85. ウインドウショッピング
「ついに…ついに来てしまったか…」
「はいはい、ぶつぶつ言ってないで早く見るわよ。もう15時過ぎてるんだから」
「…はい」
変なテンションの恋人を連れて五階を進む。
「…さて彼氏さん」
「…なんでしょう?」
「ダブルベッドというものはいいものだと思わないかしら?」
「そうだね。広いからね」
…はぁ。
「そうじゃないでしょおばかさん」
「おばかさんって言い方かわい」
「それはいいわ。そんなのより、広いだけってなによ。ほら、他に言えることがあるでしょう?」
都合三度目…か四度目か。とにかく数回目のやり取りを経て伝えた。
ダブルベッドといえば、すなわち一緒に寝ることそのもの。
「え?…サイズ大きいから部屋に置けるかどうか、とか?」
「全然違うわ」
「じゃあ…あぁ、部屋に入れるの大変かもね」
「それも違うから」
そんな閃いた!みたいな顔されても困る。それ、かすりもしてないから。
「えー…なに?教えてくれると助かるんだけど…」
「仕方ないわね。いい?ダブルベッドといえば二人で寝るものなのよ。夫婦で寝るもの、つまりいつかあたしたちも買いましょうね、ってこと」
「…色々ツッコミどころがありすぎて困るなぁ。とりあえず世の中の夫婦みんながダブルベッドを使っているわけじゃないと思うよ?」
苦笑して返してきた言葉はまたもやわかりきったこと。
「ええ。そうね。それが?誰が何と言おうとあたしは使うわ。絶対使うから。覚悟しておいて」
「…ええと、うん。日結花ちゃんが使うのはいいと思うよ。ただ…僕に覚悟しておいてっていうのは……いや、いいや。言っても仕方ないよね」
「あら、物分かりよくなってきたわね」
ちょっと前だったら普通に否定して、それをあたしが否定して、否定されてしてを繰り返したあとに郁弥さんが諦めるような形だったのに。この人も成長しているわ。
「はは…人って諦めが肝心なときもあるんだよ」
「ふーん」
軽い雑談を交わしながらダブルベッドの前を離れる。あたしたちの距離はいつも以上…ううん、いつもとあんまり変わらない。ただあたしが服の裾掴んでるだけ。
「…日結花ちゃんってさ」
「なに?」
左回りに進み始めてすぐ、マイダーリンからの質問。…たぶん質問。この感じは質問だと思う。いいわよ、なんでも答えちゃう。
「ベッドで寝てるんだよね?」
「ええ、そうよ?」
「そっか。…僕は布団で寝てるんだけどさ。いつか家を買ったときベッドにしようと思ってるんだ」
「…お家買うの?」
顔を横に向けて目を合わせる。
家を買うなんて予想外。
「あはは、まだまだ先の話だけどね。いつか買うときの話さ」
くすりと笑って、一瞬止まった足を再び動かし始める。
「そう…。ならいいけど、どうしてベッドに?今お布団なら別にそれでいいんじゃないの?」
「うーん。ええと…布団って結構面倒くさいんだ。出してしまっての繰り返しってそれなりに時間も労力も必要だからね。大きな寝室になったらダブルベッドにでもしようかと思って」
「え!?そ、そこまで考えてくれてたの!?」
すごい驚いた。…まさか郁弥さんがそんな先のことまで考えてくれていたなんて…。
「…いや、その、嬉しそうなところ悪いけど、広いベッドで寝たいからダブルにしようと思っただけだよ?セミダブルと迷ってて、実際に買うときにでも選べばいいかなくらいの気持ちでいただけで…」
「……そうよねー」
半分くらいそうなんじゃないかと思ってたわよ。期待して損した。
…申し訳なさそうな顔されると怒りたくても怒れないわ。あたしの好きな表情第十位以内には入るんだもの。ずるい。
「それで?あたしになにが聞きたいのかしら?」
怒らずともほんのちょっと声に出ちゃうのは許してほしい。裾はしっかり掴んだままだからあたしが怒ってないことはちゃんと伝わるはず。
「うん。ベッドを使っていて手間なことを教えてほしいんだ。あ、手間とか大変なことなんにもないならそれはそれでいいんだよ?むしろ安心するくらい」
「んー…」
隣から放たれるぽかぽか癒しオーラに包まれながら考える。
ベッドを使っていて手間なんて…郁弥さんが言うお布団の上げ下げはないし、用意はされたままだから寝るのに時間はかからない。問題は……お掃除?
「あんまり思いつかないけど、ベッドの下を掃除することならあるかも」
あたしなんてほとんどしたことがない。マットレスのカバー交換するときとかにちょこちょこ見たりはしても、お掃除そのものは全然していない。
そもそもほこりがあんまりたまらないのよね。だから放置しちゃうわ。お掃除も上のお布団とか全部取ってからやらなきゃいけないしで、しても年越し前とかになっちゃうのよ。
「あー…そっか。それはわかりやすい。でもそれ以外はないってことだよね?」
「ええ。他は特になさそうよ」
「そうだよね。…うん。やっぱりいつか僕もベッドにしよう」
「…ダブルベッド?」
「まだ決めてないけど大きいやつにはするつもりだよ」
「ならいいわ」
ベッド談義はそれまでにして、ゆっくりと足を進める。キッチン用品や食事用品コーナーをさくっと過ぎて、今度はリビングコーナー。特に小物や時計、照明などのリビングにありそうなものが置いてある。
「たまに思うのだけど、こういうおしゃれなライトほしくならない?」
片手は隣を歩く人の服の裾。もう片方の手は並べられた明かりを示す。明かりの強さや色は様々で、天井に取り付けるような大きいものから机に置く小さいものまでたくさんの種類がある。
「なるね。シャンデリアとか欲しくなる」
「え、シャンデリアは別に…」
「ええ…」
あたしが使ってみたいのは机置きの小さいやつよ。
「これとかいいわね」
なんとも言えない顔をする恋人を見かねて、空いている手で一つのミニライトを取る。淡い暖色の色合いな楕円形のライト。
上部が編み目みたいになっているのが好ポイント。あと、底面がしっかり固定できるのはすごく良い。
「ほー…」
ゆらゆら見せれば気の抜けた声を漏らした。
無駄に可愛い。ぼけっとした表情がかなり良い。写真に収める…より持ち帰ってママとパパに紹介したいわね。
「なにかしら、その緩い反応は」
「え…あ、いや。ごめんごめん。ぼーっとしてた」
「別にいいけど…疲れた?」
ほんの少し下向きな良い人の顔がしっかり見えるようにかがみながら見上げる。つまるところの上目遣い。
「えー…っと、大丈夫。疲れたとかじゃないから…上目遣いはやめてください」
頬を染めてそっぽを向いた。可愛い。
あれね。予想通りだけどいいものね。こういうの。
「ふふ、そう?」
「…ただでさえ可愛い日結花ちゃんが超常的に可愛くなることを自覚してほしい」
「っ、んぅ…いちいち褒めないでよ。照れるじゃない」
本当は笑い飛ばすところなのかもしれないけれど、やっぱり褒められると胸の奥がぽかぽかして嬉しくなっちゃう。
「本心だから許してね」
「…なおさら悪いわよ、それ」
「う…本当に嫌なら言わないように頑張るけど…」
「ばか…嫌なわけないでしょ。本心から嫌だったら一緒にお出かけなんてしていないわ」
あたしをうかがう瞳に真っ向から言葉を返した。
「変なこと言ってないで早く見て回るわよ、まったくもう」
「っと、待って待って服引っ張らなくても一緒に行くから」
なんとなく気恥ずかしくて少しだけ足を早めた。後ろから聞こえる声は笑いを含んでいて、あたしの気持ちが伝わったようで一安心。
「それと日結花ちゃん顔赤くなってるよ」
「わーもう!そういうことは言わなくていいの!!」
せっかくそのまま顔の熱冷めるまで待とうと思ったのに!!この人はほんとにもう!好きじゃないけど…けど大好きよばか!!




