102話 不穏分子
時を少し遡り、百数十年ぶりに想い人との再会を果たした女――トライソンは、クラス固有スキルを駆使してその場から姿を消すと、そのままアイテムを使用してダンジョンの外へと戻った。
攻撃系のアイテムやスキル、魔法が使えなくなるという性質はもちろんあるのだが、逆に言えばそれ以外のスキルや魔法は問題なく使えるので、ダンジョンの誰にも悟られることなく彼女はそこへ侵入を果たし、魔王と再会した後にダンジョンから脱出したのだ。
決して女の趣味じゃない、どこか子供じみたダンジョンの正面を目にしてやれやれと首を振ると、スキルを解除してこの世界に自分の姿を投影し、ようやく上下していた胸の鼓動や熱い興奮を抑えようと服を脱ぎだす。
誰かに見られることを危惧してなのか一応木陰に身を隠し、履いていたむっちりとした太ももを惜しげもなく晒している短パンをずらして下腹部を露出――
「相変わらずバカなことやってんなぁ!? ここ外だぞ、晩年発情女ぁ~。よく恥ずかしげもなくこんなところでおっぱじめようとするよなぁ~? 理解できないわぁ。なぁイラ?」
「……お姉ちゃん、だから本当のこと言ったらダメだって。いくらこんなところで1人で始める事がイラ達には理解できなくても、この人には理解出来るのかもしれないじゃん。世間様には露出狂っていう、自分の裸体を晒して興奮する人がいるっていうんだし、この人もそういうアブノーマルな性癖を持ってるのかもよ? サンはともかく、この人は虐めちゃダメだよ」
その場に聞き覚えのある声が響き、さっき見た少女を思い出して火照る体を慰めようとしていた女は、殺意の籠った目でその声が聞こえて来た方を睨みつける。
するとそこには、少し離れた木の枝にまるで猿のように座ってこちらを見ている2人の少女の姿があった。女が、この世で最も嫌っている2人の姉妹だ。
女自身が敬愛している“お姉ちゃん”とその“妹達”、そして自分を含めた5人家族こそこの世界における最高の姉妹であり、理想の家族関係だと確信している。
しかしながら、なにもこの世界の全ての姉妹が醜いものだとか、駆逐されるべきなんて思考は持ち合わせていない。
というか、そもそも女は自分の身近な物かお姉ちゃんの周りの人間関係にしか興味が無かった。
そんな彼女は、他の家族の在り方がどうあろうが、自分達姉妹が最高の関係。その事実があれば、他のことなんてどうでも良かったのだ。
しかし、このミセリアとイラの姉妹だけは話が別だ。
女が所属している人殺し集団の主要メンバーの2人であり同僚でもある彼女達の事は、空気を読めていない女ことサンの次に嫌いだった。
原因は主に妹のイラの方にあるのだが、本人はこれっぽっちも気付いている様子は無いので、指摘するだけ無駄だとゲーム時代から諦めていた。
「っち。興が冷めた。せっかくお姉ちゃんに会えて私の下腹部の熱が最高潮に達してたって言うのに……」
「ケケッ! なら続けりゃ良いじゃねぇかよ~! 同じ女なんだ、お前の痴態くらいなんの恥ずかしげもなく見ててやるよ~! なぁイラ?」
「……お姉ちゃん、イラはこんな人の行為に興味ない。それに、同じ女でも仲間の痴態なんて見たくない。この人と同じ変態趣味だと思われるのはごめん」
愉快そうに笑ったミセリアは、フルフルと首を振りながらいそいそと着衣の乱れを直し始めた女を見つめるイラを横目で見て、それもそうかと思い直す。
大体、女はここにいたのが自分達じゃ無ければ迷わず魔法を放ってその人物を葬り去ったはずだ。それは変態趣味というよりは女の言う通り我慢が出来なかっただけだろう。
2人ともそれを分かっているのにこうやって彼女を挑発しているのは、彼女がアムニスという名の彼女達の司令塔の命令を無視して魔王に接触を図ったからだ。
「遊びはここまで。あんたら、何しに来たの?」
数秒もしないうちに着衣の乱れを直した女は、未だに木の上から見下ろしてきている2人に若干怒気を含めながら言葉を飛ばした。
この2人を始めとして、ディアボロスの面々が魔王討伐に動き出している事は当然自分の耳にも入ってきている。
情報統制をしていると思っているアムニスだが、いくら彼女でも暗殺者である女が部屋の中、または外で聞き耳を立てていればそれに気付くのは至難の業だ。
暗殺者は索敵スキルに唯一引っ掛からないクラスと言っても過言ではないので、その利点を生かして、女はこの世界に自身の姉が来たことを知ったのだ。
ヒナに言ったように、彼女達にヒナが殺されるくらいなら今にも抱き着いてキスをして、あんなことやこんなことをしたいと思っている自分に殺される方が幸せだろう。
ただ、彼女を『倒すべき厄介な存在』としか認識していない他の連中に殺されるのは無念でならないだろうから、死してなお彼女を愛せる存在であり、ギルド内で唯一彼女に救われた自分こそ、彼女の命を終わらせるにふさわしい。
トライソン――レベリオは、本心からそう考えていた。
「何しにって、アムニスに言われてお前を連れ戻しに来たんだよ。暴走するなら止めろってんで、最低限の実力行使は厭わねぇってさ。なぁイラ?」
「……お姉ちゃん、実は殺す気だったでしょ。さっきも、イラが止めなければ声をかける前に攻撃してた。イラの目は誤魔化せないよ」
「シシシ! バレてたか~」
悪戯がバレた子供のように笑った2人は、そのままピョンと木から飛び降りると、レベリオの左右を固める形で歩み寄る。これ以上勝手な行動を取れば、さっき言った通り最低限の実力行使によって従わせるという無言の圧だ。
そしてレベリオも、どちらか一方であれば余裕で対処出来ると確信しているのだが、この2人の厄介なところは、言語やアイコンタクトなどを不要とする完璧なコンビネーションだ。
2人が揃っている状況ではあまり無理をしない方が吉であり、アーサーとほぼ互角だと言われていたフィーネでも彼女達2人を相手にするのは骨が折れるだろうと踏んでいた。
ギルド内でも有数の強さを誇っているレベリオだが、自身の状況は正しく判断出来る頭脳を一応は持ち合わせているので、戦う意志は無いと両手を上げてはぁと肩を下ろす。
しかしながら一度目を瞑れば瞼の裏にはあの凛々しくも愛らしい人の姿がくっきりと思い浮かぶ。その度に下腹部がえらいことになるので、さっさと本部の自室に帰りたいと思うのが本音でもあった。もう、この場で行為をするのは絶対に無理なのだから。
「で……どうだったよ、魔王は」
「どうだったって? お姉ちゃんは相変わらず凄かったって言葉以外にないけど? 私のクラス固有スキルを見破っただけじゃなくて、私の剣も見ただけでその効果を見破ったし、私が使った魔法も――」
「お姉ちゃん、この人にあの人の事を聞いても無駄。そのほとんどに主観的な物が含まれてるから参考にならないし、1を聞いて150にして返してくる人の話なんて聞いてたら日が暮れるよ。イラ、そこまで時間は無駄にしたくない……」
「シャシャシャ! それもそうだな!」
相変わらず感情の感じ取れない平坦な声を発するイラは、わざと憂鬱そうな雰囲気を演出する為に自分の周囲1メートル付近……ちょうど隣に立つレベリオにかからない程度の、局所的な小雨を振らせて自分で世界を造り変える。
しかし、そんな姿に辟易したのかペッと唾を吐くレベリオの姿を見てすぐさま取りやめる。
やはり、自分にはこういう演出の才能は無いのだと思い知ると同時に、姉が懐から取り出した分厚い一冊の本を見て眉を顰める。
「……お姉ちゃん、それはレベリオに見せると面倒な事になるって言われたじゃん」
「サンの言う事なんざ知らねぇって。それに、アムもこれ書いた奴に話を聞きに行こうって言ってたじゃん~!」
愉快そうにケラケラ笑った少女は、状況が分かっていない様子のレベリオにその本を渡しておかしそうに「読んでみな?」と口にした。
なにかの罠かと一瞬警戒した彼女だったが、“時間を凍結”している身に物理的な攻撃はほとんど意味をなさない。
剣で体を貫かれようが、斬られようが、首をもがれようとも心臓を焼かれようとも、自分達の命に影響は与えない。
強いて言えば魔法による攻撃だと時間を止めていようとも影響を受けるが、それでも通常人が死ぬ程度の攻撃も耐える事が出来る。
それを考えると、本を開くことで発動する罠なんて生ぬるい。
そして何より、彼女達を目にしてから密かに発動している未来視のスキルの効果では、この先自分の身に危険な事が起こる事は無い。それどころか、この本を開いた数秒後には卒倒しそうな勢いでミセリアに掴みかかっているらしい。
どんな状況だそれはと少しだけ呆れつつ、レベリオは本を開く。
本は大体厚さ数十センチ。中学校時代の国語の教科書を思わせるような形をしており、ご丁寧にこの世界には珍しいかなり達筆な文字が並べられ、最初の一ページには小説の表紙にあるような可愛らしい女の子の絵が描かれている。
それがどこかお姉ちゃんに似てるなと思いつつ、数年前からようやく問題なくスラスラ読めるようになったこの世界の文字に目を通す。
『1章 始まり
彼女は、魔王と呼ばれていた。人々から恐怖され、崇拝され、愛されていた。
魔王なのに愛されていた事を不思議に思うかもしれないが、彼女はその不思議な魅力と個性、そして見る者全てを恋に落とすような麗しい姿をしていた事で、大多数の人間から支持を受けていた。その名は、ヒナ。その魔王の名は、ヒナという』
そこまで読んだ後、レベリオは自分が見た未来の通り、その本を差し出してきた少女につかみかかりつつ、怒号のような歓喜に溢れた声で「どういうことだ!」と叫んでいた。
その声は下手をすれば近くの村にいた人間や、ヒナやマッハが滅茶苦茶にしたそこを修繕する為に足を運んでいた冒険者ギルドの関係者が耳にすることが出来るような物だったが、彼女にはそこまで気を遣えるほどの精神的な余裕は無かった。
この本に書かれているのは、間違いなくラグナロクにおける魔王……そして、自分がこの世界、そして向こうの世界で最も愛したお姉ちゃんに他ならない。
彼女は確かにラグナロク内での圧倒的な強さを恐れられ、崇拝されていた。
上位プレイヤーのほとんどが彼女をどうにかして倒してやろうと躍起になっていた時期もあるほど、その人気は凄まじかった。
しかしながら、同時にこの本に書いてあるように、彼女は愛されてもいたのだ。
時々フィールド上で見せるポンコツな一面や、イベントでドジを踏んで泣き叫んでいる所はさほど珍しい物ではなく、その度にSNSなんかで密かに話題になった物だ。
自分以上にヒナを愛し、恋し、崇拝し、恐れ、尊敬している人なんているはずがないと半ば確信しつつ、自分には劣るまでも彼女を想う人がいる事は分かっていた。
なにせ、お姉ちゃんの魅力は自分1人で抱え込んでおけるほどちっぽけな物では無いのだから。
しかし、いざその存在を目の前にすると嬉しいやら悲しいやら、怒りたいやら語り合いたいやらの感情が一気に押し寄せて目の前も見えない程になってしまう。
それを少しだけ心の中で笑いつつ、この本を運んで来た女から言葉が紡がれるのを待つ。
「それ、僕らも全部読んでみたんだよ。したらビックリ。どう考えてもどっかの誰か……多分あのゲームのプレイヤーとあの魔王の恋愛小説だった。なんも知らねぇ奴が読んだら魔王とそこら辺の平凡な女の禁じられたラブストーリーくらいにしか思われねぇだろうけど、僕ら事情を知ってる奴が読んだら、これは盛大なラブレターだな。なぁイラ?」
「……お姉ちゃん、イラはそうは思わない。ラブレターというよりは思い出を綴ってる日記に近い。多分、これを書いてる人本人の経験談に基く、脚色を施した夢小説。魔王を題材にした二次創作って言った方が正確だよ」
そう言ったイラは、ついでのように驚愕の事実を口にした。
「これが発表されたのはここ一月の間。ちょうどサンがブリタニア作戦が失敗したって戻ってきた翌日。メイシア人類共和国の商会で試しに……って販売されたのが、話題に話題を呼んで全世界に販売されたのが一昨日とか。今や、この小説を知らない現地人は全体の3割程度になってるはず」
「娯楽が少ないってのも考えものだよなぁー! どっかの誰かが書いた夢小説が大ベストセラーってか! 終わってんな、この世界」
両手を頭の後ろで組みながらそう言ったミセリアだったが、レベリオは全くそうは思わなかった。
事実、お姉ちゃんの魅力は全人類が感じてもおかしくない程溢れ出ており、今地上にいるというのにお姉ちゃんの話し声や笑い声が自分の耳に届くような奇妙な感覚さえ覚えるほどだ。
もしももう一度顔を合わせる事が出来れば、恐らく自分はその瞬間に果てるだろう。それが、妙な確信となりつつあった。
犯し難いその凛々しい姿にどこか人間らしさと子供らしさを残したおっちょこちょいな部分。そして、たまに見せる恐ろしい一面。その全てが愛おしく、愛らしく、胸を高鳴らせる原因だ。
彼女の魅力にこれっぽっちも気付いていないディアボロスの面々の方がおかしく、何度説明しても狂人を見る目が余計に強くなっただけなので諦めたほどだ。
彼女からしてみれば自分がおかしいのではなく彼女達がおかしいだけなのだが、今それを言っても誰も得しない。何度も繰り返された押し問答が再び始まるだけだ。
「じゃあ、この後はメイシアに行って情報収集でもするの? ここまで詳細に書けるんなら、多分この人、私と同じくらいお姉ちゃんの事好きで好きで、愛してるんだろうし」
「まぁそういうこと。アムニスが言うには、お前を商会に潜り込ませてその魔王大好きマンに話を聞いて情報を集めさせた方が良いだろうってさ。良かったな、潜入任務だ」
「……断りてぇ」
自室に戻って早く自分を慰めたかった彼女としてはまったく嬉しくない仕事だが、アムニスの命令に逆らうと殺されかねない。
本心から殺されたいと思うのはこの世界でただ1人だけだし、その相手はアムニスではない。
なら、ここはその仕事を引き受けるしかない。
「それっぽい服がないならフィーネが貸し出すってよ~! 僕らは、お前がちゃんと商会に潜入出来るようサポートする役。お前だけじゃ真面目に任務に当たるか分かんないって意味でのお目付け役でもある。なぁ、イラ?」
「……お姉ちゃん、本来の目的は話したらダメだよ。アムニスだってお目付け役だって事は知らせないでくれって言ってたじゃん。もう、ちゃんと気を付けないと」
「シシシ! そうだっけ? 悪いな、アムー!」
まったく悪いと思ってなさそうな弾ける笑顔で空に向かってそう言った少女は、イラと手を繋ぎながら早速本部へと戻るために歩き出した。
その後ろ姿をどこか遠い目で見つめつつ、一度ダンジョンの方を見たレベリオは、届くはずの無い愛の言葉を口にしてその場を去った。
「私が、この世界で一番あなたの事を愛してるんだから……。他の誰かになんて、絶対譲らないよ、お姉ちゃん」