130話 想いを継ぐ者
ソフィーが話を終えた時、室内の空気は非常に重たいものとなっていた。
自身の罪と人生の全てを告白した彼女は元より、自身の罪を暴かれた気分にもなっているジンジャーもあまり良い顔はしてない。
しかしながら、これは蘇生魔法に関する事を教えてもらうためとして当然の情報提供……と言ったらおかしいかもしれないが、事情の説明だった。
なぜ自分がこんなに死者蘇生に関する研究に没頭し、どうしても死者を蘇らせなければならないのか。
それを説明しなければ真の意味でセシリアの協力は得られないのではないか。そう思ったのだ。
「……」
それまでの話をただ黙って聞いていたセシリアは、数日前……いや、ついさっき自分の身に降りかかった事とソフィーの過去を重ねていた。
自分の罪のせいで大切な人が犠牲になり、生き返らせたいと願って何百年もその事だけに執着する。それは、一歩間違えば……いや、プレイヤーは蘇生させることができないという大前提を知らずに、蘇生魔法が使えない状態であったなら……。
きっと、セシリアもヒナも、彼女と同じ道を歩んでいただろう。
その際には彼女達のように魔法とはなんたるかが分かっていないだろうから何百年なんて単位じゃ足りないかもしれない。
しかし、なんとしてでもやり遂げなければならない事としてそれを定めていただろうし、蘇生魔法が完成しても蘇生できないと知った時の絶望感はきっと死にたくなる類のものに違いない。
故に、セシリアは迷った。
蘇生魔法を使う事それ自体は出来るし、特定の条件下にない限りは問題なく蘇生させることが出来るというのは先程実演して見せた通りだ。
彼女達が作っているというあの“偽物”とは違い、生前のその人そのまま、魂ごとこの世界に呼び戻す事だって可能だ。
だが――
「残念だけど、私の魔法じゃアマリリスって人は生き返らせられない。私の魔法は死んでからの時間制限ありでの蘇生を可能にするものであって、何時間……まして何百年も経過してるなら効果が及ばない」
彼女が使えるラグナロク内でも最大の効果を及ぼす輪廻転生という蘇生魔法は、死亡してから1時間以内なら遺体が無くともその場に完璧に蘇生させることが出来る。
この場合の遺体が無くとも……とは、通常PKなどによってプレイヤーが殺された場合、デスペナルティとして数時間その場に遺体が残り、アイテムや装備が一定数ドロップしてしまう。
だが、たまにモンスターなんかが放つ攻撃には『対象を消滅させる』という類の物がある。
それらは大抵の場合神の名を冠するモンスターや高難易度ダンジョンのボスモンスターが使ってくるものだが、その場合にはその遺体が残るというペナルティすら消滅する。
この場合厄介なのは、遺体が無ければ蘇生させることができない魔法やスキルがその対象外になるという事だ。
分かりやすい例で言うならば、ケルヌンノスが使う『魂の導き手』というスキルは術者の傍に蘇らせる対象の遺体が無ければ発動しない。
そのスキルもかなり貴重な物なので、遺体と言っても腕や足などの一部分があれば問題ないのだが、輪廻転生は遺体が完全に消失していようとも、それが故人であれば蘇生させることが出来る。それも、アイテム等のドロップなんかのデスペナルティが完全になくなるというオマケ付きでだ。
その分入手するには非常に高難易度のクエストをクリアする必要があり、イベントでもなんでもないのに神の名を冠するモンスターを倒さなければならない数少ない常設クエストだったりするのだが、今は本筋からズレるので割愛する。
ともかく、そんな強力無比な魔法にも弱点はある。
それは、蘇生対象が死亡してから1時間以上経っていると効果の対象外になるという物だ。
元々はそんな時間制限などなかったのだが、PKに襲われたプレイヤーがその魔法を扱えるフレンドを数時間後にインさせてデスペナルティ等を無効にするという対策が流行ってしまい、無数のクレームが入った事で修正されたという訳だ。
まぁそれでも1時間以内にログインさせればその対策は可能だった訳だが、数時間経った頃に全てを無かった事にされるよりは随分マシだろう。
「例えば、さっきあの人達を蘇生出来たのは死んで間もなかったから。私はける……ある人みたいに魂だとか死人に関して詳しい訳じゃないし、種族的な特性でそういう魔法が得意って訳でもない。だから魂云々の話は分からないし、あなた達みたいに魔法がどうのなんて話も出来ない。ただ、私は出来るからそれを使っているし、魔力の扱いに関してもなぁなぁで問題が生じてこなかったから今まで問題視してこなかった。それだけ」
「そんな……」
その言葉を聞いてまずショックを受けたのは当然ながらソフィーだ。
ようやく長年続いた研究にも終わりが見えたと思えば、突き付けられた現実は無情で非情な物だった。
だが反対に、ジンジャーは大体そんなところだろうと結論を出していたのか、納得したように「そうか……」とだけ小さく呟いた。
彼女自身、死者蘇生の研究はソフィーに完全に任せていたが、ここ最近彼女が創り出した故人を模倣するモンスター辺りから、これは無理だなと薄々気付いていた。
どうやったらその人自身が思い描く故人を投影させて現実に影響を及ぼしているのかという疑問はある物の、結局それは蘇生というよりもどちらかと言えば幻覚の類だ。
それは違うだろと言いそうになることはあっても、結局自分は専門外だしそれがアマリリスの蘇生に関する事であれば口を出せないのも確かだった。
「それよりも、私はどうしたらあんな化け物が出来るのかの方が知りたい。なんであんな感じの結論に至ったのか。そっちの方に興味がある」
「……」
そう言ったセシリアに、ソフィーは何か考え事をするようにしばらくうーんと唸った後、蘇生は出来ないと言われた時のショックをなんとか立ち直らせたのか、若干笑みを見せながら自分の研究成果を語っていく。
「そもそも魂の構造は未だに分からないところが多いんだけど、その人の姿形、性格や趣味嗜好まで、故人の全ては生き返らせたいと思っているその人自身の記憶の中にあるでしょ? 私が作ったのはそれを投影するための媒体で、記憶をスキャンしてその人物を投影する為の媒体に選んだのがスライムだった」
「スライム……? 私が知ってるのとはずいぶん違う」
セシリアの知っているスライムとは、青いぶよぶよした気持ちの悪い液体状のサッカーボール程の大きさのモンスターだ。
たまにダンジョンや迷宮のボスモンスターとして出現するキングスライムは、あたまにダッサイ王冠をちょこんと乗せているバレーボールほどの大きさの物体だ。
スライムはどんなに頑張ってもあんなにスリムな体系にはならないし、まして人型に化けるスライムなんてものはラグナロクには存在しない。
首を傾げながら自分が知っているスライムの形をソフィーに伝えると、彼女はその認識で合っていると自信満々に頷く。
余計に訳が分からないと首を傾げた少女に、ソフィーはジンジャーが紅茶を取り出した時のような空間の歪みを発生させ、その中から一冊の分厚い本を取り出した。
「私の研究ノート。字も独特だから読めないだろうけど……ほら、ここ」
その冊子の中ほどを開いてソフィーが指し示したそこには、彼女が一番よく知っている文字でこう書かれていた。
『スライムの変身能力とその擬態の汎用性の高さについて』
「……日本語」
「え? 何か言った?」
「ん。なんでもない」
なぜ彼女が日本語を使えるのかは分からなかったが、今そこを追及しても話の腰を折りそうだったのでセシリアは黙ってその話を聞く。
そして、ソフィーは語った。
あのモンスターはあくまでスライムを元にして作っているだけで、大部分は人工的に作った擬態型のロボットである……と。
つまり、正確にはモンスターという分類には当てはまらず、ただ単に見る者が一番心に想っている故人に姿を変え、話しかけ、その精神に異常をきたすというロボットだ……と。
精神に異常をきたす事は完全にソフィーの想定外の事態であり、それ以外は完璧に再現する事が出来ていると強調する。
そのうえで、どうやって他者の記憶をスキャンしているのかと問われた際には『オリジナル魔法を開発した』と、ジンジャーも耳を疑うような発言をした。
「そんなとんでもない魔法……発表すれば魔法の常識が変わるぞ!?」
「そう。それに、拷問や尋問なんかも多分やりやすくなる。でもダメ。これは、世間に広まると日常生活がかなり不便になる。嘘が吐けないっていうのは、意外と窮屈」
「……まぁ、それはそうだろうが」
嘘というのは忌み嫌われるが、実際には人は大なり小なり日常生活の中で嘘を吐いて生活している。
人を傷つける類の嘘が世の中に蔓延しているので『嘘』は嫌われているのだが、人を傷付けない為に吐く嘘というのも確かに存在する。
本音と建前という言葉もあるように、人の記憶を覗き込むという魔法が世に出回れば、絶対に日常生活が窮屈になるだろうことは間違いない。
その為、彼女はあえて国の上層部にその研究資料を上げておらず、死者蘇生に関する研究に関してもそのほとんどをジンジャーにさえ秘匿していたのだ。
ジンジャーであれば必ず興味を持って自分なりに術式をアレンジするだろうし、その結果今よりもっと精度の高い記憶のスキャンが可能になるかもしれない。
しかし、現時点では記憶のスキャンを蘇らせたい・投影したい媒体に映し出す事にしか利用していないし、今の魔法形態で不具合等が起こっていないので、下手にいじられても困るというのが彼女の本音だった。
「私の研究は結局のところ、魂とは、蘇生とはなんたるかを解明できなかった。だから、その人本人の記憶の中から故人を投影してある媒体に移植する事しか思いつかなかった。蘇生魔法を開発しようにも魔力の練り方が分からないし、どうやって術式を組み上げれば魂の再構築が出来るのかも分からない」
「……あなたは、私の直感で私が知ってる死霊魔法の使い手の人と同レベルの実力がある。そんな人が魂に関して何も分かってないの?」
それは嫌味ではなく、セシリアの単純な疑問だった。
ケルヌンノスは種族がゴーストの上位種という事もあって死者の事に関しては誰よりも詳しいはずだ。
だが、彼女と比較しても死霊使い……この場合ネクロマンサーと呼んだ方が良いだろうか。
その実力的にケルヌンノスと相違ないだろう彼女が魂に関して何も分かっていないというのは、セシリアとしては考えにくかった。
「あなたの知り合いっていう死霊魔法の使い手がどの程度の人かは知らないけど、多分私以上の事は知らないと思うよ。魂っていうのは形も無ければ目にも見えない。それを構築しているのはその人個人の心って言った方がむしろ分かりやすい。死んでしまえばその人の魂は粉々に砕けてこの世界のどことも知れない場所に還ってしまう。でも、蘇生魔法を使えばその砕けた魂を再構築出来るんじゃないのか。出来るんだとすれば、どうすれば出来るのか。私がここ300年以上研究していて答えに辿り着けないんだもん」
「……」
ケルヌンノスとその手の事を話したことが無かったのでどうなのかは分からないまでも、ゲームの知識とAIとしての膨大な知識を持っているだけでは理解出来るものではないのだろうという事は分かる。
なにせ、膨大にインプットされているそれらのデータの中に魂だの死者だののデータは入っていないし、ヒナもその手の物に関しては興味が無かった。
ゲームの世界でもない限り、死者が蘇るなんてことはおとぎ話だ。
もちろんヒナもそれは分かっていたし、むしろ分かっていたからこそあんなに絶望し、バーチャルの世界に逃げたのだ。
もしも現実の世界に死者を蘇らせる方法なんてものが存在していたなら不幸で孤独な少女は生まれなかっただろうし、ラグナロクに魔王と呼ばれる存在も誕生していなかっただろう。
「……もう1つだけ聞きたい」
「……ん? なに?」
「なんであなたは、そんなに前向きでいられるの?」
セシリアには、彼女が蘇生魔法でアマリリスを生き返らせることができないと知った後の彼女の言葉や態度に絶望という色が見いだせず、そう聞いた。
自分は死にたいとすら思いつめ、ヒナでさえそう思っているだろうことは想像に難くない。
本来ならば、死者蘇生に関する研究をするより前に自死を選んでいても仕方がない状況のはずだ。
仮に大切な人の死を目の当たりにして自死という選択を選べない立場にあるとしても、300年もの長い間研究しているという死者蘇生が滞り、唯一その手の魔法が使えるという者が目の前に現れたとなれば、その希望に縋り付きたくなるのは当然だ。
しかし、その希望もあっさりと打ち砕かれれば打ちのめされたとしても何もおかしくないし、むしろそうなっていなければおかしいとすら言える。
なのに、研究ノートの背表紙を大事そうに撫でているソフィーからはそんな雰囲気をまるで感じないし、ジンジャーに関してはどうでも良さそうに腕を組んでふわぁとあくびをしている始末だ。
自分達は大切な人の死を目の当たりにし、それも自分のせいだと激しく己を責めているというのに、なぜそこまで冷静でいられるのか。
当人の性格の問題と言ってしまえばそれまでかもしれないが、彼女にはそれだけには思えなかった。
その秘密を、ぜひ知りたいと思った。
だが、ソフィーから紡がれた言葉は少女が期待していたような魔法のような物ではなく――
「姉さまが待ってると言ったんだ。期待せず……とは言っていたけれど、それでも待っていると言われたのなら、私達生者に出来る事は、その言葉を守る事だ。遂行する事だ。姉さまを失ったのは私の愚かな罪によってなのだから、死者の最後の言葉くらい、叶えようと努力するべきじゃないか? 私は、そう思う」
その言葉は、メリーナの最後の言葉を無視してヒナの隣から逃げて来た彼女の心に突き刺さる物だった。
今自分がやっている愚かしい行為と、それをするに至った心境を改めて自覚し、どうする事も出来ない現状に悔し涙がとめどなく溢れてくる。
「メリーナ……」
セシリアは、いつしか両手で顔を覆い、ただその名を口にしていた。
何度もなんども、うわ言のようにその名を呟き、泣き疲れて涙が枯れるまでそうしていた。
その間2人は黙って少女を見ていたが、その瞳の奥には事件から数日間泣き続けた自分達の姿が重なっている事だろう。
罪を告白するのは、次は誰の番か。それは、言わずともすぐに明らかになる。