Gin Laphroaigの追想 2
〜Serious story 3/3〜
彼女と出会ってから、幾度の季節を越えただろうか。
我らにとっては本の数年でも、人間にとってのその年月は大きな変化を伴う。
可憐な少女は、いつしか佳麗な大人の女性へと成長した。
当然未だ往々にして、彼女へ逢いにも行っている。
彼女がそっと心の中で欲する物を読み取り、それらを気付かれぬように贈り届けるスリルも楽しんでいた。
勘の良い彼女は、我のスリルを不可解な事件として捉えたらしい。
あの手この手で謎解きを試みているが、その思考回路を我は窺えるのだから意味はない。
けれどある日を境に、彼女が何一つ欲しなくなった。
幼少時からあんなにも好きだった、老舗ブランドのストロベリーアイスでさえもだ。
何かがおかしい。
そう感じ知ったところで、視線を交わすことも言葉を掛けることも我には出来ない。
何かが起きたのだ。
それなのに、その何かが解らず歯痒いまま時は過ぎて行く。
「ねぇ、ゾノ主演の最新映画スペシャルエディションをプレミア先行上映しない?」
意味ありげに含み笑いをしながら、ウォッカが見たことのない自室のドアを開ける。
するとその先には、巨大なスクリーンとオープンカーをリクライニングベッドに改造したシアターが広がっていた。
「ホームシアターの域を余裕で超えてるな」
二の句が継げず、無難な感想をどうにか吐き出すものの、この趣向には心惹かれた。
ここまで大きくなく、もっと寛ぎながら鑑賞できるようなシアターを我が家にも建築したい。
然すれば、地球に訪れなくとも彼女にいつでも会える。
「ほら一応神じゃん? なので横40mの地球最大スクリーンにしてみましたぁ! リクライニングベッドは革張りにしてね? ただこのクラシックカーは流石にレプリカにしたよ。もったいないからさぁ! でも他のクラシックカーはヴィンテージだよ」
満面の笑みで熱く語り始める科学オタクは、流石は地球を統べる神といった具合だ。
確かに中央真ん中の1台だけがベッド仕様で、辺り一面置かれている他の車は普通に見える。
それでもヴィンテージと呼ぶのだから、古き名品なのだろう。
「あ、ごめんごめん、ゾノの映画だったね! 座って座って!」
そう促され、リクライニングベッドに腰を下ろす。
すると途端に甘い匂いが立ち込め、サイドテーブルに甘い菓子と発泡性の黒い飲料水が現れた。
「はい、キャラメルポップコーン。ドリンクはコーラでよかったでしょ?」
返事をする間もなく、テンションが高まったままのウォッカは話を続ける。
「来週から全世界で先行上映予定の最新作を手に入れたんだ。ってあれ? もしかしてこれジン原作の映画だった? 亜人や魔法が出てくる御伽噺なんだけど、予告編を見る限り、舞台が空球っぽい」
正確には我ではなく空球小説家の著作だが、それを地球に持ち込み映画化をさせたのは我だ。
ただ、彼女を主演に据えるための力などは悉皆使ってはいない。飽く迄、彼女自身の功績だ。
そして論無く撮影現場にも訪れているが、この時も彼女の欲は空虚で、何一つ差し入れられずに終わっている。
「ヤバイねゾノって。透明な聡明さに鳥肌が立つよ」
確かに適役だ。これほどまでにこの物語を演じ切れる女性は、地球に存在しないだろう。
その性格を表すかの如く、歪みない真っ直ぐで艶やかなブルネットの長い髪に、鳶色の瞳。
スクリーンを通して観る彼女は、どこまでもお伽の国の女性だ。
丁度、舞踏会のシーンだった。
薄檸檬色のドレスで踊る彼女に魅了され、時が止まる。
彼女の手を取る相手役に、訳の分からぬ腹立ちを覚えるほどに。
けれどその瞬間彼女のオーラが突如変化し、我を捉えて離さなかった。
「……っサラ!」
無意識にそう叫んでいた。
それと同時に、急調に行動を起こさねばならないことも悟る。
急がねば。まだ間に合うだろうか。否、間に合わせる!
ポップコーンを持っていることすら忘れ立ち、ベッドへ盛大にぶち撒けた。
突然立ち上がった我に驚き、ウォッカが目を見張りながら見上げている。
けれど菓子を溢した非礼も謝罪しないまま、単刀直入に切り出した。
「ウォッカ、彼女を空球へ連れ去る!」
「え、連れ去る? 転生させるんじゃなくて?」
「あぁ、文字通り現存のまま連れ去る!」
我の焦燥に気づいたウォッカは徒ならぬ事態を予測し、自身に掛けていた『見えなくて良いものは見えない』術を解いたのだろう。
返答しながら術の解けた眼でスクリーンを振り返り、我と同じモノを見た。
「そんな時空の超え方をしたらゾノの心…って、何このゾノのオーラ!」
「あぁ。だから火急に実行したい」
色を失くした彼女のそれは、まるでアルビノの孔雀のように幻想的でもあった。
けれどその色と呼べない色は、自ら命を絶とうとする者が放つ色だ。
何故、突然こんな事になった?
我が最後に逢った時は、いつもの鮮やかな虹色を放っていた筈だ。
否、我は知っていた。おかしいと気づいていた。
襲い掛かる自責の念に、目の前の色を失っていく。
その時だった。
背を向けたスクリーンから、弱々しく彼女の心の声が聴こえてくる。
『彼に会いたい。私を見つめて欲しい。声を聞かせて欲しい……』
誰にだ。誰に向けて発せられた想いだ。
今際の際にただ只管唱えるほど、其方は誰を愛する?
「ジン! 準備出来たよ、ギリギリセーフ!」
けれどウォッカの呼び掛けで我に返る。
呆けた思考に鞭打つ為、眉間を拳で数度叩きながら切り返した。
「矢張り呪いか?」
「うん。残念なことに実母からの呪いだったよ。これの解除はジンの想定した方法しかない」
急激なオーラの変化は、呪詛に依るものが大半だ。
転生ではその呪縛が剥がれない。だから元を断ち、時空を無理矢理捻じ曲げ連れ去る。
ただ、転生や召喚等と違い、この強引な方法にはデメリットがある。
一つは、空球の民には成れない。転生は移籍。コレは移動と言えば明瞭だろうか。
だから我にとっても彼女は多世界の民のまま故、読心が継続される。
更に時の流れの問題だ。魔法が活発な空球は、地球よりも時の流れが緩やかだ。
我らが行き来するには単なる誤差だが、人間にとってはかなりの消耗となる。
その為、彼女に年齢固定の術を掛けなければならない。
でなければ、彼女が空球に足を踏み入れた途端、老婆になってしまう……
彼女の幸せだけが我の楽しみだった。
彼女の子、孫、曾孫。と、追従して傍観すれば良いと思っていた。
けれどそれらは、彼女の今際の言葉のお陰で掻き消された。
何人たりとも彼女に触れることは許さない。
愛しいと想うことどころか、邪な心から出でる心配すら許せない。
だから彼女を誰の記憶にも留めないように手筈した。
あたかもそれが彼女の望むモブチートなのだという体で。
一介の人の子人生を、我ら神が操って良いにも限度がある。
領分を大きく超えたそれは、この世界に歪みを生むだろう。
それでも譲れない。願わくば、彼女も神となり我が隣で永遠に生きれば良いーー
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王妃を操作し、彼女にまた薄檸檬色のドレスを宛てがった。
塗り替えよう。地球での今際を全て塗り替えよう。
見上げ微笑みかける者もダンスの手を取る者も、願い想う相手も我だ。
「サラ… そなたの全ては、この私のものだ」
彼女の髪の一房を掬い取り、耳元でそう囁きながら指の中の髪へ口づけを落とす。
俯いて居た彼女がつと顎を持ち上げ、私の瞳を覗き込む。
その表情は、地球にいた頃の、スクリーンの中の彼女になっていた。
この期に及び、我神に演技を仕掛けるのか。
よろしい。その一興に乗るとしよう。彼女が自ら私に落ちてくるまで。
どの道、手放すつもりなどないのだからーー