流離う行商人 ①
重すぎず、軽すぎず、適度にシリアスとほのぼのを混ぜて行こうと思います
そよそよと吹く風に揺れる草原、遠くから聞こえる川のせせらぎと鳥のさえずる声。太陽が真上を向くころ、柔らかな陽の光が長閑な風景を照らしだす。
そんな気持ちの良い日差しの中、草原の真ん中に生える一本木の側で、日向ぼっこを楽しむ一人と一匹がいた。
一人は頭まで隠す擦り切れた外套に、どこか東洋の着物を連想させる装束を着ている。そして、枕がわりにしている大きな木箱には、無数の引き出しや開け口が取り付けられていた。
もう一匹は、黒と灰色の毛並みを持つ狼。時折耳をひくつかせながら、丸まって目を閉じていた。
「……」
しばらくはそのままのんびりとしていた二人だったが、唐突に狼が頭を上げてあたりを見回し始める。その琥珀の瞳に何が映っているのか、しかし、何かの匂いを嗅ぎ取ったようである。
そして、狼は未だに眠りこけている主人の指先を舐めて起こそうとする。
「んん……どうした、マカミ?」
寝そべっていた体を起こすと、外套に覆われていたその顔を露わになる。長めの黒髪を後ろで束ね、茶色が混じる黒い瞳を持つ青年は、マカミと呼んだ狼の頭を撫でながら立ち上がる。
そして、大きく腕を伸ばして伸びをすると、眠たげな目を擦って狼と同じく辺りを見回し、鼻をひくつかせる。
「……ああ、なるほど。こりゃ一雨くるな」
狼が嗅ぎ取った匂いは、雨の匂いだった。まだ空は澄み渡り青空が広がっているが、近いうちに雨雲がやってくる。その匂いを青年も感じ取っていた。
青年は気怠げに枕がわりにしていた大きな木箱に手を伸ばすと、引き出しの一つを開ける。しかし、その引き出しは奇妙な造りになっていた。引き出しの長さが、木箱の大きさ以上にあったのだ。
そして、その引き出しの中身は色んな物でごった返しになっていた。釣竿、ピッケル、シャベル、鉄のバケツにランタン、様々な道具が詰まっている。青年はその中から編み傘を取り出して、それを自分の頭の上に乗せると、改めて外套を羽織る。
「雨は旅路に付き物、しかし、お天道様の気まぐれさには参るね……」
大きな木箱を背中に背負い、身支度を済ませた青年は、木に立てかけていた杖を手に取って、草原の向こうに見える大木がひしめき合う森を目指して歩き出す。
そして、二人がしばらく歩き続け、草原を抜けて森に差し掛かったところで、空模様が急変する。青々としていた空は灰色の雲に覆われ、青年の頰を撫でる風が荒々しいものに変わるのだった。
そのまま数分もしない内に、空を覆う雲は大粒の雨を降らし始める。青年は外套と傘が飛ばされないように抑えながら、森の中を歩き続ける。
「ウォウッ!」
雨風に負けないように狼が声を張り上げ、主人である青年を呼ぶ。青年が狼の方は向けば、その視線の先には見上げるような一際大きな大木がそびえ立っていた。
青年は大木の方へと駆けて行く狼の後を早足で追う。そして、ようやくその大木の根元にたどり着くと、その根元には大きな木のうろが口を開けていたのだ。
「雨宿りにはちょうどいいな……でかしたぞ、マカミ!」
急いで木のうろの中に滑り込む青年は、とりあえず傘を取ってうろの中を見回す。うろの中は思ったより広く、青年が立っても頭が付かないほどの空間が広がっていた。
青年は木箱を下ろして、濡れた外套を脱ぐ。そして、再び木箱の引き出しを開けて、中からランタンを取り出す。
火をつけるなら、火種や火打ち石が必要になる。しかし、青年は何も手に持たず、ただ手についた水気だけを拭き取ってランタンの前にかざすとーーランタンを撫でるように指を揺らす。
すると不思議なことに、ランタンの中に火が灯ったのだ。火打ち石も使わずに一体どうやって火を付けたというのだろうか?
答えは単純、青年は心の中である物語を口ずさみ、小さな祈りを捧げたのだ。遥か古の神々の物語、それを紡ぎ祈りを捧げることでもたらす奇跡、魔法を使ったのだ。
魔法はその気になれば誰もが扱える力。魔力と知識があれば大きな力となるが、魔力が無くとも信仰の心が魔法を実現させることができる。
とはいえ、青年は信心深いわけでも、魔法の才に優れるわけでもなかったが……
「お前も随分と濡れちまったな。ほら、拭いてやるよ」
同じように木箱から取り出したタオルで狼の濡れた体を拭く青年。そして、バサバサになってしまった毛並みを櫛でといて整える。
しかし、やはりくすぐったかったのか、狼は少し身じろぎするも、じっと我慢してされるがままになる。
「ゥ〜〜……」
「……そんな物欲しそうな目をするなよ。ご褒美はちゃんとあげるって」
低く唸り声を上げる狼の頭を軽く撫でて、青年は木箱のまた別の引き出しを開ける。その中には、大小様々な袋があり、そのうちの一つを取り出す。
袋を開けると、ふわりと塩気のある匂いが立ち込める。それを嗅いだ狼は、嬉しそうに尻尾を振ってお座りするのだった。
「ほら、とりあえずは一切れだけだぞ」
青年が袋から取り出したのは、干し肉だった。何の肉かは分からないが、しっかりと干して長持ちするよう加工された肉である。
それを一切れ狼に放ると、狼は飛びつくように干し肉に食いつくと、ぺろりと平らげてしまう。そして、まだ物欲しそうな目を青年に向けるのだった。
それを見た青年は、仕方なさげにため息を吐くと、もう一切れ干し肉を取り出して狼に与えるのだった。
(しばらく雨は止みそうにないな……街に着くのは明日になるか)
干し肉で満足した狼の背中を撫でてやりながら、青年はうろの中で静かに目を閉じて、雨の音に耳を傾ける。青年は、こうやって雨の音を聞くのが好きだったのだ。
耳を澄ませば、雫が滴る音に混じって色んな音が聞こえてくる。草の間に身を隠す虫の鳴き声、水かさが増した川の流れる音、木の葉が水に濡れる音、それが合わさって音楽を奏でているようである。
遠い昔、誰かが言った。雨が降るのは、空の上に座す神さまが泣いているからだと。それを信じているわけではないが、もし本当にそうなら、なんと泣き虫な神様なのだろうか。
「今日はこのままここで一晩明かそう。明日は大忙しになるだろうからな」
返事代わりに鼻を鳴らす狼に頰を緩ませながら、青年は木箱から干し葡萄を取り出し、それをつまみながら雨音に耳を傾ける。
ついでに酒でも一口……と考えるも、木箱にしまってある酒に手を出すのは踏み止まる。あれは大事な商品なのだ。
(我慢だ我慢……飲むなら、明日精一杯稼いでから、だな)
酒以外にも、商品はたんまりある。青年が持つ魔道具の『広手箱』は、見た目以上に大量の物を収納することができる魔法の力が宿った箱なのだ。そして、青年は広手箱に詰め込んだ沢山の物を、各地を巡りあるきながら売り捌く行商人だった。
明日は稼ぎ時、その稼ぎの一部でまた仕入れをしなくてはならないが、少しくらいは美味い飯や酒に当ててもバチは当たらないというもの。
それに、訪れた街で稼いでから、その稼ぎで腹を満たすのは行商人の醍醐味。青年の頭の中は、今から何を食うかで一杯になっているのだった。
ーー
青年が一晩を明かした大樹の森。その森を奥深くに進み、森を横断するように流れる運河に沿って上流に向かう。そこに、青年が目指していた街『ハマ』があった。
運河を挟むように作られたハマは、河川を利用した工場や施設が多くあり、ずっと上流から運ばれてくる鉄鉱石や石炭を精錬する製鉄所が、昼夜問わず煙突から煙を吐き出していた。
当然、製鉄所だけで無く、他にも沢山の工房や材料を売る沢山の店が立ち並ぶ。もちろん、魚や肉、野菜に果物が立ち並ぶ市場もある。そんな流通の仕組みが整った街だった。
比較的に平穏な土地故に、街の警備も緩い。狼を連れて歩く青年でも、特に怪しまれずに街へ入ることができるのだ。
河の流れで軋みながら回る水車と、煙を吐き出す煙突。ハマのシンボルたるその二つを目に収めた青年は、狼のマカミを連れて街へと繰り出す。
(さて、まずはエルツの親方の工房に向かうか)
まず青年が足を運んだのは、河川沿いに建つレンガ造りの工房。壁に金槌と剣の紋章が刻まれたそこが、青年の得意先の一つである。
工房の大きな扉を押し開ければ、中から漏れ出す熱気が青年の頰を撫で、鉄の灼ける匂いが鼻をつく。マカミはどこか渋そうな顔をして、工房の外で座って待つのだった。
「んん?なんじゃいオヌシ、勝手に工房に入ってくるでない!」
青年が工房に足を踏み入れると、工房の中は火を吹き上げる炉や、作りかけの剣や鎧が所狭しと並んでいた。その中で、金床で金槌を振るっていた一人の男が声を張り上げる。
その男は、がっしりとした逞しい体をしていたが、身長は青年の半分ほどしかない。しかし、どこか威厳のあるその男は、ドワーフと呼ばれる種族だった。
古来より鉄と火の扱いにおいて右に出るものはいないとされるドワーフ、今もなお、その業は健在であり、こうして工房を持つドワーフは大勢いた。
「自分は頼まれた物を仕入れて来たしがない行商人ですよ。親方はいますか?」
「行商人?ううむ……待っとれい、今親方を呼んでくるわい」
金槌を置いて、工房の奥へ向かうドワーフの男。そしてしばらくすると、奥から自分の身の丈ほどもある大きな金槌を担いだドワーフが一人、豪快に笑いながらやって来る。
「ガハハッ!おう!よう来たな、坊!」
「お久しぶりですね、エルツ親方」
顎に蓄えられたヒゲを撫でながら笑うそのドワーフの男こそ、この工房『アンビル・アンド・ブラックスミス』の親方、エルツだった。
エルツは煤に汚れた顔を、煤で汚れた手で擦って更に汚くしながら、また豪快に笑う。
「今回は早かったな、儂らの剣は売れたか?」
「そりゃもちろん、親方たちの剣は質がいいと評判ですから。それと、例のものも仕入れて来ましたよ」
青年が背中の広手箱を下ろして、側面に取り付けられた歯車のような金具を弄る。すると、箱の中から重たい金属音が響く。
それから青年がピッケルやランタンといった各種道具を格納していた引き出しを開けると、中は全く別の粉末が詰まった大きな瓶が、いくつも収められていた。
「注文通り、火薬を大量に仕入れましたが……親方たちも『銃』の製造を始めるんで?」
「ふん、国からのお達しよ。剣と違って、銃は作っても面白味がないんじゃがなぁ……仕方ないわい。それより、ほれ。値段を言わんか、言い値で買ってやる」
「そうですね、相場がこれくらいですから……一瓶八千Gでどうですか」
「うむむ……相変わらず、値引きするかしないかギリギリのラインを攻めて来るのう。分かったわい、その値で買おう」
ニコリと笑みを見せながら、商談成立の証としてエルツと握手する青年。そして、商品である火薬の瓶と硬貨の詰まった袋を交換した青年は、上機嫌で工房を後にするのだった。
「待たせたな、マカミ。いやぁ、いい取引ができた!」
「ワフッ……」
外で待っていたマカミを連れて、次の取引先へと向かう青年。次の行き先は、工房が立ち並ぶ川沿いを少し離れ、民宿や飲食店がひしめき合う広場の方である。
その一画で店を構えるケインという男、それが次の取引相手だった。ケインは薬師であり、薬草を調合して作った薬湯や霊薬を売っているのだ。
ここいらでは手に入らないような珍しい薬草や原料を持ち込めば、ケインは高値で買ってくれる。しかし、この男と取引するときは、気をつけなければならないことがあった。
「……邪魔するぞ、ケイン」
店の扉を叩いて店内に足を踏み入れる青年、それを出迎えたのは爽やかな優男だった。
「おや……やあ、久しぶりじゃないか。夏以来かな?」
にこやかに手に持っていたすり鉢を置いて、手を振る薬師のケイン。その爽やかっぷりは、人を惹きつけてやまないだろう。だが、騙されてはいけない。
この男、見た目とは裏腹にとんでもない腹黒なのである。故に、取引するときは気が抜けない。
「ああ、冬も近づいて寒くなってきたからな。流行病の時期だ、そろそろ入り用かと思って、な」
「さすが、気がきくね。ちょうどいくつか補充したいところだったんだ」
青年は広手箱を下ろして、また側面の歯車を弄ってから引き出しを開ける。今度の引き出しの中は、干して束ねられた薬草や、液体に満たされた小瓶が詰め込まれていた。
「アロエにマオウ、ヒノキにショウガ……色々あるぞ?」
「そうだね……これとこれ、あとこれも頂こうかな。……おや、アオニンジンはないのかい?」
「あるが……高いぞ?珍しいな、そんな高いものに手を出すなんて」
「実はね……近所の子供が難病にかかっていてね。ある霊薬でないと治せないようなのさ。貴重な薬草を揃えなきゃいけないんだけど、あとはアオニンジンさえあれば……しかし、僕も懐が寂しくてね」
目の端に涙を浮かべて悔しそうな表情を見せるケインに、青年は白けた顔になる。青年は分かっていたのだ、ケインの話が全くの嘘だということを。
「そいつは大変だな……だが、金がないなら仕方ない。他の店に売りに行くとしよう」
「あれ、ちょっと待ってくれないかな?少しくらいは親身になってくれてもいいじゃないか」
さっさと荷物をまとめて出て行こうとする青年を、ケインは縋り付くように呼び止める。そして、あっけらかんとした顔で、さっきの話は嘘だと言い放つのだった。
「冗談だよ、冗談。君はすぐに人の話を本気にしちゃうね」
「うるせぇ、どうせお前の霊薬研究に使いたかっただけだろ。それで買うのか?買わないのか?」
「買うよー……ちっ、少しはまけてくれるかと思ったのに」
一瞬、心の声が表に出てくるケインに、少し冷や汗をかく青年。やはり、この男との取引は油断ならない。隙あらば、安くさせようとしてくるのだ。
薬草を渡して代金を受け取った青年は、軽く会釈して店を後にするが、それを見送るケインの笑顔は、やはりどこか黒いのだった。
(さて、次は……)
気持ちを改め次の取引先へと向かう青年、しかし、不意に感じた空腹に足を止めてしまう。マカミにも腹の音が聞こえたのか、何かを期待するような目を青年へと向ける。
しばらくそのまま立ちすくんでいた青年は、大勢の人で賑わう市場の方へと目を向ける。そこでは沢山の屋台も出ていて、ここまで美味そうな匂いが立ち込めていた。
「……その前に、腹ごしらえでもするか?」
「ワウッ!」
嬉しそうに飛び跳ねるマカミを連れて市場へと向かう青年は、数ある屋台へと目を向ける。どの屋台も美味そうなものばかりで、目移りするというものである。
串で大きな肉を焼く香ばしい香り、焚き火で丸焼きにされる雄鶏の油がしたたる音、鍋でことこと煮込まれるスープの湯気。目、耳、鼻、全てを通して空腹を刺激してくる。
この空腹を感じながら、店を選ぶのも乙というもの。青年は何を食べるかゆっくりと吟味しながら、市場を練り歩くのだった。
ーー
「ふーっ……食った食った」
「……っ!」
いくつかの屋台をはしごした青年は、満腹になったお腹をさすりながら、市場の角で腰を下ろして休んでいた。その横では、青年が買い与えてやった骨つき肉に夢中になっているマカミがいた。
(一休みしたら、もう一仕事するか。だがその前に、食後のデザートを、だな……)
青年は一番近くにいたリンゴやオレンジを売る中年の女性に一声かけると、硬貨を渡してリンゴを一つ買う。そして、その甘い果汁を楽しみながら、リンゴに齧り付くのだった。
「……あんた、見ない顔だね。他所から来たのかい?」
「まあ、そうだな。行商してるから、ここには何度も来てるけど」
「おや、行商人なのかい、あんた!このご時世、一人で行商なんて大したもんだね。何を売ってるんだい?」
「色々さ、見ていくかい?」
青年は広手箱を下ろして、いくつかの商品を見せる。女性はいろんなものが詰まった広手箱に驚いていたが、中でもここいらでは珍しい香辛料に食いついていた。
そして結局、その女性はいくつか香辛料の束を購入してしまい、どっちが客か分からないと笑うのだった。
「あんた、商いが上手いねぇ。つい買っちゃったよ……同じ物売りとしては、なんだか負けた気分だねぇ」
「ま、珍しいもんが手に入ったてことでさ。安くしといたから許してくれ」
ここいらは比較的平穏な地ではあるが、場所によっては凶暴な魔物が彷徨き、野党が息を潜めているような世界だ。一人で旅して回ることがどれだけ危険なことかは、誰の目にも明白である。
だから多くの行商人は、キャラバンを組み、護衛を雇って各地を回る。それ故に、女性は一人で行商を営む青年に、素直に感心していた。
「おやまあ、安くしてもらってたのかい!これはまた一本取られたねぇ。ならこれはおまけだよ、取って置きな!」
女性はカゴに入れていたリンゴを一つ取ると、それを青年に投げて寄越す。そして、少し嬉しそうにリンゴ受け取った青年を見て、女性もニヤリと笑う。
「あんた、名前は何て言うんだい?」
「俺かい?じゃあ、リンゴをサービスしてもらった礼に……」
青年はリンゴを手に持ったまま、優雅に一礼する。そして、いつもの口上文句を披露するのだった。
「東へ西へ、入り用なら何処へでも売りに行きます。流離う行商人、ホムラをどうぞご贔屓に!」
面白い、面白くないに関わらず感想等は大歓迎です!