湖の街『アートホルン』⑤
『聖地』①
神が降り立ったとされる神聖な地。大抵は大きな寺院や教会が建てられ、聖地を守る騎士団が在中している。各地聖地には、神の声を聞くことができる『伝道師』が、必ず一人はいる。全部で三十三箇所ある。
刃と刃がぶつかり合う度に飛び散る火花が彩る二人の絶え間ない剣戟。群青のマントを羽織った騎士の実直で真っ直ぐな剣閃と、東洋の装束に身を包んだ青年の鋭く洗練された太刀筋は、対照的だがパズルのピースのように噛み合っていた。
踊るように、舞うように刃を重ねる二人は、何処と無く楽しそうである。そんな様を、他の聖堂騎士たちや、マカミを連れて修練場に来たサラとプーレが観ていた。
「ホムラ殿が遂に抜いたぞ。今回は野太刀の『木蓮』だ、団長と正面からやり合うつもりか」
「これは見ものだな……どちらが勝つと思う?」
「無論、団長だろう。ホムラ殿の技の数々は素晴らしいが、純粋な剣技は団長の方が上のはず」
「しかし、その純粋な剣技のみの勝負で、団長は負け越しているのだぞ」
「今の団長は二連勝して、差を埋めてきている……やはり、五分五分といったところか」
「あの鋭い太刀筋、私ならどう受け止めるか……」
ホムラとヴァイネマンの仕合を眺めながら、おれやこれやと議論を交わす聖堂騎士たち。ヴァイネマンが団長となってからは、他の聖堂騎士たちも同じく、自己の鍛錬に余念がないのだ。
対して、ヴァイネマンと同等どころかやや押しているホムラに、サラは驚きの表情を隠せないでいた。その横では、プーレが二人の戦いぶりを楽しそうに観戦している。
「ロウ・ヴァイネマンといえば……聖地を守る聖堂騎士たちの中でも、とりわけ有名な方、ですよね?その剣一本で凶悪な悪魔をも祓い、剣聖の称号を与えられた騎士……そんな方と互角に渡り合っているなんて……!」
「その通り──と言いたいけど、少し誇張があるね。なにもヴァイネマンは剣だけしか使わなかった訳じゃないよ。あいつは剣の鍛錬に打ち込むのと同じくらいに、真摯に祈る。その祈りが、魔法が無かったら、悪魔祓いなんてできやしないよ」
いまいち要領を得ない顔をするサラに、プーレがもう一度噛み砕いて説明する。詰まる所、ヴァイネマンは本気で戦っているわけではない。実力の半分ほどであるということである。
ヴァイネマンは聖堂騎士、剣だけでなく魔法も扱う。本来であれば、ヴァイネマンはその鍛え抜かれた剣技に加えて、強力な魔法を戦いに組み込むのだ。
ホムラも魔法は扱えるが、例え同じ魔法を扱ったとしても、ヴァイネマンとホムラとでは魔力の差が大きすぎる。文字通り、純粋な剣技だけならば、ホムラとヴァイネマンは互角なのだ。
「疾っ!」
ホムラの放った、ヴァイネマンにも劣らない俊足の踏み込みからの鋭い野太刀の一閃。ヴァイネマンはそれを大剣で受け止め、反動を利用して大きく旋回するように大剣を振るう。
「ふっ……良い、やはり貴公と剣を交えるのは心が躍る」
「一人で勝手に楽しんでるな……こっちは早く終わらせたいんだ」
「ならば、もっとだ。より靭く、鋭く、剣を振るえ。私の首を取るくらいの気概を見せてみろ!」
「言わずもがな……!」
ホムラはヴァイネマンの放った斬撃を、大きく後ろに跳びのきながら躱す。そして、自分の身を投げ出すように勢いよく前に飛び出すと、体重を乗せ、さらに回転を加えた強烈な一撃を叩きつける。
ヴァイネマンは大剣で防ぐも、その凄まじい打ち込みに片膝を着いてしまう。しかし、すぐに四肢に力を込めると、ホムラを押し返す。
ホムラは軽やかに空中で体を捻って着地すると、すかさず低姿勢のまま駆け、下から跳ね上がるように野太刀を振り抜く。石畳を掠る切っ先が火花を散らし、なんとか躱したヴァイネマンの鎧に浅く傷を付ける。
「むぅ……!」
「まだまだぁっ!」
振り上げた刃を今度は切り返し、素早く袈裟斬りを放つ。しかも、一振りではなく、瞬時に二回も野太刀を振り抜いていた。
一太刀受け損ねたヴァイネマンの鎧に、今度は深々と刃が食い込む。しかし、それでも聖堂騎士の分厚い大鎧を完全に斬り裂くまでには至らない。
「ちっ……硬い……!」
鎧に食い込むも途中で刃が止まってしまったことに、ホムラは舌打ちする。そして、ヴァイネマンは手で食い込んだ刃を押さえつけると、大剣の切っ先をホムラに向ける。
「我らは聖堂騎士、この聖地を守る盾であるぞ。そう簡単にこの鎧を貫けると思うな!」
ホムラの首筋を狙って刺突を繰り出すヴァイネマン、ホムラはそれをギリギリで体をそらして躱すも、掠った切っ先が後ろで束ねた髪の毛を数本斬り裂いていく。
「くそっ!」
ホムラはヴァイネマンの鎧を蹴っ飛ばしながら食い込んだ刃を引き抜くが、その隙を狙ってヴァイネマンは更なる追撃を繰り出してくる。引き抜く動作のせいで体勢が崩れていたホムラ、咄嗟に野太刀で正中線をカバーするが、そこにヴァイネマンの大剣が叩きつけられる。
「うぐぅ……!」
ホムラは刃越しに伝わる衝撃に息を詰まらせながらも、なんとか体勢を立て直そうする。しかし、それを待ってくれるほどヴァイネマンも優しくはない。
(まずい……受けきれない……!)
これ以上はヴァイネマンの攻めを捌けない、そう判断したホムラは、つい反射的に左手をヴァイネマンの前に突き出してしまった。しかも、心の中で神々の物語を紡ぎながら。
僅かに火の気が揺らいだホムラの左手を見たヴァイネマンは、同じように反射的に左手を突き出す。もちろん、心の中で詠唱しながらである。
「──そこまで!」
ぱんっ、と手を叩く乾いた音が響くと、まさに魔法を放とうとしていた二人の動きが止まる。そして、二人共が大きく手を鳴らしたプーレの方を見る。
「今日は客人もいるんだ、あんまり派手に暴れないでくれるかい?」
プーレの言葉に我に帰った二人は、魔力を練り、魔法を放とうとしていた自分の手を見つめる。そして、互いに顔を見合わせると、ホムラは地面に手をついて項垂れ、ヴァイネマンは勝ち誇ったように胸を張るのだった。
「チクショー……つい反射的に唱えてしまった……!」
「ふっふっふっ、今回は私の勝ちのようだな、狼の」
あくまで二人が競っていたのは剣技。使いたければ魔法も使えなどとは言ったものの、今までの勝負で二人が魔法を使ったことはなかった──が、先のようについ反射的に使ってしまった、ということは何度かあった。
そういう時は、決まって先に魔法を唱えた方が負けを認める。いつの間にか、そんな奇妙なルールが設けられていたのだ。
「ぐぬぬっ……一太刀浴びせてやったのに、平然としやがって……!」
「この程度、どうということはない」
「嘘つけ!ちょっとフラついてるぞ!」
野太刀の手痛い一撃を受けたヴァイネマンは、強固な鎧のおかげで斬り裂かれることはなかったものの、その衝撃で鎧の下は酷い打撲となり、鎖骨にヒビまで入っていた。
剣を握るだけでも痛みが走っていただろうに、それでも参ったとは言わなかったのは、この一戦だけは負けられないという執念ゆえなのか。
「何にせよ、これで四十戦二十勝二十敗。ようやく五分だな?」
「ふんっ、すぐにまた突き放してやる」
「では……私は一旦失礼する。少々鎧を着ているのがつらっ──息苦しくなってきたものでね」
「今、辛いって言いそうだったろ⁉︎やっぱりあの一太刀が効いてたんじゃないか!この意地っ張りめっ!」
「勝ちは勝ちだ、狼の……そうだ、手間を取らせた詫びに、今夜はここに泊まっていくといい。大したもてなしもできないが、貴公の連れは屋根の下で眠る方が安心するのではないか?」
そう言い残して、ヴァイネマンは少しフラつきながらも他の聖堂騎士たちと共に修練場を後にするが、残されたホムラは未だに悔しそうに口をへの字にしていた。
そんなホムラの横にマカミがとことこと歩み寄ると、ぺろりと下でホムラの頰を舐めるのだった。
「くっそー……やっぱりあいつに負けると腹立つ……なあ、マカミ」
「ワフッ」
──
日が沈み、アートホルンの涙の湖に夜が訪れる。家々から漏れる灯と月の明かりに照らされた夜の湖、その真ん中に浮かぶ大聖堂。いつもは厳かなそこも、今日は少しばかり賑やかである。
大聖堂の中にある広い食堂、そこで食卓を囲むのは聖堂の修道士たちと、聖堂騎士たち。そして伝道師であるプーレ。しかし、今日はそこに、客人であるホムラとサラもいた。なお、マカミは中庭でホムラに与えられた薫製肉の塊に噛りついていた。
「さあ、皆で祈ろうか」
プーレが両手を組むと、他の皆もそれに合わせて両手を組んで目を閉じる。ただ、ホムラだけは両手を組むのではなく、両手を合わせて合掌していた。
「……その祈り方、相変わらずだな」
「何か文句でも?」
「あるわけなかろう。祈り方など、単なる所作にすぎん」
ホムラの向かいに座る銀髪の男、鎧を脱いでプーレと同じような群青の修道服に着替えたヴァイネマンは、合掌して祈るホムラを見て朗らかに笑う。
別にヴァイネマンはホムラをバカにしたわけでは無いのだが、何となく気に入らないホムラは、面白くなさそうに眉を八の字にするのだった。
「すみません、私までご馳走になってしまって」
「気にすることはないよ。今のうちにしっかり食べておきな、イザヤまでの道のりは遠いからね」
「ありがとうございます、伝道師様」
「よしてくれよ、そんな畏まらないでおくれ。気軽に名前で呼べばいいさ」
「い、いえ!そんな事言われましてもっ……!」
「プーレって、普通に名前で呼べばいいんだよ。それかお婆って呼べばいい。簡単だろ」
「貴公はもう少し礼節を重んじたまえよ」
ヴァイネマンにそう言われるも、ホムラはどこ吹く風でスープを口に運び、パンを齧る。しかし、やはり質素な生活を心がける彼らの食事は些か味気ない。
涙の湖で採れた海草と魚の身が入ったスープと、ライ麦のパン。そして、ハーブを混ぜた苦味のあるお茶。広手箱の中にある貯蓄に手をつけようかと思ってホムラだったが、郷に入っては郷に従え、彼らなりのもてなしを台無しにするほど無神経でもなかった。
「ところで狼の。伝道師様からお聞きしたが、貴公らはイザヤに向かうためアルジャーノンを通るのだろう?」
「ああ、そうだ」
「なれば一つ、頼まれてはくれまいか?」
「何ぃ?俺と仕合っただけでは飽き足らず、まだ何か面倒ごとを押し付けるつもりか?」
「そう言うな。入国のための紹介状に、貴公が所望していた護符も用立てる。それでどうだ?」
「……とりあえず、話せよ」
非常に高価な神印入りの護符を譲ってもらえるということで、ホムラの目の色が変わる。そんな現金なホムラに苦笑しながらも、ヴァイネマンは話を始める。
「ここから北にあるキエラ領とアルジャーノン領の境に設けられた関所、その近くに小さな村がある。実は最近、その村の付近では夜な夜な凶暴な魔物が出没していたのだ」
「ふぅん……」
「国境境にある村ゆえに、領土の侵犯を怖れて兵士たちは手を差し伸べてはくれぬ。そこで、我らが赴き、その魔物を討伐した。つい先日の話だ」
「……もう問題解決してるじゃないか」
「うむ。しかし、だ……問題はまた別にあるのだ」
キエラとアルジャーノンの国境沿いにある小さな村、鬱蒼と生い茂る森の中にある『コモド村』は、三十人ほどの人々が暮らす小さな村だった。
森で狩りをし、畑を耕し、時節現れる商人などに物を売る。そんなつつましい生活を送っている彼らの平穏は、付近の森に現れた魔物によって崩れ去ってしまう。
村を襲った魔物はオークと呼ばれる醜悪な魔物だった。大柄で醜い豚のような見た目をした彼らは、自身の飽くなき欲望を満たすことだけを考えている。
決して強力な魔物ではないが、オークは群れを成し、人と同じようにある程度の道具を扱う知恵もある。群れの規模によっては、コモド村のような小さな村などひとたまりもない。
始めにオークが現れた時は、腕の立つ狩人がいたお陰で何とか追い払うことができた。しかし、幸運は二度も続かない。村の長は、早馬で事の顛末をアートホルンの大聖堂へと伝えに行った。
キエラやアルジャーノンの正規軍の兵士たちは、みだりに国境を越えることは許されないが、聖地は中立地、何処の国にも属していない。故に、聖地を守る聖堂騎士もまた、中立の立場にある。彼らは正当な理由があれば、国境を越えることも許される。
そして、アートホルンに祀られるのは慈悲の神、『涙と雫を司る神』。助けを求めるものあらば、必ず手を差し伸べるのである。コモド村の要請を受けて、ヴァイネマンは自ら聖堂騎士たちを率いてオークの討伐に赴いた。そして、無事にオークは討ち果たされたのだ。
「……しかし、奴らオークは妙だったのだ」
「妙、だった?」
「木を削った棍棒や石斧を振り回しているのならば、問題はない。何処かで拾ったのであろう錆びた剣や槍を持っていても、特に不自然ではない。だが、その手に持っていたものが、『銃』だったならば、貴公はどう思う?」
「オークが銃を……⁉︎」
「無論、鈍器代わりに使っていただけだがな。ただ、あれは軍用に造られた最新のレバー式ライフルだった」
キエラでも遂に正式に軍隊の装備として採用された銃、それは未だ費用のかかる高価な武器という扱いだ。そこらの商人や村人が手に入れられるものではないのだ。
ましてや、最新式のライフルなど、キエラの兵士でもありえない。となると、オークは何処から銃を手に入れたのか、その答えは絞られる。
「アルジャーノンの正規兵から、か。アルジャーノンなら、銃の配備も進んでる。だが、銃を装備した兵士がオーク如きにやられるか?」
「何とも言えぬ……ただ、コモド村の付近では何かが起こっている。それは確かだ。そこで、貴公に頼みたいのだ」
「頼むって……俺に何をしろって言うんだ」
「大したことではない。村の近辺を調査してほしい、ただそれだけだ。貴公は優れた剣士だが、それと同時に追跡者でもある……頼まれてはくれまいか?」
ヴァイネマンの頼みに、ホムラは顎に手をやって考え込む。この頼み事に割く時間と労力に見合う報酬を得られるか、綿密な損得勘定を頭の中で済ませたホムラは、ニヤリと笑いながら答える。
「……お前ら神官共は口煩いからな。俺のやり方に文句を言わないのなら、引き受けてもいいぞ?」
「おお、受けてくれるか……!礼を言うぞ、狼の!」
感激してホムラに頭を下げるヴァイネマンに、任せておけと胸を張るホムラ。その実、ホムラは心の中でほくそ笑んでいた。
(俺の予想では……恐らくアルジャーノンの正規軍の部隊が、コモド村付近で何者かに襲われたんだ。だが、そこはどうでもいい。重要なのは、オーク共がその兵士たちの死体から装備を持って行ったってことだ)
オークは洞穴や、時には倒木を組んで簡単な寝ぐらを作る。そこで、殺した獲物や、奪った物を溜め込むのだ。ヴァイネマンたちはオークを討伐しただけなら、まだその寝ぐらは残っているかもしれない。
つまり、最新式のライフルを含む貴重な品が手に入るかもしれないのだ。裏で売り捌けば、かなりの値が付くこと間違いなしである。
(最新のレバー式ライフルだぜ、どれくらいの値段で売れるのやら……へへっ)
捕らぬ狸の皮算用とは正にこのこと、ホムラは今から自分の懐がどれだけ温まるかで頭がいっぱいになっている。
ヴァイネマンはそれに気づいてはいなかったが、プーレはしっかりそれを察してため息をついていた。サラも何となくホムラの考えていることに気づいていたが、口に出すと怒られると思ったのか、喉元まで出かけていた言葉をお茶でも飲み込むのだった。
『聖地』②
神聖な地故に、大抵の聖地は中立地となっている。何処の国にも属さず、誰にも所有されない。聖堂騎士たちもまた、中立の立場にある。そのため、各国の政治的、軍事的介入はできない。