当事者
「あー、NGワード入ってんなぁ…」
彼が言う。
「どこ?」
「いじめって言葉。被害者側でも悪く捉えられことしかない。1回使ったら落ちると思っていいよ、もしかしてずっと言ったり書いたりしてた?」
と淡々と言う。
「そっか、じゃあ直すね」
と履歴書のデータを全て消した。私は絶望した。
「えっ待って!?全部消さなくていいよ!?他は完璧だから!」
「んーん、少し考え直したいから。書いてあるやつも保存してあるし」
と笑う。
私は絶望した。私の今までの人生でいじめを受けなかった時はなかった。小学校から大学までいじめられ続けた。もちろんそれぞれ知り合いのいない環境に変えていた。それでもいじめを受け続けている。私の人生はいじめによって構成されてしまっているのに、NGワードなんて言われても…!
私はパニックになってしまって過呼吸になった。わけもわからず泣き喚く。彼は必死に宥めるが涙は止まらず嗚咽が混じる。嗚咽が嘔吐に変わる。胃液を出し切るほど吐き私は意識を失った。
目を覚ましたら病院にいた。点滴が繋がれており、心配そうに母と彼が私を覗いている。
「お、起きた……よかった…」
「すぐに先生を呼んでくる!」
母がバタバタと走っていく。
「ごめんな、追い詰めるつもりはなかったんだ、確実に内定を取って欲しくて言っただけなんだ」
と彼が必死に弁明する。私はその言葉に言葉を返すことはなく、天井を見つめていた。
おそらく彼の言葉は本心なのだろう。彼は私の性格を把握してるし過去のことも知っている。学生時代苦労してきたからこそ社会人になってからは苦労しないで欲しいと何度も言われていた。でも、もう疲れてしまった。正論による暴力にも耐えられない私はやっぱりダメだと思った。
「ねむい」
と小さく言って目を閉じた。そのとき、母が看護師を連れて戻ってきたらしい。揺さぶられて起こされ、車椅子に乗せられた。
「本人へのカウンセリングが必要ですので」
と看護師は母と彼に言って私が乗る車椅子を押して病室を出た。
診察室に連れていかれた。先生は50代くらいの男性だった。
「今まで辛かったよね、お母さんと彼氏さんに聞いたことを確認したいんだけどいいかな?」
と医師は言った。
「はい」
と答えた。全然はいじゃないが疲れて何も反論できなかった。母と彼はこの男に私の境遇を話したのだろう。私の境遇はいじめいじめいじめ…恥の多い生涯とはまさにこの事であろうと思った。
医師の質問はやはりいじめられてたかどうかの確認だった。
「中学校はどう決めたの?」
「母に言われたので」
「高校はどう決めたの?」
「中学の同級生がいないところがよかったので」
「大学はどう決めたの?」
「学歴が高いところに行けば救われると思ったので」
一問一答かと思うくらいスムーズだった。全部本当のことだった。中学校は母が決めた近所の公立中学校。小学校の頃にいじめてきた人達が沢山いた。高校はその反省を生かそうとした。確かに中学の同級生はいなかったがまた1からいじめられた。大学はトップクラスの国立大学にした。特に理由はない。昔から勉強はできた。高校はFランだったのでトップクラスのところに行けば救われると思った。高校では当然大ニュースになり、卒業式では調子に乗るなと言わんばかりに周りから席を蹴られ続けた。大学では高校の学歴差別によってまたいじめられた。
「就職活動はどんな感じかな?」
医師の質問に固まる。
「行き詰まってます」
正直に答えた。私には学歴しかない。長年のいじめによって自己PRを考えられる自己肯定能力は失われた。長年のいじめによってガクチカで話せるような努力を忘れてしまった。長年のいじめによって意志を持てなくなった。
「そっかぁ…優秀なのにねぇ。特技とか趣味のことを考えてみようよ」
長い長い沈黙があった。
「苦しくない死に方を考えることですかね」
と言った。その場で入院が決まった。診断はPTSDと鬱病だった。
入院することになって3ヶ月が経った。面会に来た彼が鼻を啜っている。
「どうしたの?」
「あぁ、花粉症でね。だいぶ暖かくなってきたよ」
「そう、そんな時期なのね」
今は3月。卒業式は出席できなかった。単位はしっかり取れているので配慮の対象になり無事に卒業することはできた。でも袴を着れなかった。袴姿を彼にみせてあげたかった。卒業して就職したらすぐに結婚する予定だったが退院してからという話になった。
私は就職浪人してしまったのだ。
「ねぇ」
「ん?」
「もし私がいじめられてなかったら無事に就職できてたかな」
「就職浪人も悪いことじゃないよ、要は何事も言い方なんだよ」
「はいかいいえで答えてよ」
「わからないよ、君は君なんだ」
「そう」
私は諦めようと思った。彼も就職も、人生も。
その後は他愛のない話をした。人生を振り返ってみると私は嘘つきだった。いじめを気にしていないふりをしていた。私を理解してくれない人には作り話の人生観を語った。彼は唯一嘘をつかずにいられる人だった。でも今は彼にも嘘をついている。
「じゃ、また明日来るね」
と彼は帰っていった。
「うん」
と手を振って笑った。私の人生、今日で終わりにしよう。彼にまで嘘しか言えなくなってしまう私が嫌になってしまった。ネタばらしはしないつもりだ。
さて、どうしたものか。ここは精神科の一般病棟。苦しくない死に方とか言ってられない。刃物はない、ロープもない。洗面台はある。鉛筆があるが先端は丸い。
悩んでいたら夜ごはんと薬の時間になった。食欲はないし眠くなるし嫌だなぁと思った。いや、これでいいや。これから決行しよう。
無事決行。薬を飲んだ直後に歯磨き粉を排水溝に詰まらせて水を貯めた洗面台に顔を沈めての溺死を試みた。苦しみの先にある眠気が私を救ってくれる。意識と今までの悲しみを掬ってくれる。来世なんていらないかな。