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106話 マリリエッタの客人

 ヒナがこの世界にいると知った翌日。

 メリーナはいつも通り眠る事など当然できず、今日の予定が入っていなければ今すぐにでもダンジョンに足を運びたいとシャルティエットに言い出すつもりだった。


 幸いにもダンジョンに行くことそれ自体にはシャルティエットは前向きな考えを示していたし、自分の予想が正しければそのダンジョンというのは自身がかつて所属していたギルド『真昼の夜』だ。ならば、必ずいるはずだ。

 自分自身が己の力のほぼ全てを託し、そのダンジョンの最深部を守るよう設定を施した娘と言っても良い存在……雛鳥が。


 雛鳥がこの世界に来ていて、ヒナのNPC達と同じように感情や命を持っているのだとすれば、自分の姿を見てモンスター達を差し向けてくるような事は無いだろう。

 むしろギルメンしか使えないはずの各階層直通エレベーターを使って迎えに来る可能性まである。

 なら、3層に配置されているヒュプノスが倒せないとしてもそこまでビビる必要性はない。


 そもそもヒュプノスという神の名を冠するモンスター相手にヒナ達4人だけでは戦力不足だと考えるのが普通なのだが、メリーナにはそんな心配の気持ちなど微塵も無かった。

 自分が崇拝していた人物が、ゲームでは無いとは言えそこまで強くない神に負けるとは考えていないのだ。

 ある種の絶対的な信頼が、そこにはあった。


 一秒でも早くヒナに会いに行きたい気持ちを必死で我慢しているのは、昨日自分で取り決めた面会の約束が午前に入っていたからだ。

 マリリエッタからの紹介ともなれば無下にすることはできず、昨日の夜に護衛任務を終えて帰って来たらしい彼女も同席するとまで言われると、急にほっぽり出してダンジョンに行く訳にはいかない。


「失礼します。メリーナ様、マリリエッタ様とそのお客人様3名をお連れしました」

「ん、入ってもらって」


 一瞬応接室の扉の奥から聞こえて来たカイザーの声に、客人が3人とは聞いてないと文句を言いそうになるが、それを口にする前に応接室の扉が開かれてマリリエッタ他3人が部屋へと入って来た。


 マリリエッタは小麦色に焼かれた肌の活発そうな少女で、腰に下げている刀は相当な業物である事がその柄を見ただけで分かる。

 髪の色は雪のように白く、腰のあたりまで伸ばされているそれは手入れを随分と念入りにしている事が分かるほど艶やかだ。

 その血のように赤い瞳は少し気になるけれども、そこは些細な問題だろう。

 特質すべきは彼女の見た目ではなく、その異常な強さなのだから。


 彼女はこの世界の人間とは明らかに一線を画した強さを誇っている。

 シャルティエットによると、ブリタニア王国の騎士団や王族は、神の血を引いているとかで他の者達よりも遥かに強い戦闘能力を誇るらしい。

 もしかすると、彼女の先祖にもその神とやらが名を連ねているのかもしれない。


「やぁ、ずいぶん久しぶりな気がするねメリーナ。まさか君に文才があったとは思わなかったよ」

「……どうも、マリリエッタさん。昨日は大変だったそうですね」

「ん? あぁ、そっちは心配ない。全て終わらせてきたからね。幸いにも、死傷者は出ていないよ」


 そういう事を言っているのではないのだが……ともかく、マリリエッタに自分の向かいに腰掛けるように促すと、彼女の客人達にも同じように座るよう促す。

 しかし、ソファは最大でも3人が座ったらスペースがいっぱいになってしまうので、客人のうちリーダー格と思われる1人がマリリエッタの隣に腰掛け、後の2人はその背後へ控える。


「こちらは私の古い友人であるトライソン、後ろの2人は姉のミセラブルと妹のコレールだ。2人は見た目通り姉妹だけど、今回はトライソンの付き添いだ。あまり気にしなくて良い」

「付き添い……」


 なんで付き添いなんて来るのか。それが、メリーナにはよく分からなかった。

 だがしかし、3人ともに非常に美しい女性であることに変わりはなく、日本名のような感じも見受けられない事から現地人なのだろうと当たりを付ける。

 トライソンはともかくとして、後ろに控えているミセラブルとコレールに関しては背筋が凍りそうな殺気と計り知れない圧倒的な力を感じるが、それは気のせいだと宇宙の彼方へ押し流して話を聞く姿勢に入る。


 今回はムラサキの時のように何も出さない訳では無く、しばらくするとカイザーが紅茶のセットとこの国でも多くの人が気に入っているショートケーキを持ってきた。

 三角にカットされたケーキの上にちょこんと乗っかっているイチゴのような赤い物体は、食べた事のある者なら絶対に中毒になるだろう悪魔じみた甘さを内包している。

 名誉のために言っておくが、これはイチゴのような物というだけであって正確にはラズベリーというそうだ。


 本物を見た事のある身からしてみればどこがだとツッコミを入れたくなるのだが、それは同じくシェイクスピア楽団が提供しているどら焼きやマカロンにも言える事なので、口を挟むのは野暮という物だ。

 それに、彼らが想定しているどら焼きやマカロンと、同じ名前を持つお菓子が別の世界に存在しているのは偶然かもしれない。

 仮に偶然では無かったとしても、ここで喚いた所で何も解決しない問題であることに違いはない。


 いや、ヒナがこの世界にいるとなれば十中八九シェイクスピア楽団の創業者やブリタニア王国の建国者達はプレイヤーなのだろうが、今やそのどちらも存命では無いようだ。

 どちらの者達にも接点があったわけではないので仮に生きていたとしても会いに行くことはできなかっただろうし、今となってはあまり関係ないのだが……。


「で、私の元で働きたいとの事ですけど……特別な事情っていうのはなんなんですか?」


 正直こんなどうでも良い面会よりも、早く憧れの人物に会いに行って彼女が自分の想いを知る前にダンジョンから連れ出すなり、部屋の物を焼却処分したい。

 その気持ちが表に出てしまい、少しだけ辛辣な口調になってしまうがそれを責められる者などいるはずもない。


 マリリエッタはそんな彼女の暴風の如く荒れ狂っている内心などお見通しかのように薄く笑うと、隣のトライソンに話すように促す。

 すると、彼女は少しばかり恥ずかしそうにしつつ、それでいてどこか挑戦的な瞳をメリーナへと向ける。


「あなたの書いた小説に登場するおね……じゃない、ヒナさんに感銘を受けまして。それで、昔からの知り合いであり師匠でもあるマリリエッタにお願いしたんです。どうしても、あなたの傍で働きたいから口利きをしてくれと。多少強引になった事は謝罪しますが、悪いのは私であってマリリエッタではないのでどうかご容赦ください」


 椅子に座ったままではあったもののぺこりと頭を下げた彼女は、すぐに頭を上げるとニヤリと身の毛もよだつような邪悪極まりない笑顔を一瞬だけ浮かべ、瞬く間に見た目通りの少女のそれへと変化させる。

 その一瞬の変化に薄ら寒さと言葉に出来ない死の恐怖を感じつつ、メリーナは震えそうになる声をなんとか平静を装って絞り出す。


「私なんかの傍で働いても良いことなんてありませんよ? あの小説の続きを望まれてるんだったら、未来永劫出る事は無いです。これは、あなたが私の傍に居ようと居まいと関係ありません」


 この世界にヒナが居ると知った以上、誰が好き好んで自分の恥ずかしく浅ましい、それでいて叶う事の無い恋心をしたためたいと思うのか。


 あの人に並ぶほどの強さか、もしくはあの人に相応しいだけの魅力を持っているのなら話は別だろう。

 それこそ、胸を張って私はあなたが好きですと……隣で生きて行きたいと、そう言えたことだろう。


 しかし、自分はあの時に折れてしまった。

 唯一犯してしまった重たすぎるその罪によってその隣に立つことを諦め、旅を辞めてしまった。

 そんな自分に、どうしてあの人の隣に立つことが許されるだろうか。想いを伝える事が、許されるだろうか……。


 そんな後ろ暗いことを考えていたメリーナは、トライソンではなくその後ろに控えていた姉のミセラブルの声で我に返った。


「こいつねぇ、ほんとにメリーナさんとこで働きたいってうるさくて~。ちょっとめんどくさいけど仕事は出来るしそれなりに腕も立つから、護衛にはピッタリだと思うよ~?」


 どこか耳の奥にねばりつくような、それでいてスッと抜けていくような気もする不思議な気持ちの悪さを感じる声色だった。

 まるで全身をムカデが這い回っているような強烈な吐き気と嫌悪感に侵されそうになるが、その前に鈴が鳴るような綺麗な声がその場に響いた。

 その声の主は、ミセラブルの妹だった。


「……お姉ちゃん、そんなことを急に言われても混乱するだけだよ。確かにトライソンは面倒なところも多いしお荷物かもしれないけど、最低限の仕事は出来るし腕もそれなりに立つ。それは事実だけど、やっぱり私達ほどじゃないんだから、あんまり過大評価したら失礼だよ?」

「ん~? あぁ、そっか~! ごめんなぁイ……コレール」


 どこかで“見た”ことのある話し方だなと思いつつも、その喉の奥に魚の小さな骨が引っ掛かったような奇妙な違和感は拭いきれず、結局マリリエッタが2人を窘めた事で意識を強引に引き戻される。


 後ろでニヤニヤとしたどこか獲物を見定めるような視線を送ってきている2人を努めて無視しつつ、2人に好き放題言われたからかちょっぴり機嫌を悪くしたトライソンがブルブルと右ひざを揺らし始めた。

 その事に危険信号を感じ取ったのだろう、マリリエッタが話を戻す。


「どうだろうね、君ほどの強さがあれば護衛などいらないかもしれないけれど、近々冒険者ギルドが立ち入り禁止命令を出している高難易度ダンジョン攻略に駆り出されるかもって話じゃないか。なら、戦力は多い方が良いんじゃないかい?」

「……どこでその話を? 私だって昨日知ったのに……」

「嫌だなぁ。私はこれでも護衛部隊の隊長なんだ。お嬢様と面会する事は君よりも多いさ」


 まぁ、それもそうか。そう思う事にして、一瞬感じた強烈な違和感の正体を探る行為をすぐさま取り止める。


 彼女がマリリエッタを苦手としているのは、会話の節々に今回のような強烈な違和感と、自分は何か大変な事を見落としているんじゃないかという本能が訴えてくるのが原因だった。

 その違和感と本能的に感じる危険信号の原因が分かれば、彼女もマリリエッタと仲良く接する事は出来るだろうが、これまた本能的に、そうなることは無いんだろうなと感じているというのも事実だ。


「まぁ確かに近いうちに例のダンジョンに行ってもらうかもって話は聞いたよ。でも、それはそれじゃない? 私の元で働くって、具体的に何をするの? カイザーもいるし、大抵の身の回りの世話なんて間に合ってるよ?」

「まぁ一番は君の護衛だね。続けて言うならうちの戦力増強。知ってると思うけど、いくら私でもシャルティエットお嬢様に許可を貰わないと隊員は増やせない。もちろん推薦する権利くらいはあるけど、トライソンは自分が気に入った人の下でしか働きたがらないんだ」

「……そんなんじゃこの国じゃ生きていけないんじゃない?」


 そんな贅沢を言えるほど、この国は富に恵まれている訳では無い。

 シェイクスピア楽団とシャルティエット商会という、実質世界最大級の商会が2つもこの国に拠点を構えているから他の国よりも栄えているというだけで、経済的な余裕があるかと言われるとそうでは無いのだ。


 それに加え、今はブリタニア王国の一件もあって情勢が非常に不安定な時期だ。

 もしかすれば世界的な戦争が起こるとまで言われており、物価は日々高騰を続けている。それは、シェイクスピア楽団やシャルティエット商会でも例外ではない。


 そんな中で、自分が認めた人~みたいな贅沢を言っている場合ではないのだ。


「君の言う通りだ。でも、この子は私の言う事に耳を貸さない問題児でね。唯一君だけ、彼女のお眼鏡にかなったという訳さ。だから、どうか頼む」

「そう言われても……」


 もちろん、そう言われて嬉しくないかと言えば嘘になる。


 誰にも認められる事の無かった人生だ。唯一の理解者と思っていた父親も、自分がゲームを辞めた数か月後には事故で他界してしまったし、それから母の教育という名の拷問はさらに厳しさを増した。

 そんな生活を続けていた身からすれば、誰かに認められると言うのは人生の全てを肯定されたような気になるほど嬉しい事だ。


 しかし、それはあくまであの生活に絶望していた頃であり、シャルティエットと出会うまでの話だ。

 彼女が自分の全てを始めて受け入れてくれた人として、一生着いて行くと決めたのだ。

 そんなメリーナの思いが伝わったからこそ、シャルティエットも彼女を商会の誰より大切に想っている。少なくとも、メリーナはそう思っていた。


 だからこそ、トライソンにそう思われても、正直言ってそこまでの魅力を感じなかった。

 だが……。だが、ヒナだったら、どうするだろう。その事が気になって、彼女は否を突き付けられないでいた。


 自分が憧れ、その隣で生きたいと思った彼女であれば……その隣に並んで生を謳歌するという、身分の差を考えてすらいなかった愚かな夢が、また叶う可能性が出てきたのだ。

 なら……ゼロに近い可能性だろうと、その芽を自分から摘み取る事はしたくなかった。

 一度は自分から摘み取ってしまったその薄い可能性は、今度は自分からは手離したくなかったのだ。


 彼女の……ヒナの隣で生きるためには、彼女に相応しい人間にならなければならない。

 彼女に相応しい人間は、ここで自分を慕ってくれる人を見捨てて、この広くも決して優しい訳じゃない世界に放り出すのか。

 その答えは、考えるまでもない。


「分かった。仕事があるかどうかは分からないけど、私の護衛として働いてもらう。シャルティエットお嬢様へは、私から話しておく」

「うん、そうしてもらえると助かるよ。私は、君達が良き友人になれると確信している。何か問題があれば私に言ってくれ」

「分かりました」


 それだけ言って、4人は部屋から出て行った。

 話は終わりとばかりにケーキを平らげたその変わり身の早さには多少驚いたが、それだけだ。

 これで、少しはヒナの隣で生きていくに相応しい人間に……なれただろうか。

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