129話 大切な人を守る為
研究所内に耳を塞ぎたくなるほどの大音量で響き渡った警報音に、アマリリスとジンジャーは同時に顔を上げた。
2人は研究所の一部分を改築して造られた、そこで研究する者達専用の食堂で昼食をとっていたのだが、その警報音を聞けばジッとしてなんていられない。
それこそ、目の前のハンバーグ定食なるものをお盆ごとひっくり返し、何事だとお互い顔を見合わせる。
「姉さん、これは!?」
「恐らく、私の部屋からだ。魔導書が危険な状態にあるという事だ。それも……これは、ソフィーが言っていた理論の物だ」
「っ!」
そう聞いた瞬間、アマリリスは思い当たる節でもあったのか、ジンジャーの静止を聞かずに研究室へと走った。
食堂からジンジャーの研究室までは直線距離にして数百メートルで、歩けば5分とかからない。
だが、その短いはずの道のりが、今はとんでもなく長く感じる。
「っ! じれったい!」
その事に苛立ちを感じつつ、この世界で一番大好きで大切な妹を救うため、アマリリスは無詠唱で魔法を使用する。
幼い頃から何度も使ってきているので魔力の練り方は十分すぎるほど分かっている。足元に漂う魔力を微弱でありながらも強力な風力を生み出す旋風へと形を変え、そのまま文字通り風に乗って床を疾走する。
それから数十秒という時をかけてジンジャーの研究室へと足を踏み入れた彼女が見た光景は、良い意味でも悪い意味でも予想通りだった。
魔導書に自分の体内にある魔力をこれでもかと注いでいる最愛の妹は、見られたくないところを見られたかのような……まるで、殺人現場を目撃された犯人のような気まずそうな顔をして、プイっと視線を逸らす。
「っ! ソフィー!?」
「……ねぇ、さま」
だが、彼女は魔力を注ぐことを止めなかった。
姉の、この国の根本を揺るがしかねないだろう世紀の大発見……いや、もしかすれば国の常識、世界の常識すら書き換えないほどの力の結晶を壊す為、彼女はもう止まらなかった。
未来を視る事が出来るというその魔導書の原理はなんとなくだが理解出来る。
それはアマリリスが天才だからであり、そこにソフィーが提唱していた例の矛盾に満ちた理論を当て嵌めると、この先どうなるのかは容易に想像が出来る。
ジンジャーの元の術式では、未来を視る事それ自体は燃費が異常に悪いだけで普通の人間でも不可能な芸当ではない。
この魔導書はその燃費の悪さを空気中に広がっている魔力を消費する事で補っている物の、それ故に一定の場所から動かす事が出来ないという致命的な欠陥を抱えている、いわば未完成の物だ。
周辺の魔力を吸収してストックしておく。それ自体は素晴らしい発想だし、それが出来るのであれば数々の魔道具や魔法の可能性を今以上に広げられるだろう。
だが、それに伴ってソフィーの提唱している仮説が襲い掛かってくる。
すなわち、魔力を限界を超えて注ぎ続けると消滅・爆発する可能性があるという物だ。
実際暴走病の患者は四肢が爆散するようにして最後は亡くなるし、かなり珍しいケースではある物の、存在そのものが消滅して無残な遺体すら残らなかった物もあるという。
もし仮にその消滅現象が“過度な魔力供給による爆発のその先”にある物だったとすれば……。
そう考えるだけで、アマリリスは全身から血の気が引いた。
「いけない! ソフィー、それ以上は――」
右手を伸ばして彼女を自分の元に引き寄せようとするが、その時にはもう遅かった。
魔導書は、アマリリスが思っていた通り魔力の異常供給で暴走を始め、白くどこか神々しい光を発生させ始めていた。
まるで点滅するように光るそれは、終末へのカウントダウンのようで背筋が震えそうになる。
「――! アマリリス……ねぇ、さま……」
「ソフィー!」
その瞬間、ずっと魔導書を見ていたソフィーの瞳が悲しみと後悔に揺れた。そんな気がした。
遅れることコンマ数秒、アマリリスが万が一の為にと遥か昔に開発しておいた魔法が発動し、愛しい者の体を優しく包み込む。
(良かった、間に合った……。これで、あなたは――)
その瞬間、辺りが刹那の静寂と神々しいまでの光に包まれた。
まるで全身を焼かれるような苦痛と凄まじいまでの魔力の奔流がアマリリスを始めとした周辺一帯を嵐のように吹き荒らし、瞬く間にその命を、役目を終わらせていく。
その光に体の一部分でも呑まれた者にはその代償が降りかかり、呑まれた部分が爆散、消滅するなどの被害に見舞われる。
あくまで一瞬。されど、そこにいた者の“ほとんどの”人間の命を刈り取るには十分すぎる時間だった。
魔導書があまりに魔力を供給されすぎるとこうなるという良い前例になったとともに、未曽有の魔力災害がジンジャーの研究所を襲ったのだ。
「なっ!? なんだなんだ! どうしたんだよ!」
「おい、こっちこい! なんか人が倒れてんだよ!」
「どうしたってんだ!? ジンジャー様が実験の失敗でもされたのか!?」
周辺を歩いていて運よくその災害に巻き込まれなかった人々が次々に驚愕に目を見開き、動揺を口にする。
一瞬にして周囲一帯が更地と化し、そこにいた人々が消え、腕や足を奪われた人々がそこら中でむせび泣いている。ここはまさに、地獄と表現しても良い場所と化していた。
「……え?」
ただ1人、その災害の渦中にいて原因その物を作った少女だけは……姉の愛によって守られていた。
何が起こったのか分からず、自分の胸の中で息も絶え絶えになりながらふふっと必死で微笑んでいる姉の顔を見ると、不思議と前が見えなくなる。
「ぼくは……すごい、だろう……? そふぃーのまほうをふせぐ、ことくらい……なんでもない、さ……。じゅつしきが、むずかしすぎて……さいきんまで、つかえなかったんだけど、ね……」
普段は美しく綺麗なその顔は、今や体中から溢れた血や魔力の奔流を浴びて、原型を留めていないほどにボロボロになっていた。
その声だってかすれていて、注意していなければ誰だか分からないほど、普段の彼女とはかけ離れたものだった。
一滴、また一滴とその頬に雫が滴り、ソフィーは初めて自分が泣いている事に気が付いた。
どれだけ恨んでいようが、妬んでいようが、結局は尊敬する研究者の1人であり、憧れる存在だった事には変わりない。
少女は、この時初めて自分が愚かだったことに気が付いた。2人の優秀な姉と比べるなんて愚かしい、人は人、自分は自分というある意味気楽に過ごしていれば、こんなことにはならなかったのだと……。
「ジンジャー姉さまぁぁぁ! ねぇさまぁぁぁ!」
少女は叫んだ。この世界で唯一この状況をどうにか出来るだろう姉の名前を、人生で一番と思えるほど大きな声で、それでいて縋り付くように必死に叫んだ。
喉が潰れ、声がかすれても叫び続け……ようやく、その人物が目の前に現れた。
「リリー……?」
震える声でそう呼ばれ、天に向かって叫び続けていたソフィーを愛おしそうに見つめていたアマリリスは、少しだけ視線をあげてそこに立つ全身をわなわなと震わせるジンジャーに微笑みかける。
そこには「妹は守れたぞ、凄いだろ」という気持ちが滲み出ており、普段であればシスコンめと軽い言葉の1つでもかけるものだ。
しかし、生憎と今のジンジャーにそんな精神的な余裕はなかった。なにせ――
「ふざけるなよ……。私達は未だに、傷を治す高度な魔法は使えない……。興味を、持ってなかったから調べてすら、いないんだぞ……」
そう。ジンジャーは天才だが、医療関係についてはまるで興味が無かったので傷を治す等の魔法を覚えていなかったのだ。
その原理すら分からないし、魔力をどう扱えば他者の傷を治す事が出来るのかでさえ、全く見当が付いていなかった。
そんな状態で治癒魔法なんて使えるはずがないし、死者蘇生の魔法に関しては神話の領域であり、そんな魔法なんて存在する訳が無いと一笑に付していた程だ。
無論、母がその手の魔法を使えると言っていたのは覚えているが、結局嘘だと決めつけてまともに話を聞こうともしていなかった。
「ははは……。ぼくらも、やきがまわった……って、ことだよ。しぬかんかくというのは、ぞんがいここちいい、ものだね……」
「お前は、死なないんじゃなかったのか……? 死なないと、言っただろ……。許さないぞ……。まだ、共同研究だって途中、なのに……」
「てきびしいね……。ぼくらのそふぃーをすくったってだけで、ゆるして……ほしいも、の……だね」
ケホっと口の端から鮮血を吐き出しつつ、再び彼女は笑みを作った。
左腕と右足、それから腹部の一部が消し飛んでいる己の体を抱きながらボロボロ泣いている少女の頭を優しく撫で、彼女は言った。
「これからは……ふたりで、なかよくくらすんだ……。ここでしにいく、ぼくのことなどきにするな……。けんかなんてするなら、ぼくが、ゆるさない、ぞ?」
「……姉さま、いやだ……。ごめんなさい、わたし……わたし……!」
「そう、じぶんをせめるな……そふぃー。かわいいかおがだいなし、だぞ……? ぼくは、やりたくてやったんだ……。そふぃーがきにやむひつようなんて、どこにもないんだ……」
ふふっと笑うアマリリスは、複雑そうな顔をして何もできない自分を心底責めているのだろうジンジャーに、最後の力を振り絞って魔法を飛ばした。
それは彼女達の母が、蒸し暑い日に「夏はやっぱり花火でしょ!」と言いながら、近所迷惑だと騒ぐ”1人”の反対を押し切って夜空に天高く打ち上げていた、あの魔法だった。
火の玉がヒューっと少々間抜けな音を出して空へ舞い上がり、次の瞬間に真昼の空に大輪の花を咲かせた。
パンと大きな音が響き、上空に火花が散ったその瞬間、ジンジャーの瞳にも大粒の涙が浮かんだ。
「わるいね、ねえさん……。ぼくは、もういくよ……。さいごのせんべつとして、うけとってくれ……」
「なにがっ! なにが選別だ! 何が選別だ、ふざけるな! このまま死なせるはずがないだろ! 私を誰だと思ってるんだ! 母上が使えたなら、私達にだって蘇生魔法くらい使えないとおかしい! この世界の法則とは……魔法の原則とは、そういうものだ! そうだろ!」
「ふふっ……。そう、かもね……。まぁ、きたいしないで、まっておく……よ」
その言葉を最後に、アマリリスはその短い生涯に幕を閉じた。
その場には2人の女の泣き叫ぶ声と周りの人間の阿鼻叫喚が蔓延し、事態が落ち着くまで数日の時を要した。
国でも重要な人物の死亡と、1人の少女によってもたらされた災害は国の上層部でも一部の人間しか知らない事実として揉み消され、ただ単に『事故』として処理された。
アマリリスの死は国の根幹に関わる事だし、民達の精神状態も暴走病の事があって非常に不安定な状態になっている。そこで新たにスキャンダルを広める事を、国の上層部は良しとしなかったのだ。
「姉さん……私が死者蘇生の研究をする。医療には、私の方が詳しいから」
「……あぁ、分かった。必要な資料や物があればいつでも言え。協力は惜しまない」
「はい、ありがとうございます」
その旨を国王から直々に通達された帰り道、2人は静かにそんな会話を交わした。
この日から300年以上に渡って死者蘇生の研究を繰り返してきた彼女達の前に現れたのが■■――セシリアだったのだ。