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凍てついた棺桶  作者: ヒカル
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1月17日

藤井和樹は肩をおとし背中を丸めて、固くなんの飾りけもない丸い椅子に座っていた。その表情からは何の感情もみてとれない。まるで廃人のようだ。


しかし、その目に映っているのはのは異様な光景だった。


和樹の目の前には大きさが二メートルほどもある楕円形のカプセルのようなものが置かれていた。全体的に灰色で上部のガラス張りのところは内部から青白い光がもれている。それが一メートルの間隔をおいてズラリと並べられていた。その数は五千個にもなる。

よって、この空間は一辺が百五十メートルにもなる、かなり広いものになっていた。照明は落としてあるので薄暗いが、カプセルが灯す青白い光のおかげで足元が見えないということはない。


それは、この世のものとは思えない、どこか不気味さと幻想的な雰囲気をもった空間になっていた。


初めて見る者にとっては、すこし驚くかもしれない光景だが、毎日見ている和樹にとっては何の感情もわいてこない。むしろ憂うつな気分になる。

この部屋に入ると、いつも無気力になり、入ってすぐ横においてある丸い椅子に座ってしまうのだった。

そのまま頭をからっぽにして、ボーっとしていると、気づいたら一時間も二時間もすぎてしまっている。


この日も目の前の何もない空間を見つめて一時間もとうに過ぎたころ、やっとゆっくりと立ち上がった。両膝に手をついて、まるで老人のようにフラフラと立ち上がる。


重い足取りでカプセルのそばまで行くと、ガラスの中をのぞきこんだ。中には青白い光に照らされながら、まだ大人になりきれていない、どこか幼さが残る青年が横たわっていた。

ガラスからは胸のあたりから頭までを見ることができたが、青年はまぶたを閉じて微動だにしない。その顔からは生気が感じられず、死んでいるかのように見えた。


和樹は無表情で青年の顔をしばらく眺めると、カプセルの上部に表示されている数字をチラッとみた。


-25℃


数値を確認すると、和樹は顔をあげた。そして空中に向かってボソッと言葉を発した。


「アイ、チェック」


周りには言葉を返してくれるものなど誰もいない。はたから見るとひとり言のように思えるが、どこからともなく和樹の言葉に返答してくれる声が響いた。


「イエス、ファザー」


この部屋全体に響いていくような、中性的でよく通るいい声だった。


和樹の目の前には天井からいくつも光がそそがれ、それが交わるところで立体的なホログラムとなった。

ホログラムにはいろんな機器の名前や、数字、グラフが映しだされていた。


先ほどの和樹にこたえた声が説明をはじめた。


「冷却装置異常なし、電力供給異常なし、予備電源異常なし、蘇生装置異常なし、五千名の冷凍睡眠者に異常はありません。なお、ナンバー4256の排熱装置が若干低下しています。フィルターの清掃交換が必要かもしれません」


和樹は説明を聞きながら、目の前に映し出された数値を目で追っていった。


「わかった。ではナンバー4256のフィルターのチェックをし、必要なら清掃交換までやってみろ」

「イエス、ファザー」


和樹は視線をおとし、またカプセルをみた。カプセルの下のほうには番号が刻印してあった。


ナンバー3668


4000番台はここからそう遠くない場所にあるはずだ。和樹は番号をたどってナンバー4256のカプセルを目指して歩き出した。

整然と並べられたカプセルの間を歩いていると妙な気分になってくる。半分死んでいる者たちを照らす青白い光は魂や川面を連想させる。いうなれば、ここは現世の三途の川か。


こいつらは川べりに立って、片足を水のなかに突っ込み死にたくないと叫んでいるのだ。

そしておれは、こいつらの後ろに立って自分の順番がまわってくるのをただ茫然と眺めている。


ゴウンという音が聞こえ和樹は音のしたほうをみた。この広い部屋のかどには倉庫があり、メンテナンス用の機械や資材が置いてある。その扉が音をたてて開き、中から作業用のロボットが一体走りでてきた。


和樹の腰までの高さしかないロボットはウーンというモーター音をならして、カプセルの間をすばやく動き、4256番のカプセルの前で止まった。


ロボットの形は楕円で作業用のアームが二本、胴体から伸びている。頭のところは透明のガラスでできており、中からは六つのカメラがのぞいていた。


ロボットは和樹がそばに来るまで動作一つせず、停止していたが、和樹がすぐ横にくると、またどこからともなく声が響いた。


「今からナンバー4256のフィルターの交換を行います。よろしいですか?」

「よし、やれ」


和樹が許可するとロボットのアームがカプセルに伸びていき、器用に側面を取り外しはじめた。十本の機械の指が人間以上に精密に動き、あっというまにフィルターまで外してしまった。

そして新しいフィルターに付け替えると、今度は取り外した部品を迷うことなく正確に取り付けていった。


和樹はあいかわらずつまらなそうな顔ではあったが、ロボットの動作を逐一観察していた。

ロボットの作業が終わると和樹はいった。


「よし、手順に問題はない。今のを記録しておくように」

「イエス、ファザー」


ロボットは方向返還をし、またウーンというモーター音をさせながら、倉庫に帰っていった。それを見届けると和樹もまた、出口に向かって歩き始めた。

和樹もここでの仕事は終わり、また次の仕事に向かわなければならなかった。


出口までくると扉がシュという音をたてて、横にスライドして開いた。扉のさきには長い廊下が伸びていた。電灯が等間隔につけられてはいるが、どこか薄暗く、人の気配もまったくない。

和樹は長い廊下を歩きだした。コツコツと和樹の歩く音だけが廊下に響いていった。


十分ほど歩いても目的の場所にはなかなか着かない。とにかくこの施設は何もかもが、ばかでかかった。和樹ははじめこの大きさが気にくわなかったが、いまは慣れてそれほどでもなくなった。

移動用の機械もあるので、本来なら歩かないでもいいのだが和樹はあえてその機械は使わずに歩くことにしている。


どうせ時間は余りあるほどあるのだから、ゆっくり歩くことで時間もつぶれるし、気もまぎれるというものだった。


そして、歩き始めてから二十分ほどたったころ、やっと目的の場所にたどり着いた。目的の扉の上には、「地力発電所」と表示されている。


扉の前に立つと、シュっと音をたてて横にスライドして開いた。

和樹はなかに足をふみ入れると、中は管制室のようで電光掲示板にいろいろな項目と数値が映し出されていた。それほど広くはない。


そして、ここでもさっきとやることは変わらない。和樹は表示されている数値を目で追い、異常がないか確認する。

そしてアイに語りかける。


「アイ、異常はないな」

「イエス、ファザー。電力は問題なく発電されています。各施設への供給も安定しています」


アイのこたえを聞いても、和樹は制御装置の前に置いてある椅子に腰かけ、キーボードをカタカタとならしパソコンの画面に映し出される情報を確かめていった。

正直なところ、アイの地力発電所のプログラミングは少し甘いと和樹は感じていた。冷凍睡眠装置は一番重要なので、かなりの労力と時間をかけ、少しの問題も起きないように慎重にプログラムしたが、地力発電所はまだそこまではできていなかった。


ただ単に動かすだけなら問題ない。必要なのは問題を発見し、解決策を見つけ、実行できるかどうかだ。壊れているところがあれば、自動で修理、または部品の交換、部品がなければ作成、それもできなければ改造、というところまでできなければならない。

ゆくゆくは人が全く関与しなくても稼働しつづけていかなければならないのだ。それこそ、何百年も、何千年も、もしかしたら何万年かもしれない。


あまりに未来が遠いので、和樹は実感がもてなかった。そして、そこまでの責任感もない。ただ、ほかにやるこもないので、しかたなくやっているだけだ。


三十分ほどで全てのチェックを終え、和樹は椅子から立ち上がり、部屋をあとにした。


和樹はこのあとも、各施設のチェックを同じように続けた。空調、浄化装置、電気系統、一通り終わるころにはお昼も大きく過ぎてしまっていた。

朝からなにも食べていなかった和樹は、さすがに空腹感を感じ、食堂に向かうことにした。



午後三時、和樹が食堂に入るとセンサーが反応してパッと電気がついた。広い食堂だ。五百人は座れるほどの席が用意してある。

灰色の床や壁に囲まれて、真っ白なテーブルと椅子が整然と並び、蛍光灯の光を反射して妙な存在感を示していた。観葉植物なんていうものも一つもなく、無機質という言葉がぴったりの空間になっている。

そして、多くの人が利用できるように準備されているのにもかかわらず、食堂には誰一人いなかった。それもこの空間の異様さを際立たせることに一役買っていた。


和樹は一番すみの席に腰をおろした。ここで食事をするときは決まって同じところに座るようになっている。

こちらを注目するものなど誰もいないが、背中に壁があったほうがなぜか落ち着くのだった。


和樹が席に着くと、目の前に立体映像が映し出された。手のひらサイズのミニチュアの料理の映像が二十種類ほどテーブルのうえにうかびあがった。

和樹は特に食べたいものなどなかったが、てきとうにさば味噌定植を選んだ。和樹がさば味噌定植の立体映像を指で選択すると、二十種類のミニチュア料理は消え、かわりにさば味噌定植の原寸大の立体映像とともに「本当にこれでよろしいですか?(はい)(いいえ)」の文字が目の前にあらわれた。和樹がもう一度はいのところへ指を持っていくと、「注文が確定しました」の文字にかわり、立体映像は消えた。


料理はすぐにきた。それもそのはずだ、待っているのは和樹だけなのだから。

料理はロボットがはこんできた。給仕用のロボットで、下は車輪がついていて、上半身は白い光沢のある金属でできており人間の形をしていた。手には和樹の頼んだ料理をもっている。


「どうぞ、さば味噌定植です」


ロボットは近くまでくるとそう言って、料理を目の前に置いてくれた。そして仕事が終わるとまた走り出し、厨房の奥に引っ込んでいった。

料理からは湯気があがり、とてもおいしそうに見えた。


和樹はさばをほぐして、ひとつまみ箸で取ると口にはこんだ。そして、よく味わいながら、さばという魚はいったいどんな味がしたのだろうと考えた。

今度はお茶碗を手に取り、ふっくら炊きあがったごはんを食べた。そして、お米とはどんな香りがしたのだろうかと考えた。


和樹は目を閉じ、記録映像でみたさばの姿を思い起こした。青く透き通った海の中を泳ぐさばの群れ、銀色の腹部が太陽の光を反射してキラキラと美しかった。力強く泳ぎまわり、躍動感あふれる姿に和樹は感動した。


今度は黄金色に染まった田園の風景を想像した。夕焼けの赤い太陽と空、一面に広がる田んぼには稲穂がこうべををたれている。やわらかい風が吹き、ゆっくりと波打つ稲穂から世界の美しさを知った。

和樹は田んぼの真ん中に立ち、その風に吹かれる夢を何度みたことか。


しかし、そんな世界はもうどこにも存在しない。海は黒くにごり、さかな一匹泳いでいない。大地は荒れ果て、草一本生えることもない。太陽は厚い雲におおわれ、たまにしか、その姿を見せない。


世界はもう終わっていた。和樹が生まれる何百年も前から。だから和樹はこの暗くよどんだ世界しかしらない。

はるか昔の、生命が満ち溢れていた世界のことなど、夢物語でしかない。


和樹がいま口にしている食べ物も、昔あった料理に似せてあるだけで、すべて合成たんぱく質からできている。味も似せてあるらしいが、和樹はここの料理をおいしいと思ったことはない。いっこうに変わらないメニューにもあきた。

それでも限界まで腹をすかせれば少しはマシになる。和樹はもう何十年も一日一食たべるか、たべないかの生活を続けていた。

栄養の面は、体内に埋め込まれたチップから必要な栄養素がデータで送られ、足りないぶんは毎回の食事のときに補給できるようになっているので問題はなかった。


そんなことを考えていると、まずい飯がいっそうまずく感じられてきた。和樹はさば味噌定植に似たものを、とくに味わうこともせず、いっきに口にかきこんだ。

あっという間に食べ終えると、最後にお茶に似た緑色の液体で口に残ったさば味噌定植をながし込んだ。


湯呑をコンっとテーブルに置くと、和樹はふうっと一息ついた。

和樹はがらんとした食堂を見渡した。四十年ほど前、和樹が物心つき始めたころ、ここはいつもにぎわっていた。いつも誰かが食事をしていて、昼どきになると座れないほどだった。

でも満員だったとしても、和樹が食堂にくると必ず席をゆずってくれた。子供はみんなの宝だといって、とても大切にされていた。

みんなに代わるがわる頭をなでられた記憶がある。何も知らず無邪気だったころは、それは嬉しかったものだった。


しかし、和樹は大きくなるにつれ、この世界のことがわかってきた。十代の後半にさしかかったところで、こう思わずにはいられなかった。


はたして、希望は残っているのかと・・・


大人たちは、若者が人類の未来を担っているなどど言ってきたが、和樹はそうは思えなかった。


和樹と同年代の仲間はみんな、遅くても十代後半には冷凍睡眠装置に入ってしまったが、和樹はかたくなに拒みつづけた。大人たちは必死に説得してきたが、何を言われても首をたてにふらなかった。


そうしているうちに時間は流れ、若く、少しでも子孫を残せる可能性のあるものは冷凍睡眠装置に入り、そうでないものは老い、死んでいった。長い年月で蓄積された汚染物質により人類は短命になり、若くして病気で死ぬ者も多かった。今の人間の寿命は長くても五十歳前後といったところだ。


和樹が三十歳になるころには、この施設で働いている人間はほとんどいなくなっていた。毎日のように誰かが死んでいくので、和樹はこの施設の南東の丘に遺体を埋めに行くのが日課になっていた。

その丘からは、奇跡的に空が晴れたときに日の出が見ることができるので、和樹は気に入っていた。自分も死んだらここに埋まるのだろうと信じて疑わなかった。


そして現在、この施設で動き回っているのは、機械と人間がふたり。和樹のほかにもう一人だけになってしまった。


和樹はふと顔をあげ、入り口の上に表示されている時計をみた。すでに午後四時をまわっていた。いつの間にかボーっとしていたらしい。和樹はイスを引き、立ち上がると食堂をでた。

後ろでは待ちわびていたかのように、ロボットがきて片づけをしている音が聞こえた。


和樹は自分の部屋に向かった。そこまでも食堂からは歩いて二十分ほどかかってしまう。

この施設の居住区は最大で一万人を収容できるほど大きなもので、居住区のはしからはしまで歩くのでもちょっとした運動になる。


居住区はいくつかの区画にわかれており、未婚の単身者や年寄りなどは人ひとりがやっと横になれるほどのスペースしか与えられず、昔にあったとされるカプセルホテルのようなつくりになっていた。トイレや風呂は共同だった。


結婚し夫婦になると、八畳ほどの部屋が使えるようになりトイレや風呂なども備えつけられていた。かなり自由がきくようになるので、早く結婚して広い部屋に移りたいと考える者は少なくなかった。それに、この施設では結婚して子供をつくり、子孫を残す、というのが最大の使命でもあったので結婚を望む者も多かった。


和樹も以前、パートナーと一緒に住んでいたことがあった。子供はできなかったが、べつに悲しくはなかった。今となっては子供を授かることのほうが珍しいのだから。

そして、子供ができないと離婚し、パートナーをかえることができた。和樹自身は、どうでもよかったので相手にその意思があれば離婚してもよかったのだが、とうとう離婚にはならなかった。和樹はそのことを相手の女に申し訳なく思っている。


和樹は居住区の前まで来ると、いったん止まり、人工知能に声をかけた。


「アイ、文江はいま部屋にいないな?」

「はい。マザーはいま自室にはいません。研究室にいます」


アイがこたえた。和樹はそれを聞くと再び歩を進めた。

居住区は何層かに分かれており、第一層がこの施設の責任者や幹部、家族用の広い部屋があり、第二層が夫婦用、第三層が単身者、年寄り、第四層が病人用となっていた。第一層は地上部にあり、第二層、第三層と進むにつれ地下に入っていくそうな構造になっている。

居住区は効率よく空間を利用するため、シンプルな構造となっている。部屋と部屋との間隔は狭く、居住区のフロアに入ると、ドアがずらりと並んでいた。しかし居住区はできるだけ住みやすいようにできていて、フロアは明るく、清潔でデザインも凝っており、幾何学てきな模様や抽象画がところどころに描かれていた。デザインのテーマは再生、希望、救済、どれもポジティブなものであふれていた。


和樹は居住区に入ると、自分の部屋を目指した。

いまはもう人がいないので、どれでも使い放題だが、和樹の部屋は第一層の入口付近にあった。そのほうが近いから、ということもあるが一番の理由は、もう誰もすんでいない部屋の前を通りすぎるのが嫌になったからだった。


和樹が自分の部屋の前までくるとドアがシュッという音をたてて横にスライドして開いた。

和樹がいま使っている部屋は、もとは地位の高い人間が使っていたもので、この施設のなかでもかなり広いものになっている。

ただ部屋の中はというと、いたるところに、からの酒瓶がころがっていて足の踏み場にも困るほどだった。基本的にこの施設はロボットが自動で定期的に清掃をするので、いつも清潔にたもたれているが、この部屋だけは異質の空間になっていた。

唯一酒瓶がころがっていないのは寝室くらいなものだった。和樹もさすがに寝るところくらいはきれいにしていた。

和樹は酒瓶を蹴っ飛ばさないように、慎重に足をはこぶと真っすぐ進み、リビングに向かった。リビングにつくと、右奥のかどの机にキーボードだけ置いてあり、和樹はその前に座った。


「PC起動」


和樹がそう言うと、目の前に立体映像があらわれ、何もない空間に画像や文字が表示された。和樹はキーボードに手を置くと、操作しはじめた。

やることはプログラムの改善。とくに発電システムと空気の浄化装置は和樹の担当になっているので、そこを重点的にやりはじめた。


しかし、五分もたたうちに手を止め、机のしたに手を伸ばし酒瓶をつかんだ。そして、キョロキョロをあたりを見渡し、床にころがっているグラスを見つけると、拾って酒をついだ。

ついだ酒は三百年もののウイスキーだ。といっても、作物を発酵させてつくられたものではなく、工場で人工的に製造された、ウイスキーテイストのアルコールである。昔は大量に作られていたらしいが、いまとなってはこんなものでも貴重だ。

和樹はひとくち口に入れると、舌でアルコールの刺激を楽しみ、飲み込んだ。不味いことで有名だったらしいが、和樹はこの酒が嫌いではなかった。


和樹は満足した表情を浮かべると、グラスを横に置き、また指でキーボードをたたき始めた。そうして、酒を飲みつつプログラミングに没頭していった。



数時間後、和樹は目を覚ますと、ひたいにしわを寄せ、うめいた。どうやら机に突っ伏して寝てしまっていたらしい。体がこわばっていて、関節が痛かった。頭痛もひどく、脈打つたびに目の奥がズキズキした。酒の飲みすぎだ。

ふと下を見るとグラスは床にころがり、中身がこぼれたのか床が少しぬれていた。


和樹はイスの背もたれに寄りかかり深く息を吸って、ゆっくりはいた。それを何回かくり返し頭がすっきりしてくると、目の前に映し出されている映像をみた。どうやらプログラミングはあまり進んでいないらしい。それに最後のほうは酔っぱらっているなかの作業だったので、間違いも多々あるだろう。


ただ、そんなことは気にもしなかった。どうせただの暇つぶしなのだから。


和樹は寝室に行こうと立ち上がった。いまならベッドで横になれば朝までぐっすり眠れるだろう。

和樹はふらついた足取りで、床に転がった瓶を何個か蹴とばしながら寝室に向かった。


しかし途中で何かを思い出したように立ち止まり、アイに問いかけた。


「アイ、いま何時だ?」

「現在の時刻は二十二時四十一分です」


突然の質問にもアイはよどみなく答えた。


「今夜の天気はどうなっている?」

「今夜の天気は快晴です。昨日から汚染濃度も下がり続け、視界も良好です」

「そうか・・・防護服を準備しておけ、いまから少し外にでる」

「イエス、ファザー」


和樹はぼんやりしていた頭もはっきりしてきて、今度は確かな足取りで瓶を避けながら歩き、部屋をでた。



しばらく後に和樹がいた場所は、この施設で一番高いところ、電波塔の最上段だった。高さは百メートルほどある。ここからが一番見晴らしがよかった。


「アイ、屋外の電気をすべて消せ」


和樹は防護用のヘルメットをかぶっているが、アイとの通信はつながっていた。


「イエス、ファザー」


アイがこたえると、すぐに屋外を照らしている電灯が消えた。光がなくなった世界は、どこまでも続く闇に覆われた。見渡す限りでは光をだしている人工物は、この施設以外ない。いや、もしかしたら世界中探してもここだけになっている可能性もある。


和樹は空を見上げた。久しぶりに見る満天の星空だった。いまとなっては空が晴れるということは、ほとんどなくなっていた。環境破壊と汚染物質により、視界はいつもかすんでいて厚い雲でおおわれていた。前回星空をみたのは、もう何か月も前になる。


和樹は星を見るのが好きだった。夜空に浮かぶ星々の輝きから、その先の宇宙の広がりに思いをめぐらせると自分がどんなにちっぽけな存在か思い知らされる。それは虚無感をもたらすが、同時に安らぎもあたえてくれる。

たとえ地球がどうなろうが宇宙からみれば変化さえしていないのと同じことだろう。人類が地球を滅ぼそうとも、そこには何の意味さえもないのだ。その事実が、和樹の中にある罪悪感を少し薄めてくれた。


和樹はしばらく星を見上げていたが、少し視線をさげて、黒ぐろとした巨大な塊をみた。それはシルエットしか見えないが地平線から天に向かってせり上がり、すり鉢をふせたような形は大きく圧迫感を与えてきた。


いまはもう中腹までおおっていた木々も、草一本すらも生えておらず、ごつごつとした岩肌がむき出しで、かつての優美な姿はどこにもないが、この国のシンボルである富士山がそびえたっていた。
















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