流離う行商人 ⑤
東の空が少しずつ白み始める頃、森の片隅で微かに登る焚き火の煙。葉が茶色に染まり、裸の広葉樹が目立ち始める木立に隠れるように、ひっそりと建てられたテントがあった。
そこで焚き火に枝をくべながら、コップに注がれたお茶を啜るのは、いつもの外套を脱いで黒色の装束を晒したホムラ。その横では、マカミが丸くなっている。
普段なら、焚き火を囲むのは彼らだけである。しかし、今日はいつもと違うものが二つある。一つは例の野盗から頂戴した馬。もう一つは……毛布に包まり、木に背中を預けて眠るサラである。
そのサラを、成り行きと打算で遠いイザヤまで連れていく事となったホムラは、これからの予定について頭を悩ませているのだった。
(イザヤへ行くには、アルジャーノンの超えて行かなきゃならない。しかし、今のアルジャーノンはあまり近寄りたくないんだが……)
火の国『アルジャーノン』は、ここ数年で驚異的な技術革新を引き起こしている国だった。ドワーフが古来から用いてきた『機械仕掛け』を利用した最新技術。それを巡って、アルジャーノンは二つに分派していた。
軍事兵器を発展させ、国力を高めようとするタカ派。交通や貿易のために、『鉄道』とよばれる計画を推進するハト派。二つの派閥が、国の方針を巡って騒ぎになっているのだ。
当然、政治が乱れれば、治安も乱れる。今のアルジャーノンは、到底安全な国とは言い難い。犯罪はもちろん、強行的にそれを取り締まろうとする軍や警備も、外から来る人々には十分に危険である。
(まずは、こいつの身支度からか……馬も売っ払う必要があるしな)
まず間違いなく、楽に物事は進まない。今までのようにホムラとマカミだけでの旅ならともかく、慣れていないであろうサラを連れて行かなければならないのだ。問題が起きないはずがない。
ホムラはため息をつきながらマカミの背中を撫でると、焚き火にヤカンをかけ湯を沸かす。何はともあれ、まずは飯。腹が減ってはなんとやらである。
広手箱からパンやその他の食材を取り出していくホムラ。その音で目が覚めたのか、薄っすらと目を開けたサラは、まだ眠たそうに目を擦る。
「あっ……お、おはようござい……ます」
「少しは休めたか?とりあえず、茂みの向こうの小川で身体でも洗ってこいよ。着替えは……ほら、これを持っていけ」
タオルや着替えの服が入った籠をサラに渡しながら、ホムラは装束の懐を弄ると、そこから一本のパイプを、いや、煙管を取り出す。
そして、火皿に少量の刻み煙草を詰めると、焚き火にくべていた枝で火を付ける。ホムラは煙管を咥えてゆっくりと喫うと、またゆっくりと紫煙を吐き出していくのだった。
「……何見てんだ。別に覗きゃしねーよ、さっさと浴びてこいって」
「……!」
煙管を咥えながらジト目になるホムラに、サラは慌てて着替えを受け取って茂みの向こうにある小川へと向かう。それを横目に見送りながら、ホムラは丸まっているマカミの背中を叩いて起こす。
「マカミ、付いて行ってやれ」
「ワフッ……」
マカミも同じように、眠たげに欠伸をしながら立ち上がると、小川へと向かって行ったサラの後を付いて行く。特に周りに危険な獣や魔物はいないだろうが、一応は念のためである。
子供のお守りをしてる気分、そんなことを考えながら、ホムラはまた口から紫煙を吐き出す。実際には、ホムラとサラにそれほど年の差はないのだが。
「はぁ……」
またも深々とため息を吐くホムラは、煙管の火皿を逆さにして吸い殻を焚き火に放り込んで、また朝食の準備を始めるのだった。
ーー
ホムラたちが野営をしていた空き地から少し離れた場所、森の間を縫うように流れる小川のほとりで、サラは着替えの入った籠を抱えたまま突っ立っていた。
(身体を綺麗にしてこい、って言われたけど……ここで?そんな……そ、外で裸になるなんて……)
水を浴びて体を綺麗にしたいのはサラも思っていたことではある。しかし、こんな外で服を脱がなければならないとなれば、話はまた別である。
それでも、サラも随分と土埃や泥で汚れている。頰には降りかかった野盗の血もまだ残っている。ホムラという男性と暫くは共にする以上、ある程度は小綺麗にしておきたかった。
意を決してドレスを脱いで、一糸纏わぬ姿で小川に足を踏み入れるサラ。その小川の水の冷たさに少し顔をしかめるも、そのまま自分の体を綺麗にしていく。
しかし、その冷たさがサラの心に落ち着きを取り戻したのか。野盗に襲われてからずっと強張っていた肩の力が、ようやく抜けたのだった。
(これからどうなるのかしら……あの人はお金にがめついみたいだけど、悪い人ではない……のかな?)
何の躊躇いもなく野盗の命を奪ったホムラは、その野盗の持ち物を容赦なく奪い取っていったり、野盗たちと大差ないように見受けられた。
しかし、一方で野盗たちの亡骸をきちんと供養したり、報酬を求められたものの、サラをイザヤまで送り届けることを約束してくれた。一概に良い人とも悪い人とも言えない。
サラにとって、ホムラは何と言い表せばいいのか分からない、そんな不思議な人物だったのだ。
「ああ、ヨナ・モアスに座す偉大なる智の主よ……どうか私をお導き下さい……」
エルフたちがヨナ・モアスと呼ぶ天上の世界。そこでは今も、人々に啓蒙を与え続けているとされる『智と律を司る神』。法の国が主神として祀る神に、サラは両手を組んで祈る。
エルフの血を引くサラもまた祈りを、信仰を大切にしていた。ホムラが頂いた命に感謝するように、サラたち法の国の人々も、多くの物事に感謝し、祈りを捧げていた。
今はすっかり形骸化して、蔑ろにする人も増えてしまったが、その中でもサラは真摯に祈りに、そして魔法に向き合っていた。今時は珍しい、真っ直ぐな娘である。
しばらく、自分が水浴びをしていた事も忘れて祈りを続けるサラ。しかしそれは、サラの後ろから聞こえてきた茂みが揺れる音で中断される。
「……っ!」
サラは自分の体を抱くように隠しながら、音のした方へ振り向く。まさかホムラが覗きに来たのでは……などと考えてしまうものの、その考えはすぐに否定される。
なぜなら、茂みの中からひょっこりと顔を出したのは、狼のマカミだったのだ。マカミは欠伸を噛み殺しながら小川に近づくと、サラには目もくれずに川の水を飲む。
やって来たのがマカミだったことに、サラはほっと胸を撫で下ろす。しかし、些か自意識過剰になっている自分に、少し恥ずかしくなってしまうのだった。
「ワウッ!」
小川のほとりに置いておいた籠からタオルを取って、身体を拭こうとしたサラに、マカミが小さく吠える。自分を呼んだことを何となく察したサラは、タオルで身体を隠しながらマカミに近づく。
(この狼……ただの狼じゃない、確かな魔力を感じるわ。あの人の使い魔なのかしら?)
高度な魔法の心得がある者は、魔法を体現するための媒体として、強い魔力を持つ魔物や精霊などを使い魔として用いることがある。
マカミもまた、炎の魔力を宿した魔狼。ホムラが使い魔として連れていてもおかしくはなかった。しかし、使い魔というにはマカミは些か自由すぎる。
使い魔を使役する魔法使いは、必ず使い魔が自身に牙を剥くことがないよう、使い魔と契約を結ぶ。持ちつ持たれつ、対等の関係となるための契約である。
使い魔が活動するための魔力を分け与えたり、或いは生贄や代償を捧げる代わりに、使い魔は主の力となり依代となる。その証として使い魔には、首輪や楔を付けられていることが多い。
(でも、この子にはそれがない。ということは、自分の意思であの人に付き従っている、ってことなのかしら?)
マカミに少し興味を抱いたサラは、無意識にマカミへと手を伸ばす。それに対して、マカミは大きく顎を開くと、力強く牙を噛み合わせて火花を散らせる。
すると、マカミから勢いよく柔らかな熱波が放たれ、サラの長い髪や辺りの草木を揺らす。驚いたサラは思わず目を閉じてしまうが、水に濡れていた髪の毛がその熱波ですっかり乾いた事に気づくと、感心したようにマカミの頭を撫でようとする。
「凄いです!ここまで精密に魔法をコントロールできるなんてーー」
「ガルルル……!」
気安く触るな、そう言いたげに手を伸ばしてきたサラに唸るマカミ。それを見たサラは慌てて手を引っ込めるが、すっかり嫌われている事に少ししょんぼりしてしまう。
そして、未だ自分が裸だったことを思い出して、急いでホムラから受け取った着替えに手をつけるのだった。
ーー
「お、お待たせしました」
「おう、遅かったな」
小川から着替えて戻ってきたサラは、ホムラから受け取った質素なドレスにコルセット、そして緑色のペティコートという、何処にでもいそうな町娘の服装に様変わりしていた。
そんなサラを横目に、ホムラはコップにヤカンのお茶を注ぐ。見れば、他にも湯がいて柔らかくした干し肉を挟んだサンドイッチまで用意してある。
「まあ、とりあえずは食えよ。昨日から何も食べてないんだろ?」
ホムラに促されて焚き火の近くに腰を下ろしたサラは、ホムラからサンドイッチとお茶の入ったコップを受け取り、恐る恐るパンを齧る。
「あ、おいしい……」
「……意外だな。育ちのいいお嬢様の口には合わないかと思ったが」
貴族の娘ならば、毎日美味い料理を食べていても何もおかしくない。ただ湯がいた干し肉と乾燥野菜を挟んだだけのサンドイッチと比べれば、天と地ほども差がある。
それをおいしいと評したサラは、世間に疎い箱入り娘とは違う。馬にも乗ったことなかったサラに対する認識を、ホムラは少しだけ改める。
暫くは二人とも黙々とサンドイッチを頬張っていたが、特にサラはずっと空腹だったこともあって、あっという間にサンドイッチを平らげてしまう。
「……」
「いい食いっぷりだな、物足りないか?」
「い、いえ、そんなことは……」
口ではそう言ってるものの、もう一つサンドイッチがあればぺろりと食べてしまいそうではある。サラが中々に食いしん坊であることを見抜いたホムラは、イザヤまでの道のりの食費が、とんでもない事になる可能性を予見するのだった。
「……さて、昨日のドタバタからも大分落ち着いただろ。改めて確認するぞ。俺はお前をイザヤまで連れて行く、その道中は出来る限り護衛もする。その代わり、お前も俺に手を貸してもらうし、約束の報酬はきっちり払ってもらう……いいな?」
「……はい。口約束ではありますが、私も出来る限りのことをします」
「よし、じゃあ早速尋ねるが、お前は何ができる?イザヤの出身なら、魔法は当然使えるだろ?」
ホムラがサラにそう問いかけると、サラは静かに目を閉じて、両手を前にかざす。そして、小さく詠唱しながら指先で空間をなぞると、周りの水分が凝固して大きな雫となる。
さらにサラが言葉を紡いでいくと、その雫は白い冷気に覆われ、やがて掌ほどの氷の塊となった。それを見たホムラは、感心したように眉を吊り上げる。
「水……いや、氷の魔法か」
「はい。『灰天と冰を司る神』、白雪を纏い、世界に冬をもたらす四季神の物語。私が最も熟知している物語です」
数ある神々の中でも四季を表す神は、『四方天神』とも呼ばれ一際高い位にある。その一天である『灰天と冰を司る神』。名が表す通り冬の化身であり、その物語は冷気を呼ぶ。
四天方神の物語は、どれも長く複雑である。しかし、それ故に強力である。それを熟知し使いこなすサラは、魔法使いとしてかなりの才の持ち主であることが伺える。
「そんな魔法が使えるなら、野盗くらい撃退できたんじゃないのか?」
「それは、その……」
「……まあ、いいや。魔法が使えるなら話は早い」
ホムラは横に立てかけていた広手箱を開けて、そこから一本の杖を取り出し、それをサラへと投げ渡す。
「杖、無くしたんだろ?安物だが、無いよりかはマシだろ」
「あ、ありがとうございます!」
「あー、勘違いしてもらっては困るが、タダじゃないぞ。お前が飲み食いした分も、その服も、その杖も、お代は頂くからな」
「は、はい……」
先に小さな魔晶石が取り付けられた簡素な魔法の杖。それを受け取ったサラは、きっちりと代金を請求してくるホムラに、感謝しつつも苦笑いするのだった。
それから
(あの箱には色んなものを収納できるのね……あ、そういえば……)
見た目以上の容量を持つ魔道具の広手箱を見て、改めてホムラが行商人であることを思い出したサラは、ある疑問をホムラに投げかける。
「あの……貴方は東洋からやって来た行商人なんでしょうか?」
東洋、その言葉に、ホムラはちらりと自分が纏う装束に目を落とす。そして、何故サラがそのような疑問を抱いたのかを察すると、面倒くさそうに頬杖をつく。
「この装束が珍しいか?」
「そう、ですね……あまりここいらでは見ない意匠ですから」
「やっぱりそういうものかね。初対面の相手は、毎回不思議そうな目を向けてくるからな……確かに俺は大陸の東にある島国『イズモ』の出身だが、そこで生まれたってだけだ」
東洋の島国『イズモ』、サラも度々耳にすることがある国の名前だった。鎖国的で、他国との関わり合いが薄い国ではあったが、近年は沿岸部にある国々と貿易を重ねているという。
その情勢と、島国という閉鎖的なロケーションが、イズモの独特な文化を生み出した。ホムラの纏う着物や、刀といった武具、他に類を見ない死生観など、特徴を挙げればキリがない。
「まあ、東洋人自体は別に珍しいもんでもないだろ。細かいことは気にするな」
そう言ってホムラはコップのお茶を啜る。サラはまだ何か言いたげではあったが、口を開こうとするも、ホムラにジロリと睨まれてしまい、口をつぐんでしまう。
それ以上は聞くな、ホムラの目はそう言っているようだった。誰にだって知られたくないことの一つや二つ持っているもの、サラもそこから言及することはなく、ホムラと同じようにコップのお茶を啜る。
「さて、朝食はもう終わりだ。さっさと出発しよう……ほれ、このコップと食器をさっきの小川で洗って来てくれ」
「私が、ですか?」
「さっき言っただろうが、お代はきちんと頂くってな。お前、今は持ち合わせがないんだろ?だったらその分働いてくれ。嫌なら置いていくぞ」
「あ、洗って来ます〜!」
慌ただしくヤカンとコップを持って、小川まで走っていくサラ。ホムラはまた懐から煙管を取り出して、口に咥えようとするが、思い直して煙管の代わりに側に落ちていた葉のついた枝を咥える。
面倒くさいことがあると煙管で煙草を吸いたくなるのは、ホムラの悪い癖なのだ。煙草もタダではない、我慢できるならそうするべきである。
「はぁ……マカミ、これから先が少々不安だよ、俺は」
「グルルル……」
「お前はずっとその調子だな。そんなにアイツが気に入らないか?」
サラに対してずっと牙を剥いて唸ったままのマカミの頭を撫でながら、ホムラは枝についた葉を揺らす。マカミも狼、昔はホムラ以外の人を見れば、すぐに毛を逆立てて噛み付こうとしていた。
今は大分マシにはなったが、それでも気に入らない奴には噛み付こうとするのだ。
「いいか、マカミ。アイツは大事な商品だ、傷物になったら約束の大金も手に入らないかもしれない。だから、しばらくは我慢してくれ」
「クゥン……」
サラばかりでなく自分にも構って欲しい、そうねだるように、マカミは自分の頭をホムラの手に擦り付ける。ホムラは苦笑しながら、そんなマカミの頭をワシワシと撫でるのだった。