11話 好奇心
ヒナ達がロアの街から帰還した翌日、1日ぶりだというのに妙に懐かしく思えるラグナロク産の食材が使われた料理が食卓に並んだ。
その料理のどれも、ロアの食材を使った料理が酷すぎたせいか、相乗効果でいつもの倍以上の美味しさに感じたのは仕方ないだろう。
特にヒナは、隣で黙々と朝食を取っていたケルヌンノスの頭を優しく撫でて瞳からポロリと涙を流すほどだった。
そんな波乱……というか大げさすぎる朝食を終え、食器洗いを皆で終えたところで再び家族会議が開かれた。もちろん、議題は今後の事についてだ。
ロアの街で得られた情報は主に4つ。
食事が壊滅的にマズイ事、冒険者という存在について、ラグナロク金貨が使えない事、ヒナ達に勝てる存在などほぼいないだろうという事だ。
「食事がマズイ事に関しては正直どうとでもなる。他国の物は美味しいかもしれないし、そもそもあの街を拠点にするならけるねぇにお弁当を作ってもらうとか、あの街で食事をしないとか、色々対策すれば良い……」
「そうだなぁ~。まぁ、まだこの世界の事について全然知らないうちに他国まで足を延ばすのはリスクが大きすぎると思う。まずはロアってとこでこの世界についてある程度の知識を仕入れてからの方が良いだろうなぁ~」
イシュタルの意見にマッハが同意とばかりにコクコクと頷く。
ヒナも、それについては賛成だった。
いくら自分が強いと言われて、他国の料理がおいしいかもしれないという可能性はあるとしても、中々家の外や遠くまで行く勇気は出ない。
それに、ゲームではHPが減らなければゲームオーバーにはならないという絶対の法則・システムが存在したが、この世界ではそこがどうなっているのかまだ分からない。
まだ1割くらいは幸せな夢である可能性があると思っているヒナでも、もし現実だったらと考えると、足元が恐怖でガクガクと震えてくるのだ。
たとえば、腕を斬られたらどうなるのか。お腹を切り裂かれたらどうなるのか。首は、足は……?
それに、治癒魔法はちゃんと機能するのか。機能するとすれば、蘇生魔法は? いやそもそも、欠損した手足は治癒魔法やスキルの類でなんとかなる物なのか? そんな、考え出したらキリがないような問題で、今でもたまに眠れなくなっていた。
ヒナはゲーム内で魔王と呼ばれていただけあってその防御力とHPの多さには多少自信がある。
ただ、それはあくまでデータ上の話であって、現実となるとそうはいかない。
普通、人間は首を斬られたら死ぬけれど、データ上でHPが残っている場合はどうなるのか。
治癒魔法で欠損した部位を治癒した時、それらは元の状態に戻るのか。
そこら辺が依然不透明なままだ。
仮に実験しようとしても容易には出来ないせいで、ヒナはまだ本格的に戦う事も、遠出する事も、絶対に守ってくれるであろう3人と離れるのも嫌だった。
中でも特に戦闘能力の高いマッハやケルヌンノス、彼女達とは絶対に離れたくなかった。
何かあっても守ってくれるだろうという絶対的な安心があるのはそうだが、イシュタルの回復魔法の効果のほどが、まだ完全には分かっていないというのが大きい。
(ロアに最初に向かった時はイシュタルだけだったけど、あそこで死んでた可能性もあるんだよね……。いくら夢かもしれないからって、死んだらそこであの、後は死ぬだけの現実に戻るとしたら……)
そう考えるだけで、体の奥底から震えと恐れが生まれてくる。
元々死ぬつもりだったので、死ぬことそれ自体は別に怖くない。
ただ、ヒナが怖いのは自分が居なくなった後の3人だ。ロアの街でケルヌンノスが暴走していた事も、マッハが斬りかかろうとしていた事もヒナは知っていた。
もし自分がいなくなれば、この子達がこの世界を滅ぼしてしまう可能性もあるし、逆に後を追おうとしてくる可能性もある。なんなら、魔王やその手下として追われる立場になる可能性だってあった。家族にそんな結末は歩んでほしくなかった。
だからこそ、この世界では……いや、こんな大切な人達が傍にいる間は、そう易々と死ぬわけにはいかないのだ。
「……食材云々の話はどうでも良い。多分、ラグナロク産の食材より美味しい物は無い。慣れ親しんだ味が一番美味しく感じる」
「っま、それもそうだな~。今どうでも良い話はしなくて良いな! それよりも、だ!」
「……冒険者。モンスターと戦うかどうか、決めるべき」
イシュタルがそう言うと、マッハが嬉しそうにコクコクと首を縦に振った。
マッハとしては種族的な本能で戦いを好み、その戦闘能力も非常に高い鬼族であるがゆえに、戦いに飢えているのだろう。
それに、ヒナとの過去の想い出もある。ヒナと共に戦場で戦いたいという気持ちがもっとも大きいのは、彼女だ。
ケルヌンノスもその気持ちは強く、ヒナと共にまた戦いたいと願っていた。
ただマッハと違うのは、この家に引きこもるのも悪くないのではないかと思い始めている所だろう。
「あの街には、大した実力も無いのにヒナねぇを含めて私達を貶す存在が多すぎる……。そんな場所で無理に愛想を振りまいたり、我慢をする必要は、ないと思う……。それに、結局のところはここにいれば大抵の事はなんとでもなる」
そう、結局のところ、このギルド本部が快適すぎるのがケルヌンノスやマッハ、果てはヒナの思考を澱ませている原因でもあった。
ハッキリ言って、このギルド本部はなんでもありすぎるのだ。全てがここで完結し、食材が尽きるまではここでダラダラ過ごす事だって全然出来る。
仮に食材が無くなったとしても、ユグドラシル金貨に金としての価値があると分かっているのなら、その財力に物を言わせて全員で食材の美味しい国を見つけて仕入れに行けば良い。
どんなに危険な場所でも、食材を買って戻ってくるだけなら、4人揃っていればどうとでもなる。最悪ぼったくられたとしても、金貨はほぼ無限にあるのだから問題は無かった。
「それはそう……。私達の事は最悪……いや、かなり……やっぱり結構……我慢すれば、まだ大丈夫。でも、ヒナねぇに関しては無理。攻撃系のスキル持ってたら、私もあのギルマス殺してた」
「ちょ、ちょっとみんな……」
「ヒナねぇがいなかったら、あいつは今この世にいない。ヒナねぇに感謝するべき」
ケルヌンノスが腕を組みながら自信満々にそう言うと、マッハやイシュタルも同意とばかりにコクコクと頷く。
その殺意の高さと自分の家族がかなり好戦的で内心驚くヒナだが、その気持ちが嬉しく温かい物であることに変わりはない。それに、自分も良い気がしなかったのは確かだ。
それでもあの場でケルヌンノスを止めたのは、人を殺すのはダメだと至極当たり前のことが頭にあったからだ。
「ねぇ、その事なんだけどさ……我慢しろとは言わないけど、殺すとかそういう行動は極力止めない……? もしその、辛くなったら私に頼ってくれて良いからさ……?」
「……なんで?」
「な、なんでって……。人殺しはさ、良くないじゃん……? 皆の気持ちは嬉しいけど、それで皆が手を汚しちゃうのは、やっぱり悲しいよ……」
「別に、ヒナねぇのためなら構わない。それに、ヒナねぇをバカにした奴は許せない。万死に値する」
ケルヌンノスが真顔でそう言うと、ヒナは返答に困ってしまう。
なんで人を殺しちゃいけないのかなんて、自分に実力のないうちはそんなの当然だろという気持ちで頭がいっぱいだったが、自分にその力が備わっているとなれば話は別だ。
気に入らない奴は殺す。それが、この世で一番手っ取り早い解決方法であり、その力があるのであれば何より楽な問題の解決方法なのだから。
だが、やはり人殺しはダメだ。いくら相手が悪かろうとも手を出したらこちらの負けだ。そう、自分に言い聞かせる。
「嬉しいけど、お願い。出来るだけで良いから、我慢して?」
「…………ヒナねぇがそう言うなら、頑張る」
「ん……。私も、ヒナねぇがそう言うなら出来るだけ頑張る。でもその代わり、その時が来たらヒナねぇに甘えるから」
「っ! わ、私も、そうするし……! たるだけじゃないから!」
「ヒナねぇが言うなら、私もそうする〜」
全員がなんとか納得してくれたようでホッとする反面、その分甘えられるような気もするから素直には喜べないというのも事実だった。
ヒナは甘えられる事それ自体は好きだし、ここにいる家族の全員を愛していた。だからこそ、いちいちその幸せがいつか壊れてしまうのではないかと不安だった。
目の前の生活が幸せであればあるほど、その生活が終わるその時が怖くてしょうがなくなる。ヒナは、今まさにそんな状態だ。
この生活が大切になればなるほど、幸せであればあるほど、それが壊れるのが怖くなる。
だからこそ、いつか自分が彼女達をバカにされて我慢が出来なくなるのではないか。そんなわずかな恐怖が、彼女の心のうちに存在していた。
「……ヒナねぇ、そう言うって事は、あの街で何かしたい事があるの?」
「う、うん……。その、私も……みんなと冒険とか、してみたいなって……」
俯いて頬を染めながらそう言うと、ヒナは3人の反応を待つ。
ヒナ自身も、この生活が死ぬことによって終わるのは怖い。
治癒魔法がちゃんと機能するのかどうか、HPの概念がどうなっているのか。そのあたりも、もちろん不安だった。
ただそれ以上に、彼女はその過程や動機はともかくとして、重度のMMOプレイヤーだ。冒険をする事それ自体をとても好きなのはもちろん、画面上でしか動かなかった家族達がこうして目の前にいて、言葉も交せる。そんな状態で、皆と共に冒険をしたいと思わないはずがない。
「……やっぱりヒナねぇは、自分が可愛いって事を自覚するべき」
「なぁ~、ズルいよなぁ~」
「同意……。そんな事言われたら、断れるわけない」
「え、えぇ……?」
本気で困惑して分からないといった表情を浮かべるヒナを見て3人は呆れたようにため息をつくと、お互い顔を見合わせてコクリと頷いた。
その真意は彼女達にしか分からないが、全員がヒナを全力で、それも出来る限り守ろうと心に誓った。それこそ、自分達の命に代えても。
「……じゃあ今度、あのムカつくギルマス――」
「ワラベだ。ワラベ……うん、やっぱりムカつくギルマスで良いや。ムカつくギルマスに話聞きに行くんだろ? 入会? 入隊? ともかく、それしたいって」
「うん、あのムカつくギルマスにそう言いに行く。私達4人ならなんでもできる。怖いものなし」
もはやワラベへの私怨からムカつくギルマスと言いたいだけではないかとツッコミそうになったヒナだが、殺すだのなんだの言うよりはよっぽど少女らしくて可愛いのでなんとか飲み込むことにした。
それに、我慢をしなくて良いと言ったのは自分なのだ。最悪殺さないのであれば、呼び方なんてものは些細な物だろう。
「……とりあえず、あのムカつくギルマスに話をしに行くまでこの話は進まない。次に考えるべきは、やっぱり私達の強さに関して。この世界で、私達に勝てる存在はほぼいないって事で良いと思う。これは、大きな情報」
「……たる、それは危険。あのムカつくギルマスも、私達に勝てる存在は片手で数えられる程度とは言っていたけど、いないとは言わなかった。なら、警戒はするべき」
「冒険者になるって言うなら、杖が無くともなんとかなるヒナねぇやたる、けるはともかく、私は絶対に愛刀持ってるべきだろうな~」
マッハはそう言うと今は自室のアイテムボックスの中にある愛刀を思い出してか天井を見上げる。
ヒナは杖があった方が強くなれるのは間違いないのだが、魔法それ自体は必ずしも杖が無いと使えないという制約は無いし、スキルに関しては武器を装備していなくともなんの支障もなく発動出来る。
ただ、剣士のマッハは刀を持っていないとそもそも戦えないので、よほどの事が無い限り武器を持つのは最前線で戦う事になるであろうマッハだけだ。
「基本の陣形はラグナロクの時と同じで良いよな? 私が前衛で、けるとヒナねぇが中衛、たるが後衛でサポートって感じで」
「……問題ない。でも、そこまで完璧な陣形を組む必要があるのかは、疑問」
「良いじゃん、雰囲気って大事だろ?」
白く光る歯をキラリと光らせるマッハは、まるで最強の艦隊を作ろうとしている幼い子供のようだった。
ケルヌンノスも疑問を口にしてはいたものの、雰囲気は大事というマッハの言葉には思うところがあるのか小さく頷く。
ヒナとしては一度召喚魔法を使った事で魔法の使い方や魔力の流れなんかをより一層強く感じる事が出来ているので、攻撃魔法が使えないとかそんな心配は微塵もしていなかった。
それどころか、早くモンスター相手に使ってみたいという思いが強く、自身の強さを早く試してみたいという大きな好奇心の炎がその心を燃やしていた。




