその他洋服類が、彼女の完全な私物で、この世界のどんな装備よりも強力な物だと知った時は驚きを通り越して呆れた物だ。


 だが、それよりも一番驚いたのは、そんな中でも母が一番強かった訳ではないという事だ。

 アリスも、流石に名前は伏せたがアーサーやヒナなどの、自分よりも強く神や魔王と呼ばれたその者達の事はジンジャーに話した。

 自分に守られていれば安全だと過信してほしく無かったからだ。


「そうそう、だから私が言ってたことって全部本当の事なんだよ~。言ったでしょ、嘘は吐かないって」

「……そう、なんですか。母上のお仲間という方々は、今どちらに……?」


 純粋無垢な瞳でそう聞いて来たジンジャーに、アリスはどこか懐かしそうに目を細め、この世界にやってきた当時共に混乱し、しばし戦闘訓練に付き合った3人の仲間達を思い出す。

 その全員がランキングの2桁代に名を連ねている者達だったし、他にも訓練の必要が無かった魔法職のメンバーも2人程いた。

 だが、今はそれぞれバラバラに過ごし、どこにいるかも分からない。


「どうだろうねぇ……。なにせ、もう何年も前の事だからさぁ……?」


 この世界の言語が日本語だという事を考えると、フランス人とアメリカ人が中心になっていたあのメンバーがどこかの街で暮らす事はかなり厳しいだろう。

 しかしながら、ギルド本部は多額の金をかけて国のような造りにしているし、NPC達がやっているショップや各メンバーの家々には生活に必要なアイテムやら食料品くらいあるはずだ。

 最悪そこで暮らしていれば、当分の間死ぬことは無いだろう。


 無責任にも彼らを見放す形で旅に出た彼女だったが、そこに後悔はない。

 元々ギルドマスターなんて柄じゃなかったし、あの場にはサブギルドマスターもいるので、いざとなれば彼女が仲間達を率いて纏めてくれるだろう。

 全て他人任せな感じは否めないが、彼らもアリスがそういう人だと分かっているだろうから深く責める事は無いだろう。

 その信頼関係だけは、離れ離れになって久しい今となっても揺らぐことはない。


「差し支えなければ、今度暇があれば会いに行ってみたいのですが……ダメ、でしょうか……?」

「それはちょっとなぁ~。私が気まずいっていうか、結構遠いからさ~? それ……に――」


 アリスは、ケホっと軽く咳き込んだ。それは軽い咳のつもりで、喉の奥に痰でも詰まっているのだろうと思っての事だった。

 しかし、喉の奥から出てきたのは赤黒く変色した己の血と、先が尖った犬歯だった。

 彼女がお気に入りだった、わざわざ課金して見た目をカスタムするために追加したチャームポイントでもあるそれが、悲しく掌の上に転がった。


「あ~……そう。もしかして私……死ぬ?」

「!? な、なにを仰るんですか母上!」


 思い返せば、今着ている装備やこの屋敷にある装備の予備に『魔力の自動回復』なる物は存在していない。

 ラグナロクでは必須だったその機能だが、この世界ではそもそも魔法を使う機会が少なく、あったとしても基本的なレベルが低いこの世界では、そこまで強力な魔法を使う事は今までなかった。


 魔力の扱い方は分かっているし、魔法の発動方法だって本能的にではある物の理解している。

 しかしながら、この世界の人間達が自然にやっている魔力の自動補完という術を、魔法という概念そのものから程遠い日常を送っていた彼女が知るはずもない。

 自分の体の中にある魔力の存在に関しては分かっている物の、それを補填する術は全くと言って良いほど知らなかったのだ。


 かと言って魔力の補完方法を聞こうにも、この世界の人々が呼吸をするように自然に出来ているような事を聞くのは躊躇われるし、仮に聞いたとしても「そんなの説明できない」と言われるのがオチだった。

 実際、ジンジャーですら自然にそれを出来ているし、どうやって、なぜそれが出来ているのかを説明するのは不可能だった。

 まぁ、仮に説明されたとしても魔力という存在をおぼろげにしか理解していないアリスにそれが実践出来たかどうかは非常に怪しいが。


 元々、彼女は放浪していた身だ。

 この国でベテルギウスと出会って身を固めたとは言え、今までの長い旅で失った魔力はおろか、日頃消費している魔力でさえ補完する事が出来ていなかった。

 そんな中でなりふり構わず魔力消費の大きい閻魔を呼び出したのは彼女のミスと言えなくもないが、誰だって自分の大切な物、人を傷付けられれば冷静ではいられない。それを責めるのは酷という物だ。


「魔力切れとか起こした事無いんだよね……。まだ1割弱は残ってると思うんだけど……おかしいなぁ」


 自嘲気味にふふっと笑った彼女は、続けざまに二度の咳をして赤黒くもドロッとした血液を口から吐き出した。

 意識が吹き飛びそうになるのを意志の力だけで強引に留まらせ、深刻そうな表情を浮かべているジンジャーの右手をギュッと握り、大丈夫だと笑いかける。


「あなた達を置いて逝くわけないでしょ? それにほら、お腹の子も……いるしさ? 名前、どうしよっか」

「はは、うえ……?」

「ふふっ、ごめんねジンジャー。冗談だからそんなに心配しないの。ほら、リリーも心配してるだろうし、早く行こ?」


 歩くのもやっとな体調で、アリスは自身を懸命に奮い立たせてなんとかアマリリスとファウストが待っている子供部屋へと歩いていく。

 その間、ジンジャーの肩を借りる事もなくただユラユラと足元を震わせながらもゆっくりと歩き、ようやくその部屋の前に辿り着いた時には、彼女が歩き出してからさらに30分が経過していた。


「ジンジャー、この件は内緒にしてね。心配、かけたくないから」

「……わかり、ました」


 誤魔化すのが不可能だと悟ったのか、その部屋の扉を開ける前に、アリスは口の前で人差し指を立ててシーっと笑った。


 その数時間後には屋敷は全て元通りとなり、アリスも自身の人生史上最大と思えるほどの苦痛に慣れ始めていた。

 流石にいつものようにふざける体力や元気は残っていなかったが、幸いにもジンジャー以外の家族は、出産が近いから落ち着いているだけだろうと考えていた。また新しい家族が生まれてしばらくしたら騒がしくなるんだろうなと、内心考えていたはずだ。


 だが――


「!? 母上!? しっかりしてください、母上!」


 後にベテルギウスによってソフィーと名付けられる新たな家族が誕生して一夜明けたその日、ジンジャーは隣の部屋から聞こえてきたファウストの悲痛とも言える叫び声で叩き起こされた。

 同時に隣のベッドで眠っていたアマリリスも飛び起き、2人ですぐさま部屋を飛び出す。


 アリスの寝室はベテルギウスと同じで子供部屋の右隣と比較的近い位置にあるのだが、つい昨日出産したという事もあって、ベテルギウスは客間で赤ん坊と共に睡眠をとっていた。

 出産したばかりのアリスの体調を気遣い、数日は夜泣きなど気にする事もなくゆっくり寝られるようにとの配慮だった。


 母の部屋までの、たった数メートルの道のりが無限にも思える。

 2人は自然と足取りが重くなっていき、同時にやって来た赤ん坊を抱えたベテルギウスと共に部屋の扉を開けたその瞬間目に飛び込んできた光景で、ジンジャーは己の過ちを悟った。


(あの時、父上に相談していれば……)


 そこには、ベッドを赤黒い凝固した血液でベッドリと濡らし、瞳から小さな雫を浮かべている母の姿と、そんな変わり果てた姿の母を見て大泣きしているファウストの姿があった。


「みんな、ごめんね……」


 もはや取り繕う事も出来なくなったのか、アリスは力なく笑ってファウストの手に優しく触れた。もうその小さな手を握ってあげる力すら、彼女には残っていなかった。


「お母さん、ちょっとドジっちゃった……」


 そんな小さくも確かな絶望の宣告が、部屋の中に静かにこだました。

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