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三題

他愛のない会話

作者: たねさん

「虚数がわからない。虚数とはなんだろうか」

 目の前の少女は、またぞ変なことを言い出した。

 この秀才は、時折奇妙な疑問を抱く。

 先ほどまでの話は数学の話と縁が遠かったはずだが、何故そんなことを言い出したのか。

 真面目な表情をしているのだが、その口にはスプーンが浅く咥えられているのであまり締まらない。

「負数の平方根として定義された数だろ」

「誰が定義の話と言った」

 呆れたような視線が向けられるが、一体どんな返しを期待していたのだか。

「他に何があるんだ?」

「文脈を理解して欲しいものだよ。君の頭に詰まっているのはメロンパンかい?」

「誰の頭がメロンパン入れだこの野郎」

「私は女だ、その言葉は正しくないね」

 この女郎、とでも言えばよかっただろうか。

 フルーツゼリーを頬張っていた先ほどまでは可愛げもあったのに、今はどうにも頬をつねりたくなる。

「……で、結局どういう話なんだ?」

「仕方がない。メロンパン入れにも分かるように、順を追って説明しようじゃないか」

 今度は言い切りやがった。

「ゼラチンだとか、ガラスだとか、透明な――見えない物が存在するだろう」

「……まあ、そのフルーツゼリーは多分寒天だけどな。パイナップルが入ってるとゼラチンは固まらない」

「……上げ足をとって話の腰を折るんじゃない。兎に角、だ。寒天やガラスのような透明なものであっても、その実態はそこにあり、組成も知られている」

 あ、言いなおした。

「炎や電気ならば、形はなくとも熱や光でその存在を認識できる。空気ですら、それが在ることを……少なくとも知識では共有しており、直接的では無くとも簡単に存在を確認する手段もある」

 そういって手で扇ぐのは、風がその手段の一つと言いたいのだろう。

「だからこそ、これらはそれが何であるかを"理解できる"というわけだ」

 そう強調されれば、先ほどの言葉に意味が通る。

「虚数はその実態が無い、だからこそそれが何であるか"理解できない(わからない)"、ってことか」

「うむ。そういうことだよ」

 通じたことに満足したのか、まだ半分ほど残っていたフルーツゼリーを頬張り始める。

 それ程の量も無いので、食べるのを見届けてから話を再開した。

「でも、虚数ってそういうもんだろ?その実態がどこにもないから虚ろな数なわけだし」

「……誰の言葉だったか。『人間が想像できることは、人間が必ず実現できる』という格言があるだろう」

「フランス人の小説家、ジュール・ヴェルヌだな。言葉自体は捏造の可能性があるとか」

「うるさい。今はそんなトリビアを求めてなどいない」

 ごめんなさい。

「全く、君はいつも一言余計だ。相当に質の悪いメロンパンが入ってるに違いない」

「まだ引っ張るか」

 気に入ったのだろうか。メロンパン入れネタ。

「とにかくだよ。虚数は人が想像して生み出されたものだ。なら、その実態も理解できなくてはおかしいだろう」

「……随分と飛躍が過ぎる気もするが、何がそう必死にさせるんだ?」

 妙な発想に熱が入るのは度々あることだが、今日はまた何かが違うような気もする。

 質問された当の本人は、一瞬の間を置いて絞り出すように答える。

「……直接的に私の口から言うのは憚られる。それくらいは察して欲しいものだ」

「そういわれても、何かヒントは無いのか?」

 今のところのヒントは、文脈を考えろというものしかない。あとは、"理解できない(わからない)"の定義くらいか。

 それまでの話を思い返してみても、今後の予定を話していただけである。

 それもどこに行くか、というようなものではない。

「……仕方ない。f(x)=x+(2)a (a>0)の二次曲線を想像したまえ」

 脳内に十字に交わる矢印と上開きの曲線を描く。

「この二次曲線は決してx軸に触れることはないだろう?」

「まあ、そうだな」

 底が触れていない以上、どこまで行っても上にしか向かわない曲線は決して届かない。

「しかし計算上は、x=±√(_)iでx軸と交わることになる」

「……それで?」

「察しが悪いな。それとも、わざと言っているのかい?」

「なんのことだか」

「まあ、いいだろう。つまり、虚数軸上でこのf(x)はx軸に触れているのだよ。たとえ離れていてもね」

 なるほど、確かに。なんとなしに話は繋がったが、なかなかどうして。

 毅然とした態度とは裏腹の、可愛らしい発想に頬が緩みそうになる。

「つまり、結論は?」

「……君、もう分かっていて言っているだろう」

「さて、どうだろうね」

 バレているようなので、表情が緩むのを隠しもせずとぼけて見せる。

「むう……最後まで言わせてくれるなよ」

「俺の頭には質の悪いメロンパンが詰まっているからな。どうにも答えが分からない」

「虚数がわかれば離れていても触れることが出来る。

 そうなれば、今すぐにでも抱き着くことが出来るじゃないか」

 何とでもないように言おうとしているが、その頬は確かに赤らんでいる。

 じいっと見つめていると、ついには我慢出来なくなったらしい。

「もういい、切るぞ!」

「ごめんごめん……ああ、最後に。おやすみ」

「……おやすみ」

 それを最後に、今日のビデオ通話は終了した。


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