10話 イレギュラーの出現
ヒナ達が冒険者ギルドを出て行って2時間ほど経過した頃、部屋で枕に顔を埋めながら喚いていた冒険者ギルド、ガルヴァン帝国支部のギルドマスターであるワラベの元へ1人の女が訪ねてきた。
彼女はワラベが普段寝泊まりしている部屋の扉をコンコンと叩くと、部屋主の返事を聞かずにガチャリと扉を開ける。
「久しぶりだねワラベ君。今回は大変だったようだね」
その女は白と紫を混ぜ合わせたような特殊な色の着物を羽織り、腰には紫の鞘に納められた柄に見事な装飾がなされた刀を差し、腰まである黒と紫を合わせたような特徴的な髪を伸ばす麗しい20代前半の女性だった。
頭には白い狐のお面を付け、今はその美しく整った素顔を晒しているが、目の前にいるのがギルドマスター以外の人物であればすぐさまその仮面をつけてその素顔を隠すだろう。
彼女の名はムラサキ。冒険者ギルド、メイシア人類共和国本部のギルドマスターであり、冒険者ギルドや冒険者というシステムそのものを作り上げ、たった数年で全世界に広めた女だ。
その主な仕事は各国の冒険者ギルドの見回りと人材の派遣、そしてダイヤモンドランクの冒険者が失敗・もしくは断った依頼を受ける、いわば最後の砦……ギルドの切り札のような存在でもあった。
今回、ワラベがギルド本部へヒナ達の情報を報せて指示を仰いだところ、ワラベの現役時代の強さを知っているムラサキが直々に彼女達をその目で見たいとやって来たのだ。
彼女が普段暮らしているメイシア人類共和国からこの街までは直線距離で400キロ以上離れており、とても数時間で行き来できるような距離では無いのだが……
「相変わらず滅茶苦茶じゃな、お主……。あの国からものの数時間でここまで来るとは……。本部からの書面を見た時は冗談かと思ったが、ほんとに来たんじゃな」
「まぁね。君が私と同等の力を持っているかもしれないと言うなら、そんな子達は自分の目で見てみたいじゃないか」
「はぁ……。相変わらず、強者の事になると我を失うな、お主……。本部の連中は迷惑してるんじゃないか? それに……何度も言っておるじゃろ。ノックするなら部屋主の返事を待てと。ノックの意味ないじゃろ」
「君と私と仲だ。それくらいは見逃してくれ」
ムラサキは能天気に微笑んでそう言うと、部屋の中央にあるブラウンの1人掛けソファにヨイショと腰を下ろし、差していた刀を腰から引き抜くと前のテーブルにポンと置く。
ワラベの部屋は応接室とほとんど同じ造りになっており、扉の傍に向かい合うように置かれた1人掛け用のソファと中央に置かれた横長のテーブル。部屋の奥には執務机があり、その右隣に小さなベッドがある。
彼女はその背丈も相まって子供用の小さなベッドで事足りるので、部屋のスペースは応接室にベッドが詰め込まれているような物なのにそこまで狭苦しく感じない。
「ほら、詳しい話をしてくれよ」
腕を組みながら満面の笑みを浮かべる自分の上司に苦笑しつつのっそりとベッドから起き上がると、ムラサキの向かいへ腰掛ける。
ムラサキもワラベもこの街の食べ物、飲み物はあまり好んでいないのでおもてなし等は無い。というか、ムラサキは異常にギルドマスター以外の者達に素顔を見せる事を嫌う。
着物を着た美人が狐のお面をかぶりながら神妙な声を出す所など見たくないワラベは、彼女が来たら誰もこの部屋に入らぬよう予めギルドの職員達に念押ししていた。
それでも緊急の案件があった場合は扉の前でその案件を大声で叫べと伝えていた。
「……わしが初めてお主と顔を合わせた時と同じ感じがしたんじゃよ、あの者らは」
「同じ感じ? はて、君と初めて顔を合わせたのは200年とちょっと前だったからな、私は覚えていない……」
「なに? もうそんなに経つか……。ともかく、わしが絶対に勝てぬと直感的に感じたという事じゃ。特に幼子共じゃなく、娘っ子。あれはバケモンじゃな。下手すれば、お主より強い」
「そんなにかい~? ちょっと傷つくなぁ」
おどけたように肩を竦めて笑うムラサキは、その実目の奥をギラリと光らせてまだ見ぬその実力者がどんな人物なのか頭を回転させる。
ムラサキはその刀を見て分かる通り剣士”風”の女だ。ただ、ワラベの言う強者は報告の手紙を読んだ限りでは1人を除いて全員が魔法使いやその類……少なくとも、武器の類は所持していないという事だった。
であれば、自分よりも強い魔法使い、もしくはそれに準ずる何者かが存在するという事になるのだが、そんな事は彼女自身信じられなかった。だから、尋ねる。
「一応、なぜそう思うのか聞いても良いかな?」
「……そう怖い顔をするでない。そうさなぁ……一言でいえば、奴らは不気味なんじゃ」
「不気味?」
不思議そうに首を傾げるムラサキに、ワラベはコクリと小さく頷いた。
途方もない実力を持っているはずなのに、その態度はどこか純粋な人間の子供のそれで、一般人から見ればただの人見知りの少女か、ちょっと面倒見のいい大変な思いをしている少女……くらいにしか見えないだろう。
ただ、彼女はどこからどう見ても異常なのだ。
幼いながらもダイヤモンドランクに所属している魔法使いの誰よりも完璧な魔力制御と戦士のような軸のブレない歩き方。
のほほんとしているようで無意識レベルで周囲を警戒し、いざとなった時の逃げ道を確認するような視線移動。
圧倒的な強者であるはずなのに、話しかけた時の本物の怯え。その全てが、異常だ。
通常、どんな熟練した魔法使いでもその体内にある膨大な魔力を完璧に制御する事は出来ない。体中からわずかにではあるが魔力が溢れ、それを無駄遣いしない為に体に纏わせて身体能力を強化し有効活用する。
ただ、鬼族のように魔力をその瞳で視認する事の出来る一部の特殊な亜人や魔族は、その体に纏わせている魔力の流れから、相手が次に取り得る行動を予測する事が出来るのだ。
ただ、ヒナと呼ばれていた少女はその魔力の漏れが一切無かった。どんなに熟練し、腕の良い魔法使いでも魔力を無意識とはいえ魔力を体外に放出してしまっているというのに、だ。
「もちろんわしの杞憂という線もあるじゃろう。例えばあの娘っ子が、溢れさせるほど魔力を持っていなかった場合とかな? 流石のわしでも、そやつの魔力総量までは分からん」
「まっ、杖を持っていたんだったらその線は薄いだろうね。それに、君の勘が外れたところなんて私は見た事がないからね。良くも悪くも、君の勘は当たる」
「そりゃ、素直に喜んで良いか分からんな。ただ、お主のようにある意味正直な奴よりも、不気味なあやつらの方が、わしは気持ちが悪い」
仮にどちらかを相手取らないといけない状況に陥った時、どんな手段で戦ってくるか、どんな人物なのか、その見た目だけでも大体予想が出来るムラサキは比較的戦いやすい。
相手の情報があればあるほど、戦う時はその対策をする事が容易く、勝てる可能性が上がるからだ。
ただ、何をしてくるのか分からずその人となりも矛盾だらけなヒナを相手にするのは、ハッキリ言って姿の見えない敵を相手にするような無謀さがある。
何をしてくるのか、どんな人物なのかが分からないなんて、対策の取りようが無い。
それに、ヒナ単体であればまだしも、彼女の周りには同じような強さ、不気味さを放っていた幼子が3人もいたのだ。
ヒナだけでも十分ムラサキと良い勝負が出来るだろうに、そこに同じ実力は無いにしても近しい実力を持っているであろう3人が加われば、いくらムラサキでも勝利を収めるのは難しいだろう。
「ますます気になるね。それではまるで、御伽噺に出てくる魔王じゃないか」
「魔王ねぇ……。魔王があんな、人見知りで可愛げがある存在なら、それを倒す勇者はさぞかし楽で、苦悩するじゃろうな」
500年ほど前に実在し、世界を滅ぼしかけたという魔王。
それは圧倒的な力と魔力を持ち、高笑いしながら見た事もない魔法で都市1つを壊滅させたという逸話が残っている。
そして、今となっては吟遊詩人に歌われる魔王と勇者の物語は知らぬ者がいない程有名だ。まぁ、その真偽のほどは魔王の一件と合わせて不明瞭なままなのだが……。
ただ、ヒナがもし魔王と呼ばれる存在であれば、勇者は彼女を倒す時大変な苦悩に襲われるだろう事は想像に難くない。
なぜなら彼女は、傍目から見れば単なる人見知りの少女にしか見えないからだ。
「あっはっは! 相変わらず、君は面白い事を言うねぇ。じゃあ、ズバリ聞いてしまおう。私とその子らが戦うとして、勝率はどのくらいだと思う?」
「……ヒナと呼ばれておった奴との一騎打ちであれば6割。他の者達も加わるなら3割ってとこじゃな。あやつらの第一印象と、不用意な発言からうち2人に殺されかけたわしが、実際に目で見た事のあるお主の実力と正確な比較が出来るかと言われると怪しいがな」
「上々。じゃ、彼女達の泊っている宿屋を教えてくれ。会いに行ってみよう! 当然、警戒しているなら聞いているんだろ?」
ソファから立ち上がって刀を腰に差したムラサキは、その綺麗な瞳をワラベへ向ける。
そこには単純な興味と自分より強いかもしれない存在に会えるかもしれないという子供のような探求心が見て取れた。
だが、ワラベがその問いに答える事は無かった。なぜなら、ヒナ達はこの街で買い物を済ませた後に街を出ると言っていたからだ。
野宿でもするのかと思っていたが、不思議な金貨を複数枚持っていた様子から考えて金銭面で苦労しているようには見えない。それなら、わざわざ宿を取らない理由が無いのだ。
「そうか……残念だ。もう、この街には来ないのか?」
「さぁ、そこまでは分からぬ。近いうちにまた来るとは言っておったが……魔族にとっての『近いうち』っていうのが何年を指す言葉なのか、わしには分からん。最悪10年単位である可能性も十分にある」
寿命が人族の何倍もある魔族や亜人は、当然ながら人間と時間の感覚が大いに違う。
人間が言う近いうちとは数日以内……遅くても数か月以内であって、間違っても年単位ではない。
だが、寿命が1000年を超えるような種族もいる魔族に至ってはその限りでは無いのだ。
彼ら・彼女らにとって10年なんてそれこそ瞬きの間に過ぎ去る時間に過ぎない。有限である人間の時間とは異なり、ほぼ無限と言っても良いほど生きられる魔族にとって、時間とはそこまで気にする要素にはなり得ないのだ。
「ふむ、ならば私は、一度本部へ帰るとしよう。彼女達がまた姿を見せたら一報をくれ。今度は数刻でここまで来てみせよう」
「……そもそも、あやつらに会ってどうするんじゃ? ヒナとか言う小娘はともかく、それ以外の連中はまともじゃないぞ? いくらお主でも、奴らの怒りに触れれば、最悪死ぬ」
「ん~? あぁ、大丈夫大丈夫。別に怒らせようとかそう言うつもりじゃない。ただ、一目見てみたいんだ。もしかしたら、私が長年探している人かもしれないからね」
「……?」
不思議そうに首をひねったワラベを見てフフフと笑うムラサキは、腰に差した刀の柄をギュッと握り締めると、かつて師と仰いだ1人の人間の顔を脳裏に思い浮かべる。
誰にも話したことの無い、自分の初恋の相手であり、自分が初めて殺した相手でもあるその人。
いつか、その人が恐れ、仲間へと誘い、勝手に師と仰いでいた人に会う事こそ、彼女の生きる目的であり、使命だと思っていた。
「それにしても……この街の料理は相変わらずかい?」
「……あぁ。相変わらず、信じられんほどマズイ。わしはこの国に来てからまともに食事が喉を通らん」
「それはすまなかったね。後でうちの食糧を送るよう手配しよう。君の好物は……ラングラビットのモモ肉だったかな?」
「……あぁ、よく覚えておるな。出来る事ならわしをそっちの支部に戻してほしいんじゃがな……」
「はっはっは! 善処しよう!」
そう言って狐のお面をかぶると、最後にまたなと言い残してムラサキは部屋を出て行った。あれでも彼女は多忙な身だ。本来はこんな場所で世間話に興じている暇などないのだろう。
彼女の部下達も大変だなと密かに同情するが、あれだけ自分勝手でマイペースなのに、どこか嫌いになれない不思議な魅力があるのがムラサキという女なのだ。
「はぁ、気が重いな……。今日は久々に、一杯やるかの……」
ワラベだけになったその部屋に、彼女の疲れ果てた愚痴がこだまし、静かに消えていった。




