128話 喜びと矛盾、最後に不安
話は、事件が起こる数日前に遡る。
その日、アマリリスは妹のソフィーがここ最近ずっと研究していた成果を論文にまとめたので、それを彼女から受け取って資料に目を通していた。
外では太陽がまぶしいばかりに輝いて鳥達がご機嫌な歌声を奏でている。
だが、そんな声が聞こえてこなくなるほどに、アマリリスはその論文の内容に衝撃を受けていた。
この国で最近頻発している謎の魔法使いの病死。
原因も分からなければ治療法も確立されていないそれらは、魔法大国という名の通り、多くの魔法使いを抱えているステラにとって深刻な問題だった。
超常の力を持っている彼女達姉弟は、1人の”弟”を除いて全員が研究者の道を進んでいるが、その全てがほとんど寿命などあって無いような物なので子供も居なければ結婚などもしていない。
子孫を残すだとか、自分の力を次世代に託そうなどという殊勝な心持ちとは縁遠かったのだ。
しかし、当然ながら普通の人間は違う。
普通の人間は大体60年ほどでこの世を去るし、どんなに長くとも第一線でバリバリ働けるのは、どの職種だったとしても50までだ。
それ以降は世代交代としてどの職種でも若い世代へと先人達の想いが引き継がれていく。
問題は、その次世代を担うはずの魔法使い達がその謎の病で次々と床に伏し、あの世へと旅立っている事だ。
アマリリスもジンジャーもその事態は一応把握はしていたが、自分達には関係の無いことだと早々に割り切って自分達の研究を再開させていた。
しかしながら、妹のソフィーはそうは思っていなかったらしい。
あの子は、2人の姉と違って人を思いやれる優しい子だ。もしかすれば自分達と比べられないように医療の道で研究を続けているのかもしれないと薄々気付いている彼女ではあったが、そんなことはこの際どうでも良かった。
「姉さん! これ見てよ、ソフィーの論文!」
その論文を全て読み終わったアマリリスは、その内容と完成度の高さに踊りだすかのようなステップで姉の研究室を訪ねた。
普段は決して忘れないノックすらも忘れたその浮かれようにジンジャーは少しだけ呆れつつ、もう少しで完成しそうな魔導書の術式を考えるのを一時中断する。
母が残した未来視の術式やその説明、その他様々な知識の資料は厳重に保管しているし、今やこの世界にたった4人となった家族であれば別に誰に見られようとも構わない。
なので、ジンジャーは世に出せば混乱が起こる事は間違いないだろう貴重な資料を机の上にポンと放置し、アマリリスからそれを受け取る。
何百枚という単位で纏められたその論文のタイトルだろう『今現在問題となっている暴走病の治療法と、それに伴う懸念事項等について』という文字を見て目を見開く。
自分でも専門外だし興味もないので放置していた国家存続の危機になり得る問題にソフィーが挑んでいた事はもちろん初耳だったし、それで成果を出したというのにはもっと驚きだった。
ジンジャーは、ソフィーは自分と誰か……主に姉を比べる悪い癖が治らない限りまともな成果は出せない。そう思っていた。
ただでさえ彼女が普段から研究している対象は、その実績が認められるのにある一定以上の信頼や実績、時間等様々な物が必要な医療という人の命に関わる分野だ。
国の上層部がジンジャーやアマリリスを大変重宝しているのは、日常生活や軍事の方面に研究者として多大な貢献をしているからであり、自分達が興味のある分野がたまたま国が良い方向に歩みを進めるのに必要だったという幸運から来たものに過ぎない。
もちろん天才的なその頭脳や、凡人という言葉では説明できないほどの圧倒的な魔法の才能があった事は否めないが、研究結果とそれは大して関係がない。
問題は、ソフィーの中にある劣等感などの負の感情だ。
なにせ、研究者としてはソフィーも十分すぎるほどの成果を残しているし、世間や彼女の比べる対象が自分達でなければ、彼女はもっと自己肯定感が高い普通の女の子だっただろうという事は間違いなかった。
ここ最近の研究結果でもその劣等感という物が如実に表れており、姉と比べるなという怒りが論文の文面からヒシヒシと伝わってくる物ばかりだったのだ。
だが今回はどうだろう。
論文の文面からは、本心から『凄い物を発見した。これでたくさんの人が助かる』という希望に似た類の感情が伝わってくる。
恐らく、この研究を発表すれば一躍彼女は救世主になるだろうし、瞬く間に自分達の名声に並ぶ……いや、それどころか追い抜く可能性だって否定できない。
「凄いよねすごいよね! ソフィーがようやく自分のやりたいことで成果を出したよ! 僕、とっても嬉しいよ! やっと皆がソフィーの凄さを分かってくれるよね!」
「リリーは相変わらずシスコンだな……。それ、本人の前で言ってやったらどうだ。ソフィーなら喜んでくれると思うがな」
「絶対ヤダ! キモいとか言われたら泣く!」
ジンジャーと2人の時しか見せない子供じみたはにかんだ笑顔を浮かべながら、アマリリスはぴょんぴょんと幼い子供のようにはしゃいで見せる。
ソフィーの事をこの世界の誰よりも大好きな彼女は、普段からソフィーの心の闇をどうにかしてあげたいと思う反面、自分がその対象なのだから余計にそのコンプレックスを刺激してしまうかもしれないと、一歩踏み出せないでいた。
そのイライラをジンジャーにぶつけつつも2人で見て見ぬフリをしているので結局事態が好転する事は無かったのだが“この時点では”悪化もしていないのだから大丈夫だろうと、2人は考えていた。
その証拠に、ソフィーは自分達に頼らずこんな素晴らしい研究結果を国に納めようとしているし、そのおかげでこの国の将来は守られたと言っても良いだろう。
一躍英雄視される可能性もあるとなり、彼女の心の闇も改善に向かう。そう喜びたかったのだが――
「リリー、読んだなら気付いているかもしれないが……この論文には1つ、重大な矛盾がある」
「やっぱり姉さんもそう思う? うん、私も一目見た時から思ってた。この論文には――」
『なぜそうなるのかが書かれていない』
そう。この論文には、今問題視されている『暴走病』がなぜ起こっているのか。その原因は書かれているし、それに対する有効な対処法やその根拠、やり方等についても詳しく説明されている。
もう1つ突っ込むなら、根拠に関しては自分で実験したという薄すぎる物なのが少々気になるが、これはこれで文句を付けられるような物ではないし、事が事なので患者で試す訳にもいかない。
そして、彼女が以前試みた魔族や他種族を使っての人体実験も、体内に魔力が溜まりすぎる事で発生する病気ならば、元々魔力総量が多くならない人間種特有の物だと見た方が自然だ。
亜人は人間の数倍、魔族に関しては個体によって数十倍、数百倍という魔力総量を持っている事もあるので、暴走状態にさせる事は出来ないだろう。
それに、もしそうなってしまって理論が間違っていれば、実験によって人命を奪ってしまう。
それだけは、絶対にあってはならない事だ。
話を戻すが、この論文に書かれている『暴走病』に関しては言う事は何もないし、自分達も素直に「そうだったのか」と感心するほどの出来だ。
だが、問題はその後だった。
これらの結果から分かるように『物体に魔力を込める場合にも同じような事が起こる可能性がある』とする一文。
これは、実験によって明らかになったとされているが、暴走病と違って、こちらはなぜそうなるのかが一切書かれていないのだ。
「試したのは母上が使っていた魔法を吸収するという不思議な玉だったそうだが……なぜ魔力を込めただけであれが爆散するのか……。実に興味深い内容ではある」
「姉さん、それは認めるけどこれは危険だよ。兵器利用される可能性もある研究結果だし、安全性の面でも疑問が残る。ここまで書くなら、なんでそうなるのか。その原因はなんなのか。それが起こらないためにはどういったものが必要で……みたいに、事細かく書かないとまたジジイ共にウダウダ言われちゃう!」
「……リリーは世間様を心配しているのか、それとも王族を心配しているのか? それとも――」
「ソフィーに決まってんじゃん! 僕はいつだってソフィーの味方だよ!」
「はぁ……」
頭を抱えながらため息を吐いたジンジャーは、今行っている研究の方にも影響がある内容だとして、一時術式の組み直しを余儀なくされた。
今制作している魔導書は、空気中に広がっている魔力を吸収して溜めておくことで術者の元の魔力を消費せずに未来を視る事が出来るという物だ。
これを作ったのは、今は亡き母の面影を少しでもソフィーに感じてもらいたいという思いと、純粋に自分達の将来を見てみたいと思ったからだ。
(数年後には、私とソフィーしかこの研究所にはいなかった……。あれは、一体なんだったんだ?)
彼女が魔導書を作ろうと思ったきっかけは、母が残した未来視の魔法?のような資料を読み、独自に術式を組みなおして自分でも扱えるように改良した時の事だ。
人よりも膨大な魔力量を誇っているはずのジンジャーでさえ、数秒間数年後の未来を視るだけで意識を飛ばしかけるほど魔力の消費が激しく、これ以上術式によって魔力の消費を抑える事が出来ないと悟ったので、まったく別の媒体を使って未来を視たいと思ったのだ。
彼女がそこまで未来に固執する理由は……先程彼女が考えた通り、数秒しか見る事が出来なかった未来の研究室の光景に、アマリリスの姿が無かったからだ。
母のような正確性のある予知ではないかもしれない。何かの間違いかもしれない。
しかし、自分で使うのは効率が悪すぎるので、何かの間違いだと信じる事にして魔導書を作製し始めたのだ。
「リリー、この前も聞いたが……研究者を辞めるつもりはないんだ……よな?」
「ん? あぁ、辞めるつもりはない。僕にとってこれは天職だ! 姉さんだってそうだろう?」
「あぁ。これほど私に合っている仕事は無いだろう」
腕を組みながら自信満々に頷いたジンジャーは、同じようにうんうんと頷いているアマリリスを見て、突如として不安に襲われた。
まさかとは思うが、彼女が数年後に研究室から消えていたのは……と、恐ろしい想像が頭を過ったのだ。
ソフィーの論文には、物体に魔力が込められすぎると爆発する危険性があると書いてあるが、それがどの程度の爆発なのか、条件は……などが全て書かれていない。
不安要素といえば不安要素だが、これは自分達が心配性なだけでそう思うだけなのだろう。そう思い、ジンジャーは目の前のアマリリスへと視線を向けた。
「リリー。頼むから……死ぬなよ?」
突如としてそう言われ、困惑しない人間はいない。
普段は太陽のような眩しい笑みを浮かべているアマリリスも、この時ばかりは顔をしかめた。
「どういう意味? 僕が死ぬ?」
「いや、私の考えすぎなら良いんだ。ソフィーには私よりもリリーの方が必要だ。だから、あの子のためにも……死ぬなよって、ただそう言いたかっただけなんだ」
そう言って薄く笑ったジンジャーに、アマリリスは豪快に笑った。
「あっはっは! なんだそういう事か! 真剣な顔して言うから何事かと思ったじゃないか! 大丈夫、僕は死なないよ! 可愛いソフィーと、僕がいないと寂しくて死んでしまう姉を残して死ねるわけが無いだろう? ファウ君は……まぁ、僕らが干渉するとろくなことにならないだろうから良いとしても、君達2人を残して僕が死ぬはずがない! 約束するよ!」
胸を軽く叩きながらそう言ったアマリリスに安心するようにふふっと笑ったジンジャーは、とりあえずこの件を忘れようと魔導書の研究に戻った。
だが、その悪い予感はその数日後に的中してしまう事になる。