流離う行商人 ②
ストックがあれば随時投稿していきますが、基本的には土日に更新していこうと思います。
遠い遠い昔、世界が夜に包まれて、闇ばかりが広がっていた時代。人間もエルフもドワーフもいない、あるのは夜闇に潜む不気味な怪物たちだけ。そんな大昔のことである。
何の変化もなく、ただただ時が過ぎていくばかりの世界。ある日、二つの光が現れる。一つは燃え盛る炎を纏い、鋼の剣を振るった。もう一つは、悠久に流れるばかりだった時を律し、秩序を作り出した。
その二つの光を、後に生まれる人々は真なる神と呼び祀った。片方を『熱と鉄を司る神』として、もう片方を『智と律を司る神』として。
熱と鉄を司る神は、人々に火の力を教え、鉄の扱い方を授けた。智と律を司る神は、数多の啓蒙を与え、魔法を授けた。そうして、世界は二つに分派していったのだ。
火を信奉し、人の技術を至高とする『火の国』。戒律を重んじ、信仰を至上とする『法の国』。かつて火の国と法の国は、自身が信ずる神こそが唯一神として、激しく争っていた。
しかし、それも既に過去の話。今はどの国も戦争に疲れ果て、傷ついた体を癒すのに精一杯だった。争いがなくなり、世界は一時の平和を享受していたのだ。
未だ戦争の爪痕や悔恨は残っているものの、少しずつ互いに歩み寄り手を取り合おうとしている。表面的には、今はそんな時代だった。
ーー
「親方から仕入れた剣が十本、盾が六つ、槍が三本。あと市場で仕入れたポーションが二十と、その他医薬品をいくつか……仕入れ分と差し引いても上々の稼ぎだな」
先日、ハマの街での売上を勘定する青年、行商人のホムラは、中々の売上に笑みを浮かべる。そんな上機嫌なホムラの横を、狼のマカミが付いて歩く。
ホムラたちは今、ハマから北へ、大樹の森の先にある丘陵地隊を目指して、整備された林道を歩いていた。
「ふう、相変わらず大樹の森は広いなぁ……」
「ワフッ……」
ハマの街から出発して数時間はたったが、大樹の森はまだまだ終わりが見えない。どれもこれも見上げるような大木ばかりなので、森がどこまでも続いているように見える。
そんな林道を延々と歩き続けるのは中々に疲れるというもの。太陽が真上から傾き始めた頃合い、ホムラは道端に腰を下ろして一息ついていた。
(大分風が冷たくなってきた……ここいらもそろそろ冬だな)
広手箱を横に置いて水筒の水を飲むホムラは、風に肌を刺すような冷たさが含まれてきたのを感じる。もう二、三ヶ月もすれば、ここは真っ白な雪景色に変わっているだろう。
そろそろ冬に向けての品替えをしなくてはならない。冬には油や燃料に、ショウガのような体を温める薬湯の材料がよく売れる。それと干し肉や干し飯のような保存食の準備も必要になる。
「次の村で一仕事終えたら、狩りに行こうか。毛皮や肉の蓄えが欲しいしな」
狩りという言葉に反応するマカミ、しかし、今すぐ行くわけではないと宥める。やはり狼という本能故に、狩りが好きなのだろうか。
「ずっと北上していけば、しばらくは緩やかな丘陵地帯が広がっている。そこなら食用になる草食獣も沢山いるだろうさ。それに、あそこはベリーにハーブの群生地もある。仕入れにゃ持ってこいだ」
なだらかな丘が点在する草原を越えれば、疎らに針葉樹が生える森がいくつかある。そこなら、狩りにも適しているし、植物の採集もできる。
それに、今目指している村も、その丘陵地帯にあった。獲物が取れれば、また村で売り捌いてもいいかもしれない。
「採集したベリーでワインでも作るか……ん?」
腰を下ろして休んでいたホムラの耳が、遠くから聞こえてくるある音を捉える。林道の先の方へ視線を向ければ、そこにはとある一団がいた。
鎧やら剣やらで武装した男女の五人組、しかし、一際目を引いたのは、彼らの後ろにある荷馬車である。その大きな荷馬車は、後ろにあるものを積んでいたのだ。
茶色い羽毛と翼、大の大人三人分はありそうな巨体と鋭い嘴。そして獅子のような鬣。それはここいらでは珍しい凶暴な魔物、グリフォンの死体だった。
「やあ、すごい獲物だな。あんたらが仕留めたのか?」
「ん?そうさ、僕らが討伐したんだ。凶暴なグリフォンが暴れている、って近隣の村からギルドに依頼があってね」
「ほー、そりゃ大したもんだ」
目の前を通り過ぎようとしていた一団にホムラが話しかけると、中でも一際若い青年がどこか自慢げに答える。それを見たホムラは、何かが閃いたように口を開く。
「ギルド、ってことは、あんたらは冒険者か。だったら丁度いい……実は俺は行商人でね、あんたらにピッタリな品があるんだ。見ていかないかい?」
「行商人?貴方が?」
魔法使いであろうローブを着た女性が怪訝そうな表情を向けるが、ホムラが広手箱の歯車を弄りながら引き出しを開けたのを見て、目の色が変わる。
「もしかしてそれ……魔道具?」
「ああ、広手箱っていうんだが……」
ホムラは沢山ある引き出しを開けて、中から様々な商品を取り出す。それを見た魔法使いの女性は、興奮した様子で広手箱に夢中になる。
「……すごいわ、これ!魔法で箱の中の空間を操作してるのかしら……ねえ、これ売ってくれない?」
「これは俺の大事な商売道具だ。悪いが、売り物じゃないんでね」
「ちぇっ……あ、でも珍しい魔晶石とかあるし、品揃えは普通にいいわね……」
「本当だ……これ、『アンビル・アンド・ブラックスミス』の剣か?」
「あっ!これってマンドラゴラの干した根っこ⁉︎こんな希少な物もあるなんて……一束幾ら?」
最初はいまいちな反応だった冒険者たちも、今やホムラの豊富な品揃えに釘付けである。しかも、あえてホムラは既存の価格よりもずっと安い値段を提示していた。
彼らはグリフォンという強力な魔物との戦いで疲弊している。長丁場になっていれば、きっと食料や道具も沢山消耗したに違いない。
そんな時に、他よりも格安に道具類の補充ができるのなら、きっと彼らは食いつく。その流れで他の少し高価な商品も買ってもらおう、という算段だった。
「ついでにこの魔晶石も頂戴!いくら?」
「一個三千Gだ」
「じゃあ一袋貰うわ!」
「おまっ……さすがに買い過ぎだろ!いくらこの後報酬がたんまり貰えるからって……」
「うるさいわね、私にはこれが必要なの!あ、これお金ね」
若い冒険者の青年が魔法使いの女性に抗議するも、全く聞く耳を持たない。ホムラとしては、物を買ってもらえるのなら、どうだった良かったが。
「変な格好してる割に、中々良いもの売ってたわね。ちょっと驚いたわ」
「お、おい、失礼だぞ……ホントすみません」
「いや、気にしてないさ。確かにこの装束、こっちじゃ珍しいかもな」
「その独特の意匠は……もしかして、東洋の出身なんですか?」
「……まあ、そんなところだ」
「あ、そうだ。北に向かうんだったら気をつけた方がいいですよ。最近、そこらで野盗が出るって噂ですので……」
「ふむ……なるほど。忠告痛み入る」
ホムラは冒険者たちと他愛ない会話を重ねながら、商品と硬貨を取り替える。それからも冒険者たちはいくらか商品を購入していったが、ホムラにとっていいことはそれだけではなかった。
いい買い物ができて気前を良くした冒険者の一人が、グリフォンの素材を少しだけ分けてくれたのだ。羽軸の太いグリフォンの羽は、装飾にもよく使われる良質な素材である。
そんな思わぬ収穫を得ることができたホムラは、冒険者たちと別れた後も上機嫌に、鼻歌を口ずさみながら歩き出すのだった。
ーー
大陸、特に名前もなく、大昔からそう呼ばれている。欠けた月のように弧を描いていて、広大な陸地の真ん中を横断するように巨大な山脈がそびえている。
その山脈の一番高い山、人々はそこを神が座す霊峰と見なされ、世界の中心となっていた。今、ホムラがいる場所は、そんな世界の中心から東に位置する国にいた。
国の名前は『キエラ』、紫の国と呼ばれる中立国の一つだった。火の国にも、法の国にも属さない、二つの文化を取り込み自由に生きる。紫の国とは、そういう国だった。
火の国では、鋳造や錬金術といった技術や化学がものをいう。対して法の国では、魔法と信仰こそが至上。どちらも何か一つの物事に縛られている。
特に、法の国は戒律に厳しい上に、魔法が使えない者は劣等種という選民、蔑視する思想が根付いている。堅苦しく生き辛い国であることは明白というもの。
しかし、紫の国であるキエラは、唯一神への信仰というしがらみから脱し、自由な信仰を、自由な思想を、そういう考えから建国された新興国だった。
行商人であるホムラにとって、紫の国は取引しやすい国なのだ。それに、キエラはその自由な風潮とは裏腹に、治安もマシな方で、風土や気候も安定していて、過ごしやすい土地だった。
大樹の森のような自然にも恵まれ、大きな山もいくつかあり、そこから湧き出す水も豊富である。それを糧として生きる動植物も多く、これからホムラが行う狩りにもうってつけの場所なのだ。
「……ッ!」
「何か見つけたか、マカミ?」
針葉樹がそびえる小さな森で、長弓を片手に散策していたホムラとマカミ。そのマカミが何かを見つけたように、落ち葉に覆われた地面を嗅ぎまわる。
獲物の痕跡を見つけた、そう判断したホムラも、辺りを注意深く見渡し観察する。
「ワウッ!」
「むっ……」
小さく吠えてマカミの方へホムラが視線を向ければ、そこには何やら傷がつけられた樹木があった。よく見てみれば、何か固いものでつけられた傷のようである。
さらに周りを注視すれば、何かに踏まれたように折れた草。極めけに、草食獣のものであろう糞もあった。
(これは……ヘラジカか。樹木の傷の跡から、オスで体格もそれなり……糞の状態から食後ってところかね)
残された痕跡から獲物を推定し、その行動を予測する。そして、最適なポイントで仕掛ける。狩りの基本である。
とりあえず獲物を特定したホムラは、マカミの鼻を頼りに追跡を始める。マカミは優秀な追跡者だ、どんな痕跡も見逃さないのである。
「また痕跡が……しかも一つじゃない、いくつもあるな。うーむ、十頭ほどの群れか……」
マカミが見つけた痕跡からヘラジカの群れの大きさを推定する。ヘラジカは夏は単独で行動することもあるが、冬が近づくと群れを形成して生活する。
クマのような肉食獣に、獰猛な魔物、草食獣の外敵は多い。食料が乏しくなる冬では、そういった外敵に対抗するために群れを作るのだ。
群れを形成すれば、必然と群れのリーダーや一際警戒心の強い個体も現れる。そうなると、こちらの気配を悟られれば、すぐにでも逃げられてしまうだろう。
ホムラは匂いで悟られないよう風下へと移動しながら、ヘラジカの群れを追跡していく。
「……!」
ピクリと耳を動かしたマカミに、ホムラは無言で長弓に矢をつがえる。そして、じっと茂みの中で息を潜めながら、遂に見つけたヘラジカの群れの様子を伺う。
(まだ距離がある……が、これ以上近づくのもまずいか。ここで仕留める……!)
小さな池で水を飲むヘラジカの群れ、ホムラの予想通り十数頭ほどの群れだ。どのヘラジカも油断なく周りを見張っているが、個体によっては警戒の薄いものもいる。
特に若いヘラジカは、大人のヘラジカに比べれば油断していることも多い。狙うならば、それである。
「……」
ゆっくりと矢を引きしぼり、狙いを定める。そして、マカミは音も立てずにヘラジカの群れの反対側へと回り込む。
ヘラジカたちも何かの気配を察したのか、水を飲むのをやめて辺りを見回している。しかし、まだ見つかったわけではない。焦らず、そして確実に、標的を一頭のヘラジカにしぼる。
「……しっ!」
ホムラが矢を放つ、ヘラジカが逃げ出す、それは殆ど同時だった。しかし、ホムラが狙っていたヘラジカは、その油断故に、動き出すのが僅かに遅れた。
放たれたホムラの矢は、そのヘラジカの後脚の付け根に命中し、痛みに呻く悲痛な鳴き声が響く。
「マカミっ!」
「ガウッッ!」
周りのヘラジカたちが逃げ出す中、矢を受けたヘラジカも脚を引きずりながら逃げようとする。しかし、その行先の藪から飛び出したマカミがヘラジカの首筋に食いつくと、一瞬にして頚椎を砕き折る。
力なく地面に倒れたヘラジカは、しばらく体を痙攣させていたが、素早く近寄ったホムラがナイフを胸に刺し入れ、これ以上苦しむことがないようとどめをさす。
「……ふぅ、なんとか仕留めれたな。よくやったぞ、マカミ」
マカミの頭をわしわしと撫でてやりながら、ホムラはヘラジカの前で正座をしながら、静かに目を閉じて両手を合わせる。
あまり信心深くないホムラでも、命への感謝は忘れない。獲った獲物への感謝を込めて、両手を合わせて祈る。それが、彼の生まれであるとある民族の習わしだった。
(さて……忙しいのはこっからだな)
予め用意してあった即席の木橇にヘラジカを乗せて、少し離れに建てた自分のテントの元まで運ぶ。重たいヘラジカを引きずっていくのは、橇があっても大変な作業である。
針葉樹の森を抜けて、なだらかな丘が連なる草原に出る。その丘をいくつか超えた先にある小さな小川、その水辺にホムラのテントはあった。
ヘラジカを運んできたホムラは、広手箱から取り出した組み立て式の作業台の上にヘラジカを乗せ、解体作業を始める。
まずは血抜き、しかし、生命の循環を担う血は、一部の薬師が霊薬の調合に用いるため、血はバケツに集めて瓶詰めする。
そして。専用のナイフで内臓が傷つかないように切り開き、胆嚢、肝臓、心臓と薬や呪物の材料として用いられる部位を、腐敗を防ぐ特殊な液体で満たしたい壺に入れて保存していく。
それから、しばらくヘラジカを流水にさらして残った体温をしっかり下げる。こうすることで臭みが減り、上質な肉が手に入るのだ。
「……おっと、もう陽が傾いてきたな。そろそろ晩飯の用意もするか」
テントの外に組んでおいた薪に火をつけて、その上に水を入れた鍋を吊るす。そして、広手箱から取り出した干したキノコや根菜を鍋に入れて水に戻しておく。
そうやって夕餉の支度も進めるホムラの様子を、マカミはじっと琥珀の瞳で見つめる。しかし、いつも真っ直ぐに立っている耳が、力なく寝ている。それは、マカミの腹が減ったという合図だった。
「クゥン……」
「まあ、待て。すぐに美味い肉を食わしてやるからさ」
再び解体作業に戻るホムラは、流水につけていたヘラジカを引き上げ、足の周りに切れ目を入れて皮剥に移る。
剥いだ皮は、皮に穴が開かないように裏側の脂を鉈で削ぎ落とし、綺麗に水で洗うが、本格的ななめし作業は明日にまわすとして、次は解体である。
前足、後脚の付け根の筋膜を切って取り外し、骨から肉を削ぎ落としていく。特に背中の肉は、慎重に削ぎ落とす。シカの肉の中でも、背中は特に美味な部位なのだ。
脂身の少ない部位はそのまま天日干しに、或いは燻して燻製に。どっちも保存が効くし、より旨くなる。
(最近は燻製肉がよく売れていてたしな……ここはサクラの木片で燻すか)
川辺に転がる大きな岩。その隙間に肉を吊るすと、岩の隙間から煙が逃げていかないように、隙間を布で覆う。そして、遥か遠く東洋の地に咲くサクラの木の木片で燻す。
これらの作業が終わった頃には、太陽はすでに地平線の先に沈んでおり、ずっと働きづめだったホムラも、流石に疲れ果てていた。
「くぅ〜!やっと終わった……こっからは最高の鹿肉料理を楽しむとしよう……!」
燻さず残しておいたヘラジカの背中の肉の一部。それは今晩、ホムラの手によって、絶品の鹿肉料理と変貌するのだ。
ホムラは豪快に大きくブツ切りにした鹿肉に、塩胡椒をまぶして火にかけたフライパンで表面に焼き目をつけていく。もうそれだけでも十分に美味いかもしれないが、食事には人一倍こだわるホムラ、さらにそこへ一手間加えていく。
広手箱から取り出したいくつかの香辛料、さらに乾燥したニンニクのかけらも入れて、鹿肉独特の臭みを消していく。最後の仕上げに、傾けたフライパンにブランデーを少々振りまく。一気に加熱したアルコールが一瞬火柱のように立ち昇るが、すぐに蒸発する。
「ふっふっふっ……我ながら豪勢な夕餉だぜ」
完成した鹿の背肉のステーキは、程よく赤みがさしたレアに焼きあがり、滴る肉汁の香りが食欲を刺激する。
そして、塩と調味料で味付けしたキノコと根菜のスープに、パンとワイン。最高のメニューである。ホムラは舌舐めずりしながら、もう一度手を合わせて感謝の祈りを捧げてから、食事を始めるのだった。
「待たせたな、マカミ!さあ、食うとしよう!」
「ワウッ!」
マカミは与えられたヘラジカの腕肉の塊に齧り付き、ホムラは大きなステーキにフォークを突き刺して噛みちぎる。
一噛みするごとに、口の中に溢れる赤身の旨味と、蕩けるような脂身。ニンニクの香りが良いアクセントになり、鹿肉の味を引き立てる。
何度もその味を噛みしめるように咀嚼し、名残惜しそうに飲み込む。そして、ホムラは幸せそうに頰を緩ませるのだった。
(あぁ……この肉を売るの勿体ないなぁ、全部自分で食ってしまいたい……)
あっという間にステーキを平らげてしまったホムラは、つい燻している最中の肉の方へと目を向けてしまう。
しかし、あれは大事な商品。売り物まで食べてしまっては元も子もない。元も子もないのだが……
「……出来を確かめるために、一切れだけ食おうかな?」
やっぱり食欲に勝てないホムラは、肉が燻し終わるのをパンを齧りながら心待ちにしているのだった。
そして、肉を食べ終えて満足気なマカミは、自分も一切れ貰えないか、そんな期待したような視線をホムラに送っているのだった。
お金の単位であるGは、円と同じような感じです。