流離う行商人 ③
秋、木々の葉が茶色や紅に染まり、花の代わりに熟した実を付ける。草食獣にとっては、冬を越すために沢山食べて脂肪を付けなければならない時期だ。
もちろん、実りの秋は人にとっても重要な時期である。来たる冬の寒さに備え、蓄えねばならない。薪や石炭のような燃料、保温性の高い衣服、そして保存食の類、必要なものは多い。
ここ紫の国『キエラ』は、大陸全体から見れば北東に位置する。辺り一面が雪景色になるくらいには、冬は厳しい。
しかし、秋にしろ冬にしろ、何かが入り用になる時期というのは、ホムラのような商人たちにとって稼ぎ時でもあるのだ。
「ふぅ、今日もお天道様はご機嫌だなぁ……」
小ぶりな樽に摘んできたコケモモを潰して詰めながら、ホムラは眩しそうに太陽を拝む。その横で、垂れたコケモモの甘い汁を、マカミがぺろりと舌で舐める。
今ホムラは、針葉樹の森で沢山摘んできたコケモモで果実酒を作っていたのだ。作り方は簡単、潰したコケモモと酒を混ぜ合わせ、樽に詰めて置くだけだ。後は広手箱の中に入れてじっくり熟成させるだけ。冬になる頃には、まろやかな果実酒になっているはずだ。
「よし、こっちの仕込みは完了だな。後は干しておいたハーブの具合を見て……そうだ、仕掛けてきた罠の様子も確認しないと」
樽を広手箱に収納して背中に背負うと、長弓を手に取り、マカミを連れて森に仕掛けてきた罠の様子を見に行く。今日の夕食用に、野鳥用の罠を仕掛けておいたのだ。
鳥というのも、これまた全身余すことなく利用できる。肉や内臓を食用にするのは勿論、羽を矢羽根に用いたり、軽い骨は装飾に使われたり、とにかく色々と役に立つ。無用なものなどない。頂いた命は余すことなく活用するのが、命への礼儀というものだ。
「獲物はかかってるかな…………ん?」
先日、狩りをした森に足を踏み入れ、罠を仕掛けたところまで向かうホムラとマカミ。しかし、仕掛けておいたはずの罠はバラバラに打ち砕かれ、辺りには無数の血痕があった。
別の何かに獲物を横取りされた、それを悟ったホムラは、長弓に矢をつがえながら、気配を殺しながら血痕を辿っていく。
「グルルルッ……!」
マカミも何かの匂いを嗅ぎ取ったのか、毛を逆立てて唸り声をあげている。ホムラはその様子から、横取りしていったのは野犬のような小物ではないと悟る。
(横取りされること自体は珍しくもないが、何に盗られたか?それが重要だ。クマか?はたまたは魔物の類か……)
しかし、血痕を追う内に、ホムラもその臭いに気づく。鼻が曲がるような腐った肉の臭い、ホムラは思わず鼻を覆い隠す。そして、次第に聞こえてくる何かを食む咀嚼音。
ホムラはいつでも撃てるように矢を引き絞ると、身を屈めて藪の隙間から、その音の主が何者かを確かめる。すると、そこにいたのはーー
(この腐臭、やはりこいつらか……!)
人に似た体格、しかし、手足は歪に捻れ、卑屈に背中が曲がっている。薄汚れた体から腐臭を漂わせ、ホムラの仕掛けた罠にかかっていたのであろう野鳥を貪るのに夢中になっているそれは、『屍喰らい』と呼ばれる魔物の一種だった。
中でも『グール』と呼ばれるそれは、力も弱く魔力も持たない弱小な魔物だった。しかし、狡猾な性格で、死体にありつけない時は、集団で生きた獲物を狙うこともあるのだ。
「ギギッ……!」
ホムラの気配に気づいたのか、手に持っていた食べかけの野鳥の死体を手放し、人の面影が残る醜い顔を向けるグール。
そして、グールが雄叫びを上げようとしたその瞬間。ホムラは弓を構えて、グールに目がけて躊躇なく矢を放つ。
放たれた矢は容易くグールの喉を穿つ、しかし、如何に弱小な魔物とはいえ、そう簡単にはくたばらない。ホムラは素早く二本目の矢をつがえると、今度は頭を狙う。
「ギィッ……⁉︎」
喉を潰されて叫ぶこともできないグールは、逃げ出す間も無く頭を射抜かれ、そのまま力なく地面に伏す。ホムラは油断なく三本目の矢をつがえながら様子を伺うが、そのグールは立ち上がってくることはなかった。
しかし、代わりにマカミが小さく吠えてホムラに警告すると、ホムラも茂みを掻き分けて近づく気配に気づく。
「やっぱり一匹じゃないよな……!逃げるぞ、マカミ!」
ホムラはマカミを連れて走り出すと、森の外の草原を目指す。グールは追ってくるだろうが、相手をするなら視界の悪い森より、拓けた場所の方がやりやすい。
(何匹追ってきてる?……三、四……いや、五匹か)
追ってくる気配を探りながらも、決して足は止めない。如何に弱い魔物が相手とはいえ、油断すればあっさりと食い殺される。
しかし、草原に出ると同時にグールを迎撃する準備を整える手筈だったホムラは、森を抜けた瞬間に、目に入ってきたものに足を止めてしまう。
「これ、は……」
森の外れ、そこには無数の兵士の死体と、無残に壊された馬車があったのだ。地面は血に染まり、兵士は皆、食い散らかされてまともに死体も残っておらず、血塗れの鎧が転がっていた。
馬車はバラバラに壊されてはいたが、端々に見られる装飾から、かなり高貴な出の人物が利用していたようである。
「なんだこりゃ、グールに襲われた……わけではなさそうだな」
よくよく見れば、壊れた馬車や僅かに残った兵士の死体には、剣やら矢が刺さっていた。グールが弓矢でも使ったのだろうか?……いや、そんなわけはない。
地面を観察してみれば、グールの足跡で荒らされているが、人間の足跡がやけに多い。それに、狡猾ではあっても、基本的には臆病なグールが、鎧を着た兵士を襲うとも思えなかったのだ。
(となれば、犯人は……人間。あのグールたちは、この兵士たちの死体に惹かれてきた、ってことか)
そこで思い当たるのは、先日冒険者たちから聞いたあの話だ。最近、ここいらでは野盗が出るという噂話。もしかすれば、犯人はそいつらかもしれない。
「ワウッ!」
「おっと、考えてる場合じゃないな……!」
マカミの声に気を取り直したホムラは、広手箱の底面に備え付けられていた鎖付きの取っ手を引っ張る。すると、歯車の回る金属音と共に箱の側面が開き、そこからあるものが弾き出される。
それは、独特の意匠の鞘に収められた一振りの剣、東洋で『刀』と呼ばれる剣だった。
「マカミ、周りが火事にならない程度に頼むぞ?」
ホムラは鞘から刀を抜きはなちながら、地面に転がっていた石ころをいくつか拾う。対してマカミは、一声雄叫びを上げると、その身体に変化が現れる。
黒と灰色の毛並みに、一筋の燃えるような紅い線が走り、尻尾の先端が炎のように揺らめく。そして、全身から熱気を放つのだった。
魔力を持つ魔物の中には、自然の気を操ることができるものがいる。人間の魔法とは違い、祈りを必要としない超常的な力。炎の気を操る黒き魔狼、それがマカミの真の姿だった。
「来るぞっ……!」
「ーーッ!」
茂みから飛び出してくる二つの影、それは涎を垂らしながら飛びかかってくるグールだった。ホムラは冷静に拾った石ころを投擲し、マカミは唸り声と共に魔力を解放する。
「化け物退治は専門じゃないんだけどな!」
ホムラが投擲した石ころは、的確にグールの目を捉えて潰す。そのままホムラは、苦悶にのたうつグールへと刀を振り上げると、研ぎ澄まされた一閃でグールの頭を斬り落とした。
傷口から吹き出す血が宙を舞うが、それをかき消すように放たれたマカミの火球が、もう一匹のグールを焼き尽くしていく。
「ギィッ!」
更に飛び出してくる三匹のグール。振り下ろされる鉤爪を、ホムラは後ろにバク転して躱しながら、刀の鋭利な刃を振るう。
そして、ホムラが片手をついて着地すると、その目の前に斬り落とされたグールの腕が転がっているのだった。
「マカミ!」
ホムラがマカミの名を呼ぶと、マカミは炎を纏った牙で腕を切断されたグールの頭に食らいつき、そのまま噛み砕く。
しかし、他二匹のグールは、仲間がやられたにも関わらず真っ直ぐに飛び込んでくる。臆病でも知能が低い故、引き下がることを知らないのだろうか。
(まあ、正面から突っ込んでわかる方がやりやすいがな!)
ホムラは外套の裾で刀身の血を素早く拭うと、マカミの横に立ち、素早く魔法の詠唱を始める。紡ぐは『熱と鉄の神々』の物語、猛々しく荒らぶる炎の物語だ。
神々の物語は果てしなく、いくつもの『章』と『節』に分かれている。より長く物語を紡ぎ、より深く祈りを捧げ、より濃く魔力を練ることで、魔法はどこまでも研ぎ澄まされていくのだ。
しかし、矮小な人の身では、とても偉大な神々の物語を全容を把握することなどできない。故に、簡易的にでも魔法を行使する為に媒体を用いる。
魔術師であれば杖を、祈祷師であればタリスマンを、場合によっては使い魔を用いることもある。だが、そういった魔法は祈りに非ず、戦うための術である。
ホムラは特段、信仰心が強いわけではないが、神々への敬意は忘れない。故に、ただ魔法を使うためだけに祈るのは、ホムラにとっては好ましい行為ではなかった。
しかし、魔法は須らく強力である。戦いを有利に進められるなら、手段は選ばない。そういう状況ならば、躊躇わず行使する。ホムラはそういう男だった。
「祓えっ!」
詠唱を終えたホムラが手をかざすと、マカミの魔力を媒介に凄まじい炎の熱波が放たれ、グールたちを呑み込んでいく。
炎に巻かれたグールたちは、自分の体が焼け焦げていく痛みと、炎に呼吸を奪われる苦しみに、声にならない叫び声をあげるのだった。
「喧嘩を売る相手を間違えたな、屍喰らい……!」
刀を構えて、のたうちまわるグールへと大きく踏み込み、流れるよう刀を振るうホムラ。そして、息を吐きながら刀身の血を振り払うと、その背後でグールたちの胴体が泣き別れになり、血の混じった紅い火の粉が舞うのだった。
「カッ……!」
轟々と燃え続けるグールの死体へと、マカミが大きく牙を打ち鳴らすように噛み合わせる。すると、燃え盛っていた炎が不意にかき消え、跡には黒焦げた死体が転がっていた。
ホムラはグールが完全にくたばったのを確認すると、ようやく緊張を解き、刀を鞘に納めるのだった。
「ふう、なんとなったな。よくやったぞ、マカミ……どうした?」
「グルルル……!」
未だに毛を逆立て火の気を放つマカミに、ホムラは表情を曇らせる。グールは倒した、しかし、どうやら脅威はまだ去っていないらしい。
ホムラは刀を広手箱に収納し、唸り声をあげたままのマカミを連れて、自分の野営地へと走る。
(まだ何かいるとしたら、例の野盗の一団か。出くわす前に、さっさと引き上げるべきかな)
まだここでやりたいことはあるのだが、面倒ごとに巻き込まれる前に移動するのが吉というもの。とにかく今は、野営地に戻ることが先決である。
しかし、やはり商人の性と言うべきか。道中に希少な薬草やハーブ類を見つけると、ついついそれを摘み取って行ってしまうホムラであった。
ーー
「……」
自分の野営地の近くで、じっと地面を見つめるホムラ。その視線の先には一つの足跡があった、しかも、ホムラよりも小さく細い。恐らくは女性のものだ。
それが、ずっと自分の野営地の方まで続いているのだ。客人だろうか?その可能性も否定しきれないが、悲しいことにホムラの女性の知り合いは少ない。
当然、マカミも何かの気配を察しているらしく、盛りに鼻をひくつかせているが、先のグールのように殺気立っているわけではない。
(足跡の感覚が狭い、所々引きずっているようだな。大分疲れ果てていたのか。それに……随分と育ちがいいようだ)
草むらの陰に落ちていた、きらびやかな刺繍が施された絹の手巾。到底、一般の市民が持っているようなものではない。
これらから推測するに、ホムラの野営地へと逃げてきたのは、先ほどの襲撃された馬車に乗っていたお嬢さん、といったところだろうか。
「……というわけで、俺は特に危害を加えるつもりはない。だから、隠れてないで出てきてくれないか?」
野営地まで戻ってきたホムラは、本来なら誰もいないはずの野営地へ向けて、そう言い放つ。しかし、言葉とは裏腹に、ホムラの手には矢をつがえた弓があった。
もしも相手が野盗の類だったら、容赦なく頭を射抜く。それくらいの気概がホムラにはあった。
「出てこないなら……こっちから行くぞ」
ホムラは弓を構えたまま、自分が建てたテントへと少しずつ近づく。そして、矢を引きしぼりながらテントの裏側へと回り込み、そこに隠れている誰かへと狙いを定める。
「ーー野盗、ではないようだが、こいつは……」
やっぱり野盗の類だったのかもしれない、そう思っていたホムラだったが、テントの裏側で静かに寝息を立てていたのは……一人の少女だった。ホムラは油断なく弓を構えたまま、その少女を観察する。
長い金髪に端正な顔立ちに、少し先端が尖った耳。長旅用の簡素なドレスではあるものの、髪飾りなどの装飾品から、やはりどこかの貴族の令嬢であることが伺える。
「……マカミ、そいつを起こしてやってくれ」
「ワフッ」
マカミはそっと少女に近づくと、何度かその頰を舐める。その感触で目が覚めたのか、少女は薄っすらと目を開けて、ぼんやりと辺りを見回す。
まだ自分がどういう状況にあるかりかいできていないようだったが、自分に弓矢を向けるホムラに気がつくと、白い顔を真っ青にするのだった。
「あ、貴方は……⁉︎」
「貴方は、じゃねーぞ。それはこっちのセリフだ。お前は何者だ?物盗りなら容赦しないぞ」
少女は慌てふためいて弁明しようとするが、焦っているせいか中々言葉が出てこない。その様子に、少女が物盗りや野盗の類ではないと判断したホムラは、弓矢を下ろして少女を落ち着かせる。
「まあ、とりあえず深呼吸でもしろよ」
「は、はい……」
胸に手をやって小さく深呼吸を繰り返す少女。ようやく落ち着いたのか、しかし、やはり焦りを含んだ表情で、少女は口を開く。
「あ、あの……た……た、助けてください!」
「……だから落ち着けって。まずは名前は?」
「す、すみません……私はサラ・ホーンスタイン、といいます」
「ホーンスタイン?」
どこか聞き覚えのある名前に、ホムラは小首を傾げる。随分と昔に聞いた名前だが、どこで聞いた名前か思い出せない。
しかし、そうやってホムラが頭を悩ませていると、横にいたマカミが毛を逆立てて、息を吐くような小さな声を上げる。それは、何かがこちらに近づいてくるという、ホムラへの警告だった。
「……話は後だ、また別の客人が来たようでな。とりあえず、お前はテントの中に隠れてろ」
「え?あの、えと……」
ホムラは何か言いたげな少女、サラを無理やりテントに押し込めると、マカミの頭を軽く撫でてから、向かいの岩陰に隠れるよう指示する。
そして、一人残ったホムラは広手箱を下ろして焚き火に火をつけると、そのそばで腰を下ろす。
「はぁ……面倒なことに巻き込まれちまったなぁ」
焚き火に枝をくべながら、一人ため息をつくホムラ。そんなホムラの耳は、遠くから少しずつ聞こえてくるある音を捉えていた。
それは、馬が駆ける足音。数は三頭、それらがホムラの元へ真っ直ぐに向かってきていた。
(噂の野盗の一団か……)
俯いていたホムラが顔を上げれば、丘を先にはこちらへ向かってくる、三頭の馬。馬の背には、如何にもといった風貌の荒くれ者たちが、剣やら槍やらを振り回していた。
そして、遂にホムラの目の前までやって来ると、一人が馬から降りて、剣先をホムラに向ける。そして、高圧的に、ホムラへと問いかけるのだった。
「おい、てめぇ。身なりのいい娘を匿ってんだろ?知ってるんだぜ、そいつを寄越しな」
剣を突きつける野盗の男に対して、ホムラは手を上げて降参の意思を見せる。しかし、内心ではどうすべきか頭を悩ませていた。
それは『どうやってこの状況を切り抜けるか』ではなく、『娘を差し出すか否か、どちらが自分にとって有益か』に悩んでいた。
このような野盗の男たちにサラのような可憐な娘を差し出せばどうなるか、想像に難くない。正義感の強い者なら、まずそんなことはしないだろう。
しかし、ホムラの行動原理は、自分にとって益があるか、それが第一である。そう、金になるかならないかが前提になるのだ。
そして今、この状況でホムラが最も得をする選択肢は何か?野盗に要求に従ってサラを差し出す、要求を断って野盗と戦う、果たしてどちらなのか?
ただ、言えることは一つ。ホムラは必ず一番金になるか選択をする、ということ。それだけは確かであった。