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124話 必要のなかった命

今回からイシュタル側の話になります。

 どこをどう歩いたのか、少女には既に分からなかった。

 煉獄の炎の中をただひたすら当てもなく歩き、ダンジョンとは逆の方に逆の方に、姉達が探しに来たとしてもすぐには見つからないようなところへ行きたい。

 少女の心の内に広がった闇はただそれだけを糧に果てしなく増殖し、いつの間にやら降り始めた雨に打たれて全身をびしょ濡れにしつつ、少女はただひたすら歩いた。


 歩いて歩いてあるいて、ようやく辿り着いたその場所は、最初にヒナと共に見たロアの街のような城壁の前だった。

 ただしそこはロアの街のそれよりもずっとしっかりしており、石の壁という言葉では到底表せないほど立派で仰々しい雰囲気がある物だった。


 少しだけ迷った少女だったが、幸いにも身分を証明するものは持ち合わせているのでそれを中に入る為だろう扉の傍に立っていた男に見せ、中の街へと入れてもらう。

 この頃になると辺りはすっかり暗くなっていて、突如として降り始めた雨でびしょ濡れだった全身は自然と乾いていた。


 少女が身分を証明する物を見せた時の男の反応は最早言うまでもなく、幼い少女がダイヤモンドランクの冒険者と知って心底驚きつつもそれ相応の敬意を表した礼をする。

 少女はそんな男には目もくれず、ただトボトボとその壁の向こう側へと足を踏み入れた。

 街の外観なんて気にする余裕は、当然ながら無い。ただ綺麗に塗装されている石畳を虚ろに見つめながら当てもなく道なりに歩くだけ。

 時々道行く人々にぶつかりながらもこの国では彼女のような亜人があまり良い扱いをされていないのが分かるような悪態を吐かれながら、少女はただ歩いていた。


 やがて歩き疲れて傍にあった木製のベンチに腰掛けると、目の前を流れている綺麗な小川が目に入った。

 そこは幅2メートルくらいの街全体を流れている小さな川のようで、辺りに目を向けると至る所に残酷なまでに美しい星空を反射している水面が目に入る。


 少女が居るのは小さな公園らしく、周りには親の帰りを待っているのだろう小さな少年少女が数人と、少女と同じく近くのベンチに腰掛けていちゃつくカップルが居るだけだ。


(……私は、必要なかったんだ)


 少女は肩を下ろし、ただひたすら自己嫌悪にかられた。

 何もできない、なんの役にも立てない、罪のない人の命まで奪ってしまった自分が存在する価値など、もはやどこにもない。


 だが、ヒナに貰った命を……メリーナに助けられた命を……無責任に手放すなんて真似は絶対に出来ない。

 傍の川に身を投げようとも本来呼吸の必要が無い悪魔である彼女は死ねないし、仮に川に身を投げればこの苦痛から解放されるとしても、それを選ぶことは”助けられた責任”が許さない。

 それは自分を助けてくれたメリーナの命が無駄だったと証明する事であり、自分を生み出してくれたヒナに対しての最大の裏切り行為だ。

 今こうして彼女の傍を離れているのも裏切り行為だと言えるかもしれないが、それは少女自身が、もう自分は彼女にとって必要ないと思ったから離れた結果に過ぎない。


 メリーナは自分がヒナに及ばない、その隣で生きる資格がないと分かったその時にアッサリと言えばアッサリすぎるほどすんなり身を引いた。

 それが彼女が持っているポリシーのような物であり、誇りであり、矜持であり……ヒナに対する、最大の尊敬の念とも言える物だった。


 彼女の隣に立つためには……立って、その隣で生きていくためには、それ相応の力が求められる。その事を、メリーナは誰よりも理解していた。

 だから、その資格を失った途端にその夢を諦めたのだ。


「これから、どうしよう……」


 静かにそう呟いた少女の声は、まるで闇に飲み込まれるかのようにどこかへと消えて行く。

 お金はないが、身分証明書のような物を持っているのでこの街にもあるだろう冒険者ギルドの宿に泊まる事は出来る。

 お金は後々依頼を受けるなりして稼げば問題ないし、戦う術を持っていないと言っても薬草採集のような簡単な依頼くらいはあるはずだ。それをこなしてチマチマ宿代を払うような生活をして……


(あぁ……嫌だなぁ……)


 今までが恵まれすぎていた。それは理解しているし、誰に言われたわけでもないのにその暮らしを放棄したのは自分自身だ。

 だが、目を瞑ればやはりあの幸せな日々が途端に瞼の裏に映画のように映し出される。

 それが辛くて、どうしようもなく辛くて……瞳の端からポロリと涙がこぼれる。


「もどりたいなぁ……」


 綺麗な夜空を見上げながらそう言った少女の独り言に、本来答えが返ってくるはずはなかった。

 しかしながら、偶然その場に居合わせた女が、少女のその寂しげでか細い声に応える。


「どこにだ?」


 その声はとても不用心で、まるで心の内にドカドカ土足で踏み込み、あろうことか踏み荒らそうとするほど乱暴な物だった。

 しかし、徹底的に打ちのめされていた少女はそんな事などどうでも良いとばかりに再び顔を伏せた。

 その女を無視すると決めたのだろう、それ以降彼女が口を開くことは無かった。


「……」

「……」

「……」

「……」


 一体、何時間ほど経過しただろうか。

 すっかり夜空が暗雲に覆われ始め、気が付けばその公園から2人以外の人間がいなくなっていた。


「ん? 一雨来そうだな。おいそこの嬢ちゃん、そんなところにいると風邪を引くぞ?」

「……」

「参ったなこりゃ。そこまで追い詰められる程のなにかがあったのか?」

「…………」


 女はうーんと唸り声を上げながらその豊満な胸を強調するかのように腕を組み、不穏な空模様と目の前の少女。そして、研究所で異様に遅い自分の帰りを待っているだろう妹の怒った顔を想像し、一瞬だけこの場を去ろうかと考えた。


 女が何時間もここに残って少女の動向を観察していたのは“ただの好奇心”であり“満たされる事の無い無限の探求心”からだった。

 少女がなぜこんな場所に1人でいるのか。

 なぜ心細そうに泣きながら、戻りたいなどと口にしているのか。

 なぜそんなにも“強い”のか……。

 その少女にまつわる全てが知りたくて、女はこの場に居座っていた。


 ただ、そろそろ時間も限界だろう。空模様も怪しく、雨に濡れてしまえば不愉快な気分になる事は間違いないのでここを去るタイミングが来たのだ。

 後は、研究所に1人で戻るのか少女も連れて2人で戻るか。それだけを決めかねていた。


「嬢ちゃんに何があったかは知らないが、とりあえず私の研究所に来ないか? 何も聞かれたくないなら聞かないし、詮索もされたくないというのならしないと約束しよう。ここで君を置いて行けば、私は生涯後悔するような気がする。どうだ?」

「……」

「沈黙は肯定と取るのが私の主義だ。良いと受け取らせてもらうぞ?」


 女がいくらそう言っても、自分はここから動かないし、むしろ雨に打たれるのは歓迎だ。そう言いたげに少女ははぁとため息を吐きながら天を見上げた。

 その瞬間、信じ難いことが起こった。

 各種状態異常に対して完璧な耐性を誇っている装備に身を包んでいるはずなのに、少女の体が数センチポッと宙に浮いて強制的に女の前に立たされたのだ。体の自由が、利かなかった。


「ふむ、ここまで魔力出力を上げなければ操作できないのか。君はやはり只者じゃないな? 母上と同じく“異端者”か……それとも単なる偶然か……。まぁ今は良い。急ごうか」

「!?」


 少女はそこで気が付いた。なぜか声も出せなくなっており、出来る事が歩く事と首から上を動かす事しか無いという事に。


 仮にもヒナの傍で長年そのサポートを務めて来た少女をここまで完璧に拘束し、体の自由を奪うのは並大抵のことではできないし、そもそも精神支配等の魔法は悪魔という種族固有の常時発動型のスキルで無効化される。

 つまるところ、体の自由を奪う事はおろか、精神支配の効果なんて受けるはずがないのだ。


「あぁ、混乱しなくても良い。これは私のオリジナル魔法でね、魔力出力を上げる事で基本どんな相手でも簡単な命令なら利かせられるようになる。君が強いのは重々承知だが、暴れられると面倒なのでね。これは私の興味であり趣味のような物なんだ、悪く思わないでくれたまえ」


 ふふっと笑った女をよく見てみると、その顔は非常に整っていて雪のように白い髪を肩のあたりまで伸ばし、吸い込まれるような綺麗な紫色の瞳の中には少女の驚愕に彩られた少々滑稽な顔が反射している。

 身に纏っている服はドレスのようなヒラヒラした物で、色は辺りが暗いせいでよく分からないが恐らく淡い赤だろう。

 ニーソックスや首元の鎖のような痣がなんとも言えない女の色気を醸し出しており、その豊満な胸は姉が見れば嫉妬に狂うだろう大きさだった。


 それから街灯の灯りだけを頼りに整備された道を歩いていると、女はある大きな施設の前で立ち止まった。

 そこは一見病院のようにも見えるし誰かの屋敷のようにも見える豪勢な門構えの建物で、ダークグレーの壁が汚れ一つない純白の門の清廉さを強調していた。

 宵闇の中で光るそれが、少女には不思議と神聖な何かに見えて思わず息を呑んでしまう。


「ここが私の研究所だ。まぁ入ってくれ……って、そうだ、君に決定権はないんだったね。これは失礼した」


 まったく悪いと思っていないような微笑を浮かべ、女は少女を研究所の中へと連れ込んだ。

 門を開けてそのまま表の庭を少し歩くと、その建物に相応しいような大きなブラウンの木製扉が姿を現し、それをなんの躊躇いもなく引いて中へと入る。


「遅い! 気分転換の散歩に何時間かけてるんですか、姉さん!」


 少女がその建物の中で最初に見た物は、腰に手を当ててぷんすかという効果音を当て嵌めると妙にシックリくるほど可愛らしく怒っている少女だった。

 艶やかな黒髪を膝元まで伸ばしてハーフツインにしているその少女は、血のように赤くも、どこか優しさを感じさせるその瞳を少女の隣に立つ女に向け、数秒遅れるようにして少女に向けた。


「……姉さん、その人は?」

「あぁ、拾いものだ。面白いだろう?」

「またそんなこと……。はぁ、もう良いです、呆れるのも疲れました」

「ありがとうソフィー。では、私はまたしばらく籠ると思うからよろしく」


 ソフィーと呼ばれた少女は大きなため息をついて肩を落とすが、そんなことを言い出す姉には既に慣れているのか、それとも自分も少女の異質さに興味を抱いたからなのか。

 ともかく、それ以上何も言うことなく口を閉ざした。


 女と同じく無限にも思える探求心を持ち合わせているソフィーと呼ばれたその少女は、姉の研究室へと半ば無理やり連行されていく少女の後姿を見て誰にも聞かれないよう非常に小さな声でポツリと呟いた。


「新しい研究対象おもちゃが見つかってはしゃぐのは結構ですが、私にも紹介してもらいますよ、姉さん。その圧倒的な力の謎を、解き明かして見せます」


 静かにニヤリと笑った少女は、それから自分がするべきことを片付ける為に自分の研究室へと戻っていった。

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