118話 逃亡と喪失
ヒナの最大威力の魔法を喰らっても、レベリオの命が脅かされることは無かった。
サンはまともに受けて瀕死の状態に陥っていたが、元々ヒナに愛されるため……つまり、彼女に殺意を持ってもらうために今回の作戦を企てた彼女が、魔法に関して防御を裂いていないはずがなかった。
むしろ斬撃などの物理的な攻撃に対してはほとんど裸と言っても良い状態であり、その代わりに魔法による攻撃をかなり軽減してくれる装備を選んで着用していたのだ。
無論、それはフィーネが貸し出した物ではなく、自室のアイテムボックスから引っ張り出してきたものだ。
もちろんカスタムしてあるのでヒナがその装備の名前を言い当てる事は無いのだが、それでも今の攻撃を腕の1本欠損するだけで受け流し、HPのゲージが存在していたとしても6割程度しか削れていないだろう姿を見れば、装備の内容はあらかた想像が出来る。
少なくとも神の槍をソロモンの魔導書込みで耐えうるプレイヤーが居るとすれば、それはまず大前提として、神の名を冠している魔法耐性に特化した装備に身を包んでいる事になる。
神の槍は対個人やモンスターにしてみればラグナロク内でも最高火力を誇る物だし、そこに回復を使わないという前提で使うなら最強と言っても過言ではないソロモンの魔導書の効果が上乗せされれば、耐える方がおかしいという物だ。
いかに普通の魔法耐性に厚い装備で身を固めても普通はすぐさまその体ごと消し飛んでしまうだろう。
つまるところ、物理的な攻撃は倍増するが、魔法攻撃は5割以上カットする……というような極端な装備じゃ無ければ、今の事態は起こり得ないのだ。
「可能性のある物……閻魔の羽織、太陽神の恩恵、狩猟神の衣、後は死の神と地獄の神くらい……。変わり種で言えば魔界シリーズにも似たような物があるか……」
奥の手の“1つ”をかなりアッサリと対策されたにも関わらず、ヒナは手を顎に当てて冷静にブツブツとそう繰り返した。
そしてやがて結論を出したのか、ソロモンの魔導書に再び魔力を流し込んで、今度は魔法でありながら属性ダメージと斬撃ダメージを付与する魔法を無詠唱でレベリオに向けて放つ。
『龍神の裁き 極』
その場に龍の咆哮が響き、レベリオに向かってその鋭い牙が並ぶ口から青い炎を吐き出す。それと同時にその鋭い爪でその体を切り裂かんばかりに飛翔する。
だが、彼女はそれに臆することなくふふっと狂気じみた笑みをさらに深めながらひょいひょいっとその攻撃をかわしてみせる。
「あぁ、嬉しいなぁ……。遠慮のない攻撃、お姉ちゃんからのかつてないほどの愛を感じるよ! その狂おしいまでの愛を、愛情を、憎しみを、殺意を、もっともっと私にぶつけて! もっともっと、私を愛して!」
己の体を抱きしめながらそう言ったレベリオは、しかしヒナの顔色があからさまに悪いことにその場の誰よりも早く気付いた。
怒りで我を忘れているマッハよりも、かつてないほどグツグツと湧き上がるような、燃え上がるような怒りで何をすれば良いか分からなくなっているケルヌンノスよりも、メリーナの遺体を大事そうに抱きしめながらワンワン泣いているイシュタルよりも。
彼女は今、この場の誰よりもヒナの事を気にしていた。
当然だ。自分がここまで彼女を追い詰め、自分に対してこの世界の、そしてこの世の誰よりも強い憎しみと怒り、そして愛を向けさせるように仕向けたのだから。
彼女の動向を逐一観察するのは彼女の役目だし、ヒナが自殺を選ぼうとしようものならそれは全力で止めるという謎の覚悟とプライド、そして責任感を持っていた。
あくまでもヒナを殺すのは自分であり彼女自身ではない。
そして自分を殺すのもヒナであってその他の人間ではない。ましてそれは妹達にすら譲れるような役目ではなく、ヒナからの愛を受けると同時に彼女達からの愛を受け取れたのは単なる次いでだ。
今回の作戦では、姉妹達の感情に関してそこまで重要視している訳では無かったのだから。
「お姉ちゃん、魔力の使いすぎだね? ここまで来るのに、よっほど大量の魔力を消費したんだね……」
慈しむような、それでいて少しだけ残念そうに目を伏せて、女はそう言った。
彼女の計画では、ここでもう一段回ほどヒナに自分を追い詰めさせ、そこで逃亡を成功させてこそ、彼女から得られる愛もさらに強烈で重く、深く、この世の誰にも負けない物になるだろうと予感していた。
恋人が出来たからと言って必ずしも安心出来る人だけではないように、世の中には浮気や不倫と言った、考えるだけでも吐き気を催すような物がある。
自分の愛しい人が自分以外の誰かに取られるかもしれない。そう考えるだけで、人一倍……いや、人の何百倍という単位で愛が重い彼女が耐えられるはずもない。
もしも愛しい人から愛を向けられたのであれば、それはもう他の人間が付け入るスキのないくらい、それでいてそれ以上の感情を抱きようがないほど徹底的に自分に没入させる。
文字通り自分以外の人間などどうでも良いという状態に強制的に引きずり込み、自分しか見えない状態に陥れるのだ。
それこそが女が目指す理想の関係であり、殺し殺される関係であり、愛の完成形、成就したと言っても良い形だった。
「そうだよね、お姉ちゃんくらい魔力の量が膨大だと魔力切れなんてほとんど起こらないもんね。この世界に来てからは魔力の有無は命に関わるから余計に気を付けてたんだよね。でも、妹ちゃん達が勝手に私の話に乗ってダンジョンを飛び出しちゃったから、心配でそれどころじゃなかったんだよね? うん、分かるよ、わかる。お姉ちゃんのそういう家族想いなところも、私はすっごく大好きだし愛してるから」
「……! あんたなんかに、私の家族を語る資格はっ!」
「あぁ、あんまり無理しない方がいいって。この世界での魔力切れってね、魔法使いにとっては結構致命的なの。頭が痛くなって生理とは比較にならないくらいの不快感と吐き気や痛みに襲われる。意識も朦朧とするし、酷い時には気を失っちゃう事もあるんだよ? お姉ちゃんは最近まで普通の女の子だったんだし、今ここで無理なんてしちゃダメだと思うな、うん」
非常に残念そうにそう言うが、レベリオの顔は『私のお姉ちゃんはこれくらいじゃ折れない』と言いたげで、どこか少しだけ自慢げだった。
マッハからの攻撃をサラリとかわしつつ、ふふっと笑いながら絶妙にヒナを煽るようなセリフを口にして、万が一にも自決という道を選ばせないよう少しずつ思考を誘導しつつ、自分に更なる愛を向けさせるように仕向ける。
「あ~あ、もう少しだけ楽しみたかったけど、お姉ちゃんが無理しちゃ本末転倒っていうか、仕方ないもんね。そんな無理させたいわけじゃないし、私はお姉ちゃんのことを愛してるんだもん。そんな人の体調は、誰より、何より気遣わないとダメだよね」
レベリオは知っていた。
ヒナが身に着けている色違いのストッキングのようにカスタムされたそれが、神の名を冠している魔法使いにとって非常に有用な装備であるという事を。
その装備は魔法使いでは倒すのがかなり難しい難易度に設定されていた神を倒す事でゲット出来る素材で作られるために非常に製作難易度が高いのだが……ヒナが持っていないと考える方が不自然であり、ヒナに不可能は無いのでそれはもはやありえないという域にまで達していた。
『終焉の時計』
ヒナは、迷うことなくその装備の効果を発動させる。
その瞬間、ヒナの体を無数の時計のような薄水色の文様が囲い込み、辺りをフワフワと漂い始める。
それらはまるでネジが外れたようにクルクルと反時計回りに目に見えないほどの速度で回り始める。
「やっぱりお姉ちゃんのそれは時の三女神の装備なんだね……。あぁ、魔法使いでマッハちゃんを作る前だったって言うのに3人の神を1人で相手にするなんて……ほんとにすごい……」
頬をピンク色に染めながら両手を握る女は、まるで憧れの芸能人を前にした少女のようだった。
時の三女神と呼ばれた三人の神は、それぞれが高い魔法防御と物理防御、そして圧倒的な攻撃力を兼ね備えているという理不尽設計で、当時でもクリア出来るプレイヤーはほとんどいなかったと言われている。
まして、当時はマッハが生まれる前という事もあり、ソロのヒナはたった一人でそれらの神に挑んでいたのだ。
なぜそんなに強いのかと呆れてしまいそうになるが、女にとってそれは『お姉ちゃんだから』という一言で片付けられてしまうようなものだ。
この場合そこは問題ではなく、数秒も経たないうちにヒナの周りに浮かんでいた時計の数々は水がはじけ飛ぶようなエフェクトと共に消え失せる。
まるで最初から何もなかったかのように綺麗に消えてしまったが、その変化は瞬く間に表れた。
『次元固定 崩壊する世界』
ヒナが二つの魔法を発動し、彼女から半径四十メートルの範囲をこの世界から隔離しつつ、その隔離した世界が時間経過で崩壊するという魔法を発動させたのだ。
隔離された小さな世界はまるで小さな箱のようで、そこには空も無ければ隔離された先の空間が見える事も無い。一度横を向けば、そこには何もない無の空間が無限に広がっている。
世界が崩壊するとはその名の通り、その空間内に居る全員が強制的に死亡するという事であり、これには即死系魔法に対する耐性などというちゃちな物は効果が無い。
神を相手に発動するにはその移動速度が速すぎて対象を固定の空間に留められないし、そもそもプレイヤーと相打ちになりでもすれば、それは神の勝利という判定がなされるので意味がない。
「ここで死ぬ気か、貴様!」
「冗談じゃない……。イラ達を巻き込まないで」
「ほんとだね……いい迷惑だ」
事態を数秒遅れて把握した3人は、はぁとため息を吐きつつもマッハの怒りの矛先が向かないように目立った動きは取らない。
死にはしないと言ってもそれ相応の嫌悪感を感じることには変わりないし、身を斬られる体験はそう何度もしたい物ではない。
レベリオはそれがヒナやマッハなんかの愛する者から受ける仕打ちであれば喜んで何度も何度も受け入れるが、彼女達はそんな性癖は持っていないのだ。
そして、この魔法を解除するには術者本人が解除するか、もしくは死亡するか。そして、一部の課金アイテムによって魔法その物を無効化するしかない。
対プレイヤー戦で何度も目にした事があるミセリアやイラは、その事を重々承知していて半ば本能的に戦う姿勢を取ろうとするが……
「っ! 相手は――」
「魔王。今の私達じゃ、何もできない」
そう。相手は、ラグナロクにおいて最も倒すのが困難とされ、全てのプレイヤーの頂点に、それも圧倒的な強さで君臨していた魔王だ。
マッハにすら何もできずに敗北した今の彼女達では何もできずに戦闘不能、最悪殺されてしまうのは目に見えているし、時間を凍結していようとも崩壊する世界の魔法の効果は絶対だ。
蘇生アイテムが効力を持っていない以上、このまま大人しく魔法の効果時間が来るのを待っている訳にはいかない。
フィーネを含めた3人は、半ば確信の瞳をこの状況を創り出した1人の女に向ける。
すると、レベリオは彼女達に目も向けなかった代わりに、懐からこの状況を唯一打開出来る課金アイテムを取り出してにっこりと笑った。
「じゃあねお姉ちゃん。私はここで消えるけど、またいつか、どこかで会えるよ」
女の手に握られたそのアイテムを目にした瞬間、ヒナは思わず息を呑んだ。
それは、どんな魔法やスキルでも無効化する事の出来る貴重なアイテムと……スキル等のインターバルを強制的に0にする砂時計だったからだ。
そして、この場合女が使用するスキルは1つだけだ。それを使われれば、システム……いや、そのスキルの使用上、自分でも居場所を特定する事は絶対に出来なくなってしまう。
イシュタル、もしくはケルヌンノスが通常通り動いてくれていればまだ対処の使用もあるのだが、生憎とその2人は今動ける状態にない。
そして、課金アイテムでこの状況に対処しようにもそれらが入ったバッグはダンジョン地下深くの客室に置いてあるし、仮にここにあったとしても今回の冒険ではその類のアイテムを持参していないのであまり意味は無い。
「っ! 絶対、ころしてやる!」
「ふふっ、そう言ってくれて嬉しいよ、お姉ちゃん。そこまで私に対して愛を抱いてくれるなんて、想像以上。そうそう、私が好きな言葉の中にこんなのがあるんだ。『この女の生涯は野獣に似て、哀れみに欠けていた。死んだ今は、野鳥程度の哀れみが似つかわしい』ってね。何が言いたいか分かる? 正確にはこの前にも色々と文面があるんだけど……そうだな。お姉ちゃんが今最も聞いて怒る事を言ってあげるねっ!」
これ以上怒る事など無い。なにせ、今までの人生でこれほど怒った事がないほど、ヒナは激怒していたからだ。
しかしながら次の瞬間、レベリオから放たれた言葉でその認識が甘かったことを知った。
「自分のくだらない一時の感情だけで命を捨てるなんて馬鹿だよね。まさしく、死んだ今は野鳥程度の哀れみしか向ける必要がないくらい、私はその女に対する興味を失っちゃった」
てへっと言いたげに舌を出した女は、同時に手の中にあった2つのアイテムを使用してその場を包んでいた破滅への一撃を全て無かった事にしつつ、自分はつい先ほど使用したクラス固有スキルでその場から姿を掻き消す。
そして同時に、レベリオが魔法を発動したことでフィーネを始めとしたその場にいたディアボロスの面々の姿すらも掻き消え、完全に姿が見えなくなる。
その場に彼女達がいたという証明は、そこら中が真っ赤に染まった地獄としか言いようのない真っ赤な森と、イシュタルがすすり泣いている小さな声だけだった。
「にげるなぁぁぁぁぁ!」
天に向かって右手を上げつつ、そこから龍の咆哮を響かせる少女は、喉が枯れるまで叫び続けた。
この世の理不尽と残酷さを改めて目の当たりにしつつ、やり場のない怒りを曇りゆく空に向かってただ吐き出し続けた。
それは、魔王と呼ばれた少女の生まれて初めての敗北だった。