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121話 当たり前の喪失

 イシュタルがいない。その事に気付いた時、ヒナは最初にマッハの方を向いてその行方を知らないかと尋ねた。

 しかし、当然ながらマッハは首を横に振り、次に尋ねたケルヌンノスも同様に首を縦に振る事は無かった。


 最悪の想定。また自分が罪を犯したせいで彼女に危険が迫っているのではないか。そう思ったら、もうヒナの心は平静でなどいられなかった。

 すぐさま無数に呼び出している召喚獣に召集をかけその姿を捜索させようとするが……


(全員死んでる……。あっ、そうか……)


 魔力のほぼ大部分を消費してこの世界に召喚した無数の召喚獣達のほとんどは、周りに広がる何者をも焼き尽くす煉獄の炎によって既に世界から去っていた。

 これは、今イシュタルが施してくれている防御魔法かアイテム以外ではダメージを防げない攻撃魔法だが、ゲーム中ではここまで広範囲に影響を及ぼさなかったし、召喚獣に対して術者が魔法を放った場合でもダメージは通らなかったのでその可能性を失念していたのだ。


 よくよく考えてみればダンジョンでヒナの放った魔法の余波によって微量ながらもマッハ達がダメージを受けていたのだから、その可能性には気付けたはずだ。

 しかし、ヒナがその魔法を放った時、燃え上がるような怒りに身を侵食されてそこら辺の物事の判断が一時的にできない状態にあった。

 目の前で大切な……大切になるかもしれなかった人の命が奪われればそうなるのは当然だし誰も彼女を責められないが、マッハの捜索にほとんどの召喚獣を使用していたので今すぐイシュタル捜索に向けられる手勢が居ないのもまた事実だった。


 無論森の中だと悪目立ちするという理由で呼び出せなかった閻魔やら地獄の番人やら、その他見た目が凶悪、おどろおどろしい、そもそも気持ち悪い、周りの環境に影響を及ぼす等の者達なら残っているし、今すぐにでも召喚する事は出来る。

 しかし、その者達は緊急を要するマッハ捜索にすらすぐに召喚出来なかったことからも分かるように、ヒナは基本的にゲームではないこの世界で彼らを本来の使い方以外で呼び出す事をしないと心に誓っていた。


 召喚獣の中には野ネズミ程度の小動物からエルフクイーンのような人型の者。死神のようにモンスターである者等様々だが、捜索に駆り出せるような召喚獣が次に使えるようになるまで、ザっと20時間はある。

 その間にイシュタルに何かあったらどうしよう……。

 ヒナの頭の中には既にそれしかなく、皆には内緒で持ってきていたポーチの中にある残り少なくなっている砂時計を砕いてでも捜索をするべきか一瞬迷った。


 しかし、この世界の誰よりも大切な人をもう1人……しかも、今度は家族の中から死者が出るとなれば、もういよいよ自分の精神は耐えられないだろう。

 きっと、その場で相手を自分の持てる力の全てを使ってでも殺害し、その後マッハとケルヌンノスと共に命を絶つだろう。

 それくらい、自分の事なので分かっていた。


 そもそも、家族が行方不明であるというのに残り少ないという理由から切り札を使わないという選択肢が思い浮かぶ時点でダメなのだ。

 彼女達は既にNPCという存在から“家族”という存在に昇華している。

 たとえどんなに貴重なアイテムでも、彼女達が無事に日々を過ごして自分の隣で笑ってくれるなら……


「待って、ヒナねぇ」


 ポーチからそれを取り出して一瞬で握り潰そうとしたヒナを、ケルヌンノスの静かな声が止めた。

 それは怒りに支配された物でもなければ絶望している物でもない。ただ、ちょっぴり悲しみに暮れながらもどこか同情的な色を含んでいた。

 実際、その瞳の中にはイシュタルの気持ちも分かるという、ヒナには意味不明な感情が存在しているように見えた。


「どう、したの……?」


 その異様とも言えるケルヌンノスの様子に、ヒナは少しだけ不安な気持ちを胸に宿らせつつ、右手に込めた力を少しだけ緩める。

 次の瞬間愛らしい妹の口から紡がれた言葉には、流石の彼女でも絶句せざるを得なかったが……。


「たるは、多分自分からいなくなった。自分はヒナねぇにいらない存在だって、そう思ったからだと思う」


 ヒナは最初、ケルヌンノスが意地悪でそう言ってると思った。

 しかし、マッハが深刻そうな顔をして「あり得るな……」と言った事で、ようやく現実を理解しようとその言葉を、意味を、頭の中で反復させた。


 マッハを始めとした3人が自分の近くに居てくれることは、ヒナにとっては既にこの異質な世界での当たり前となっていた。

 いつどこに行くにも一緒だし、ご飯を食べるのも、お風呂に入るのも、寝るのも笑うのも悲しむのも、怒るのも呆れるのも……生活の全てに、彼女達3人の姿がある。それが、この世界での普通だった。


 彼女が元居た世界では、家では1人。

 栄養ドリンクやサプリ、たまにちゃんとした食事を出前で済ませるのが当たり前であり、シャワーに入るのだって必要最低限だった。

 着ている物は小さい頃から変わっていないアニメキャラが印刷されている幼児向けのパジャマだったし、貧相な体はあの日から時間が止まったかのように成長しない。

 それが彼女にとっての“あの世界での”普通であり、この世界での普通とはかけ離れたものだった。


 食事を摂るのは1人でもなければ、それはサプリや大して美味しくも無い出前の有名チェーンの食事でもない。

 ケルヌンノスが愛情と手間をたっぷりかけて作ってくれる特製の物だし、お風呂だってキチンと毎日入っている。

 ご飯が終われば向かうのは寂しい自室のモニター前ではなく家族が笑いあう賑やかなリビングだし、最近は夜寝る時でさえ隣には愛らしい少女が居てくれる。


 この世界で孤独を感じる瞬間なんて、比喩でもなんでもなく、本当に無いと言って良かった。

 それは、当たり前のように傍にいてくれた3人のおかげであり、彼女達がヒナを想っているのと同様……もしかすればそれ以上の感情を、ヒナはマッハ達に向けていた。

 その当たり前が崩れ去り、突如として奪われれば……少女は、もう耐えられない。


「いやぁぁぁぁぁ!」


 鼓膜が破れてもなお頭に響き渡る超音波のようなその甲高い声は、ヒナの魂からの絶叫だった。

 彼女の想いに応えるように煙に包まれた大空は次第に雨雲を手繰り寄せ、瞬く間にその場を台風のような大雨が襲った。


大海の洪水マリン・タイフーン


 すぐ傍の焼けこげた木の幹の陰からそんな小さな声が呟かれていたのだが、自分の悲鳴で鼓膜が破れていたヒナと、泣きたくなるような魂からの叫びを聞いて共に胸を抑えながら瞳から涙を浮かべていた2人に、その声は届かなかった。


 そして、その大雨は彼女達の心を代弁するかのようにざあざあと振り続け、やがてイシュタルの防御魔法の効果時間が終了すると、彼女達の全身を、まるで天からの罰でも与えるかのような勢いで濡らしていく。

 そのとてつもない勢いの雨は彼女達の頬を流れる雫を誤魔化すかのように頬を伝い、彼女達の心に更なる絶望と言う名の試練を与えた。


 煉獄の炎が“単なる雨”にかき消されるという異常事態に気付く事も無く、ヒナはポツリと呟いた。

 それは、雨音と先程の大絶叫で鼓膜がおかしくなっていた2人にも確かに分かるほど鮮明で、それでいて悲しげなものだった。


「死にたい……」


 今まで、ヒナは何度も死のうとしてきた。死にたいという言葉を、その口から吐き出してきた。

 しかし、それはどれも以前暮らしていた孤独な世界での事であり、いずれもそこまでの絶望的な感情を宿していた訳ではない。


 当時のヒナにこの言葉を投げかければそんなはずないと叫び出すかもしれないが、彼女のそれは「何もかも上手く行かないから死にたい」という、思春期特有の不安定な精神状態がもたらすそれだった。

 ここまで徹底的に打ちのめされ、絶望させられた挙句に吐き出された『死にたい』という言葉とは、何倍も……いや、何十倍もその濃度が違った。


 自分の不注意のせいで罪なき人の命が奪われ、その敵討ちすら叶わず、それでいて相手の不可思議な現象についてもまったく心当たりがない。

 魔法防御にあれだけ装備を裂いているのであればマッハの攻撃に耐えられるはずがないし、そもそもHPゲージが存在していたとしてもあそこまでされて生きている……いや、数値的なそれが残っているとはとても思えなかった。


 そのカラクリすら全く掴めておらず、復讐の機会やその方法さえ分からない。

 そんな、これ以上ないほどの敗北を味わった次の瞬間には、最愛の人物の1人であるイシュタルの家出。

 それも、ケルヌンノスの言う通りであれば小さい子供のそれとは訳が違う。待っていてもいずれ帰ってくるような物ではない事は明らかだし、つい数十分……もしくは数時間前に命を狙われたのだから、帰ってくるのが遺体。そんな可能性だって十分考えられる。


 ヒナの脳裏には、トライソンと名乗った女がイシュタルの亡骸を抱えてあの狂気的な笑みを浮かべながら「これでもっと私の事を愛してくれるよね!?」とか意味の分からない事を言っている光景がアリアリと目に浮かぶ。


 恐らく、愛=殺意とするならば、女の言は間違いではない。

 家族を殺されれば、ヒナは相手を殺す手段がなかったとしても己の持ちうる全てを賭けて相手をその場で殺す。

 それこそ神の槍以外の切り札や、課金アイテムなんて神と対峙した時以上に見境なく使用して、なにがなんでも相手を死に至らしめるだろう。


 状況が整ってなかったという言い訳が成立するのであれば、トライソン――レベリオがこの場から生きて帰られたのはそれが理由だ。

 もしも状況が全て整っていたのなら、レベリオはヒナに今以上の愛情と尊敬、畏怖の気持ちを抱きながらこの世を去る事になっただろう。

 その去り際の最後の一言が「流石お姉ちゃん……。愛してるよ……」になったとしても、その運命を喜んで受け入れたはずだ。


「ぱぱ……まま……。わたし……もう、だめかも……」


 自嘲気味に天に向かって笑った少女は、祈るように、それでいてどこか力なく両手を空に向けた。


「だいじなものが……だいじなひとが……つぎつぎとわたしのまえからいなくなっていく……。わたしがなにか……わるいこと……したのかな……。つらいよ……たえられないよ……。もう、らくになりたいよ……」


 少女の願いは聞き届けられることなく、天はただ無感情に冷たい雫を降らせ続けた。

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