三田園 小桜の追憶
〜Serious story 2/3〜
濃淡ある斑らなダークブロンドの髪がさらりと揺れる。
いつかの撮影で訪れた、濁りひとつないエメラルドビーチのような澄み切った瞳。
そんな瞳に捕らえられて動くことができなかった。
「サラ… そなたの全てはこの私のものだ」
その囁きに、ゾクとした甘い痺れが身体を駆け巡る。
彼の断言は呪いだ。彼がそれを否定してくれるまで、その効力は続く。
そして今、呪われた。これでもう彼以外の誰一人、気持ちを通わすことはできないだろう。
けれどそれでも良いと、囁き放たれた呪文に打ち震える自分がいる。
この完璧に整った顔も、深い声も、纏う空気も、何もかもが人外でその威圧に息をすることも躊躇った。
あぁ、そうだ。この方は紛れもなく神なのだ。
そこで漸く思い出す。彼は心が読めるのだと言うことを。
決して考えてはならない。この想いを悟られることも許されない。
だから前職で培った仮面を被る。
演じろ。演じ切れ。でなければ、この世界での私も壊れてしまうーー
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言われるがまま。逆らえば食べられない・物理的にも痛くて眠れない日々が続くから、感情を放棄する癖がついた。
にこにこと微笑みYESとだけ発せれば、周りを取り囲む大人たちは皆上機嫌だったから。
今日は天真爛漫で元気いっぱいの子。今日は打って変わって健気な病弱の子。
渡される台本通りの人生を数日単位で入れ替える日々や、それらを演じることで勝手に周囲が描く私像。
最早どれが本来の自分なのかすらあやふやで、こんなの自分じゃない!などと悩み苦しむことすら面倒だった。
そんな私でも気になる人が居た。
なぜ気になるのかが分からない。それでも事ある度に彼の姿を探していた。
初めは些細なことからだった。
撮影中、何処何処のアレが食べたいなどと考えると、休憩にはソレが差し入れとして齎されている。
最初こそラッキーだと喜んだけれど、度重なれば不安を煽られるものだ。
だから差し入れ主は誰なのかと、マネージャーにその度聞いた。
けれどその答えは個々別々だったから、どうにかこの不可解な現象の法則性を解明しようと躍起になった。
差し入れがある日、必ず現場に居る人。
私自身、マネージャー、などと消去法で除外しつつ、現場を訪れるスタッフ以外の人々にも細かく注意を向ける。
そうして見つけたのが彼だ。
カジュアルではあるものの、ハンチング帽やステッキというクラシックアイテムを馴染ませた姿は、目立って何ぼの業界でも異質に映った。
彼はどこの誰なのかとマネージャーに問えば、この映画の原作者だと言う。
しかも、彼は話すことのできない病気なのだとも教えてくれた。
彼が現場に訪れる日は必ず例の差し入れがあることも、興味を惹いたのだと思う。
さらに彼の描く異世界観に、何度も出演することも重なり、至極惹かれたことも大きいはずだ。
一言も交わしたことなどない。視線が重なることすらない。
きっと私に興味などないのだろう。神秘的な出で立ちだけれど、読心が出来るとは思えない。
だから彼じゃない。消去法に基づき彼の名は消すべきだ。
それでも尚、彼の瞳の色すら知らないまま10年の時が過ぎても、彼の姿を探し続ける自分がいた。
そんな折、母親が死んだ。
毎夜悪夢に魘され眠れないと周りには溢していたらしいが、元々保護者印が必要なときにだけ連絡を取る関係だ。
だから成人してからは、忙しさに感けて全く会っていなかった。
亡骸はまるでミイラだった。
血肉が抜き取られたかのように細く干上がり、顔は苦痛に歪んでいた。
世間ではアラフォーと呼ばれる年齢の様相では決してない。
事件性が疑われ、司法解剖も執り行なわれたがおかしなところは何もなく、病死ということで処理された。
葬儀の日、母の知人という方から手紙を渡された。
自分が死んだら娘に渡して欲しいと、母から頼まれていたそうだ。
読みたくなかった。
読まずとも、母という女性を把握していれば、書き綴られている内容など手に取るように分かるから。
けれどその知人は、私が読み終わるまで見届けて欲しいと頼まれていると言う。
そんな知人の好奇に満ちた目から1秒でも早く解放されたいがために、頭も心も拒否していた手紙を読む羽目になる。
あの日から、文字が手紙から浮き出て鎖となり、私に幾重にも絡みついて剥がれない。
その鎖が、私の全てを吸い取っていくような感覚に陥っている。
母の亡骸を思い出す。私もこのまま母のように干上がり悶え苦しむのだろうか……
もう、湯水のように金を使い続けた、養わなければならない親も居ない。
これまでの実績から、皆が言うには良い仕事ばかり舞い込んでくる。
だから不満などない。けれど欲しいものもない。
やりたいことも、見たいものも食べてみたいものも、もう何もない……
凪になるとは、得てして穏やかと同義されるがそれは決して同じではない。
凪の先にあるのは平穏ではなく虚無だ。
限界だった。三田園小桜を演じることが、もう限界だった。
薄い檸檬色のドレスが激しい動きに合わせて波立ち、衣摺れ音が耳に心地良く響く。
この撮影のために、練習を重ね続けて体得したステップを無意識に踏む。
『最期にもう一度だけ彼に逢いたい。逢って私を見つめて欲しい。声を聞かせて欲しい』
何故かただ只管に、それだけを願いながら……
そして私の世界はその数ヶ月後に幕を閉じ、カーテンコールを迎えることなく次の幕が開く。
一途に想い続けた願いが、総て叶った彼の世界でーー