湖の街『アートホルン』②
『二大神』
世界の形を大きく変えた『智と律を司る神』、そして、『熱と鉄を司る神』を指す。前者を主神として祀る国を『法の国』、後者を『火の国』と呼ぶ。
アートホルンの中心にそびえ立つ大聖堂。アートホルンは、『涙と雫を司る神』を祀るその大聖堂を中心に、四方に大きな水路が伸びている。
その水路からさらに小さな水路が街中に張り巡らされ、住民の多くは船に乗って街を行き来していた。運河から参拝にやってくる船もある。
しかし、聖地として祀られる一方で、アートホルンは商業都市としても発展していた。その理由は、涙と雫を司る神、ラル・ゲリゼルが、慈悲の神だっとことも関係している。
ラル・ゲリゼルが流した涙によって街が沈んだ時、そこに暮らしていた人々は、住む場所も、食べるものも着るものも失った。
そこでラル・ゲリゼルは、湖に沢山の魚を放ち、人々の飢えを満たした。そして、自身の涙でできた湖から塩を作り出し、それを人々に与えた。人々はその塩を売って、再び街を再建させ、今のアートホルンができたのだ。
涙の湖は不思議なことに、何が起ころうと水かさが減ることはない。塩が無尽蔵に手に入る。その塩を求めて、周りの国や街から沢山の人々が聖地を訪れるようになった。
塩を買った金はお布施として聖堂に納められ、その金は街のために使われる。アートホルンとはそういう街なのだ。
しかし、中には当然私利私欲の為に働く者もいた。私欲に動くもまた、人の性。彼らは後に盗賊ギルド『ラクリマ』を築き、盗みや恫喝、詐欺といった犯罪に手を染めるようになっていった。
彼ら『ラクリマ』のメンバーは、皆ずる賢く計算高い。ホムラは寝首をかかれないよう気をつけながらも、彼らとよく取引を重ねていた。
彼らは犯罪者故に、表では扱えないような代物を取引する。盗品のなどの真っ当じゃない品物は、彼らに売り払うのが一番安全な捌き方だった。
しかし、ホムラが彼らに求めるのは金だけではない。ホムラが真に欲するのは──情報である。
「……で、今回はどうだ?何か耳寄りな噂話はないか?特に、アルジャーノンに関して何かあれば教えてほしい」
「ふむ、アルジャーノンか……」
アートホルンの一画に構える古い雑貨店、そこの店主であるジンネは、ホムラの要望に顎鬚を撫でながら少し考え込む。そして、何気なしにホムラへと手のひらを差し出す。
情報料を払え。口には出していなくとも、その意図を汲んだホムラも、黙って硬貨の入った小袋をジンネの手に握らせるのだった。
「なんだ、これっぽっちか……まあ、いい。それよりお前、アルジャーノンに行くのか?」
「アルジャーノンに用はない、ただ通り道なだけだ」
「そうかい。じゃあ悪い事は言わない、アルジャーノンには近づかない方がいいぜ」
「その理由は?」
「タカ派の連中の動きが活発になってる。その影響で、関所の検閲も厳しい。入国すんなら、紹介状でも書いて貰わわにゃ難しいぞ」
ジンネの言葉に、ホムラは顎に手をやって少し考え込む。ホムラの予想通りアルジャーノンは不安定な状態にあるようだ。しかし、回り道するとただでさえ遠い道のりが、更に遠くなってしまう。
他にもいくつかの情報を聞きながら、ホムラはアルジャーノンを超えてイザヤへと辿り着くまでの道のりを、頭の中で組み直していく。
「それともう一つ、アルジャーノンは水不足に悩まされてるらしい。向こうでは、夏にあまり雨が降らなかったらしくてな……どうだ?うちで雨乞いの護符でも買ってくか?きっと高く売れるぞ」
「いらん。偽物を売りつけるつもりだろ」
「当たり前だろ。本物の神印入りの護符なんざ、そうそう手に入るわけないだろ」
「……偉そうに言うことかよ」
堂々と胸を張って偽物と言い張るジンネに、ホムラは呆れたように口をへの字にする。こうやって隙を見ては怪しいものを売りつけようとする故に、ジンネと交渉するのは気が抜けないのだ。
「ふぅ、アルジャーノン超えは一筋縄じゃいかなそうだ。ジンネ、カルミナの爺さんによろしく言っておいてくれ」
「……そんな小娘を連れて何をするつもりかは知らんが、次来るときはもう少し金を置いていけよ」
ジンネは棚の影からじっとホムラを見つめるサラを横目に、酒瓶に口をつける。そんなサラの視線を無視しながら、ホムラは手早く荷物を纏めると、広手箱を背負って軽く会釈してから店の出口に足を運ぶ。
「あっ!待ってください!」
さっさと店を後にするホムラの後を追って店から出るサラ。しかし、ドアを開けて外に出れば、そこには先程サラに絡んできた二人のごろつきがいた。
また何かされるのではとサラは身構える、しかし、二人のごろつきは顔を引きつらせると、いそいそとサラに道を開けるのだった。
「ど、どうも……」
ごろつき二人に一応は礼を言いながら、サラは先を行くホムラに追いつく。バタバタと慌ただしく走ってきたサラを、ホムラは気怠げな表情でひと睨みしてから懐から煙管を取り出して、それを口に咥える。
「……なあ、仕事中はもう少し大人しくしてろよ。厄介ごとに巻き込まれんじゃねぇ」
「すみません……って、それよりも!貴方は本当に何者なんですか⁉︎ただの商人なんて嘘ですよね、本当は高位の神官様だったりするんじゃ……」
「人の話聞いてるか?大人しくしてろって言ってるだろ。文句言うなら置いてくぞ」
「うっ……」
紫煙を吐き出しながら少し語気を強めて睨みつけるホムラに、さすがのサラも口を閉じる。しかし、それでもまだ納得がいっていない様子のサラに、ホムラはどうしたものかと頭を悩ませる。
(いちいち説明するのも面倒だしなぁ……そうだな、参拝がてらあの人に任せるとするか)
ホムラは口に煙管を咥えたまま、水路沿いの細い路地へと足を運び、サラもその後ろを黙ってついていく。それから暫くは小さな架け橋や板張りの桟橋を歩き、二人はアートホルンの中央を流れる大水路に出る。
大水路の先にそびえるのは、荘厳な大聖堂。ホムラはサラを連れて『涙と雫を司る神』が祀られるアートホルンの大聖堂へと向かう。
「……もしかして、ラル・ゲリゼルの大聖堂に行くのですか?」
「ああ、お前はそこでお祈りでもしてろ。俺は野暮用を済ませてくる」
「はい、分かりました!」
大聖堂に行くと分かって、嬉しそうに頷くサラ。神聖な大聖堂でお祈りできることが、嬉しかったようである。
すでに手を組んで祈りの姿勢に入ったサラは、目を瞑って真摯に祈りの言葉を捧げ始める。そんなサラを放って、ホムラはさっさと先に進む──が、いつまで経っても祈りをやめないサラに業を煮やして引き返してくるのは、随分と時間が経ってからであった。
ーー
アートホルンの大聖堂、かつては多くの修験者や参拝者が訪れ、日夜多くの人々が祈りを捧げていた。近年、その数は減ってはいるものの、今も多くの人々が雨乞いの祈りを捧げに来るのだ。
そして参拝者たち以外にも、この大聖堂には幾人もの神官と、聖地を守護する騎士団、神の言葉を教え伝える『伝道師』と呼ばれる者がいる。
アートホルンを守護する騎士団、トレーネ聖堂騎士団は、皆屈強な体躯を持つ戦士であると同時に、厳格な修道士である。鋼鉄の鎧を纏い、大楯と大槌を振るい、神秘なる魔法を宿して、神に仇なす怨敵を打ち砕くのだ。
盗賊ギルド『ラクリマ』の者たちも、彼ら聖堂騎士団には手を出さない。人数こそ少ないものの、一人一人の力は千人力。矮小なコソ泥など、睨まれただけですくみあがってしまうに違いない。
そして今まさに、大聖堂の入り口である大きな門の前、そこでホムラとサラは、門番である大柄な二人の聖堂騎士に睨まれている最中であった。
「……参拝者であるか」
群青のマントをひるがえし、人の身の丈ほどもある鉄槌と盾を手にした聖堂騎士の門番。その一人がホムラに何用かを問う。
しかし、もう傍の門番の聖堂騎士は暫くホムラの顔をじっと見つめると、何か思い当たる節があったのか、ホムラに近づいてある質問をする。
「貴公に問おう。貴公は……巡礼の使命を帯びし、シュインの血族とお見受け致すが、如何に?」
「……ああ、そうだ。ほら、これが証拠だ」
聖堂騎士の問いに対して、ホムラは先程サラにも見せた二大神の神印が記された羊皮紙を取り出し、聖堂騎士に見せる。
「……!失礼致した、巡礼者殿。伝道師様は礼拝堂に座す。善き祈りを……」
「……どうも」
(聖堂騎士までこの人を敬うような……それに伝道師様って、聖地における最高位の神官様じゃない……!)
二大神の神印、それを見た聖堂騎士二人は、左右に分かれてホムラに道を開ける。ホムラは聖堂騎士たちに軽く会釈してから門をくぐり、大聖堂の中へ足を踏み入れる。
その後ろをサラがついていくが、聖地を守護する聖堂騎士団があそこまで殊勝な態度を取ったことに、ホムラへの懸念を深めるのだった。
しかし、そんな考え事はサラの頭の中からすぐになくなる。精巧な彫刻と装飾が施された聖堂の大広間、広間の中央から湧き出す大きな噴水。そして、御神体である『涙と雫を司る神』、ラル・ゲリゼルの女神像。サラはそれらが醸し出す厳格な雰囲気に引き込まれていく。
「わぁ……ここが神階十九位の聖地、ラル・ゲリゼルが祀られるアートホルンの大聖堂……」
サラは御神体である彫像の前で跪くと、手を組んで祈りを捧げる。今度ばかりはホムラも何も言わずに手を合わせ、目を瞑り御神体に頭を下げて礼をするのだった。
「おや、見慣れた顔がいるねぇ……雨乞いに来たのかい、坊?」
御神体に祈る二人にかけられる朗々とした声。ホムラが目を開けて後ろを振り向けば、そこには群青の装束を身に纏った一人の老婆がいた。
大きな雫と降り注ぐ雨の模様、『涙と雫を司る神』の神印を模した首飾りをしたその老婆は、青い魔晶石が取り付けられた杖をつきながらホムラに近づくと、その手を握る。
「体に障りはないですか、お婆?」
「ふふふっ、私はあと三十年は生きるよ」
ホムラも老婆の手を握り返すと、老婆はしゃがれた声で笑い返す。しかし、サラは老婆が首に下げる神印の飾りを見て、この老婆こそが最高位の神官である伝道師だということに気づくと、顔を青くして深々と頭をさげるのだった。
「あわわっ……!お、お邪魔しています!」
「お前が誰かを連れているなんて珍しいね。しかもこんな年若い……エルフの娘とはねぇ」
老婆がサラに歩み寄って外套のフードを下ろして、サラの顔を表に出させる。そして、頰を撫でながら頭をあげるようサラに言い聞かせる。
「そんなに畏まらなくてもいいんだよ。私はプーレ、ここ神階十九位の聖地、アートホルン大聖堂の伝道師を務めているよ。あんた、名前は?」
「……サ、サラ・ホーンスタイン、です……」
「ホーンスタイン……?あのイザヤの名門貴族のかい?こりゃたまげた!坊、まさか攫ってきたんじゃないだろうね!」
「ち、違うって……これには色々と深い訳があるんだよ……」
伝道師の老婆、プーレに杖で頭を叩かれるホムラは、たじろぎながら弁明する。そのやり取りを見てサラは、きっとホムラはこのプーレに頭が上がらないのだと察する。
「……で、何の用だい?継紡の儀はもう済ませたじゃないか」
「いや、今回はその関係の用事じゃないんだ。お婆に紹介状を書いて欲しいんだ」
「紹介状?」
「ああ、アルジャーノンに入国するための、ね。こいつを連れてイザヤへ行くには、アルジャーノンを通っていくのが一番手っ取り早いんだ」
「あんた、相変わらず説明を面倒くさがるねぇ。もう少し状況を詳しく教えてほしいもんだよ」
「悪い、お婆……俺はまだここアートホルンで済ませておきたい仕事があるからさ、説明はそいつがしてくれる。じゃ、頼む!」
いまいち噛み合ってないホムラとプーレの会話。しかし、ホムラは一方的に会話を切り上げると、サラをプーレに押し付けて、急ぎ足で聖堂から出て行く。
その様子をサラはぽかんと口を開けたまま、プーレは呆れたように眉間に皺を寄せてため息を吐くのだった。
「まったく、あの子は……悪いねぇ、慌ただしくて」
「い、いえ……私はあの人に助けられた身なので、文句は言えません」
「助けられた?……あんたとあの子の間に一体何があったんだい?」
プーレに促されて、サラは事の顛末を話して聞かせる。野盗から助けてもらった事、そして、報酬を支払う代わりにイザヤまで連れて行ってもらうと約束した事。それらを聞いたプーレは、なんとも微妙そうな表情になるのだった。
「あの子は……助けたところまではいいのに、相変わらず金にがめついねぇ。あんたも災難だったね、あの子と一緒にいると気苦労が絶えないよ」
「そ、そうなんですか……あの、私からも一つ、お尋ねしてもよろしいでしょうか?」
「構わないよ、何でも聞いておくれ……私はあの子がずっと小さい頃からの付き合いだからね」
ホムラの小さい頃からの付き合い、その言葉に少し反応してしまうサラだったが、今はそれよりも聞きたいことがあった。
「あの人は、ホムラさんは……一体何者なんですか?二大神の神印を所持していたり、巡礼者と呼ばれたり……それでいて盗賊ギルドのような犯罪者とも面識があったり……彼の人物像がまるで掴めないのです」
「ふふふっ……それは当然の疑問だね。まあ、順を追って話してあげるよ」
そう言ってプーレはサラを連れて神官たちが使う小さな食堂に向かうと、石の座椅子にサラを座らせて、水を入れたコップを差し出す。
「まあ、それでも飲みながら聞いておくれ」
「い、いただきます……」
「それじゃあ、まずは私たち伝道師について話そうかね……」
まず、プーレが話し始めたのは、聖地にて神に仕える伝道師についてだった。サラも見聞きした知識ではあったが、実際の本人から聞くのとでは大違いだった。
──始まりは数百年前に遡る。二大神とそれに連なる神々、合わせて三十三の神。彼らが天上からこの世に確かな姿を持って降臨した、『天変輪廻』と呼ばれる出来事から始まる。
人々は彼ら神々が降り立った地に、彼らを祀る聖堂を立て、そこを三十三箇所の『聖地』とした。降り立った神々は再び天上へと帰っていくが、その先も自らの言葉を伝えるため、一部の者に声を聞く『耳』を与えた。それが、伝道師である。
伝道師は、その三十三箇所の聖地に必ず一人はいる。彼らの役目は、神の声を聞き、それを大衆に教え伝えること。直接神の声を聞くことを許された高位の神官なのだ。
「神の声を聞くのも楽じゃない。私ももう歳だからねぇ、最近は一言聞くだけで頭が割れそうだよ」
「そうなのですか……」
「私たちは言葉を聞くだけが精一杯。広めるのはまた別の者が担う……それが巡礼者の本来の役目さ」
昨今、巡礼者と呼ばれる者たちの多くは、国の王や神官から祈願の使命を授かった者たちを指す。しかし、その真の役割はまた別にある。
伝道師より神の言葉を授かり、それを世に広める。その為に聖地を巡り歩く。それが巡礼者の本来の役目だったのだ。
「ホムラさんが『放浪の民』と呼ばれる一族であることは耳にしました。その放浪の民とは、巡礼者の一族ということなのでしょうか?」
「『放浪の民』、確かにあの子はその一族の一人。だけどね、『放浪の民』は世界で最も偉大な巡礼の使命を帯びていると同時に、世界で最も自由な一族なのさ。あの子には今、巡礼よりも大切な目的があるんだよ」
「大切な目的……もしかして、それは……」
「そうさ、金稼ぎさ。あの子にとって、今は金を手に入れることが何よりも大事なことなのさ」
『放浪の民』と呼ばれる一族。彼らは遠い東洋の島国から流れてきた一族であり、独特な装束と黒い髪の毛が特徴である彼らは、皆自由気ままな性格で、一つの地に定住することなく旅を続ける不思議な民族だった。
プーレは、彼らが世界で最も重要な巡礼の使命を帯びていると言うが、その使命が何かをサラに話すことはなかった。もちろん、ホムラが一族から一人離れて金稼ぎに奔走する理由も、話すことはなかった。
しかし、巡礼者という崇高な使命を持ちながらも、盗賊ギルドのような裏の者たちとも取引をするほど、ホムラがお金にこだわる理由とは何なのか?
サラにはまだそれは分からない。ただ、そこには彼なりの確かな理由がある。プーレが僅かに垣間見せた複雑そうな表情から、サラはなんとなく察するのだった。
『紫の国』
唯一神への信仰というしがらみから脱し、自由な信仰を、自由な思想を、そういう考えから建国された新興国