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恋よりさきのその先で  作者: 坂水 雨木
第3章 これまでとこれからと
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78. デート(7月)

 

「はぁ…」


 小町駅までやってきて一息。夏の暑さに耐えかねて駅直通のデパートに避難した。

 まずあたしの家から咲見岡駅まで行くのに汗だらだら。その時点で色々と帰りたくなったりして、そこから電車で10分くらい。涼しくなってきたと思いきやのまた外。


「……」


 タオルで軽く汗を拭いて…あ、これ昨日ママが言ってたやつ。郁弥さん来たらやってあげよう。


【ついたわよー】


 ダーリンに一報を入れて、ぽーっとしながらお店を見て回る。ファッションのお店が大半に、あとはアクセサリーやら化粧品やらのお店。

 昨日の夜話して決めたにしては悪くない場所。それなりに都会であたしたちの家からも近くて、暑い中遠出しなくてすむ場所を選んでくれたのはさすが郁弥さんというべきかもしれない。


【僕もついたよ。どこにいるの?】

【ふふ、どこだと思う?】


 …送ってからちょっと後悔。ごめんね郁弥さん。出来心なの。暑い中面倒なことさせてごめんね、謝るわ。


「やぁ日結花ちゃん」

「ひゃっ」


 突然あたし好みなやわ声が耳に響く。ぱっと振り向けばあたし好みなフレッシュメンが…フレッシュメンって言い方ださいわね。

 とにかくあたしの心をリフレッシュしてくれるような人がいた。


「と、突然話しかけないでよねっ、驚くでしょ?まったくもう」


 つれない態度を取りながら、ぺたぺたと汗ばんだ首やおでこを拭いてあげる。

 今日の郁弥さんは白系のポロシャツに涼しそうな薄い紺のロングパンツ。シンプルにかっこいい。


「な、なにしむ…」

「ふふ、はい終わり。どう?少しはすっきりした?」


 抗議の声をあげようとする口を塞いでからタオルを離した。

 どうでもいいけど、口を塞ぐってすごく良い表現だと思う。


「…ええと…すっごく恥ずかしいのと、汗がまだ止まらないのとでどうしようって感じです」


 頬を染めてぱたぱた手で扇ぎながらの言葉。久しぶりにここまで照れた姿を見せてくれた。

 はー暑い暑いっ。こっちまでドキドキしちゃうわねっ。


「え、えへへ、また拭いてあげましょうか?」

「え、遠慮します…」

「あら残念」


 一歩引く郁弥さんにさらっも返せたはいいけど…今は遠慮してくれて助かったかも。今のをもう一回やれなんて無理。勢いでどうにかやり切っただけなのよ。もう一回とか絶対無理。


「ええと…とりあえずご飯食べに行かない?」

「ん、いいわよ」


 照れ弥さんに言われてお昼を食べに行く。時刻はまだ12時を過ぎたばかり。ちょうどのお昼時。

 お店まで…外を歩くわ。頑張るのよあたし。



「…ねえ彼氏さん」

「…なにかな?」

「あ、今認めた?」

「…もう何回も呼ばれてるから諦めただけだよ」

「…そう。暑いわよ彼氏さん」

「暑いね…でももう着くから我慢してね」

「…べたべたしてもいい?」

「…よくない」

「…なんでよー」

「…そういうのはよくないからです」


 などなどと。

 そんな不毛なやり取りを続けて5分ほど。たどり着いたのはカフェ。目的のおしゃれカフェは建物の二階にあるらしい。


「ここ予約したの?」


 暗に"昨日の今日でできたの?"という意味で聞いた。

 普通なら前日で、しかも土曜日のランチタイムに予約できるはずがない。実際ここまで来る道もかなり混んでいたし。…普通なら、ね。


「うん。したよ」


 軽く言ってくれた。

 やっぱり。知ってた。この人変なところで運良いのよ。ふふ、持つべき恋人は幸運な人よね。


「そう。じゃあ入りましょ?」

「だね」


 建物に入ってささっと二階へ。お目当てのカフェは大人な雰囲気たっぷりで、暖色系の明かりがシックさを醸し出している。


 ―――からんころん


 ドアを開けてお店に入る。空調がしっかり効いていて、外の暑さを忘れられる涼しさ。


「いらっしゃいませ、ご予約ですか?」

「はい。12時半から予約していた藍崎です」

「藍崎様ですね。ご予約承っております。こちらへどうぞ」


 店員の人も落ち着いていて、服装もどこか大人っぽく雰囲気にマッチした喫茶店風。シンプルにかっこいい郁弥さんがカフェに映えていてもっとかっこよく見える。大好き。

 ちなみに、あたしは半袖ベルスリーブな薄水色ブラウスに白系のクリーム色なスカート。丈は膝下。靴は薄茶に近い色のヒール靴。

 ヒールはいつも通りほんと少しよ少し。ハイヒールはあんまり好きじゃないのよ。足疲れるし。


「ごゆっくりどうぞ」


 と店員さんから一声。冷たいお水はすぐに持ってきてくれた。

 はー汗かいた…あ。


「郁弥さん、ちょっとじっとしてて?」

「ん?いやちょっ!っ…」


 いそいそとタオルを使って汗を拭いて取ってあげた。

 躊躇はなし。勢いだけでやったわ。さっきやったときもう無理だと思ったのに、考える時間なくして気分のままにやればなんとかなるものなのね。さっすがママのアドバイス。もう役に立ってるわ。


「はいおしまい。今度はちゃんと涼しくなったでしょ?」

「…はい、涼しいです」


 暑さで顔が赤いのではなく、完全に照れで顔を赤くしている。空調の効いた部屋だからそれがよく目立つ。そんな姿に胸キュンしつつ、あたしも自分の汗を軽く拭き取った。

 ……よく考えたら、このタオルって郁弥さんの汗がついてるのよね…。な、なんか変にドキドキしてきちゃった。考えないようにしよ!


「じゃ、じゃあほら。メニュー決めるわよっ」

「う、うん。はいこれ」


 店内は涼しいはずなのに頬は熱くて、それをごまかすようにメニューを見る。ちらりと視線を前に向ければ、あたしと同じことを考えていたのか郁弥さんと目が合う。


「っ、んぅ…」

「あ…ええと…」


 視線が絡んで余計に顔が熱くなった。

 顔合わせているだけなのにすっごく恥ずかしい。だけど他所は向けない。ううん。向きたくない。理由はないけど今はまだ見つめたままでいたい。


「…や、その…日結花ちゃん何頼みたい?」

「ん…あなたの好きなものでいいわ」

「…はぁ…ううん、そうじゃなくて。一緒に注文決めようか?」


 ドキドキと高鳴る胸はそのまま、名残惜しそうに(あたし目線で)目をそらされた。

 もっと見つめ合ってくれてもよかったのに…。恥ずかしがり屋さんなんだからっ。もちろんそんなところも大好きだけどね。


「ふふ、いいわ。郁弥さんなににしたい?」

「僕は…どうしようかな」


 むむっとうなる彼氏さんがキュートで…そうじゃなくて、あたしも考えないと。


「ここって軽食メインだからあんまり種類はないんだよね。そのぶんスイーツ多かったりもするけど、どうしようか?」

「んー…」


 言われた通りそんなにランチのメニューはない。パスタ数種に加えてプレート系がいくつか。あとはサンドイッチとトーストが色々。スイーツの方はパンケーキから始まりチョコケーキにパウンドケーキなど。

 本当にカフェっぽいメニュー表。まあ実際カフェなんだけど。


「あたしはパスタでいいかな。郁弥さんは?」

「ん、僕もパスタにするよ」


 顔をあげた瞬間ふわりと香る郁弥さんの匂い…ん?あれ、いつもと違うかも?


「…ねえ郁弥さん。香水使ってる?」

「ん?香水?使ってないよ?」


 …うーん?


「ほんとに?木っぽい匂いするわよ?」

「あぁ、それか。それはこれだね」


 言ってシャツの胸元から取り出したのはネックレス。鼻に届く香りがほんの少し強くなった。


「なにそれ?」


 見た目は優しい茶色で、材質は木製っぽい。結構細かい細工がされた球状のものが三つ繋がっている。真ん中が少し大きくて、三つを通している紐はえんじ色。かなり落ち着いた色合いの大人っぽいネックレス。


「これねー…実は覚えてないんだよね。どこで買ったのかなぁ…たぶん大学生の頃だと思うんだけど、全然思い出せないんだ」

「ふーん…誰かからのプレゼントとかじゃないの?」


 ほら、同級生の人とか同期の人とか。郁弥さんって意味わかんないくらい良い人だからプレゼントくらいされててもおかしくないでしょ?


「あはは、ネックレスなんてプレゼントでくれる相手いなかったよ。だから少なくともプレゼントじゃないね」

「そう…」


 ふぅ…ほっとした。よかった。


「結構いい匂いするけれど…あたしはいつもの郁弥さんの匂いの方が好きよ」

「え、うん。…あ、ありがとう?」


 微妙な反応された。

 なにそれ、納得いかない。せっかくちょっとだけ頑張って言ったのに…。


「むぅ、郁弥さんはどうなのよ?」

「どうって?…いや日結花ちゃんの匂いがどうとか言うのはなしだからね」

「……」


 先手を打たれた。

 ぴっと人差し指を立てて言ってくるとは小癪こしゃくな。可愛いじゃない。負けないわよ。


「…あたしの匂いはどうなのかしら?」

「…いや、今なしって言ったよね?」

「ほら、あたしの匂いとかはどうなの?」

「全然聞いてくれないかー…」


 諦めて肩を落とす恋人さん。無理やりでもしつこく聞けばちゃんと答えてくれるのが郁弥さんのグッドポイント。

 また好感度が上がってしまったわ。もう振り切れて宇宙どころか太陽系飛び出しちゃうくらいよ。


「ね、どうなの?」

「…言わなくちゃだめですか」

「っ、だ、だめ」


 ちらっと上目遣いにやられそうになった。あぶない。

 あたしをうかがうような視線は卑怯よ。いつもは身長差あるからあたしが見上げる形だし、こうやって座って覗き込む体勢くらいしかあたしが見上げられるってことないんだもの。もう少しで落とされるところだったじゃない。…あ、もう落とされてたわね。


「…ええと、匂いというと…髪の毛、かな」


 恥ずかしそうに薄く頬を染める。

 髪の毛の匂いといえば、当然シャンプーのこと…よね。


「シャンプーかしら?」


 もちろんトリートメントも含む。ヘアミルクについては省く。今は基本的なものだけ。


「うん。…前話したのが桜鈴さくらすずだったよね?たぶんそれの匂いだと思うんだけど…」


 自信があるのかないのか、言ってることは大正解なのに言い方は微妙に迷いながらで変な感じ。

 あたしからしたら桜鈴のこと覚えておいてくれただけでも驚き。だってそのこと話したのなんて年末にほんの少しだけよ?普通名前なんて忘れてるでしょ。

 こういうところに郁弥さんの思いやりがあるのよね。ほんっっとにあたしのことばっかり考えてるんだからー。もう、好きになってくれてもいいのよ?あ、もう好きになってくれてたわね。


「それであってるわよ。桜鈴の香りでしょ?よく覚えてたわね」


 ちなみに、お値段は2000円。シャンプーのみで。つまるところ、トリートメントと合わせておおよそ4000円だったりする。セットで買えば3500円なのでお得。


「ふふ、日結花ちゃんのことだからね。忘れるわけないよ」

「っ…そ、そう。ありがと」

「あはは、どういたしまして」


 優しく微笑む姿がまるで癒しのオーラをまとっているかのように見えた。

 いちいちあたしの弱いところに打ち込んでくるのよね…不意打ちはほんと揺らされる。


「じゃあそろそろ注文決めようか?」

「…ええ。決めましょ」


 ニコニコ素敵な笑顔に頬が緩みそうなのをグッと抑えて、改めてメニューに目を向ける。


「日結花ちゃんどのパスタにする?」

「あたし?あたしは…これ。エビのチーズクリームパスタ」

「なるほど。…それなら僕はベーコンとトマトの地中海風パスタにしようかな」

「ん、あとは飲み物だけど…郁弥さんあんまりコーヒー好きじゃなかったわよね?」


 そんな話を聞いた覚えがある。


「うん。好んで飲みはしないかな。苦いし」

「ふふ、どれにする?」


 可愛いこと言ってくれる恋人に軽く笑いかけて、メニューの飲み物欄を指差した。


「…日結花ちゃん」

「はい」

「カフェラテとカフェモカの違いはなんですか…」

「む…」


 むむっと眉を寄せてお困りの様子。あたしも似たような表情になったと思う。

 カフェラテとカフェモカか…。


「少し待ちなさい」

「うん」


 ごそごそと鞄から携帯を取り出し、調べるのはカフェラテとカフェモカについて。

 ラテとモカと…なるほど。


「郁弥さ…んも調べてたの?」

「ん?うん、一応ね」


 ある程度調べて顔をあげたらこれよ。あたしが調べている間に郁弥さんも同じことしてた。


「…むぅ、あたしが調べてたんだから、あなたは何もしないであたしの顔でも見ていればよかったのに」


 だって二度手間じゃない。


「あはは、それも魅力的だったけどね。どうせなら二人で答え合わせした方が楽しいと思ったんだ。ほら、デートっぽいでしょ?」

「っ、ええ。そうね」


 自然な動作でぱちりとウインクされた。

 あと少し抑えが効かなかったら結婚宣言しちゃうところだった。あぶない。さすが郁弥さん。油断ならないわ。


「それで?調べ終わったの?」

「うん。日結花ちゃんは?」

「あたしも大丈夫。答え合わせは…二人でどっちの方が苦いか言うとか?」


 その後は苦味の何が違うかとかミルクの違いがどうとか。その辺でいいと思う。


「いいよ。じゃあせーので言おうか」

「ええ、どうぞ?」

「うん…せーの」

「カフェモカ」

「カフェラテ」


 …ふむ。


「……」

「……」

「…どうしてカフェラテなの?」

「日結花ちゃんこそ。どうしてカフェモカ?」


 いいわ。このあたしが説得してあげようじゃない。でもその前に。


「先に注文だけしちゃいましょ?言い訳ならそのあとにでも聞いてあげるから」

「言い訳って…うん。わかった、注文しようか」


 なんとも言えない表情をしながらも頷いてくれた。


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