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103話 小説家

 とある小さな商会の一室で、少女はいつも通り目を覚ました。

 紫の背中まである長い髪を鬱陶しそうにいじりつつ、最近になってようやく慣れて来た周囲の音をこれでもかと拾い集める猫耳を触ってひゃうっと変な声を出してしまう。

 猫の尻尾も気になるのだが、やはり自分は耳の方が敏感らしいと改めて自覚し、少女はベッドから身を起こして部屋から出た。

 女の子としては化粧の一つも無しに人前に顔を晒すのには激しい抵抗があるのだが、この世界には“あの人”がいないので別に良いかと早々に諦めている。


 この世界に来て少女がお世話になっている商会の名は、シャルティエット商会。そこまで大きな商会では無い物の、それはシャエイクスピア楽団と比べると……という意味であり、この場合は全世界に拠点を持ち、そのブランド力も他を圧倒しているそれと比べる方が酷という物だ。


 シャルティエット商会はメイシア人類共和国を拠点に活動し、日用品や食材の扱いをメインに商売をしている。

 対して、この世界に少ない娯楽やら魔道具、便利な生活術の本の出版などで荒稼ぎしているのがシェイクスピア楽団だ。どちらが儲けを出しやすいかなんて、改めて考えるまでもない。

 しかし、そんな世界的な商会であるシェイクスピア楽団は、正式にシャルティエット商会をライバルとして認めており、お互いに切磋琢磨している……というのが、世間一般には知られていない事実だった。


 そんな、世界で2番目に大きな商会と言っても過言ではない場所でお世話になっている少女は何者か。そう思う者もいるだろう。


 少女は、ある日突然この世界へとやってきて、食料やらなにやらが一切ない状態で3日を過ごし、もう少しで餓死するという所に偶然通りかかった商会の手の者が施しを与えた事でなんとか命を繋ぎ止めた。

 お礼がしたいと口にした少女は、その商会の者が護衛を探しているという話をしたので自身の力を見せて護衛として雇ってもらい、数日前に騎士団の大部分が消滅したというブリタニア王国に次ぐ大国……いや、今や世界最大の武力を持ち、もっとも豊かな国であるとされるメイシア人類共和国に足を踏み入れたのだ。


 彼女の護衛の仕事はそこで終わるはずだったのだが、少女の強さを見込んだ護衛部門の男の推薦もあって住み込みで働くことを許された。

 そこからはトントン拍子……順調すぎるくらいに全てが上手く運び、商会内でも腕の立つ護衛として名が売れた。

 その名声はシェイクスピア楽団の耳にも届き、時々危険な道のりに同行してほしいという声がかかるくらいには有名になった。


 だが少女はそれにうんと答える事はせず、護衛の任務を最小限に抑えて、報酬として得ていたお金を使ってペンと紙を購入し、与えられた自室で“あの人”についての小説を書いていた。

 そこに深い理由はない。ただ、数年ほど前に諦めたはずのあの人の影がどうしてもこの世界に来てから頭にこびりつき、毎晩のように夢に見るのだ。

 だから、完全に忘れるために震える手に鞭を打って必死に小説を書いた。


 もう、叶うことは無い。

 もう、絶対にそう望むことはできない。

 もう、比喩でもなんでもなく、あの人のいない世界に来てしまった今だからこそ、自分の想いの丈を赤裸々に綴れる。

 それは、正真正銘、過去の失恋、憧れをサッパリ諦めるために書き留めたラブレターだった。


 だがしかし、彼女が護衛任務で出払った頃を見計らって掃除に入った商会の人間が、偶然机の上に置かれていたその紙の束を見てしまった。


 少女は元居た世界の文字しか書けないので日本語で書いていたのだが、この世界には魔道具がある。

 文字の読めない者でも自身の記憶にある言語へと自動的に変換してくれる魔道具は、万が一相手が他の言語を介する種族だったら面倒だと考える商人には必需品だ。

 掃除に入ったその男ももちろん所持しており、興味本位で懐からその魔道具を取り出して少女のラブレターに目を通した。通してしまった。


 それから、話は早かった。すぐさまそれを出版しようとする動きが出て、少女が護衛の任務から帰ったその日に、当てつけの如く発売されたのだ。

 最初はたった数冊が販売されるだけで、商会の人間達も物は試しにという感じだったのだが……


「どうしてこうなっちゃったかなぁ……」


 少女はポツリとそう呟き、部屋の窓から見える外の景色に目をやった。

 そこには見事な細工の建物がこれでもかと並び、まるでファンタジーの世界に迷い込んだかのような錯覚を……いや、実際にはそうなのだが、そう考えてしまっても仕方のない光景が広がっている。


 もはや見慣れて来た窓の外の眺め……ではなく、商会の前に出来ている30人ばかりの人だかり。彼らが求めている物を察して、はぁともう一度ため息を吐く。

 その時、コンコンと優しく扉がノックされ、少女の返事を待たずにガチャリと扉が開けられる。


「おはようございますメリーナ様。朝食のご用意が整っております」

「……おはよ、カイザー」


 少女――メリーナは、カイザーと呼ばれた執事服を身に纏った少年にニコッと微笑むと、改めておかしいだろ……と部屋の中を見回した。


 この部屋は、以前商会の幹部が使っていた部屋らしく、調度品の全ては高級ホテルに置いてあるようなそれであり、ベッドを見れば優に4人は寝られるような巨大な物だ。

 ここら辺では珍しく家具が全てアンティーク調の物で揃えられ、木材がふんだんに使われたその空間はどこかモダンで和やかな雰囲気を感じさせる。

 部屋の隅に置かれている数日前に運び込まれた執務机は、商会からの「次を書け」という無言の圧力なんだろうなと思っているので未だに使っていない。


「ねぇカイザー。執事って、主人の部屋に入る時はノックしないらしいよ? 知ってた?」


 メリーナは単なる護衛。その認識はここ数日ですっかり書き換えられてしまい、突如として護衛の者達が暮らす宿舎から、この妙に豪勢な部屋へと住居が移され、待遇も執事見習いではあるものの、お付きのものが1人着くという好待遇。正直、どうなってるんだと叫びだしたい気分だった。


 だが、そんな事を言っても仕方ないことは既に分かっているし、これをやったのも商会のボスであるお転婆お嬢様の仕業だ。なので、ここで自分がどうこう言っても目の前の少年は従わない。

 ならばと、執事見習いの彼にその不満をちょっぴりぶつけようとしたのだ。


「もちろん存じております。ですが、失礼ながらメリーナ様は我が主ではありません。それに、女性ですので万が一にも着替え等の場面に遭遇するのは避けなければと」

「……じゃあ、せめてこっちの返事を聞いてから部屋に入ってくるべきじゃない?」


 困ったように笑ったメリーナを見てそれもそうかと思い直したカイザーは、素直に以後気を付けると頭を下げる。

 メリーナとしても彼を虐めたい訳では無かったのでお喋りはそこまでにして、ふふっと軽やかに笑うとカイザーに朝食を持って来てほしいとお願いする。


 食堂で他の者達と一緒に食べても良いのだが、ここ数日は顔を合わせる商会の人間にやたらと褒められて調子に乗りそうなので自重しているのだ。

 褒められる経験などまともにしてこなかったので、その相手が好青年のイケメンだったらうっかり惚れてしまう可能性もある。

 いや、それは別に悪いことではない気がするのだが、なぜだかそれをしたらダメだと訴える本能に、一応従っていた。


「で、今日って何か予定あったっけ?」


 朝食を口に運びながら、傍で目を閉じて物音一つ立てず控えているカイザーにそう問いかける。


 彼女としては護衛の任務で早くこの現実を忘れたいのだが、ここ最近は関係各所への顔出しやら、身に覚えのない縁談の話やら、挙句の果てにはシェイクスピア楽団の者達が面会を求めてきているがどうするか……という話が出てきていた。


 数日前に顔を合わせたばかりだが、仕事は出来るし確かな敬意も持って接して来てくれるカイザーには一定の信頼を寄せている彼女だったが、ここ最近の予定を口にする時の彼だけは嫌いになりそうだった。

 その口から呪いの言葉が出てこない事を祈りつつ、1週間ぶりの護衛任務の依頼が入っている事を期待したのだが……


「今日は面会を求めてきている者が3名。会われるかどうかはお任せいたします。次に主様から正午前には屋敷へ来るようにとの連絡が来ております。午後は特に決まっておりません」

「はぁ……。あの子に会うのはまぁ良いとしてさぁ……また面会? 今度は誰よ……」


 シェイクスピア楽団には移籍するつもりはないとキッパリ断りの連絡を入れているし、あのお転婆お嬢様が、お気に入りとして時々屋敷に呼ぶほどの自分を手放すとは思えない。

 彼らはそんな実りの無いだろう交渉に数日ごとに人を寄越すほど暇ではないし無能でもないのでその線は消える。

 他の商会だって、シェイクスピア楽団から引き抜きの話があったはずなのにそれに乗らない彼女を勧誘しようとは思わないだろう。

 あるとすればここ数日身に覚えのない縁談の話を持って来ているこの国の貴族や王族の者達だが、その人達には会いたくなくとも、顔を合わせて丁重に断らなければ後々面倒な事になる。

 出来ればそんな面倒な……神経を使う事はしたくないと思いつつカイザーに目をやると、今度は幸いにもその口からその類の面会以来は無いという旨が告げられた。


「そう言った者達は、全て主様が断るようにと指示を出されました。いい加減、メリーナ様に集るハエが鬱陶しいと思われたのでしょう。うちも、シェイクスピアのところほどではありませぬが、この国に必要不可欠な商会ですので」

「……そっか。じゃあ、会った時にお礼言わないとね。あれ、じゃあほんとに誰?」


 縁談の話が以後来なくなったのは良いのだが、であれば自分に面会を求め、その判断が商会ではなく自分にゆだねられるような人物とはいったい誰なのか。


 当然ながら、民衆からの縁談や会いたいといった声に商会が耳を貸すはずがない。そこには確固たる理由が必要だし、商会がメリーナに対する面会を認めたとしても、そこには必ず「本人が良いと言えば」という文言が付く。

 つまり、今この場でカイザーが口にした面会を求める者とは、商会側はオッケーを出したので、後は本人の意志で決めろと言ってきている者達だ。


 そんな者達は、この世界に来てまだ2ヶ月も経っていない彼女には心当たりがない。


「1人は冒険者ギルドの創設者であるムラサキ様です。2人目は同じく冒険者ギルド、ガルヴァン帝国支部のギルドマスターであるワラベ様。3人目は……少々特殊なのですが、メリーナ様の小説に感化されてどうしても雇ってほしいと言ってきている者です」

「……待って? 冒険者ギルドの人達の方も気になるけど、どうしても雇ってほしいって言ってきてる人達を、商会が許可したの?」


 メリーナの元で働きたいという気持ちが分からないという大前提は置いておいて、そんな申し出など既に吐いて捨てるほど来ているはずだ。

 しかしながら、今までその手の人物が面会を許可されたという話は聞いた事が無い。

 これはメリーナに限らず、有力な商人であればあるほど相手にされないのだ。


「メリーナ様の言ももっともです。通常であれば商会はその手の者達を相手にしません。ですが、今回は何やら特別な事情があるとかで、マリリエッタ様が許可なされました。申し訳ありませんが、私も詳しくは……」

「そっか……。冒険者ギルドの人達の方は?」

「そちらは、メリーナ様の小説についてお話があると。一定以上の権力と誠意ある対応を見せられたという事で、主様がご許可なされました」


 この面会の予定を受けるかどうかは自分次第。そう言われているのは確かだが、ここで断っても良い物なのかどうか、一介の高校生に過ぎなかった少女には正確な判断が出来ない。

 冒険者ギルドと言ってもその仕組みはボヤッとしか把握していないし、今までそちらの方面に関わってきたことは無い。


 それに、小説関係ならあれは自分の夢小説と言ってもいいほど酷い出来だったし、原文がそのまま出版されてしまったので表現を変えたい箇所だったり拙い文章がそのまま世間様に発表されてしまった。

 その事について疑問の声が上がってくれば彼女は恥ずかしさで首を括る覚悟すらしているのだが……シャルティエットお嬢様が許可した者達を無下にするわけにはいかない。


「その、創設者って人に面会するのはオッケーって返事しといてくれる? 確か、本部ってこの国にあるんでしょ?」

「かしこまりました。では、ワラベ様の方はいかが為されますか?」

「そっちはいいや。聞きたい事があればその創設者って人に許可出した時点で話持っていくだろうしさ。それはそうと、特殊な事情があるっていうマリリエッタさんからの紹介をどうするかだよね」


 マリリエッタとは、最近護衛隊長に任命された女の事だ。

 年齢は30代前半で、圧倒的な実力と確かな剣筋が前護衛隊長に見初められて雇われて半月ほどでその地位に上り詰めた凄腕の剣士だ。

 ただ、メリーナは彼女の事がちょっと苦手だったのであまり言葉は交わしていないし、特に親しい訳でもない。

 だが、一応護衛隊長という役職についている彼女の発言権はある程度大きいので、シャルティエットお嬢様ほどではないにしてもその発言を無下にするわけにはいかなかった。


 それに、自分はまだ正確に言えば護衛部隊の一員なので、本来なら彼女の命令には従う以外の選択肢はない。

 今はこういう事態なので向こうも遠慮してくれているという事だろうが、やはり断るには多少なりとも勇気がいる問題だ。


「……はぁ、良いよ。その人も会う。でも、流石に急すぎるから午後にギルドの創設者って人との面会を取り付けて、マリリエッタさんの指名する人は明日に回してもらっていい?」

「かしこまりました。マリリエッタ様にはそう言っておきます」

「うん、ありがと」


 さっさと食事を済ませて一旦カイザーが部屋から出て行ったタイミングで商会から与えられたゆったりとした寝間着から自身の愛用の装備へと着替える。

 アイテムを溜めるという習慣がほとんどなく、お金もほとんど使えなかったのでアイテムボックスをポーチのような形に設定していたのが功を奏し、装備や武器の予備なんかを取り出すのに苦労しないのは唯一の美点だ。


「ヒナさん、ボクは……ボクは、あなたの隣に……」


 ポツリと部屋の中でこだましたその言葉は、最後まで紡がれることなく本人のいやいやという声によって掻き消される。

 この世界に来て……いや、あのゲームを辞めてから毎晩のようにそう口にし、諦めきれない恋心とは似て非なる感情は、もう捨てたはずだ。

 もう、自分は全盛期の力を失ったのだ、彼女の隣には、もう立つことはできない。


 それに、仮に今全盛期の力を取り戻したとしても、ヒナには遠く及ばないだろう。

 自分があのゲームを辞めてからも、ヒナの情報なんてSNSを見ていれば嫌でも目に入ってきた。

 彼女が変わらず最前線で戦い続けていたのなら、数年前の環境に取り残されている自分が足下に及ぶはずもない。


「はぁ……。やめやめ! こんなこと、今更思っても仕方ないんだから……! よし、行こ!」


 そう、思っても仕方のない事。なにせ、その想いを向ける対象が、この世界にはもう存在しないのだ。

 もちろんラグナロクの世界にもいなければ、彼女が本来生きるはずだったあの世界にも、もう彼女の姿はない。幻影でさえ、今は見る事が出来ない。完全に、ヒナは自分から離れてしまったのだ。

 この想いが実る事は、決して……

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