114話 愛することは、いのちがけ
数値上でHPが残っていたとしても、人が生きていくために必要な器官。例えば肺や心臓がダメになっている場合、人間は死に至る。それは首が折れたりだとか、上半身と下半身が別れてしまった際についても同様だ。
これは、ケルヌンノスがロイドで散々実験を繰り返して判明した事なので疑いようのない事実であり、ヒナ以外の3人の姉妹はその事を共有している。
だから、メリーナの腹部を貫いている銀色の刃を見た時、咄嗟にその位置を確認して治癒が可能な傷かどうかを確認する。
「っ! きさま!」
「マッハねぇ、いける! 抜いて!」
「だぁぁぁ!」
イシュタルからのまだ間に合うという言葉だけを信じ、マッハはすぐさまトライソンへと斬りかかった。
その刃の攻撃力は数多の強化が施された恐るべき身体能力と殺意によって普段の数倍の物となっていたが、トライソンは慌てることなく刃をメリーナの体から引く抜くと、そのままクラス固有スキルを発動させてその場から姿を消す。
彼女からしてみれば、物理的な攻撃では絶対に死なないのでそのまま攻撃を受けても良かった。
だが、フィーネやミセリアのように武器を破壊される可能性をキチンと考え、あと数分もすれば到着するだろうヒナと相対した時の為にもそれをここで失う訳にはいかなかった。
ヒナに殺されるのは構わない。むしろ殺されたいとすら思っている。その想いは、ヒナが誰かに殺されるくらいなら自分が殺すという思いと対照的であり、非常に似ている。
自分が誰かに殺されて生涯を終えるのなら、その相手は他の誰でもない最愛の人物であるヒナが良かった。
ヒナに殺されるなら本望であり、たとえあらゆる悔いを人生で残してきていたとしても、その事実さえあれば十分満たされてこの世を去れる。
これを本気で考えているというのだから、トライソン――レベリオの異常さが分かるだろう。
『女神の癒し』
とりあえず体から刃が抜けた事でイシュタルがメリーナへと回復魔法をかけ、その体の傷を一瞬にしてなかったことにする。
口の端から鮮血を吹き出していた彼女は、ガクガクと足を震わせながら地面へと座り込み、今自分に何が起こったのかを必死で理解しようとしていた。
だがその前に、スキルを解除してマッハの目の前に現れたトライソンが言葉を紡いだ。
両手を広げてまるで演説するかのように、それでいて愛しい人に聞かせるための讃美歌のように、高らかに宣言する。
「私はお姉ちゃんを、妹ちゃん達を、そして、そこにいるメリーナを愛している! 私にとって愛とは、その人の全てを受け入れるという事であり、愛するって事なんだ! 他の誰かに取られるくらいなら殺して永遠に私だけのものにするし、そんな思いが無かったとしても殺して永遠に私の物にしたい。究極の独占欲って奴だよね! でもでも、私だけが相手を殺そうなんて思ってたらそれは不公平ってものじゃない? 特にお姉ちゃんや妹ちゃん達は優しいからね。私に恨みでもないと迷いのある刃を向けてくるかもしれない。だから、今回私は考えたんだ。どうしたらみんなに、お姉ちゃんに“愛して”もらえるかなって!」
「……お前、イカれてるよ」
「あーん、ダメダメ。女の子がそんな汚い言葉を使っちゃダメだよマッハ。お姉ちゃんに教わらなかった? 女の子はいつでも気品溢れる姿でありなさいって。いや、あの甘々で優しく、でも時に厳しい最高で最愛のお姉ちゃんならそんな、皆を縛り付けるようなことは言わないか。むしろ、ほとんど当人の個性としてその寛大な心と奈落よりも深く深く、底の見えない心で受け入れてくれるよねっ! あぁ……私もその恩恵に預かりたいなぁ……」
自分の頬を両手で抑えながらウットリと言う彼女に、その場の全員が異常者を見る目を向けていた。
それは仲間であるはずのディアボロスの面々でさえもそうであり、体の修復を後回しにしてその演説を聞き入るくらいには、その場の誰もレベリオ以外の事に気を向けられていなかった。
彼女は一時的にでも、その場を支配する神になったのだ。
これは、サンが持っている特殊な人心掌握術と同様に、レベリオが得意としている事だった。
つまり、自分への視線を一挙に集中させ、その場の人間の注目を集めるというそれだけに特化した特殊なカリスマ性を持っており、政治家の演説なんかをさせれば、そこら辺の芸能人よりも注目を集め、話を聞き入る人が数多く集まるだろう。
その長所を活かすため、女は考えた。愛しい人に、どうすればもっと自分を愛してもらえるのかと……。
いかにも少女らしい、恋する乙女らしいその感情は、女の場合、かなり歪んでいた。
「私ね、普段文庫とか本とかはあんまり読まないんだ。電子書籍が主流になってくる前までは結構嗜んでたんだけど、街から本屋が消えて、通販も消えて、紙で書物を読もうなんて物好きが一定以下になっちゃったせいで、もう紙の本を買うのも苦労するし、そもそも売ってないからね。でも、私が好きな本は確かに存在する。ある人の本の中に、こんなセリフが出てくるんだ。『愛する事は命がけだよ。甘いとは思わない』ってね。これを始めてみた時、私は感動したんだ。まさしくその通りだし、私のイメージにピッタリの言葉だったからっ!」
「……」
「たる、メリーナを守れ。何してくるか分かんない」
「っ! うん、任せて」
女が再び長々と話し始めたのを見て、剣士の勘とも言うべき本能が告げていた。この女は、これで終わるような存在じゃない。まだ何か、とんでもないことをやらかすつもりだと。
この場で守らなければならない第一優先はもちろん自分達の命だが、次点でヒナの事を崇拝し、女のような歪みまくった性癖、性欲……いや、この場合はあえて愛と言おう。
こんな異常な愛を向けてきているトライソンとは違い、少女らしい……というよりも、世間一般で言われる愛よりも遥かに重たいのは変わらないが、そこには邪な想いなんて一切ない。ただ純粋な好意を抱いてくれているメリーナの保護。
それが、この場で自分達の命の次に守らなければならない物だった。
だが、最初の脅威だった3人は既に戦闘不能状態にしてあるし、まだ死んではいないとしてもすぐに体を動かせるような状態には戻らないだろう。
仮に動けるようになったとしてもイシュタルがいる限りは守れるし、自分達の命に関してはもはや心配すらしていなかった。
マッハとイシュタルは、この場では絶対的な強者だ。それは彼女達の態度や、あからさまに剣を交えようとしないトライソンの態度からも明らかだ。
もしも彼女がマッハに近い実力を持っているのであれば剣を交わす事に関して拒否を示すはずがないし、事実ヒナが剣士だったならウキウキで自分と対等に戦えるかもしれないマッハと剣を交えようとするはずだ。
ちょうど、最初にマッハがやったように。
それほどの強さを与えてくれた……この場で、必要最低限の事しか考えなくとも事態を上手く把握でき、その全てを遂行可能な力を与えてくれたヒナにあらためて感謝しつつ、マッハは相手の動きを注意深く観察する。
自分と同レベルの召喚獣と戦う時のような戦闘面での観察ではなく、次は何をするつもりなのか。それを見破る為の観察だ。
しかし、そのマッハの探るような視線すらも女の興奮と心臓の鼓動を早めるくらいの結果しか及ぼす事はなく、さらに頬を上気させて息を荒げさせる事しかできない。
「人って、やっぱり愛する人には自分と同じだけの愛を注いでほしいし、出来る事ならそれ以上の愛を注いでほしいって思うのが普通だと思うんだ? 私のお姉ちゃんへの好意はこの世の誰にも負けないし、この世の誰にも真似なんてできないほどとっても深くて、重くて、殺意と好意がごちゃ混ぜになった物だけど……違うよね? お姉ちゃんなら……あんなに強くてカッコいいお姉ちゃんなら……私以上の“愛”を、私に注いでくれるよね?」
「……はぁ? 何言ってんだ、お前。ヒナねぇがお前みたいな奴好きになる訳ないじゃん。ヒナねぇはあんなだけど、意外と見る目はあるんだから」
エリンを最初に気に入ったのは彼女だったし、普段はオドオドしているが、人を見る目だけは確かだ。
悪い人とそうでない人の区別くらいは付けるだろうし、つかなかったとしてもその人が何かしらの片鱗を見せれば、その鋭すぎる勘と常に周りを警戒しているほどの強すぎる警戒心が原因ですぐに正体が露見するだろう。
そんな人に好かれるためには、エリンのように根っからの善人。つまるところ、裏表のない人になるしかない。
マッハは、そう考えていた。
その観点からすると、女はあまりにも悪に偏りすぎている。
取り繕う事も出来ないほど悪に染まり、それでいてマッハ達を騙し、あまつさえヒナ自身に歪んだ情欲を募らせる彼女の事を、ヒナが気に入るとは思えない。
今回の件も、メリーナの命が危なかったとしてもヒナに相談していれば拒否反応を示していただろうことも、今冷静に考えれば分かる事だ。
今回の失態はそれを見落としていた、自分の責任だ。
だが、レベリオはマッハがそう言ってくることも、ヒナが自分の事をどう思うかなんてことも全て計算に入れていた。
否、それだけではない。
世間一般から見た愛という感情と、自分が言う愛の感情が全くもって別物だという事にも当然ながら彼女は気付いている。
人によって愛の形、感情の在り方は様々だという事を念頭に置いたとしても、女のそれは少々世の理から外れすぎている。
だが、女はそれで良かった。
それこそが、女が相手に愛されていると感じられ、自分も満たされていると感じられる唯一の感情だったから。
そのズレを最大限に活用し、女は考えた。
どうすれば今以上の愛――殺意を、ヒナやマッハ達に抱いてもらえるのか。
単なる敵としてというだけではなく、明確な『ヒナの敵・巨悪』として彼女達の世界に入り込み、その麗しい友情や愛情にヒビを入れられるか。自分を割り込ませる隙を、どうやったら作れるのか。
そればかりを、彼女はラグナロクをプレイしていた時からずっと考えていた。
どうすればヒナに愛してもらえるのか。
どうすれば世界が自分とその周りの人物達だけで完結しているヒナの世界に入り込めるのか。
どうすればヒナが怒り、悲しみ、嘆くか。それを見たマッハ達が、どんな反応をするのか。愛して、くれるのか……。
「私はね、もっとも人が感情を動かされるのは、人の死だと思うんだ。それが大切な人であればあるほどに、人の感情は揺れ動く。人の死に比べれば、愛しい人に振られた悲しみや辛さなんてものは些細な事でしかない。なにせ、その人はまだ“生きているんだから”」
胸に手を当てて誰かに語り掛けるように彼女がそう言うと、まるでそれを待っていたかのようなタイミングで、その場に2人の少女が到着する。
メリーナがもっとも恋焦がれ、レベリオがこの世で最も愛している存在が、この場にいないもう1人の少女、ケルヌンノスを連れてやって来たのだ。
「ま~ちゃん、たるちゃん、無事? 怪我とかしてない?」
「……勝手に行かないで。滅茶苦茶探した……」
能天気に手を振りながら近づいてくるヒナと、その隣で不満げに頬を膨らませている妹を見た瞬間、マッハは悟った。今、目の前の女が何を考え、何をしようとしているのか。
そして、それを裏付けるかのようにレベリオがにやりと口の端を歪めた。
「あぁ、さいっこうのタイミング……。お姉ちゃん……大好きっ!」
警戒していなければ絶対に反応できないような速度で地面を駆け抜けるトライソンを見て、マッハは慌てた。
ヒナの装備はマッハが物理的な攻撃を全て受け持つことを前提として選ばれているせいで、物理的な攻撃には非常に弱い。
そして、この世界ではHPという数値的なデータでしかない物はほとんど役に立たない。
対魔法使いであればその限りではないが、対剣士ともなると膨大なHPは単なる飾りに過ぎなくなる。
それを十分知っているマッハは、すぐさまトライソンを追いかけ――
「ヒナねぇ、来ちゃダメ!」
その前に……剣士である自分よりも先に、ヒナの身を案じて必死で右手を向けて駆け出したイシュタルを見て、驚愕に目を見開く。
たとえダンジョンでの一件で人一倍トライソンを警戒していたとしても、剣士であり感覚も優れているマッハより先に動く事なんて、単なるサポート役のイシュタルに出来る物なのか。素直に、そう感心してしまった。
だが同時に、トライソンの狙いがヒナからその少女に変わった事も、未だに彼女に警戒の目を向けていたマッハだからこそ分かった。
真の狙いはヒナの命をこの場で奪う事ではなく、ヒナの愛を……殺意を得る為に、ヒナが最も大切にしている家族を奪う事。
そして、その相手は戦闘に特化していて真正面から戦っても勝てるかどうかわからない自分やケルヌンノスなんかではなく――
「たる違う! 狙われてるのはヒナねぇじゃない!」
その悲痛とも言える叫びを聞いて、レベリオは自分の計画が完遂されるだろうことを確信してさらに笑みを深めた。
そして次の瞬間、彼女が持つ刃が、1人の少女の心臓を刺し貫いた。
どれだけの回復魔法をかけても完治不可能であり、その瞬間に少女の運命が決まるような一撃が、その体を襲った。