75. 恋愛談義その2
「…とりあえずこのページを読んでみなさい」
「おっけー」
さっきの流し見と違って今度は真面目に読み進める。
内容としては、喜怒哀楽を純粋に無邪気に表現して、"こうしてほしい"ということを素直に伝えることが大事だとか。あたしの持ってる甘えたい気持ち…抱きしめてほしいとかちゅーしてほしいとか手繋いでほしいとか、こういうのは郁弥さんも同じだということ、とか。
あと、男性も女性と同じで、甘えたいって思ってる…らしい。
「…ふむむ」
色々とアドバイスが書かれている。
側に行って隣でニコニコは…してるわね。でも、側ってどれくらいの距離なのよ。あたし、結構近く行ってるわよ?頑張れば手繋げちゃうくらいには近くで歩いてるもの。
シャツの袖を握るっていうのは…あざとすぎる。…うん。今度試してみよう。
「…まあ、だいたいわかったわ。知宵が甘えるのが大事って言ったのもわかった」
「そうでしょう?甘え方のアプローチを少し変えていく必要があると思うのよ」
それはあるかもしれない。…とはいっても、どうやって甘えていくのかは全然わからない。
「賛成するけど…どうするの?あたし、これ以上思いつかないわよ」
「…そういえば、結局私と日結花と胡桃さんで話しても決まらなかったのね」
真面目な顔をする知宵の言う通り、ちょこちょこ三人でネミリ会議はしていた。一度は直接も会って話して、通算6回。
どれもこれも無駄話が多いせいで全然進まなかったのよ。ここまで建設的な結論は一つも出ていないわ。
「ええ。そんなんだから今ここであたしが悩んでるんだし」
「…ふむ」
一つ呟いて、おもむろに本を手に取る。少し目次を見て、ぱらぱらとページをめくっていった。
「さっき、男の人も女の人と同じく甘えたいと思っている、とあったでしょう?」
「うん」
視線は本に向けたまま問いかけてきた。
あったわね。郁弥さんがあたしに甘えたいって、素晴らしすぎる素敵展開なのだけど…実際甘えてきてくれないと意味ないじゃないの…。
「まずここを読みなさい」
「え、うん…」
ええと……男の人も悲しかったり辛かったりするけど、そういうのをなかなか言えない、と。…なるほど。まあ間違ってないかも。郁弥さん弱音とかほとんど言おうとしないし。
解決策は…抱きしめてあげたり愛してるって伝えたり、と…。
「どうかしら?」
「無理」
「…そう言うと思ったわ。次が本題よ」
またページをめくっていって、今度はさっきのページのすぐ近く。開かれた場所には"甘えたいのに甘えられない"とかなんとか。
「……」
要約すると、男の人も甘えたいけど心情的に甘えられない。だから女の人側から甘えていくことで男の人の心を緩めてあげよう、って感じ。
"愛情は表裏一体"…ね。
「結局どうやって甘えればいいのかわからないんだけど…」
そこに尽きる。進め方としては間違ってなかったっていうのはいい。でも、甘え方がわからないんじゃどうしようもないわ。
「……」
ぺらりぺらりと、知宵がページをめくる音が響く。雨音に混じってどこか透き通った雰囲気。
そんな空気に対して、あたしの頭の中は悩みでいっぱい。助けて郁弥さん。助けてくれたらちゅーしてあげるから。
「日結花」
「ん、なに?」
ばかなことを考えていたら名前を呼ばれた。斜め横の知宵がまたまた本を指し示している。
「今度はなによ……言葉を使わない方法?」
「ええ」
興味本位で読み進めれば、書いてあるのは表情や視線、しぐさで愛を伝える方法もあるということ。
「…あたし、割とこれやってるわよ」
書いてあることはすっごくいいことだと思う。
実際、郁弥さんと話すとき自然と笑顔になっちゃうし、態度だって愛に満ちあふれているもの。言われる前にやっちゃってたわよ。
「ふふ、そうよね。私もそれは思ったのよ。ただ、一つ気づいたことがあるわ」
「…続けて?」
微笑む知宵に続きを促す。
「あなたのやっていることは"好きにあふれすぎている"のよ」
「どういうこと?」
「いい?ここでは相手を"大切にする"ことを第一にしているわ。日結花、あなたのは"好き"が前面に出過ぎていて、相手へ伝わる気持ちの"大切、大事に思っている"が薄くなってしまっているの」
「…ええと…」
大切にする、ってことは。
「つまり、もうちょっとおしとやかにしろってこと?」
「わかりやすく言うとそうなるわね。私たち、今まで定番のものを試していなかったじゃない?押してだめなら引いてみろとはよく言うでしょう?」
「あー…」
そういえばそうだった。まったくこれっぽっちも引こうとなんて思ってなかった。押せ!押せー!押し落とせー!!くらいの勢い。
…恋に必要な勇気通り越して勇敢になっちゃってたわ…。
「日結花、素っ気なくするわけじゃないのよ?好きの気持ちを抑えて相手を思いやる気持ちを前面に押し出していくの。大丈夫?」
「むぅ…なんとか頑張ってみる」
結構難しいけど。
雰囲気としては郁弥さんの持ってる癒しオーラに近づける感じよね。笑顔は柔らかく、態度も優しく、労って慈しんで…割とやれそう。積極的にどうこう考えるのやめるだけじゃない。
「…うん、いけそう。今度デートしたとき色々試してみる」
「ええ、頑張って」
二人で頷いて話が落ち着いた。知宵の持ってる本のおかげか、すごく良い案が出た。
「これで一つ目の課題は解決ね。上手くいけばあなたの彼氏さんから頼って甘えてわがまま言ってもらえるようになるわ」
「…上手くいけばねー」
できる範囲でのスキンシップと思いやりにあふれた、名付けて『身体も心も癒すわヒーリング大作戦』。
「…なに、そのネーミングは…」
「あ、聞こえてた?」
「ええ、すべて」
「ふーん、ふふん。いいでしょ?今回の作戦名は今のやつなのよ」
「今回のというと…もしかして、いつも名前付けしていたのかしら?」
「そりゃもちろんっ」
「…はぁ」
ため息をつかれた。ひどい。
「…いえ、あなたのすることだから私が何か言う筋合いもないわね。それより、もう一つの問題はどうするつもり?」
「うん?」
ソファーに背中を預けて、だらけながら聞いてきた。
もう一つって…ええと…。
「…時間のこと?」
「そう。会う時間が少ない問題よ」
「うーん…」
時間が足りないときって、そのぶん手早く済ませればいいのよね。…ん?あれ、デートもそうすればいいんじゃないの?
「ねえ知宵。会う時間少ないならさ、そのぶん密度高くすればいいと思ったんだけど」
「それができるのならそうだけれど…どうやって濃い時間を過ごすと言うの?」
「それは…ううん。それこそ今まで以上に甘えていけばいいと思うわ」
「なるほど…二面作戦というわけね」
「そそ。『甘え落としの裏作戦』と『身体も心も癒すわヒーリング表作戦』の二つ」
大作戦から名前は変更よ。表と裏の作戦二つでやるわ。
「…私からはそのネーミングについて何も言わないわよ」
面倒くさそうに呟いてソファーに身体を倒した。あたしは改めて本を手に取る。
「…あぁ、そう。胡桃さんには私から伝えておくわね」
「ん?そう?じゃあよろしく」
ちらりと知宵に視線を向ければ、携帯をぽちぽちと。今日の雑な話し合いを胡桃に伝えているのかもしれない。
「……」
軽く読んでいく感じで知宵愛読の恋愛指南本によると。
"自信持って!あたしってほんとはすっごく可愛くて愛されて当然なんだからっ!郁弥さんもね?ほんとはあたしのこと大好きなのよ。でも素直になれなくて…あたしに甘えたいって思ってるのに…不安なの。だって、いつか離れちゃうと思ったら怖くて動けなくなっちゃうでしょ?ほら、自分で怖がりだーって言ってたじゃない。だから、ね?あたしが自信持って、笑顔で歩み寄ってあげるの。あたしが近づいてあげれば郁弥さんだってこっちまで来てくれるわ。最初はあたしからでも大丈夫。あたしが好きになった人なんだもの。二人で育んで、一緒に大きくしていけばいいのよ。それが愛なんだから"。
…みたいな感じ?
「…ねー知宵ー」
「…ふぁぃ」
「…あくびで返事するのやめてほしいんだけど」
「…べ、べつにいいでしょう…。それより何の用?」
横になったままの眠そうな返事。あくびしてたのちょっぴり恥ずかしそうな声音。可愛い。…いえ、知宵のことより大事な話が先よ…。
「…愛って難しいのね」
「……またよくわからないことを言うわね」
「そうかなー?」
知宵と同じくソファーで横になる。本は閉じて机の上に。
…ちょっと眠くなってきた。雨の音すっごくいい。
「ええ。愛が難しいなんて当然のことでしょう。私もあなたも、まだ実感したことがないのだから」
「…そっか」
漠然としたものを知識として知ることなんてできなくて、もちろん実感もないからわからなくて当然で。
…今のあたしの気持ちだって、もう愛なのかもしれないわ。だって、ママとパパが好きなのと同じくらいには郁弥さんのこと好きなんだもん。
「……」
ほんとに眠くなってきた。今時間は…時計は…テレビの上ね。まだ15時前。…眠れるわ。時間的には余裕よ。これは仮眠取るしかないわね。
「……日結花」
「…んぅ?なに?」
うとうとしてた…。眠い…。
「眠そうね。…聞きたいことがあるのよ。今いいかしら?」
「…いいけど、手短にお願い」
…無駄な質問だったら無視して寝よう。もうまぶた重たいもん。
「ええ。じゃあ聞くけれど、あなたが郁弥さんを好きになった理由は何?どうして好きになったのかを聞いていなかったわよね?」
「……」
……いきなりすぎて目が覚めた。
「ええっと…なに?郁弥さんの大好きなところ10個挙げろ?」
「全然違うわよ。あなたの大好きな郁弥さんを好きになった理由を教えてと言ったの」
「……」
好きになった理由、ね。
…出会いは簡単。歌劇における紳士淑女のうちの一人。しかも軽々と抽選を越えてくる豪運の持ち主。
それでいて、顔は穏やかで優しげで柔らかい笑顔が可愛い男の人。えくぼとかキュートなのよ。
雰囲気は癒しオーラ満載で一緒にいると安らぐぽわぽわお兄さん。
身長は170って言ってたし、体重は70くらいって言ってたかな。走ったりトレーニングしたりで身体のあちこち結構筋肉あるのよね。あと、あたしのこと大好きって気持ちがたくさんなのもポイント。
恩人って、好きな人って、大事な人って、大好きな人って、ずっと隣にいてほしいって、愛してるって、結婚してって…まあ色々言ってくれたわ。だいたい妄想だけど。
まとめると。
「一目惚れ?」
になるのかも。
色々後付けしたりはしたけれど、もともとあの人のことを魅力的に感じたのが第一にあるのよ。
最初は恋愛とかそういうの意識してなかったし、ちゃんと意識してわかってるから言えるのよね。結局のところ、最初っから郁弥さんに惹かれてたのよ。
「…簡潔ね。…ええ、納得。いくら初恋とはいえ、それほどまで人に好意を持てるのはただ好きになっただけじゃ無理よ」
「んー…ふふ、そうかも。一目見て気になって、そこからどんどん惹かれていって、今となっては好きなんて言葉一つじゃ表せられないほど想っちゃっているもの」
二人でさらりと笑う。知宵の質問に軽く答えられるくらい、今のあたしは自分の気持ちに自信が持てている。
これも郁弥さんと話してきて得られたことの一つね。ありがと郁弥さん。大好きよ。
「んー!よしっ!知宵、あたし帰るわ」
目も完全に覚めて、ソファーから立ち上がり背筋をくーっと伸ばした。そのままだらけた知宵に声をかけて、窓際の机に向かう。
「…はぁ…ふぁぅ…そう、それなら私はベッドに行くわ」
机の上に置いておいたヘアゴムとリボンを手に取って髪を結ぶ。右サイドで一つにまとめて垂らして終わり。髪を結び終えて、鞄からDVDを取り出す。
「知宵、はいこれ」
「ん…これは……なに?」
「DVD」
「いえ、それはわかるのだけれど…どうして私に?」
心底不思議そうな表情で見つめてきた。
これは…DVDの話自体を忘れてるわね。
「石川行ったとき知宵パパに話したでしょ。ミスファミ見るわよーって。ほんとはあたしの家で見る話だったけど、たぶんうち来ないでしょ?だから今渡しておこうと思って」
一緒に見るとか見ないとかは今度あたしが知宵の家に来たとき話せばいいかな。ミスファミのDVDなら他にも二枚くらいうちに置いてあるし。
「…あぁ、そんな話もしたわね。これがその…ミスターファミリア?」
「『Mysterious family』よ『Mysterious family』。…とりあえず渡しておくから、暇なときにでも見ておいて」
「ええ。わかったわ」
DVDはちゃっちゃと渡して、鞄に携帯を放り込む。
他に荷物は…お財布は入ってるし、なんにもないわね。
「じゃ、帰るわね。今日はありがと。楽しかったわ」
「こちらこそ…私も良い暇つぶしになったわ。今日は寝るだけだったから日結花が来てくれて楽しかったわよ」
「ふふ、そっか。それならよかった。じゃあまたね」
「ええ。また」
短く挨拶を交わして知宵の家を出る。相変わらず雨は降り続いていて、外は来たとき同様ひんやりと湿った空気に満ちたまま。玄関で軽く知宵に手を振って、廊下を歩いて、マンションを出て、雨音に耳を澄ませたまま駅に向かっていった。