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115話 命がけの愛

 少女は、1人考えていた。

 剣で腹部を貫かれたその時だって心はいやに冷静で、ただ死ぬんだなという感情があるだけで、目の前で怒りに震えているマッハと驚愕に目を見開いている記憶にない1人の幼女にも、ふふっと笑いかける余裕すらあったほどだ。

 多分この、名前も顔も知らない幼女こそ、ムラサキが言っていたもう1人のNPCなのだろう。

 その役割は恐らく回復などのサポートであり、この場にいる理由は分からないまでも、彼女達の話から、騙されてここに来たんだろうことは容易に推測出来る。


 だが、次の瞬間少女にとって信じられない事が起こった。

 マッハが自分を刺し貫いていた人物に襲い掛かり、名前も知らぬ幼女が自分に聞いた事も無いような回復魔法を唱えたのだ。


 自慢じゃないが、彼女はラグナロクの知識に関しては、引退してからも失った事は一瞬たりとも無かった。

 戻ってみようとは終ぞとして思わなかったけれど、そのゲームが終わる時、ふと過ったのだ。ヒナは、今どうしているのだろうか……と。


 同じ会社が出している新作のアポカリプスというゲームに移ったとは思えない。

 ヒナがどれだけラグナロクの世界に固執しているのかは自分が一番よく分かっているという自覚があったし、彼女の生きる世界はラグナロクであってアポカリプスでは無いのだ。

 それを考えれば、強制的にその生きる世界を奪われる彼女は、次にどんな世界で生きようとするのだろうか……。それが、不意に気になってしまったのだ。


 もしも……いや、絶対にありえないとは分かっている。

 ゲームの画面越しに見つめるだけの存在であるはずのヒナが、現実世界でどんな暮らしをしているのかなんて、単なる想像でしかない。


 それでも……彼女の生きる理由であり、生きていた世界だったはずのラグナロクの世界を唐突に奪われるとしたら……彼女の取る選択肢は、不思議と少女の頭の中に思い浮かんでいた。

 なにせ、少女の手首にはその時の後遺症で未だに傷が残っているのだから。


「ヒナ……さん」


 腹の傷を完全に完治させ、警戒を強めるために傍に寄って来たイシュタルでさえ聞き取れないような小さな声で、少女は呟いていた。

 自分の少しだけ大きくなった両手を見つめ、その左手首に痛々しい傷がないことを確認し、この世界に来て何度目かの深い深いため息を心の中で吐いてしまう。


 何度も何度も、その名前を呼んだ。

 この世界に来て、なにか辛い事や嬉しい事、それでいて何かに縋り付きたくなるほど心細くなってしまう事も、往々にしてあった。

 その時、決まって助けてくれたのはその少女の存在だった。


 画面越しにその姿を見ていただけのはずなのに、彼女には不思議とヒナという少女の全てが見えている気がしていた。

 その全ての姿を見て来たからこそ、分かる事があった。

 彼女は多分、自分と非常に似ていて、同じくらいの年代の少女なのだろう……ということだ。


 そう考えると、ヒナの妙に幼い部分にも納得が出来るし、自分と同じ年齢なのにありえない程の額をゲームにつぎ込めるのはなぜなのか。

 その理由や、彼女が現実ではなくラグナロクの世界で本気で生きようとしていたのかも、分かる気がした。


 彼女は、自分と同じように現実に頼れる人がいなかったのだろう。

 恐らく、本来はある程度裕福な家庭に居たお嬢様かなにかで、不慮の事故か病気で両親を失い、その絶望からゲームに逃げたのだろう。そう、推測した。

 そう考えると、ヒナの底知れない闇の部分に軽く触れられたような気がして、少しだけホッとしたのを覚えている。


『憧れは理解から最も遠い感情である』という言葉もあるように、少女はヒナに対して憧れという感情を抱いていたが、だからと言って彼女を完璧に理解しているかと言われるとそうでは無かった。

 だから、この世界に来て初めてヒナを“理解”しようと、何度も何度もその賢い頭を働かせていた。


「愛する事は命がけだよ。甘いとは思わない」


 自分を刺した女がそんなことを言った時、少女の頭の中には女が思い浮かべているのと同じ人物の顔が思い浮かんでいた。少女も、その言葉を知っていたからだ。

 そして、女が何を言いたいのかを唐突に理解し、その先に続くだろう言葉を女よりも早く心の中で復唱した。

 いや、この場合復唱しているのは女の方で、少女が先に女が言うだろう言葉を心の中で言った後、その答え合わせをするように一言一句違いなく、その言葉を口にしたのだ。


 その恐ろしい偶然に、一番驚愕していたのは少女自身だった。


(なんで……。なんで、この人の考えが分かるの……? こんな……こんな、滅茶苦茶で怖いこと言ってる人の考えが……考えが、全部わかるの……?)


 相手を愛しているが故に殺したい。その全てを愛したい。その全ての中には、相手の死後の姿さえも含まれている。

 そんな事が理解できるなんて、自分はイカれてしまったのか。そう、思わずにはいられなかった。


 だが、不思議と女の言う事の予測は止まらず、心の奥底からまるでマグマのようにドロドロの熱い感情が湧き上がってくるのを感じた。

 これは、吐き気か。それとも怒りか。それとも……殺意という名の、愛なのか。


 女がこの先に続ける言葉は大体こんなものだろう。そう思った事が、次々と女の口から紡がれる。

 女が望む物は愛する者の死であり、その姿すらも初めて愛してこそ、愛の成就と言える。

 そこまで理解できてしまうのが末恐ろしいが、この場合はその愛の成就は完全ではない。なにせ、このままでは愛の一方通行であり、ある種究極の片思いと言えなくもないからだ。

 なら、女が次に望む物は何か。

 女が、愛する者からも愛という名の殺意を向けられる事だろう。


 それを裏付けるように、女の口からそれらしい言葉が紡がれる。

 その時、再び少女は自覚した。女は、自分がヒナという少女に抱き得た感情を、全て共有している存在なのだと。

 女は、自分が陥らなかった闇の姿。鏡映しの自分自身のような物だ。そう気付いたのだ。


 言葉の節々から感じる知性と、愛する者に対する異常な愛と執着は自分とかなり似通っている。

 唯一違うのはヒナに向ける愛情の方向性だが、それも、少女が一歩間違えればそうなっていたかもしれないと思わせるのに十分なほどよく似ていた。

 考え方も言葉の選び方も名言の引用先も、何もかもが似ていた。


 少女は完全に世界に絶望する前に自分の足で母親に反抗し、その先でヒナに救われた。

 反対に女は、既にこの世界に絶望し、退屈しのぎという理由から大量に罪なき命を奪い去った後にヒナと出会い、そのヒナに縋る事で自分の生きる世界を見出した。


 一歩間違っていれば少女は女のようになっていたかもしれないし、ともすれば、少女の異常な情報収集能力とその頭脳は、誰かの“模倣”をするというその一点に限って言えば、この世界や元居た世界でも類を見ない程の才能を持っていた。

 きっと、勉強ではなく演技の道に進んでいれば一生食うに困らないだけの財を若いうちに築けたことだろう。

 その事に関して、少女は自分でも気付けないほど、そして周囲にすらまったく悟られないほど自然とそれが出来るほどの“天才”だったのだから。


(『私はね、もっとも人が感情を動かされるのは、人の死だと思うんだ。それが大切な人であればあるほどに、人の感情は揺れ動く。人の死に比べれば、愛しい人に振られた悲しみや辛さなんてものは些細な事でしかない。なにせ、その人はまだ“生きているんだから”』次の瞬間、この人はこう言う……)


 少女が心の中でそう思い浮かべた次の瞬間、女が恍惚とした表情で口を開いた。


「私はね、もっとも人が感情を動かされるのは、人の死だと思うんだ。それが大切な人であればあるほどに、人の感情は揺れ動く。人の死に比べれば、愛しい人に振られた悲しみや辛さなんてものは些細な事でしかない。なにせ、その人はまだ“生きているんだから”」


 少女は、無意識のうちに女の体の隅々までを見つめ、観察した。

 女が次にどんな行動をとるのか。どんなことを考え、どんなことをしたいと思い、今どんな気持ちでいるのか。その全てが、奇妙なほど、気持ちの悪いほどすんなりと頭の中に入ってくる。


 これはヒナを研究して徹底的に模倣し続けていた時にも感じていた感覚だ。

 次にどんな行動をとってどんなことをすればヒナと同じような行動がとれるのか。

 ただひたすら相手を調べてその行動を徹底的に模倣する。あの頃の自分に出来た唯一の事が、今再び目の前で繰り返される。


 その瞳の中には既に女の姿しか映っておらず、周りの景色も周囲に存在する人々も、その全てが見えなかった。

 その瞬間、一時的にではあった物の、女と少女の心は完全に同期していた。相手が何を考え、次にどんな行動を起こそうとしているのか。それが手に取るように分かる。

 不思議と呼吸や脈拍も女と同期するかのように連動し始め、手足の感覚が段々と消えていく。


 そして、少女は初めてその視線を女から外し、自分の隣に立つ少女へと向けた。


(こいつが死ねば……。こいつが死ねば、きっと“お姉ちゃん”は私を愛してくれる……)


 その瞳には、名前も知らない幼女の姿が映っている。

 そして、女が考えている事がそれであろう事が、少女には分かった。

 否、現時点では、少女にしか分からなかった。

 だからだろう、その場にヒナが現れた瞬間、この先に起こる恐ろしい未来を見てしまったのは。


 未来視のスキルはとっくに解除しているので未来が見えるはずがない。

 だが、少女には確かに見えたのだ。自分の腹部を貫いた銀色の刃物が自分を助けてくれた少女の心臓を刺し貫き、その場に2つの恐ろしいまでの怒号と1つの泣き叫びたくなるような悲惨な叫びが響く景色が。


 自分が憧れた少女が、息絶えた少女の亡骸を抱えながら泣き叫ぶ姿を見て、2つの怒号はさらに大きく、おぞましく、凶悪になっていく。

 次の瞬間、辺りは塵と化し、浄土と化し、形の無い地形へと変化する事だろう。

 恐らく、数か月後にはここら一帯は地図から消し飛んでいるはずだ。


 そして、泣き叫んでいた少女の行く末は、この世を去ってしまった少女と同じ場所だ。

 つまり――


「ダメだ……。あなたは……。あなたは、死んだら……」


 その瞬間、少女は戻って来た。

 自分でも気付かぬうちに女と同期していた精神を半ば反射的に元の少女――メリーナの物へ戻し、ボソッと、誰にも聞こえないような小さな声で呟いた。


 やけに鮮明に見えたその未来は、恐らくこれから確実に起こる未来だ。まだ、その事実にこの場の誰も気付いていない。

 唯一、この未来を創り出す事を望んでいる女以外には、見える事すらない景色だろう。


 女は、仲間がどうなろうが自分がどうなろうがどうでもいいのだ。

 ただヒナからの愛が得られるのであれば、その先はどうでも良い。

 彼女に殺されるなら本望だと思っているし、その為なら罪のない人の命でも、仲間の命すらも平気で利用する。

 彼女の名がレベリオ、つまり反逆や反逆者という意味そのままなのであれば、なるほど。それ以上ないネーミングだ。

 そう思わずにはいられなかった。


「たる違う! 狙われてるのはヒナねぇじゃない!」


 マッハがそう叫んだ瞬間、少女は魔法を発動していた。そこまで威力の無い風系の魔法だ。

 威力にしてみればレベル30程度のモンスター相手に使う物であって、決して100レベルのプレイヤーに使う物では無い。仮に直撃したとしても、なんの痛痒も与えられずに魔法の効果が消滅するだろう。


 しかし……。しかし、この世界では違う。

 この世界では、たとえ味方と認識していようとも攻撃魔法の類は遠慮なく効果を発揮するし、それは自分が対象になっていたとしても有効だ。


 先の攻撃で装備の耐久値がほとんど消えていた少女は、回復してもらった魔力を練って、イラがやっていたような無詠唱の魔法を半ば勘だけで発動させることに成功する。


 その魔法がもたらす物。それは、瞬間的な移動速度の上昇だ。

 風に乗って自分を救ってくれた少女の元へと駆け抜け、少女に迫り来る狂気の刃より一瞬早く、その落下地点に自分の体を滑り込ませる。


(あなたは、ここで死んだらダメだ。こんな奴に、殺されちゃ……だめだ……)


 次の瞬間、少女の心臓は銀色の刃によって正確に貫かれた。

 すぐ目の前で驚愕に目を見開いているヒナと自分を救ってくれた少女を見やり、燃えるような熱さに全身が襲われているにもかかわらず、少女は懸命に笑顔を作った。

 いや、作ったのではない。本心から、笑みをこぼした。


「良かった……。この気持ちは……おかしく、なかった……」


 それは、メリーナが本心から紡いだ安堵の言葉だった。

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