迫り来る母の魔の手
「よろしくお願いします。ありがとうございました」
私は、2人の面接官にペコリと頭を下げて部屋を出た。
ふぅ、終わった終わった。
今回のとこは、事務系でちょっと私向きじゃないってカンジもするんだけど、一応ファッション関係の仕事だから受けてみたんだ。
私、ずっと販売員とかの接客業やってきたから、ホントはそういうのがいちばんいいんだけど、なかなかいいのがなくてさー。
と、いうのも。
年齢制限あるところがけっこう多くてさ。
25歳までがギリギリセーフで、26歳から残念ながらアウトみたいな。
その1歳の差はなに?と問いたいところだが。
まぁ、26歳からはなんとなく、より〝大人チーム枠〟に入ってくるカンジはあるっちゃあるよな。
今回は年齢的には余裕でクリアだったけど……。
どうかなぁ、受かるかなぁ。
でも、私『パソコンはできません』とか言っちゃったしなぁ。
今時、パソコンも使えない事務の人なんていないかも……。
いや、いないだろう。
イマイチ手応えもなかったし、またダメかもなぁ。
あーあ。
着慣れないスーツなんて着たから肩こっちゃったよ。
事務系の仕事の面接だから、今日は一応パンツスーツを着て来たんだけど。
はぁーーー。
なんか疲れちゃったなぁ。
首をコキコキしながら、蘭太郎のマンションへの道のりを歩いていたその時。
「ーーーーーーー春姫?」
前方から、私の名前を呼ぶ声が聞こえてきたんだ。
「へ?」
私は顔上げた。
「あんた。なにやってんの?そんなカッコして」
げ、げげげげげっ!
お、お母さんっ⁉︎
なんとそこには、腕組みをしてドンと立ちはだかっている母がいるではないかっ。
な、なんでっ?
しかも、なにか企んでいるような、それでもってなにか勝ち誇ったようなその表情はなに?
コ、コワいんですけど……。
「ど、どうしたの?お母さん。な、なんでここに?」
「まさかの偶然。こんなこともあるのね。でも、ちょどよかった。春姫。お母さん、今あんたのアパートに行ってきたの」
にっこりほほ笑む母。
「えっ?」
「あんた全然帰って来ないから、どうしてもこの前話したお見合い写真だけでも見せたくて。あんたのアパートに置いてこようと思って、あんたが家に置いておいた合鍵で入らせてもらったの」
げっ。
「そしたら。ガス、水道、電気、みんな止まってるじゃない。請求書、郵便受けに入ってたわよ。
春姫っ。あんた一体どうなってんのっ?仕事はっ?」
ひえーっ。
「ま、まぁ落ち着いてよ、お母さん。これにはいろいろと事情があって……」
「事情ってなにっ。大体、あんた今どこで生活してんの?あんななにもかも使えない部屋じゃ住めないでしょっ。お金はどうしたのよっ。ないのっ?」
ずいずい迫り来る母。
「さっきからあんたのケータイに何回も電話してるのに全然繋がらないし」
「え?あ、ああ。面接の最中だったから電源を……」
「面接……?」
お母さんが、じとっと目を細める。
「あ!いや……その。なんていうか、そろそろ転職しようかなーなんて。ははは。べ、別に、前の職場でクビになったとか、そういうわけじゃないよ」
あははと笑ってごまかしたんだけど。
「ウソばっかり。クビになったんでしょーがっ。はぁ……。あの請求書見た時点で、そんなことじゃないかと思ってはいたけど。そうならそうでなんで黙ってるの。実家だって近いのに、どこフラフラほっつき歩いてんだかっ」
「いや、それはその……あはは」
「春姫、今どこに住んでるの?友達の家にでもお世話になってんの?すぐに帰って来なさい!」
「イヤだっ。帰らないっ!」
私はすかさず反撃。
帰ってたまるか!
ほらね、案の定強引にお見合い写真なんか見せようと私のアパートまで乗り込んできてっ。
そんな状態で帰ったら、まさしくお母さんの思うツボ。
だから絶対……。
「帰らないっ!!」
くるっ。
私は、母に背を向け猛ダッシュで逃げようと試みたのだが。
「こらっ。待ちなさい!」
私の腕をガシッとつかむ母。
ぬぉぉっ!
「イヤだイヤだっ。実家にだけは帰らないもんっ。お見合い写真なんて見てたまるか!お見合いなんかしてたまるか!イヤだぁーっ」
「春姫っ。今誰の家にいるのっ?言いなさい!あんた、まさか。また蘭太郎ちゃんの家に転がり込んでるんじゃないでしょーねっ?」
ギクッ。
さすが母、するどい……。
「そうなんでしょっ。はぁー。あんたって子は。いくら蘭太郎ちゃんが幼なじみで優しくていい子だったからって。曲がりなりにもあんたの方が年上で、蘭太郎ちゃんは年下でしょっ。お姉さんのあんたが逆に面倒見てあげるくらいじゃなくてどうするのっ」
曲がりなりにもって……。
「うう……もうすぐ新しい仕事が決まるからっ。そしたら蘭太郎の家も出て行くから。お願い、このまま放っておいてぇ」
この母と娘の奇妙なバトルを、道行く人が不思議そうに見ながら通り過ぎて行く。
そんなことはおかまいなしに、私と母はギャースカギャースカ。
「ダメッ!ほら、お母さんも蘭太郎ちゃんちんに行くからっ。蘭太郎ちゃんが帰ってきたら、今までお世話になった分、ちゃんとお礼して帰るわよっ」
えええーっ。
青ざめている私を横目ににやっと笑う母。
「春姫。感謝しなさい。あんたが滞納していた光熱費、とりあえずお母さんが代わりに払っておいたから。それと、来月分のあんたの家賃もお母さんが払ってあげる。だから、ツベコベ言わせないわよ」
そう言いながら、手に持っていた紙袋の中から例のお見合い写真を取り出し。
「じゃんっ!」
頭上高くかかげ出したではないかっ。
げっ!!
「今度こそ、お見合い……してもらうわよっ!」
え、えええーーーーーーーーっ⁉︎
母の右手の中にあるお見合い写真が、まるで水戸黄門の紋所のように。
なにも言えずの私をねじ伏せてしまったことは、言うまでもない。
イヤだ、イヤだ……。
イヤだーーーーーーーーーーーーー!!
そして、数時間後。
「ただいまぁー。春姫ちゃーん。今ね、道端に石焼きイモ屋さんが来ててさ、美味しそうだったから買ってきたよー」
ガチャッ。
仕事を終えた蘭太郎が、元気に帰ってきた。
「………あれ?おばさんっ?」
「蘭太郎ちゃん、お久しぶりー。元気にしてた?
まぁ、なんだかしばらく見ないうちにますます色男になったんじゃないの?フフフ。あ、ごめんなさいね、勝手にお邪魔させてもらっちゃって」
にっこにこのお母さん、そしてその隣でしょんぼりうなだれている私。
「あ、いえ。全然構いませんが………」
そう言いながら、私と母を交互に見る蘭太郎。
「春姫ちゃん、これは……?」
「……蘭太郎。私、実家に帰ることになっちゃった……」
蘭太郎の顔をちろりと見上げる。
「え?春姫ちゃん、実家に帰るの?だってっ……」
蘭太郎が、私の顔と足元の荷物を見る。
「蘭太郎ちゃん。春姫のこと面倒見ててくれてありがとうね。合鍵まで持たせてもらっちゃって。ホントにこの子ったら……。あ、これ。蘭太郎ちゃんの好きな果物の詰め合わせと、足りないかもしれないけど、今までお世話になった春姫の居候代。受けとってね」
「あ、いえ。おばさん、そんなの全然いりません。僕も春姫ちゃんと一緒にいれて楽しかったし。……僕はいっこうに構わないので、春姫ちゃんさえよければ、もうしばらくこのまま僕の家にいてもらってもいいんですけど……」
「蘭太郎っ。ほら、お母さんっ。蘭太郎もそう言ってくれてるんだし!もう少しこのまま蘭太郎の家で職探しをするというわけには………」
「いかないわよ」
ガクッ。
「いくら蘭太郎ちゃんがいいって言ってくれても、これ以上迷惑をかけるわけにはいきません。でもまぁ、春姫が仕事がなくなってお金も底を尽きて。結果的にはちょうどよかったかもしれないわねー。まぁ、うまいことなるようになるってことね。フフフ」
う……この母親。
「お、おばさんっ。それってもしかして……春姫ちゃんにお見合いさせるつもりってこと?」
蘭太郎が慌ててお母さんに詰め寄った。
「あら、蘭太郎ちゃんも知ってたの?んもう、春姫ったら。イヤだイヤだとか言いながら、蘭太郎ちゃんにも話してたなんて。春姫も案外乗り気なんじゃない」
「乗り気なんかじゃないっつーの!」
「まぁ、とにかく。一文無しのこの子を放っておくわけにはいかないから。母親として、責任持って連れて帰るわね。蘭太郎ちゃん、ホントにありがとう。またいつでもウチにも遊びに来てちょうだいね。それじゃ」
お母さんにぐいっと腕を引っ張られ、しぶしぶ玄関に向かう私。
ううう。
「蘭太郎ぉー」
「春姫ちゃんっ」
バタバタと追いかけてくる蘭太郎。
「それじゃあ、お邪魔しました。またね、蘭太郎ちゃん」
笑顔で手を振る母。
「春姫ちゃんっ……」
蘭太郎の声を最後に。
バタン。
紺色の重厚なドアが静かに閉まった。
「さ、帰るわよー。春姫」
「う……うわぁぁぁーーーーー!」
「うるさいっ。近所迷惑っ」
私の最後の叫びもあっけなく阻止され。
私はルンルン気分の母に肩を持たれながら。
仕方なくトボトボと歩き出したのであった。