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100話 初めてのお風呂

 ヒナが大浴場の扉を開いた先で見た物。それは、大小様々な湯舟がパーティー会場のような広さの場所に所狭しと詰め込まれた空間だった。

 しっとりと濡れている床は石材で出来ているのか大きな継ぎ目があちこちにあり、パッと数えただけでもお風呂の数は7つに及んだ。

 その中の1つ、一番大きな橙色のお風呂にマッハ達3人は一目散に駆け出し、我先にとドボンと足から飛び込む。


 3人分の大きな水しぶきが辺りに広がり、湯船から溢れた42度ほどの熱いお湯がザパーッと通路へ流れる。周辺に柚子の香りが充満し、そのお風呂が柚子関係のバスボムでもいれてあるのかと錯覚するほどだ。

 いや、それよりも――


「も~! みんな、まずは体洗わないとでしょ〜? ほら、はやくこっち来て~!」


 お風呂に入る時は先に体の汚れを落とさなければ。

 それに、マッハ達のようにいくらお風呂そのものが大きくてもバシャバシャと飛び込んだり、あまつさえアハハと大きな声で笑いながら泳ぎ出すのはマナー違反も良いところだ。

 それを咎める人間がこの場にいないというのが致命的な問題でもあるのだが、とりあえずヒナだけは彼女達の保護者役としてムスっとしながら腕を組んで3人を見守る。


 ただ、3人が初めてのお風呂ではしゃいでいるのは自分の幼い頃の光景にもどこか通ずるところがあるのであまり強く言えないのも事実だ。

 大きなお風呂ではしゃいで母親に叱られた事だってあるし、あの時は今のマッハ達と同じように体を洗う前にとりあえず一番大きなお風呂に飛び込んだものだ。

 そんな所まで似なくて良いのに……と少しだけ複雑な気持ちになりつつ、彼女達が観念して泳ぐのを止めるまでその場で待ち続ける覚悟を決める。


 だが、ヒナの言葉に最初に頷いたイシュタルがヒナに良い子だと頭を撫でられていたのを見てすぐさま態度を一変させた2人は、自分も撫でろと言わんばかりに薄い胸を張りつつ湯船から上がってくる。


「も~! はい、皆ちゃんと自分の体洗って?」


 そんな甘い誘惑に惑わされて彼女達を甘やかすようなヒナではなく、一番最初に素直に従ってくれたイシュタルにだけご褒美を上げる形でさっさと大浴場の隅に設けられたシャンプーやボディーソープが置かれているエリアへ足を進める。


 それに不満げに頬を膨らませながらも、またいい子にしていれば褒めてもらえるはずだと期待した3人は、大人しくヒナの後ろを着いて行き、我先にとヒナの隣の椅子を奪い合う。


「じゃんけんな!?」

「……」

「マッハねぇは今日ヒナねぇの隣。譲るべき」

「それ言ったらけるだって昨日ヒナねぇの隣で寝てたじゃん! 関係な~い!」


 姉としてプライドは無いのかとツッコミたくなるケルヌンノスだったが、こうなってしまっては譲らないのがマッハだ。なので、渋々といった感じで正面に手を出し、そこで1人足りない事に気付いた。

 同時にその事に気付いたマッハが辺りを見回すと、6つほど並んでいた椅子のちょうど真ん中に陣取って早速頭にシャンプーを付けていたヒナの右隣の席にちゃっかり腰を下ろしているイシュタルを見つける。


「あ~! ずるだ!」

「……たる、そういう抜け駆けは良くない」


 すぐさまイシュタルを問い詰めに行く2人だったが、イシュタルは何食わぬ顔でシャンプーを手に出すと、初めて味わうその奇妙な粘り気に首を傾げ、次いで隣のヒナの真似をするようにおっかなびっくり頭にそれを塗りたくる。


「……ん、ちょっと怖い、これ……」

「目に入ると痛いから気を付けてね?」

「ん、がんばる……」


 ヒナはその状況を咎める事も無く、ただ数週間ぶりのまともなお風呂を堪能していた。

 体から異臭はしなくとも、現実世界ではほとんど最低限の入浴で済ませていた彼女でも……やはり、根は女の子だ。

 誰とも会う事の無く外に出る事すら稀だった彼女の人生は、入浴は食事と同様ゲームの時間を削られる行為だったために必要最低限で済ませていた。


 しかしながら、この世界では常に家族が傍で暮らしている。

 臭くない。むしろ良い匂いがすると常日頃から言われ続けている彼女でも、やはり女として体を濡れタオルやなんちゃってシャンプー等で洗い流すだけでは不満だったのだ。

 こうして久しぶりにまともなお風呂が堪能出来るとなれば、一時的にでも保護者という立場を忘れてしまうのも無理はなかった。

 無論、彼女達が喧嘩でも始めようものなら即座に止めるのだが、まだ軽い小競り合い程度で済んでいるなら見逃すつもりだった。


「……じゃんけんな?」

「ん、私はそれでいい」


 少しだけ不安そうにケルヌンノスを見たマッハは、イシュタルと違ってちゃんと正々堂々と勝負すると頷いてくれた妹を少しだけ嬉しく思いつつ、そのまま最初はグー!と元気よく声に出す。

 その結果、数秒と経たないうちに自身の敗北が決定し、イシュタルと同じように抜け駆けすれば良かったと後悔する事になるのはもはやいつもの事だった。


 3人は当然お風呂なる物を経験した事が無いし、今まではずっとヒナが頭や体を洗ってくれていたのでシャンプーを自分でするのも初めてだ。

 イシュタルと同じようにヒナの見よう見まねで頭をゴシゴシと洗いつつ、ヒナが長い髪を少しだけ鬱陶しそうに洗っている様を見て自分達の髪が短くて良かったと少しだけ胸を撫で下ろす。


 イシュタルが感じていた、シャンプーが怖いという感覚はマッハやケルヌンノスも同様に抱いており、ある程度分かってきたら今度はギュッと目を瞑るというのがお約束だった。

 それでもう良いかと思ったその時に気付くのだ。これ、どうやって流すんだ……?と。


「ヒナねぇ……流して……」

「私もながしてー! お湯がどこから出るのか分かんないー!」

「……私も、お願い」


 ケルヌンノスは自分のスキルで目や腕を生やせるだろうに……。

 そう心の中で思いつつも、可愛いからという理由でそのまま手前の蛇口をひねって少しぬるめのお湯を出す。

 魔法で生成しても良いのだが、それだと温度を調節するのに少しだけ時間がかかるので、せっかくだしこの大浴場の設備を余すことなく使わせてもらう事にしたのだ。


 ヒナは幼い頃から両親と共に色々な場所へ旅行に行き、その関係で旅館やホテルのお風呂に関しては人一倍詳しかった。

 いや、詳しいというよりも、同年代の者達よりも単純にそういう所へ行ったことが多かったので勝手を知っていたと言った方が良いだろう。

 ともかく、そこまで難しい物でない事に変わりはないので、ここは年長者から順に頭の上の泡を流していく。

 小さい頭は一度ザパーっと流すだけで大抵の泡が流れてその下から艶やかな髪が姿を覗かせるので、後は自分でやってねと微笑んで次の子へと足を向ける。


 水浴び直後の犬のようにブルブルと勢いよく顔を振ったマッハ達は、その後ギュッと閉じていた目を開けて自分達も同じようにお湯を出して頭から被る。

 ただ、その時マッハだけが温度の調節を間違えた。


「うわぁぁぁ! あっつ!!」


 勝手がよく分からないままに温度の調節をするバルブのような物を最大まで捻った結果、46度近い熱湯が小さな桶に注がれてそのまま勢いよく彼女の体を満たしたのだ。

 彼女が火傷を負わなかったのは半ば奇跡みたいな物であり、全身から白い煙をもくもくと上げて顔を真っ赤に上気させる。


 そんな姉を横目で見つつ、イシュタルとケルヌンノスはちゃんと自分の頭にかけるまえに桶に溜まったお湯の中に指先を突っ込んで温度を確かめる。

 両者とも少し熱いくらいで問題なかったのか、残った頭の泡をザパッと流し、続いてほぼ同時にヒナの方を見る。


「次は?」

「えっとねぇ、ほんとはタオルとかに付ける方が良いんだけど……」


 そう言いながらボディーソープを手に付けつつ、ふふっと笑いながら体中に塗っていく。

 これで本当に洗えているのかはともかく、幼い頃はこうして洗ってもらった経験があるので間違いでは無いのだろうと自分を納得させる。

 湯船に浸かる前だと毛穴が開いてないからタオルなどでゴシゴシ洗った方が良いと母が言っていた気がするが、そもそも湯船に浸かる前に体を洗うのがマナーなのだからそれは当たり前なのでは……と思ったのは内緒だ。


 ともかく、この場にタオルのような物は無いので仕方なく手に2プッシュほどそれを垂らすだけで我慢する。

 4人全員が最初に手を触れる場所が平たんな胸というのが何とも言えないが、それも自分に似た結果だと思えば微笑ましい物だ。

 ヒナが胸から最初に洗うのは、無論そのコンプレックス故なのだが……。


「はい、終わり! もう泳いだりしちゃダメだよ?」


 全身についた泡を全て洗い流した後、ヒナは少しだけお姉さんぶりながら腰に手を当て、3人にそう言った。

 特に一番泳ぎたがるだろうマッハに向けて微笑むと、若干圧のある瞳をキラリと光らせる。

 あまり咎める事はしたくないのだが、いつ雛鳥がここに戻ってくるか分からない。

 もしもそんな現場を目撃されてしまえば怒られるかもしれないので、それだけはやめてほしいともう一度だけ言って彼女達を解放する。


「……ヒナねぇはどこに入るんだ?」

「え?」


 しかし、一向にどこにも行こうとしないので不思議に思って首を傾けると、マッハから予想していなかった言葉が出てくる。

 その瞳は純粋で、深い意味などは無いだろうということは十分に伝わってくる。

 しかし……ヒナは、自分がどのお風呂に入るべきなのか、まだ決めかねていた。


 広いこの大浴場にはマッハ達が最初に入っていた柚子の香りがする大きなお風呂。

 ブクブクと常時泡を立てているジャクジーのような電気風呂。他には岩風呂や、ほとんどの温泉街を巡っているはずの自分でさえ見た事の無いお風呂まで様々だ。

 露天風呂だけが無いのが残念だが、それ以外ならほとんど見た事があるようなお風呂が並んでいて、正直に言えば決め兼ねていたのだ。


 少し先を見れば木製の小部屋のような物があり、小さいながらも水風呂まで用意されていることから、それはサウナ室だと言うのも分かる。

 幼い頃に一度入ってみて数秒でノックダウンした場所なのである種トラウマがあるのだが、今ならそんな無様な姿は見せないで済むだろうという思いもあるので本当に迷っていた。


 しかし、マッハ達から迫られれば決めなければならない。

 そこで、彼女は電気風呂を選択して体を癒す事を決めた。

 正確には癒すというよりもビリビリとする感覚が癖になるほど好きだったので、マッサージチェアのような役割を期待しての事だ。


 当然マッハ達もヒナの後を着いて行くが、一歩そのお風呂に足を踏み入れた瞬間にうわぁ!と情けない叫び声を上げて全員が最初に飛び込んだお風呂へと逃げていく。

 不審者を見るような目を向けてくる3人に苦笑しつつ、自分も最初はあんな風に逃げたなぁと懐かしい思い出に浸る。


「他のところも色々試してみたら~? きもちいよ~?」

「やだ! こっちでぬくぬくする!」

「……ヒナねぇ、そんなところで無事でいられるとかおかしい。感電死すると思った……」

「雷撃ダメージくらい痛かった……。もう二度と行かない……」


 散々な言いようだなと苦笑しつつ、ヒナはふぅと少しだけビリビリするお湯の中へ身を預ける。

 途端にダンジョン内でのわずかな疲れが体から抜けていき、心地よい感覚で全身が包まれる。


「あぅぅ……。癒しだぁぁ」


 情けない声とは別の気の抜けるような声が自然と漏れ、ヘナヘナとさらに体がお湯の中へと消えていく。

 そして自然と意識がとろけていき……寝そうになったところで口元がお湯に浸かって瞬く間に意識を覚醒させる。


「ぶばぁ! あぶないあぶない……」


 お風呂の中で寝かけるなんて冗談抜きで死にかねない。流石に気が緩みすぎだと少しだけ体を起こして目の前でぶーと不満そうな顔をしている3人に手を振る。


 結局ヒナは、マッハ達に色々試すように言った物の、30分ほど電気風呂を堪能した後のぼせたと言って先に大浴場を後にした。

 無論、彼女達がそれに続かぬわけはなく、初めてのお風呂はマッハ達にとって不服の結果に終わった。


 マッハ達3人は、次の機会があればどんな手を使ってでもあのビリビリ風呂を攻略しようと心に決め、ヒナにドライヤーで髪を乾かしてもらった。

 髪の長いヒナが一番時間がかかり、結局大浴場に入ってから1時間という非常に長い時間滞在する事になったのだが、それはご愛敬だろう。


 ダンジョンで溜まった少しの疲労と日々の疲れは、この1時間でほぼ取れたと言っても良い。それくらいには、満足する結果が得られただろう。

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