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ちっとも凄くない 寺生まれのKさん

ちっとも凄くない寺生まれのKさん 『大晦日・大掃除』後編

作者: 満月すずめ

 大掃除と一服を終わらせて寺に戻ると、玄関に見慣れた女物の靴があった。


 基本的に鍵は掛けていない。何せ庭から入り放題の構造なので、門を閉じるくらいしか施錠の意味がないのだ。大体夜寝る前に閉じて、朝ジョギングするときに開けていく。

 だからまぁ、誰かが家屋に侵入していてもおかしくはないのだが、生まれてこの方泥棒なんて見たことはないし、大体の人はいないと分かると隣の保育園か駐在所に来る。

 どちらもせずに堂々と家の中に入る人というのは、流石に限られていた。


 怜と顔を見合わせ、少し心配げな怜に問題ないと示す為に首を振って靴を脱いで上がる。

 居間の障子を開ければ、予想通りの人物が炬燵で寝転がっていた。


「丹科さん……何してるんですか」

「見てわかんない? 休日を満喫してるの」

「自分の家でやってください」

「いいじゃない。ここのほうが楽だし、何でもあるし」


 俺の言う事など聞く耳持たず、丹科さんは蜜柑を頬張りながらテレビを見る。

 まさに自宅のような寛ぎっぷりに怒る気も失せる。他人の家でよくもまぁこれほど伸び伸びできるものだ。


「大掃除は終わったんですか?」

「終わったわよ~。ったく、若いからって人を扱き使うのは感心しないわよねぇ」

「保育園の大掃除を手伝わせた人がそれを言いますか」

「あら、お父さんが経営者なんだから、息子が手伝うのは当然じゃない?」

「筋が通っているようで通ってませんよね、それ」

「いいじゃないもー! 嫌なの!?」

「いえ、別に」

「ならグダグダ言わない!」

「分かりました」


 強引に話を終わらされ、溜め息も出ない。

 丹科さんは不満を示すように蜜柑を一気に口に放り込んで、お茶を啜った。


「仁君! おかわり!」

「はいはい」

「あの、仁様。それなら私が」


 空の急須を持って台所に行く俺を止めようとした怜に、小さく首を振る。


「こっちはいい、風呂を頼む。沸いたら先に入ってくれ。俺は日課を終わらせてから入る」

「……はい、分かりました」


 頷いて去る怜を見送って、新しい茶葉を入れてお湯を注ぐ。

 丹科さんの湯飲みに注ぐと、満足そうに一つ頷いて冷ましもせずに口元に持っていった。


「熱っ!」

「淹れたてですから」


 睨むような視線を受け流して、急須を置いて居間から出る。

 いつまでも構っていられない。今年は時間に余裕があるとはいえ、明日の準備の確認はしなきゃいけないし、香炉に火も入れないといけない。

 線香の数とお炊き上げの為の達磨の数も確認しないと。年末年始はそれなりにやることは多い。

 田舎のうちでもこれだけあるのだから、人の多い所や分かりやすい由緒のある寺なんかはもっと大変だと思う。会合をクリスマスに済ませるのは、そういう理由があった。


 それでも、今年は物思いに耽る人がいなかっただけ、余裕がある方だ。おかげで、こうしていつもの日課をこなせる。

 ストレッチに筋トレ、鉄アレイを使ったトレーニングと習った型の反復練習。

 惰性とはいえ、やらないといまいちスッキリしないのは習慣化しているからか。

 適当に汗を拭いて、もののついでに庭に出した香炉の中に折った線香を入れる。


 香炉の煙を浴びると、悪い部分が快方に向かうと言う。迷信みたいなものだが、信じるものは救われるとも言うし、思い込みの力で実際に病気が良くなる例もあるらしい。

 何にせよ、初詣に来た人達へのサービスとして毎年やってるものだ。今年だけやらない理由もないだろう。

 重いし場所を取るし洗濯物に臭いがつくしで、正月くらいしか出す機会がない、というのが正直な所ではあるが。


 火をつけるのは夕食の後に回して、代わりに煙草に火をつけた。

 胸一杯に吸い込んで、ゆっくりと吐く。

 怜が風呂から上がるまで、もう少し時間がかかるだろう。居間に戻って丹科さんに絡まれるのも面倒臭く、適当に時間を潰す事にした。


「……羨ましい、か」


 それとなく零れ落ちた呟きに、振り向いた怜の顔を思い出す。

 初見で人形みたいだと思った自分は、随分と見る目がなかったらしい。

 思っていても中々口に出せないことを、怜ははっきりと言ってみせる。

 人形と見紛うばかりなのは見た目だけで、中身はしっかり意思を持っていた。


 灰を落として、紫煙を寒空に放り投げる。

 あの時の言葉は、半ばは怜に釣られて口にしたものだ。依歌に向かって言ったのは、もしかしたら初めてかもしれない。

 みっともないし親父に悪いからと、独り言でさえ口にしなかったのに。

 赤マルの味が変わって、視線を落とす。予想通り、半分ほど灰になっていた。


 怜がきてからこっち、調子が狂うことが増えた気がする。

 それは多分、今まで考えてこなかったことを考えなきゃいけないからで。自分のことを考えるより、他人の事を考えたほうが楽だなんて初めて知った。


 自分の気持ちを推し量るより、他人の顔色を窺う方が気が休まるなんて。

 つくづく、どうしようもない人間だと思う。


 灰が三分の一を超えようとしたところで、声がかかった。


「仁様、お風呂空きました」

「あぁ、ありがとう」


 赤マルを磨り潰して、声がしたほうに顔を向ける。

 寝巻きではなく普段着に身を包んだ怜が、まさに烏の濡れ羽を晒していた。

 バスタオルで拭ってもまだ水気を含んだその髪は、夜の中に輝いて見えた。


「寝巻きに着替えてもいいぞ。どうせここはそれほど人もこない」

「いえ、初めての年始のお勤めですから。どうか私にもお手伝いさせて下さい」


 年末年始は、初詣の人を迎えるために基本的に徹夜だ。

 とはいっても、人の少ない田舎だ。爺さん婆さんがきて騒がしくなるのは翌朝からで、今晩は一人起きていれば事足りる。


 だが、せっかくの怜の心持ちを台無しにすることもない。適当に頷いて、鉄アレイを片付けがてら着替えを取りに向かう。

 身を翻そうとした所で、怜が話しかけてきた。


「あの、仁様」

「ん?」


 振り向くと、言葉を探すように少しだけ舌を転がして、


「仁様は、丹科さんの事をどうお思いなのでしょうか?」

「? ……あぁ、さっきのやり取りのこと?」


 尋ね返すと、怜は小さく頷いた。

 確かに、さっきのやり取りは傍から見れば喧嘩しているようにも見えるかもしれない。

 怜にしてみれば、どういう態度を取ればいいのか困る所なのだろう。

 気にしすぎないよう、俺は小さく笑い返す。


「あの人は毎年ああなんだ。気にしないで普通にしていてくれ。その方が皆楽でいい」

「あの、じゃあさっきのは……?」

「一応釘を刺しておかないと、収まりが悪いだろ。丹科さんだってそこまで神経図太くないさ」

「……分かりました。では、私も気にしないことにします」


 そうしてくれ、と言うと、怜は頷いてみせた。

 丹科さんとのアレは、毎年お決まりのやり取りだ。罪悪感を減らすため、強引にでも理由を作る為の茶番。

 初めて見る怜には良く分からなかったのも仕方ない。こうして改めて聞かれるのも、なんだか気恥ずかしいものがある。

 こうして改めて自分の生活を見返すのも、調子が狂う原因かもしれない。


 着替えを取って、大人が数人は一緒に入れそうな檜風呂に身を沈める。

 古い家だけあって風呂には風情があるが、その分手入れは面倒だ。最近は「本堂から左半分ですから」と言って怜がやってくれているが。

 風呂で芯まで温まりながら、そろそろ依歌がやってくる頃かと天井を見上げる。

 もうやるべきことは殆どない。新しいお札も準備したし、香炉に火を入れて新年を迎えるだけだ。


 新年になれば、多分いつもの面子がやってくる。

 久しぶりに、アイツとも会える。


 思えば冬休みに入ってから一度も会っておらず、LINEの一つもしていないことに気づいた。

 お互い不精なほうだし、それも仕方ないだろう。


 そのせいか、新年よりもずっとその時を心待ちにしている自分がいた。



  ※           ※            ※


 依歌と怜が作った軽めの夕食を平らげ、準備の確認もし終えて香炉に火を入れる。

 やるべきことを全て終わらせ、年越し蕎麦の準備をしているところで、玄関先から騒がしい声が聞こえてきた。


「お、今年も来たわね」

「そうみたいですね」


 丹科さんに頷き返し、炬燵から抜け出す。

 台所にも聞こえたようで、不思議そうな顔の怜を余所に依歌が声を飛ばしてきた。


「仁~、出て~!」

「分かってる」


 居間を出て、玄関を開ける。

 そこには、痩身で眼鏡を掛けた男――同級生の瀬良透耶(せら とうや)と、小柄に見合わぬ元気と好奇心を秘めた女子――同じく同級生で依歌の親友の坂上志穂(さかがみ しほ)が居た。


「仁くん、お久しぶり! 今年は大変お世話になりました!」

「あぁ、久しぶり。こちらこそお世話になりました」


 勢い良く手を上げてどこかずれた挨拶をする志穂に、不機嫌そうな透耶。

 毎年恒例の組み合わせだ。


「どうせすぐに新年の挨拶をするだろう!? いいから上がらせてくれ、寒いんだ」

「え~? 挨拶は大事だよ~?」

「知っている! 二、三時間でまたすぐ挨拶するからまとめればいいだろ!?」

「仁くんちくるの、乗り気じゃなかった癖にぃ」

「ここまできて乗り気も何もあるか! いいから上がるぞ、仁!」

「あー、うん、どうぞ」


 相変わらずの漫才を繰り広げて、透耶が乱暴に靴を脱ぎ捨てて上がる。後を追うように、志穂も靴を脱いだ。

 毎年、といっても中学くらいからだが、この二人はうちで年を越すようになった。

 それというのも、志穂が「家族で年を越すのはもう飽きたから」と透耶を連れてうちを訪れるようになったのだ。


 その真意がどこにあるかは、まぁ、分からないでもない。透耶を連れまわす志穂は楽しそうで、俺も依歌も何も言わなかった。

 実際、友人と年を越すなんて子供の時にしかできないと思う。大人になって家庭を持ったら、とてもではないができない話だ。

 連れ回される透耶はたまったものではないだろうが。


 透耶は見た目通り我がクラスの学級委員長で、生徒会などというものがないうちの学校では殆ど生徒会役員と同義である。

 絵に描いたような真面目さを持つが、その生家はなんとヤクザ。町内会長であるヤクザの親分が、透耶の父親だ。

 その事を透耶自身がどう思っているかは定かじゃないが、少なくとも嫌ってはいない。志穂が透耶を連れ回せるのも、


「夜更けに女の子を一人で歩かせるんじゃない」


 という彼の父親の言が原因だからだ。

 若干哀れに思わないでもないが、志穂の事を思えばなんとも言えない。

 ちなみに、志穂の家は普通の農家だ。少し土地は広いが。


「丹科さん、お久しぶりです~」

「や~、志穂ちゃん久しぶり~! あ、瀬良君も」

「僕はついでですかっ!」


 居間に入った瞬間に丹科さんと志穂が抱き合い、透耶が適当にあしらわれる。

 この光景も見慣れたもので、叫ぶ透耶を横目に炬燵に入る。

 ふと、台所から蕎麦の良い香りが漂ってきた。


「おぉ~! 依歌のお蕎麦~!」


 匂いに釣られるように志穂が台所に入っていく。

 その後ろ姿を見ながら、透耶が吐き捨てるように言う。


「ったく、行儀の悪い! 人様の家に上がりこんでおいて、大人しく待てないのか!」

「まぁ、いつものことだし」

「それだ! そうやって甘やかすから志穂の奴が調子に乗るんだろ!」

「そうは言ってもなぁ……」


 苦笑する俺に、透耶が鼻息荒く憤慨する。

 そうやって何かと世話を焼くから毎年うちに来る羽目になっていると思うのだが、言わぬが華か。


 そういえば、台所には怜もいたはずなのだが、大丈夫だろうか。

 まぁ、あの志穂の事だから何の疑問も抱かない可能性もあるが。


 炬燵でテレビを見るとはなしに見ていると、蕎麦のいい香りが居間にやってきた。


「お待ちかねの年越し蕎麦で~す!」

「志穂! お前……な……あ……」


 嬉しそうにお盆に丼を乗せて運んできた志穂に一言言おうとして振り向いた透耶の言葉が、尻すぼみになって消えていく。

 ふと気になって見れば、志穂の後ろに依歌と怜も一緒にお盆を運んできていた。


「今年はなんとねぇ! 豪華なことに二人の合作なんだって!」

「あぁ~、毎年これが楽しみなのよねぇ~」


 人数分の丼が炬燵に置かれ、丹科さんが舌なめずりをする。

 薬味の乗った蕎麦は確かに食欲をそそるが、それどころではない。


 言葉を失った透耶の目が、怜から離れない。


 随分分かりやすい反応に、内心で臍を噛んだ。予想するべきだった、こういう事態も。怜が一緒の高校に通うと聞いた段階で、考えておくべきだったのに。

 透耶の目が、怜に吸い寄せられている。困った。本当に、色々な意味で困った。


 まさか、こんなことになるなんて。

 煙草を吸いにいこうとした俺の襟首を、透耶が掴んで力任せに引き寄せた。


「おい、仁。あの人は誰だ?」

「あ、それ私も気になってた! あのお人形さんみたいに綺麗な人って誰~?」


 がっつり首を抑えられた俺に、志穂もじゃれついてくる。

 やっぱり、志穂のやつスルーしてたのか。蕎麦の前には些細な事だったのかもしれない。

 今となっては、志穂にとっても全く些細な事ではなくなってしまったが。


「あー……二十四日からうちで預かっている、鬼瓦怜さん」


 隠しても仕方がない事だとは思うが、肝心な事を言うのを避けてしまった。

 言った時の反応が想像出来てしまって困る。


「あぁ!? お前、今確か親父さんいないんだろ!?」

「……まぁ、そう」


 流石に田舎、耳が早い。透耶の言う事を否定するわけにもいかず、頷く。


「え~!? じゃあ、あの子と仁くん、一つ屋根の下で暮らしてるの!?」

「……そう、なるね」

「んだと、おぉ!? てめぇこの、変態野郎がぁ!」

「変態じゃないって」


 興味津々な志穂と、久しぶりにキレてヤクザ言葉が出てしまっている透耶。

 言い逃れようにもどうすることもできずにいた俺に、丹科さんが止めを刺した。


「そうよぉ~、許婚相手に何したって変態じゃないわよねぇ?」


 この時ばかりは悪意しか感じなかった。

 いや、どうせ話さなきゃならないことではある。あるのだが、このタイミングでそんな言い方をしなくてもいいはずだ。

 俺が言い渋っていたのが原因なのだろうか。丹科さんにからかう隙を与えてしまった。

 我が身の不明を恥じ入る前に、襟首と胸倉両方掴み上げられる。


「こっ、てっ、どういうことか説明しろ仁んん!!」

「え~!? 何々、許婚って何!? 仁くんあの子と結婚するの!?」

「……落ち着いて話を聞いてくれ……」


 締め上げられ、苦しい喉からなんとか声を出す。

 台所の片づけを終えた依歌が苦笑し、怜が驚きながらも控えめに声をかける。


「あ、あの……申し訳ありませんが、仁様を離して頂けませんか……?」

「じっ、仁様ぁ!? 仁こらてめぇ、何様のつもりだ、あぁ!?」

「仁様……うわぁ、初めて聞いたよぉ……」


 結局火に油を注ぐ羽目になり、もう何か考えるのが嫌になった。

 煙草が吸いたい。

 アイツが来てから新しいパッケージを開けるつもりだったが、早速手を出したくなった。


 その後、依歌が蕎麦が冷めるからと取り成してくれ、なんとか説明する事ができた。



  ※            ※              ※


 除夜の鐘を聞きながら、一通りの説明を終えた俺は煙草を吸いに出た。

 ゆっくりと煙を味わい、溜め息と共に吐き出す。


 依歌や怜にも協力してもらい、何とか二人にも事の次第を理解してもらえた。

 透耶には随分絡まれたが、まぁ仕方のない事だ。志穂はひたすら感心したように、へぇへぇと頷いていた。


 一応二人とも俺に『力』がないことを知っている数少ない友人だからか、納得はしてくれたし、同情もしてもらえた。同情の方は主に怜に対してだったが。

 悪い事に、その必要はないとまた怜が言い切ったものだから、気が気じゃなかった。

 透耶は拳を握り締めるし、志穂はきゃあきゃあと騒ぐし、生きた心地がしない。


 怜がうちにきた以上、止むを得ない事ではある。

 一番悪いのは、俺がその事を考えておらず、構えも何もしてなかったことだ。もしもう少しちゃんと備えていれば、こんな面倒な事にはならなかったかもしれない。

 それでも、透耶がああなることまではどうにもならなかったと思うが。


 肺に入れた煙が、空気と混ざって白く吐き出される。

 今すぐにどうこうというわけじゃない、と話したら少しだけ二人とも落ち着いてくれた。

 とりあえずそれだけ説明して、逃げるように煙草を吸いに出たのだ。

 折角の年越し蕎麦なのに、味が余り分からなかった。今年は厄年かもしれない。


 その今年も、もうすぐ終わる。来年は厄年でなくてほしいが、多分無理だろう。

 一本吸い終え、灰皿で磨り潰して二本目に手を出そうとして止めた。もうすぐ今年も終わる。そうしたら、アイツが来る。

 二本目は、その時にとっておくことにした。


 居間に戻ると、透耶と丹科さんを隅っこに追いやって女三人で何事か話していた。


「仁、お帰り」

「あ、仁くんお帰り~!」

「仁様、お帰りなさい」

「……おぅ」


 透耶の視線が痛い。

 三人に挨拶を返して、炬燵に入って湯飲みを手に取る。

 テレビからは除夜の鐘が鳴り響き、新年までもう五分もないことがキャスターの口から語られていた。


「ねね、仁くん! 怜ちゃんの部屋にいってもいい?」

「……怜ちゃん?」


 志穂に返事をする前に、耳慣れない言葉に戸惑って聞き返す。

 まさか、怜をちゃん付けする猛者がいるとは思わなかった。


「そう! 鬼瓦怜、だから怜ちゃん! 私たちもう友達だもんね~?」

「はい。志穂さんには学校のこと等色々教えてもらっていました」

「……そっか、良かったな」


 はい、とはにかむように頷く怜に、肩の荷が下りたような気分になる。

 これで、学校でも変に気を回さずに済む。流石は志穂、恐れ知らずだ。


「でも、部屋に行くなら別に俺の許可はいらんだろ」

「それがね、怜ちゃんが仁くんがいいならいいんだって」


 少し驚いて怜を見ると、恥ずかしそうに目を伏せた。

 まぁ、一応世話になっている身として礼儀を通そうとしたのだろう。そういうことにしておく。


「怜がいいならいいんじゃないか。俺に聞かなくてもいいぞ」

「やったー! じゃ、依歌も行こうよ!」


 嬉しそうに笑って志穂が依歌を促す。

 どこか引きつったような笑顔で、依歌が怜と顔を見合わせた。


「あ~、うん……怜、さん。私もいいかな?」

「はい、依歌、さん。どうぞ」


 酷くぎこちなく互いを名前で呼び合い、視線を合わせようとしない。

 ほぼ間違いなく、志穂に流されたのだろう。半強制、とも言う。

 友達いなくて心細いんだから、お隣さんなんだから、とか色々言いくるめて依歌を落とし、ついでにそのままの勢いで怜も押し切られる様が簡単に想像できる。


 なんにしろ、少しでも関係改善に繋がるなら歓迎だ。あのままだと早く決めろと責め立てられているようで、正直落ち着かない。

 ふと、恨みの篭った視線を横に感じた。


「怜に仁様……呼び捨てとは、余裕だなぁじぃぃん?」

「そういう言い方は止めろって……お前も志穂みたいに呼んだらどうだ」

「馬鹿かお前! そんな恐れ多い真似ができるかハゲっ!」

「……まだ禿げてはないぞ」

「坊主なんだからそのうち禿げるだろ、ハゲ!」


 有髪僧、というのもいるのだが、今の透耶に下手に逆らわないほうがいいだろう。

 そうこう話しているうちに、カウントダウンが始まる。

 テレビの向こうで大音量で数える声を聞きながら、なんとなく全員息を潜める。


 古い大時計が音を立て、年が明けた。


「「「「「「新年、明けましておめでとうございます!」」」」」」


 全員で深々と頭を下げ、お決まりの挨拶を口にする。

 知らず声が揃って、なんとなく嬉しくなる。


「丹科さん、お年玉~!」

「甘い志穂ちゃん! そういうのは親戚に頼みなさい!」


 早速志穂が丹科さんとじゃれあい、透耶が盛大に溜め息をつく。

 毎年変わらぬ光景を見ながら頬を緩ませていると、外からバイクの音が聞こえた。

 その排気音には、聞き覚えがあった。


「悪い、ちょっと出てくる」

「うん。寒いから着込んでいってね」


 依歌に頷き返してハンガーにかかったコートを着て、ポケットのライターと赤マルを確認する。


「あの、どちらに?」

「ガレージ。すぐに戻る」


 驚く怜に行き先を告げて、靴に踵を蹴りこんで外に出る。

 雪は降っていないものの凍えるように寒く、ポケットに両手を突っ込んでガレージに向かう。

 予想通り、そこには大型のバイクとソイツの姿があった。


「よぉ」

「久しぶり。明けましておめでとう」


 ソイツ――山下達也は、ん、とだけ頷いて、バイクに腰を預けて煙草を取り出す。

 赤マル。最初に()んだ煙草。中学からずっと、達也が愛煙している煙草。

 中学二年、どうしようもなくなった俺を助けてくれた煙草。


 向かいのカブの荷台に座って、同じく赤マルを取り出して咥えて火をつけた。

 煙草の火が、冷たい手を少しだけ温めてくれる。

 向かい合って煙を吐けば、一瞬だけ気温が高くなった気がした。


 ガレージの屋根に到達する前に、煙は消える。

 ゆらゆら揺れる紫煙が、湯気のように立ち上る。


 特に何も話さない。

 達也と一緒にいるときは大体こうだ。お互い、特に何を言うでもなく煙草を吸う。

 達也から話しかけてくることなんて年に一度あるかないかで、それでもこうして何かあるとうちに来てくれる。

 お互い寂しい奴だってことくらい、言われなくても分かっていた。


「そうだ、俺、許婚が出来たんだ。会ってく?」

「……学校は?」

「同じ」

「じゃあいい。どうせ会う」

「そか」


 少しくらいは驚くかと思ったが、達也は相変わらず眉一つ動かさない。

 俺よりよっぽど、達也の方が無反応だと思う。

 鼻にかかる臭いは、果たして俺の煙か達也の煙か。


「お前は、許婚に納得してんの?」


 珍しく達也のほうから話しかけられ、眉を上げて顔を覗き見る。

 いつもと変わらぬ無表情で、達也は俺をじっと見つめていた。


「納得したかったけど、自分で決めろと言われた」

「そうか」


 それだけ言って、達也は吸い終わった煙草を灰皿に突っ込んだ。

 同じようにフィルター近くまできた煙草を磨り潰して、荷台から腰を上げる。


「今年も宜しく」

「あぁ」


 笑いかける俺に頷き返し、達也がバイクに跨ってエンジンを吹かす。

 排気音と共に去っていくバイクを見送って、背を向けた。



 さっきまでのことが全てチャラになるくらい、酷く気分が良かった。

正月もあげられるといいなと思ってます

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