あの日のように
厳しい冬、僕たちがいる都会のネオン街から遠く離れた故郷の山々には多くの雪が降ったと聞きます。
その雪解け水が小川になって僕たちの街に流れ込んで、ゆっくりと、そう、ゆっくりと汚れていく。
そんな風に僕たちの心も変わってしまうのでしょうか。
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「ふー。今日は一段と冷えるなぁ。なんかあったかい物でも飲もうや。」
そういって、金髪高身長の男は少し赤らんだ手をポケットから出し、自動販売機に向かっている。
膨らんだ財布を出そうとするが、小銭だらけの財布と悴んだ手が相まって思うようにいかないようだ。
「いいよシン。今回は僕が出すよ。」
男の名は、シンこと小野伸一。僕、木太玄介の相棒である。
「お、そうか。サンキューなっ。」
シンはそういうと人懐っこい笑顔を浮かべた。
「そういえばさ、玄介が作った新曲。『あの日のように』だっけ。あれ、なかなか良かったよ。」
シンはこれから路上ライブで僕らが歌う予定の新曲の評価を僕に話した。
「そうだろう、そうだろうとも。結構自信作なんだぜ、あの曲。」
そう言いながら自動販売機から缶コーヒーを取り出し片方をシンに手渡した。
二つの缶コーヒーは素手では持てないくらい熱かった。
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金曜のネオン街に灯りが灯り始める頃、街はより一層賑やかになっていた。
仕事を終えて家族のもとに帰路を急ぐ男性、花の金曜日で仲間たちと面白おかしく過ごしているグループ、
そんな中に僕たちもいた。
「ラーラーラー。」
二つのアコースティックギターと二人の声が道行く人たちの耳に入っていく。
ある人はただ通り過ぎ、ある人はBGMとして、またある人は足を止めて聴いている。
僕は好きだった。一人一人が思い思いの道を進んで、気づかないように人生と人生が交差していく。
誰かの人生に僕の足跡がひっそりと残っていく。そんな世界が。
でも景色が流れるように僕たちの日常も変わっていく。
ある人との出会い、それがきっかけだった。
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「こんばんは。」
一人の中年男性はちょっと失礼するよと体で表現し、微笑を浮かべてこちらに近づいてくる。
「いい歌ですねー。私、感動しましたよ。あ、わたしこういう者です。」
そう言って差し出された両手には一枚の名刺があった。
「浜松山葉、、、、さん?」
受け取った紙には《プロデューサー 浜松山葉》そう書かれていた。
その一瞬で僕たちは、今この状況がどういうことなのかを理解した。
シンはうわずった声で
「え、え、プロデューサーさんが僕たちにって、、まさか」
「ええ、そのまさかですよ。」
そして男はシンの方を向いて
「でも話があるのはあなただけなんです。」
少し申し訳なさそうに、そう言った。
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(ザーザーザー、さぁ次のナンバーはこの曲です。どうぞ)
「おじちゃん、これちょーだい。」
「はい、えーと、全部で240円だよ。はい、確かに。まいどありー。」
あれから3年が経っていた。僕は故郷に帰り、実家の駄菓子屋でラジオを聞きながら店番をしている。
あの後シンはバンドを結成してvocalとして着実に実力をつけていき人気にも火がついていた。
デビュー曲は僕が作ったあの曲だった。
僕の心境は複雑だったかというと割とそうでもなかった。
シンが僕の代わりに夢を叶えてくれている、僕の音楽が世界に通用する、そう思うだけで僕は満足だった。
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「お疲れ様でーす。」
テレビの収録を終えた華やかな世界にシンはいた。
あれから3年間、シンはあの日のことを忘れたことはなかった。
ーーーーー「でも話があるのはあなただけなんです。」ーーーーーー
そう言われた時、シンの心には葛藤が頭を駆け巡った。
一つは玄介と共に歌う道、そしてもう一つは玄介を差し置き一人でデビューする道。
結果、シンは後者の道を選んだ。
後悔はしていない、するならばあの時の浜松さんの話を受けたときにしていたはずだから。
その事を自分に言い聞かせていた。少しでも前に進めるように、少しでも笑えるように。
喉に異変を感じ始めたのは最近のことだった。
喉のいがらっぽさ、異物感、食事をした際の痛み、それらは声を出す仕事柄、避けられない職業病だった。
しかし、事務所の浜松さんにその事を伝えると、私も同行するからすぐに病院に行ったほうがいいという事になった。
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喉頭がん、医者からはそう言われた。空気の流れが止まったままだった。
「そうですか、、、それで先生、歌の方は?」
浜松さんは核心に迫る質問をした。
「残念ですがここまで進行していると、声帯の摘出しかありません。」
シンはそう言うとしばらく虚空を見つめた。
罰、、、そう思うしかなかった。
「すぐに癌を摘出する段取りをしましょう。えーと、、」
「先生、少しの間、時間をくれませんか」
医者の言葉を遮るようにシンは頼みごとをした。
「1週間だけ、1週間だけでいいんです。少しの間、、、」
「うーん、分かりました。1週間ほどであれば手術を延期することができますよ。」
ありがたい。シンはそう思うと浜松さんにある事を告げた。
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(ザーザーザー、さぁ次のコーナーは小野伸一の歌唄い、です。どうぞ)
「おじちゃん、これちょーだい。」
「はい、えーと、全部で365円だよ。はい、確かに。まいどありー。」
僕は今日もラジオを聴きながら駄菓子を手伝っている。
毎週この時間帯はシンのラジオコーナーが流れている。
「皆さんこんにちは、小野伸一です。突然だけど今日はみんなに報告しなきゃいけない事があるんだ。」
なんだろう。僕はそう思って耳を傾けた。
「俺は今日を最後に声が出なくなる。喉頭がんで明日手術をするんだ。」
え、、、自分の耳を疑った。シンは続ける
「そして最後に俺のデビュー曲を聴いてほしい。この曲は本来ある男が作った歌なんだ。なあ、玄介、聞いているかい?」
シンの言葉はリスナーではなく、だんだんと玄介に向けられていった。
「玄介、ホントはずっと二人が良かったよ。でも景色はどんどん移り変わっていくんだ。
荒れ狂う価値観の中、何にも染まらずにはいられやしなかったんだ。
だから玄介、お前に聴いてほしい。」
このラジオが小野伸一の最後の歌声だった。
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「ふー。今日は一段と冷えるなぁ。」
そう言いながら僕はある建物の中に入っていった。
「すいません。小野伸一さんはどちらの部屋にいますか。」
受付を済ませ、325号へ足を運ぶ。
綺麗に整えられた部屋の奥、窓際のベッドに彼はいた。
「やぁ。久しぶり。」
二人は目を合わせ静かに笑った。『あの日のように』。
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