流離う行商人 ④
狭いテントの中で縮こまって外の様子を伺う少女、サラ・ホーンスタインは、再び自分の前に現れた野盗たちに震えていた。
本来なら、あんな野盗たちに負けないくらいの力を、魔法の力をサラはもっていた。しかし、杖を無くし、疲れ果て、乱れた心では魔法を使うことなど到底できない。
今はただ、逃げ続けた末に偶然辿り着いたこの野営地にいた青年、ホムラを頼ること、ただそれしかできなかった。
見知らぬ相手にいきなり助けを求めるというのは、些か無茶な頼みではあると重々承知していた。しかし、それ以外に方法がなかったのだ。
(ああ、何故このようなことになったんだろう……)
サラは震える身体を抱きしめながら、事の顛末を思い出す。ここ紫の国『キエラ』の隣国である火の国『アルジャーノン』、更にその先にある法の国『イザヤ』、サラはそこからやって来た。
数人の護衛を連れて、馬車に乗って数週間かけて、やっとの思いでここまで来たのだ。しかし、そうやって油断していたところを、野盗に襲われてしまったのだ。
不意打ちで襲われた護衛たちは瞬く間に地に倒れ、からがら逃げ出したサラは一晩中逃げ惑い、その中でこのホムラの野営地を見つけたのだ。
(身勝手な考えだけど……この人は私を助けてくれるのかしら……もし、助けてくれなかったら……)
野盗に捕まれば、どうなるかは目に見えている。慰み者にされ、奴隷として何処か遠くへ売り飛ばされる。もしくは、もっと酷い目に合うかもしれない。そう考えただけで、背筋に悪寒が走る。
「おい、てめぇ。身なりのいい娘を匿ってんだろ?知ってるんだぜ、そいつを寄越しな」
テントの外から聞こえてくる声に、サラは思わず小さく悲鳴を漏らす。その声は、サラを襲った野盗の声だった。恐る恐るテントの垂れ幕の隙間から外を伺えば、ホムラが野盗に剣を突きつけられているのが見えた。
その野盗の言葉に、サラは力なくホムラに願うばかりだった。自分のために戦ってくれとは言わない、ただここにはいないと一言、そう言って欲しい。サラは神に祈るのではなく、心の底からホムラに願ったのだ。
ーーしかし、サラの淡い希望はあっさりと砕かれることになる。
「乱暴はよしてくれ。俺はただのしがない行商人だぞ」
「うるせぇ、大人しく従えば命は助けてやる。さっさと娘を出せ!」
「……俺は面倒ごとに巻き込まれるのは御免なんでね。娘ならテントの中にいる、さっさと持って行ってくれ」
(あ……)
ホムラの無慈悲な言葉で絶望の淵に立たされたサラは、少しずつ近づいてくる足音に耳を塞ぐ。だが、現実は非情であり、テントの垂れ幕が開かれる。
「お、いたいた。手間ぁかけさせやがってよ」
「へへっ、その分きっちり体で支払ってもらうとするか?」
テントの前に立っていたのは、下卑た笑みを浮かべる二人の野盗。自分に伸ばされる薄汚れた手に、サラはもはや諦めていた。これは罰、サラはそう考えた。自分の都合で他人を巻き込み危険に晒した、その罰なのだと。
「ついでだ、兄ちゃん。有り金全部置いていけよ、なあ?」
「……やっぱりそうなるか?」
二人の野盗の後ろで、ホムラが野盗の更なる要求にため息をつく。できることなら、サラはホムラに一言謝りたかった。自分のせいで、とんでもない迷惑をかけてしまったのだ。
しかし、野盗の指がサラに触れようとしたその瞬間、テントの外で狼の咆哮が轟く。そして、続けて聞こえる悲鳴。突然の出来事に、サラの前にいた二人の野盗が後ろを振り向く。
「な、なんだぁ⁉︎」
「お、おい、どうしーー」
腰の剣を抜きながら振り向く二人の野盗。だが、振り向いたその時には、マカミに首の骨を噛み砕かれた野盗から奪った剣を構えるホムラが、既に彼らの目の前にいた。
瞬く間に、ホムラは片方の野盗の首筋を斬り裂き、もう片方の野盗の剣を持つ手首を斬り落とし、悲鳴をあげて野盗たちは地に伏す。
そして、吹き出した血がホムラの外套を汚し、サラの頰に降りかかる。目の前で人が斬られる様を、サラはただ呆然と見つめているのだった。
「い、痛えぇっ!痛えよおっ!」
手首を斬り落とされた野盗は泣き喚きながら、逃げようと必死に足掻く。しかし、その背中をホムラが踏みつけ、剣先を野盗の首筋に当てる。
「なあ、お前ら、まだ仲間がいるだろ?この近くにいるのか?」
「ひ、ひいいっ⁉︎」
「怯えてないで答えてくれないか。いるのか、いないのか?」
「い、いない!他の連中はまた違う方向に探しに行った!ここの近くにはーー」
いない、その言葉を聞くや否や、ホムラは野盗の首を後ろから貫き、とどめを刺す。そして一言、ホムラはポツリと言葉を零す。
「ちっ……切れ味の悪い剣だな。斬りにくいったらありゃしない」
ホムラはまた血に汚れた外套に顔をしかめながら、剣を放り投げて野盗の死体を漁り始める。その様子にサラは、まだ開いた口が塞がらずぽかんとしたままだった。
本当に自分は助かったのか、本当は夢なのではないか。そう疑ってしまうも、頰に着いた血の生暖かさは夢のものではない。
(私を……助けてくれたの?)
外套の下に東洋の装束を纏う、狼連れの不思議な青年。サラにとってこの出会いは、彼女の運命を大きく変えるものになる。それを知るのは、まだ少し先の話である。
ーー
「……」
石に腰掛けながら、渡されたコップのお茶を少しずつ飲むサラは、目の前にいる青年をじっと見つめていた。
少し長めの黒髪を後ろで結わえ、東洋の民族らしく彫りが浅く、どこか幼さも残る顔つき。血で汚れた外套の下には、独特な意匠の装束。若いのだが、大人びた不思議な雰囲気があった。
しかし、ホムラが今、サラの目の前で行なっていることは、やはり見ていて余り気分のいいものではなかった。
「なんだ、これっぽっちかよ……しけてるなぁ」
絶命した野盗の死体から役立ちそうなものを物色するホムラは、所持していた銭袋の軽さに口をへの字にする。しかし、貰えるものは何でも貰うのがホムラである。
他にも懐にあったナイフに、コンパスや薄汚れた装飾品の類まで、ホムラは根こそぎ剥ぎ取っては広手箱に収納していく。その様は、野盗とあまり大差なかった。
「あ、あの……」
「……なんだよ?」
「いくら野蛮な人たちだったとはいえ、亡くなった人から遺品を奪うのは……その、不敬かと……」
流石に見ていられなかったのか、サラはつい口出ししてしまう。しかし、その育ちのいい考えに、ホムラは野盗の懐を探りながら反論する。
「俺からすれば、役に立つものを放ったからしにする方が不敬だな。それに、俺は少なからず命を張ってあんたを助けたんだ、これくらいの役得はあって然るべきだろ」
綺麗事なんて銅貨一枚の価値もない、そう言ってホムラは広手箱から大きなショベルを取り出すと、地面の土を掘り始める。
対してホムラの言葉に何も言い返せないサラは、複雑な心境のまま俯いてしまうのだった。
「ところでお前、何処から来たんだ?」
「……法の国『イザヤ』の帝都、エゼキエラから……」
「イザヤ……ああ、やっぱりそうだったのか」
サラの返答に、ホムラは何か納得したように頷いて少し笑う。
「ホーンスタイン家といえば、イザヤの有名な名門貴族だもんな。確か、皇帝の親類でもある……そんないいとこのお嬢様が、こんなところで何を?」
「それは……」
サラは少し言い澱むも、遠いイザヤからここキエラまで来た理由を話し始める。ホムラは黙ってショベルで土を掘りながら、その話に耳を傾けるのだった。
「私は……キエラのとある貴族に嫁ぐために、ここまで来ました」
「……嫁入り前だったのか。そりゃ尚更災難だったな」
サラはイザヤの名門貴族、ホーンスタイン家の三女だった。父親はイザヤの軍の高官であり、母親もまた、優秀なエルフの魔法使いである。
イザヤは法の国の中でも群を抜いて強大な魔法と軍事力を所持する大国であり、代々エルフが国を治める歴史ある国だった。
キエラとイザヤの間に位置する火の国『アルジャーノン』とは、長く戦争を続けていたこともあり、和平を結んだ今でも両国の関係は冷え込んでいる。
しかも、アルジャーノンは今、急激な技術革新により大きな発展を遂げている。それを警戒していたサラの父親は、アルジャーノンに対する優位性を得るため、軍事同盟を結ぶ友好国を求めた。
その相手がキエラであり、サラは同盟を結ぶための政略結婚に利用されたのだ。
「ですが、お父様の指示とはいえ、顔も知らない殿方の元へ嫁ぐなんて……」
顔をしかめるサラの表情から、決して望んでの婚姻ではないことを察したホムラは、特に興味なさそうに相槌を打ちながら、ショベルを肩にかける。
そして、ホムラは地面に掘った穴に野盗の死体を放り込み、上から土を被せていく。最後に、野盗の持っていた剣を墓標がわりに突き立てると、獣避けの香を焚いて、両手を合わせるのだった。
「……供養、してるのですか?」
「持っていた物は商品として活用させてもらうからな……これはそのお代替わりさ」
「……」
サラは、ホムラを冷酷な人だと思っていた。助けてもらった身でそんなことを思うのは些かおこがましいかもしれないが、ホムラのやってたことを見れば、そう思うのも無理はない。
しかし、一方できちんと遺体を弔うという寛容さもあり、ホムラへの認識が転々とするサラだった。
「さて、こいつら野盗どもがまだ周りにいるなら、さっさと引き上げなくちゃいけない……あんたはこれからどうするつもりだ?」
「私は……叶うならばイザヤに、故郷に帰りたいです」
「……護衛もなしで、遠いイザヤまで一人で帰れるのか?」
「それは……」
テントを片付け、干していたハーブ類などを回収しながらホムラは問いかけるも、サラは言葉に詰まってしまう。
徒歩では、イザヤまで一ヶ月ほどかかるかもしれない。一人旅の心得があるように見えないサラが、一人でイザヤまで帰るのはまず無理だろう。
「それに、だ。俺はまだ助けてやったお礼をしてもらってない。タダ働きはしない主義なんだ」
「……っ」
持っていたものは野盗たちに奪われ、今や身一つしか持たないサラに、お礼などできるはずもない。いや、あるにはあるのだが、それは許容し難かった。
だが、サラがホムラに助けてもらったという事実は変わらない。サラは意を決して、ホムラに頭を下げてもう一度、あるお願いをするのだった。
「今は……この体以外に差し上げられるものはありません!しかし、エゼキエラに辿り着けば、どんな物でも差し上げます!」
「お、おい、待てよ……」
「ですから……もう一度だけ、私に力をお貸しください……!私をイザヤまで連れて行ってください!」
「いや、連れて行くって言ったって……」
「私のことは好きにしてくれて構いません!私はどうしても……イザヤに帰りたいのです!」
キエラの顔も知らない貴族に嫁ぐも、野盗たちに捕まるも、サラにとっては大差ない。ただサラは、もう一度故郷に帰りたかったのだ。
会ったばかりの男に好きにしていいなどと言うことがどういうことか、それが分からないサラではなかったが、それ以外に自分にできることはなかった。そんなサラに対して、ホムラはーー
「好きにしていい、って言ってもなぁ。確かにあんたは上玉だが、俺が抱いたところで益はないし……それこそ、銅貨一枚の価値もないな」
「えっ……」
「それだったら、他の誰かにあてがって金をむしり取る方が、よっぽど有益かな。奴隷として売り払うのもいいかもしれない」
「ひっ……!」
先の野盗も真っ青なことを言い出すホムラに、サラは自分の体を抱きしめるように縮こまってしまう。それを見たホムラは、呆れたようにため息を吐く。
「おいおい、俺がそんなことする奴に見えるか?」
「……」
「否定しろよ……まあ、さすがに俺もそこまで鬼じゃないさ。だが、俺が欲しいのは金、それが全てだ。俺があんたに手を貸したとして、それで俺はどれくらいの利益がある?」
暗にどれだけ金をくれるのか、そう問いかけてくるホムラに、サラは必死に実家にある自分の持ち物を全て売り払ったら幾らになるか計算する。
(え、えと……お父様がお金を出すことはないと思うけど、確か私の持っていたあの希少な魔晶石が使われた杖は、一千万Gくらいは価値があるって言われてたはず。他にもドレスとか売れば……)
「四千万G……くらいでしょうか」
「ほう……」
今度はホムラが顎に手をやって計算を始める。サラを連れて火の国『アルジャーノン』を超えて、イザヤに至るまでの旅費やその他諸々の費用。それを差し引いて、果たして手を貸すだけの価値があるのか?その答えは……
「価値あり、だな……」
「……!」
「いいだろう、俺がお前をイザヤまで連れて行ってやる。だが、謝礼は弾んでもらうぞ?……それと!」
ホムラはびしりとサラを指差して、ニヤリと笑う。それを見たサラは、また何か酷い要求をされるのではと身構えてしまう。
「……あんたは大事な商品になるが、タダ飯食いを連れて行くつもりはない。道中はあんたにもしっかり働いてもらうからな。その代わり、俺はできる限りあんたの身を守るし、手も出さない。いいな?」
「は、はいっ!」
「取引成立、だな……さて、早速だが出発するぞ」
「えっ?」
ホムラの言葉にサラがキョトンとした表情を浮かべていると、遠くから狼の遠吠えが聞こえてくる。それを聞くや否や、ホムラは残っていた物を片っ端から広手箱に詰め込み、繋いでおいた野盗の馬に跨る。
「どうどう!おい、馬の心得はあるか?」
「……すみません、馬には乗ったことがないです……」
「ちっ……しょうがないな。ほら、さっさと乗れよ!」
ホムラはサラの手を取って無理やり馬上に引き上げると、自分の前に跨らせる。しかし二人載せるのは重かったのか、馬は嘶きながら体を揺さぶる。
ホムラは馬の頭を撫でて落ち着かせるが、その際、前に跨るサラの背中にしっかり密着してしまう。男性と触れ合う機会などなかったサラは、背中に感じる男性の体温に、少しどぎまぎしてしまうのだった。
「よしよし、大丈夫だから落ち着け……」
「あ、あぅ……」
「あんたは何顔赤くしてんだ……ああもう、やっぱり面倒だな畜生!」
少しヤケクソ気味に指笛を鳴らしたホムラは、他二頭の馬を繋いでいた縄を解いて、自分たちとは逆方向へと走らせる。そして、ホムラは手綱を取って馬を走らせ始める。
「ワウッ!」
偵察に出ていたマカミは、ホムラの指笛を聴いて全速力でホムラの元まで戻ってくると、走り出した馬に並走して駆ける。
また背中の毛を逆立てて戻ってきたことと先の遠吠えから、ホムラは他の野盗たちがかなり近くまで来ていることを察して、馬の速度を上げていく。
「早馬で行くぞ、舌噛むなよっ!」
「は、はいぃ……!」
初めて馬に乗ったサラは、その速さに目を回しながら必死にしがみつく。ホムラはそんなサラを鬱陶しく感じながらも、マカミと共に草原を駆け抜けていく。
サラをイザヤまで送り届ければ大金が手に入るとはいえ、サラを連れての旅は決して楽なものではない。今からそれを予見するホムラは、少しげんなりした顔で手綱を握りしめるのだった。