133話 異端者
「私達の母上は、長年他国を旅していた有名な予言者だった。後に分かる事だが、それは未来を視る“すきる”とやらを活用した物だったらしく、母が特別な力を有していた訳でも本当に未来を視る事が出来たという訳でもない。後々聞けば、それは働かずとも金が手に入るからやっていただけで、もっと他の楽に稼げる手段があればそっちに逃げていた……らしい」
そう語るジンジャーはどこか恥ずかしそうに、それでいて呆れつつ……そしてそれ以上の尊敬の念を込めて天を見上げた。
その話は何度も聞いているからなのか、ソフィーは興味なさそうにふーんと言った感じで聞いているが、セシリアはそうはいかない。
スキルという言葉にはもちろん聞き覚えがあるし、ラグナロクで未来を視る事が出来るという類のスキルは1つしか存在していない。
召喚獣なんかで未来を視る事が出来るという設定を持っている者達はヒナの口ぶりから察するに何体かいるのだろうが、プレイヤー自身がこの世界で未来を視る為にはそのスキルを使うしかない。
そして、それはゲーム内と同様、この世界でも戦闘時には欠かせない物となりつつある。
「これから話す事は、全てソフィーが生まれる前に母上から聞いた話だ」
そう言うと、ジンジャーは自分の事を“異端者”だと言って苦笑していた母の事を、ソフィーにさえ初めて話す事を語り始めた。
………………
…………
……
「ほら~! ジンジャー、リリー、ファウちゃん、見てみて! 綺麗でしょー!?」
蒸し暑い夏の日、鈴虫が真夜中に光り輝く天空を睨みつけながら鬱陶しいと主張するように泣き喚く庭先で、女は年甲斐もなくはしゃぎ、自分の愛おしい子供3人に対して満面の笑みを向けた。
女が家族5人で住んでいた屋敷は、女がこの世界にやって来た数年間でインチキ予言者として稼いできた金で建てた、魔法大国ステラの一等地にある豪邸だった。
王族が住んでいるエリアを除けばもっとも道の整備や住んでいる者の風格や教養がしっかりなされている場所であり、そこに暮らせる者達は王族の許可を得られている、いわば貴族のような者達だった。
そんな場所に女が住んでいられるのは、度々王族に呼び出されて“必ず当たる”予言を授けているからなのだが、彼女達の娘や息子達はそんな事などまだ知らない。
ただ、自分達の母がなにかとんでもない力を持っていて、その力を国の為に使って認められている凄い人……程度の認識だった。
だが、そんな凄い人にも数えきれないほどの欠点があった。
まず、料理や洗濯片付け等、家事の一切が全くと言って良いほどできない事だ。
基本家にいる時は子供達の誰かと戯れているし、お腹が空いたと言えば原理不明の魔法を使って牛のような物を召喚し、数秒後に丸焼きにしてその肉を細切れにし、そのまま「食べな!」と出してくるような人なのだ。
次に近所迷惑などを考えない言動の数々。
真夜中に「夏はやっぱり花火でしょ!」とか言って花火をぶっ放す事はもちろん、冬には「雪だるまが作りたい!」などと、家族にもその他の者達にも意味の分からない事を言いながら辺り一面を雪景色に変えた事もあった。
人生で初めて経験した雪遊びが楽しかった事は家族の全員が認めるまでも、翌日には王族や貴族の者達に激しく叱られたものだ。
何度怒られても、特別暑い日には戸棚の奥から綺麗な着物を持ち出し、それを家族全員に半ば無理やり着せて夜空に花火を打ち上げる様は、もうそのエリアに住む住人達も呆れるかえる程だ。
そのエリアに住む人々の中で唯一したり顔で夜空に咲く大輪の花を眺めている女は、自分の子供達が若干引き気味に窓際に置かれたソファで苦笑しているのを見つけると、不満そうに頬を膨らませ、当てつけとばかりにもう何発か空に花火を打ち上げる。
花火の魔法なんてラグナロクには一種類しか無かったのでバリエーションが少ないのが非常に残念だが、高級なワインを飲みながら、意味も分からず「たまや~!」と叫ぶその一時は、女にとってとても大切な日常の一コマになっていた。
「なによみんな~! お母さまになにか言いたそうねぇ?」
「……母上、またアルゼットおじい様に怒られますよ? 王族の方々も乗り出してくるかもしれません」
「ファウちゃんは真面目ねぇ~。だいじょぶだいじょぶ! お母さん、こう見えても凄い人なんだからぁ~!」
紫の液体が入ったワイングラスを右手に持ちながら頬をわずかに紅潮させる母を呆れた目で見つつ、長男でもあるファウストははぁと頭を抱え、同じく呆れている2人の姉を横目で見る。
しかし、彼女達は母の奇行に口を出すのはとうに諦めており、またやってるなぁくらいの気持ちで哀れみの視線を送っていた。
「全く……。母上が怒られている所を見るのは嫌なのに……」
彼女の夫であるベテルギウスに似てかなり中性的な見た目をしているファウストは、周囲に逆らうように己の母を深く尊敬し、将来は彼女のようになりたいと本気で願っていた。
元々はブロンズだった髪を母と同じく銀髪にしたのも、魔法の才能が一切ないと自分で自覚していながら魔法を学んでみたり。
全て、将来は母のようになりたいと願う一心からだった。
まだ10歳になったばかりの彼にとっては初めての妹が今現在母のお腹にいるという事もあり、本当ならば妊婦には体に悪いとされる酒も控えてほしいと思っている所だ。
しかし、彼の心配をよそに『魔法があるんだしなんとかなるでしょ!』という意味の分からない事を言って忠告を全く聞こうとしない母にはほとほと困っている所だった。
「べー君には前にも話したけどさぁ? 私って異端者なのさー! この世界じゃないとこから来た~、みたいな? だから、前の世界に比べるとこの世界って天国なのよー! ムカつく上司も居なければ、論文とか研究に追われることもない人生って最高じゃない!? もうほんと、次があったら研究者なんてなるか!って思ってたんだ~! やっぱ世の中、働いたら負けよー!」
「……母上、あまりそんなことを大声で言う物ではありませんよ。頭がおかしくなったと思われかねません」
「母上は元からちょっとどうかしてる。ファウスト、お前のマザコンが過ぎるだけだ」
「そーだそーだ! 母上は前からちょっとおかしいんだ~! そんな話信じてる人なんて、母上にぞっこんの父上とファウストくらいだぞー!」
彼女達の母――アリスが他の者達と比べて圧倒的な力を有している事は彼女の娘、息子達も認めている事実ではある。
しかし、父の剣術の才能を色濃く受け継いでいるファウスト以外は体内に有する魔力も人並み以上に多く、魔法の使い方もなぜか本能レベルで誰に習う訳でもなく分かるという天才っぷりを発揮していた。
つまり彼女達は、この時点では母の“異端者”なる妄言を信じておらず、酒に酔った女の妄言レベルにしか捉えていなかった。
しかし、そんな彼女達を納得させる事件が起きた。
それは、ソフィーが生まれる数日前……ファウストが高熱を出して寝込んでしまい、その薬を貰いにアリスが医者を呼びに行った時の事だった。
「ここが予言者アリスの家ってか~? 意外と普通だな?」
「そんなもんだろ。アムニスさんも、ここがプレイヤーのアジトかどうか確かめて来いって言ってただけで、確実にそうだとは決めてなかったじゃないですか」
「んぁ、そうだっけかぁ? 作戦会議中は寝ててあんまり内容覚えてねぇんだよなぁ」
家に子供達3人しかいなくなったその時を狙って……。いや、正確にはアリスが居なくなったタイミングを見計らって屋敷へと侵入してきた2人の男達と、数分前に出て行った母の帰りを今か今かと待っていたジンジャーとアマリリスの2人が、運悪く玄関で鉢合ってしまったのだ。
その瞬間、玄関ホールにぶら下がっていた大きなシャンデリアの明かりがフッと掻き消え、男達が右手に持っていた大きな鉈と見た事の無い大きさのハンマーが鈍くキラリと光ったような、そんな気がした。
一瞬時間が止まったような錯覚を覚えるほどの静寂がその場を包んだ。
玄関扉をガチャリと開けてのんきに話していた2人の侵入者よりも先に、日頃の訓練の成果か、2人の少女はいち早く状況を察知して戦闘態勢に入った。
「何者だ!」
「侵入者だよ、姉さん!」
ジンジャーは右手にこぶし大の炎を創り出し、アマリリスは両手に紫色に発行する鬼火を出現させる。
ラグナロクの魔法で言えば、ジンジャーのそれは『炎の球』というレベル30前後のモンスターと戦う時に重宝するような物であり、アマリリスのそれは『鬼火』というレベル20前半のモンスター相手に有効となり得る低レベルの魔法だ。
「おいおい~、今この家って誰も居ねぇんじゃねぇのかよ」
「情報に間違いがあったって事ですよ。まだ地盤やら何やら、多くのものが築けていないし、情報収集の段階なんですから失敗があるのは仕方がないでしょう。ま、顔を見られたからには――」
「殺すしかねぇわなぁ!?」
にやりと嫌らしい笑みを浮かべた2人を見て、ジンジャーとアマリリスは躊躇うことなく魔法を放った。
それは、幼い少女が放つにはあまりに高威力の魔法で、危険性などを一切考えずに2人のレベルに合わせて魔法の教育を施していたアリスのせいでもあった。
だが、2人の少女にとって不幸だったのは、相手がアリスと同じラグナロクのプレイヤーであり、2人ともランキングに乗るようなプレイヤーでは無かったものの、上位の中でも下位に位置しているプレイヤーだった事だ。
つまるところ、2人のレベルは最高の100レベルに達しており、身に纏っている装備も当然ながらラグナロク産の物であってこの世界の物と比べると天と地……程度の言葉では表せないほどの絶対的な差があった。
魔法を放った瞬間、瞬く間に戦闘服にしか見えない服に魔法が吸収される様を見て、2人は動揺に目を揺らした。
今の様はまるで、アリスを相手に戦闘訓練をした時のようで、彼女は自分達がいくら頑張っても“このスキル解除できないんだよー!”と笑いながら魔法を無効化してきたものだ。
彼女達の父親であるベテルギウスは、そんな3人を見て「君らの魔法技術はおかしいよ」と呆れていたのだが、それも今は関係のない話だ。
魔法が通じない場合の対処だってキチンと教わっているし、それを実行に移すだけの体力や時間だってまだ十分に残っている。
ただ、彼女達にはそれ――潔く逃げて助けを呼ぶ――が出来ない理由が、通路を進んだ先の小部屋にあった。
『ファウストを見殺しになんて出来る訳ない!』
彼女達が今ここで屋敷を捨ててどこかにいるはずのアリスに助けを求めに行く。それ自体は魔力がまだまだ有り余っていて、侵入者と接敵したばかりという状況を考えれば難しくない。
しかしながら、それをすると高熱で寝込んでいる弟を見殺しにする可能性が非常に高く、そうなった場合、自分で自分を許せなくなるだろうことは間違いなかった。
「姉さん!」
「リリー!」
余裕そうな笑みを浮かべながら手に持った武器を構えて突進してきている男を睨みつけ、2人はほぼ同時に叫んだ。
『合技! 星雲の煌めき』
今の段階では、魔力総量が足りずに1人では放つことのできない魔法。そして、今の2人に出来る最大限であり、最大威力の魔法を迷わず発動した。
2人同時に魔法を発動し、その上で一秒の狂いもなく魔力を練り上げる行為は通常不可能であり、言うまでもなくラグナロクにそんなシステムは存在していない。
しかしながら、ゲームでもなんでもないこの世界にそんな常識は通用しないし、今のようにやろうと思えばできない事はない。
もちろん彼女達も普段から練習してはいるが、その成功率は未だに40%程度であり、一発で成功したのはこの時が初めてだった。
昼間にも関わらず、空から無数の星が魔法の対象に指定された2人の侵入者に降り注ぐ。
それらは家の天井やら床やらを凄まじい音を立てながら破壊していき、数えきれないほどの隕石を注ぎながら玄関ホールを破壊し尽くす。
それだけに留まらず、副次効果として建物全体をオーロラのような虹色の光が包み、その光の中にいる術者が仲間だと認識する者に物理ダメージを一定時間半分以下にしてくれる効果を付与する。
アリスがこの魔法を教えた時、副次的効果は神様の守りだよと適当に教えていたのだが、当然彼女達は信じていなかった。
普段はこの地形破壊系の魔法は周囲への被害が大きすぎるために適当な平原や森に移動して行っていたのだが、今回ばかりは緊急時だという事で仕方がなかった。そう自分に言い聞かせ――
「なぁんでおめぇらがラグナロクの魔法使えるのかはしんねぇけどさぁ?」
「レベルが足りてなさすぎる。僕らに挑むには、まだまだ早かったという事ですね」
完全に勝った。そう油断していたからこそ、相手の攻撃に対応するのが遅れた。
ジンジャーはハンマーを持っていた男に背後から後頭部を思い切り殴られ、アマリリスは鉈を持っていた男に首を切り裂かれた。
2人の少女からおよそ人から出てはいけない量の血液が床に流れ落ち、侵入者の2人の男はふぅと軽いため息を吐いた。
「いやぁ、ビビったびびった。なんでこんなガキンチョ共が適正レベル60後半の魔法使えんだよ。おかしいだろこの世界」
「アムニスさんの話だと、この世界の住人は基本レベルがそんなに高くないという話でしたが……怪しくなってきましたね。基本レベルが低ければダメージは負いませんけど、例外はあるという事でしょうか?」
「しんねぇ~。おらぁ、そういうこと考えるのはかったるくて嫌いなんだよ」
「……そうでしたね、失礼しました」
ガリガリと頭を掻きながら、人の命を奪った事に関してなんとも思っていないような声を上げつつ、2人の男達は屋敷の中へと足を進め――
「ちょっとちょっと! 私の可愛い娘達になにしてくれちゃってんの!? まじ、私こういうのは許せないんだよねー! かっちーんってきちゃったわー!」
右手に白い小さな薬袋を持ちつつ、玄関扉の奥からそう言って来た女にはぁと呆れ、男達は振り返った。
彼らの上司から命じられたのはアリスの身辺調査で、アリス本人の殺害では無かったのだが……こうなった以上、殺すしかなくなってしまった。
「……って、おいおいマジか」
「これは……僕らの手には負えないかもですね……」
しかし、余裕綽綽だった2人の男達は、アリスのその特徴的な流れるような銀髪と紫色に輝く瞳。そして、特徴的すぎる長ったらしい白いソックスと厚底ブーツ。ハムスターのような小さな耳が付いたパーカーを子供っぽく被っている幼い少女を見て分かりやすく顔を歪めた。
その姿を、曲がりなりにも上位プレイヤーの仲間入りを果たしている彼らが知らないはずがなかった。
「なんでてめぇがここにいる……。第一位ギルドのギルドマスター……アリス」
「個人ランキング6位のあなたと戦うのは、少々……どころかだいぶ無茶ってものですよね……」
若干引きつった笑みを浮かべつつそう言った2人の男達に、おや?っと小さく呟きつつ、アリスはニコッと笑った。
「知ってるって事は“あんたら”も異端者なのか~! こりゃ良い! やっぱ現地人殺すのって抵抗感あってやだったんだよ~。プレイヤーなら……遠慮なく、殺せるね」
ニコッと笑ったアリスの顔が異常なまでに、そして子供達を怒る時の何百倍という濃度で恐ろしかった事は、彼らは知らない。