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恋よりさきのその先で  作者: 坂水 雨木
第3章 これまでとこれからと
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73. 梅雨の6月

 6月。季節の変わり目というのは、今のような時期を指すのかもしれない。

 寒さと暑さの境目で、春と夏の変わり目。昨日半袖を着たと思ったら、今日は長袖になり。今日お風呂に入ったと思ったら、明日はシャワーだけでよかったり。

 季節は春と夏の間。世間一般では梅雨と呼ばれる季節。雨が多く暑い日差しが遮られて、個人的には嫌いじゃなかったりもする。


「…はぁ」


 窓を開けてアンニュイなため息をついても、自分自身の胸中が変わることはない。暗い空を眺めていると、どうしてもきゅぅっと胸が締め付けられるような寂寥感に襲われてしまう。

 休日のお昼過ぎ。考えることは多くて、頭の中がまとまらずぼーっと時間だけが過ぎていく。


「……」


 聞こえるのは雨と風の音だけ。気温は20度近く、最高気温が20度というのは最近じゃなかなかないことだった。

 冷たい風が窓際に腰かけたあたしの身体を通り過ぎる。

 頭を巡るのは当然あたしが恋してる人のこと。


「……はぁ」


 優しくてかっこよくて可愛くて、仕草ひとつ取っても素敵で魅力的で…それでいて、悩んでばっかりのだめだめな人。

 いっつも優しくて、どんなことでも楽しそうに聞いて話してくれる。…けど、自分のことはあんまり話してくれなくて、あたしの一番大事な気持ちもわかってくれない。…ううん。わかっていても話してくれないだけ。


「…はぁ」


 ため息ばかりが漏れる。

 あたしが急ぎすぎなのもわかってる。気長に待てばいいっていうのもわかってる。わかっているけれど…あたしは、それでも話してほしい、頼ってほしいと思う。

 だって…好きな人のことを知りたい、好きな人に頼られたい、全部全部教えてほしい。…そう思うのはおかしなことじゃないでしょう?


「……はぁぁ」


 あたしのわがままよ。自覚くらいあるわ。あたしに付き合ってくれる郁弥さんに甘えてるのもわかってる。

 でも、でもね。…幸せにしてあげるって約束したんだもん。好きなんだもん。仕方ないじゃない。


「…いつまでため息をついているつもり?ひどく(わずら)わしいわ」


 "愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ"。

 そんな言葉を最近の吹き替えで聞いた。自身の経験だけじゃなく、他人の経験からも学べば良いというようなニュアンス。

 この言葉は人生におけるあらゆる出来事に通じるものがあるので、当然恋愛にも繋がる。ただし、他人の恋愛経験からどのように学べばいいのかわからないのが大変なところ。

 だいたい他人の恋愛ってなによ。知宵も胡桃も役に立たないしママくらいしかいないんだけど…。


「…聞いている?」

「聞いてる聞いてる」


 一人黄昏ているあたしの後ろ。透き通った声の持ち主が話しかけてくる。くるりと体の向きを変えて答えた。


「…ならため息ばかりつくのをやめなさい」

「うーん…うん。善処する」

「…はぁ。第一ね、あなた何をしに来たのよ」

「ん?」


 全身から怠いオーラを放ちながらの質問。何しに来た、というと…あたしがここに来た理由か。


「意味なんてないわよ。たまたま時間あったから来ただけ」


 今日に限っては本当になんにもない。


「…私の家に来る必要ないでしょう。自分の家にいればいいじゃない」

「なに?友達の家に来ちゃいけないの?」

「べ、べつにそんなことはないけれど…」


 適当にあしらえば薄く頬を染めて目をそらした。ちょろい。

 でも目的か…知宵に連絡入れたら予定ないって言われて来ちゃったけど、どうせなら話すこと話したいところよね。例えば郁弥さんのこととか。いくやさんのこととか。いーくやさんのこととか。

 あとほら、ついでに『Mysterious family』のDVD持ってきたから渡しておかないと。一緒に見てもいいのだけど…今はそんな気分になれないし。…あぁそうだ。


「知宵さ。最近マスクしてる?」

「突然ね。しているわよ?」


 そっか。そうよね。あたしもしてるし。喉はお仕事的に大事だもの。


「知ってる?水マスクのこと」

「あぁ、あれね。私も使っているわよ」

「ん、そう?もしかして水マスクオンリーな生活になってる?」

「いえ、移動時間が長いときだけね。…あれ、高いじゃない」

「あー、いくらだっけ?」


 今(少し前から)話題の水マスク。見た目は普通のマスクと同じで、色が薄い水色になっているのと厚さがかなり薄いのが特徴。

 マスクとして新しい部分は、極薄い布に水を挟むことで汚れた空気やほこりを完全ブロックできる点にある。

 どうして水が漏れないとか、なんで布がびしょびしょにならないとか、そんなことは知らない。使えればいいのよ使えれば。


「2000円よ」

「それ、一カ月ぶん?」

「ええ。30枚入りでちょうど一カ月ね」

「なるほど」


 水マスクだから、と考えればそんなに高くない。でも普通のマスクが値段1/3と考えたら…まあ高いわね。


「…水マスクにしたら行きと帰りで2枚使わなくなったし、こんなものでしょう」

「それもそっか」


 …すごく着け心地もいいし、やっぱり水マスクにしよう。うん。決めた。あとは…もう一つ。


「話変わるけど、知宵髪切ったでしょ?」

「え?え、ええ。切ったわよ?」


 寝転んだまま右手で自身の髪をくるくるともてあそぶ。知宵にしては珍しく、今日は髪を結ばずストレートに垂れ流し。ただ、その長さが今までと大きく違う。腰上まであった長い髪はばっさりなくなって、あたしと同じくらいにまで短くなった。具体的にいうと肩甲骨の上、肩をほんの少し過ぎるくらい。


「…どうかしら?」


 ぼーっと見てたら頬を染めてちらちらあたしに視線を送ってくる瞳が…。

 ごめんね、ちゃんと感想言うから。


「いいと思うわよ。似合ってる似合ってる。可愛いわ」


 表情とかも可愛いし。…まあ、体勢とかのせいで色々魅力だだ下がりになってるけど。


「そ、そう。…ふふ、ありがとう」


 にこっと笑ってお礼を言ってきた。…ずいぶんと可愛らしいことで。


「で?なんで髪切ったの?」

「暑いからだけれど…他に理由が必要?」

「んー…去年とか夏でも切ってなかったじゃない?」

「そうだったわね」


 特に含むものもない様子。軽く頷かれた。


「暑い以外に大きな理由はないけれど、もともと髪を切らない理由もなかったのよ」

「そうなの?」

「ええ。髪型を変えるのが面倒だっただけで、短くしない理由もなかったわ。最近は暑いのも含め洗うのが面倒になってきたから、いっそ切ってしまおうと思ったわけね」

「なるほど」


 別に普通だった。いつもの知宵だったわ。

 なんかイメチェンしたいからなのかなーとか考えてたけど、全然そんなことなかったわね。でも。


「ふふ。知宵、あたしとお揃いにでもしてみる?」


 長さが同じくらいならそれもいいかもしれないでしょ?


「…気が向いたらね」


 あんまり乗り気じゃなさそうな返事をもらった。そのまま姿勢を変えて天井に目を向ける。

 乗り気じゃないように聞こえても、口元が緩んで楽しそうなところはまるわかりで、きっと知宵のことだから今度横結びで髪を結んできてくれると思う。

 "あおさき"とか髪型お揃いにてイベント出ても楽しそうね。ふふ、胡桃が羨みそうだわ。あの子、知宵のこと大好きで髪型同じにしてるくらいだもの。



「…ふぅ」


 話にひと段落ついて、意識を外に戻す。相変わらず雨は止む気配がなくて、冷えた空気が感傷的な気分に浸らせてくる。


「…」


 …少し、考えるのよ。頼られたい話してほしい答えてほしい。そんなことばかり考えてきたけれど…あたしにできることはあるのかなって。ママとパパみたいに人生経験豊富なわけじゃないし、誰かの人生にアドバイスできるほど何かをしてきたわけでもない。

 お仕事についてちょっとしたことや軽いポイントくらいならまだしも…あの人が思い詰めるようなことに答えられるかというと……。


「……ねえ知宵」

「なに?」


 ソファーで横になったままの返事。


「あたしが郁弥さんから求められたら応えられると思う?」

「安心しなさい、そんなことはないから」

「なっ!なんで!あるわよ!求められることくらいあるわ!」


 間髪入れず返ってきた言葉に抗議する。

 なんの躊躇いもなく断言してきたのは許しがたい。


「…どんな意図で先ほどの言葉を言ったのかわからないけれど、あの人がそう簡単にあなたにどうこう言うのはありえないでしょう?」

「む…」


 一理ある…知宵には色々話してきたし、実際に郁弥さんと接する機会もあったみたいだから説得力がある。…認めたくないけど。


「そもそも、あなたの言う求める…というのはなに?」


 座った体勢じゃ寝転んだ知宵の横顔しか見えない。それでも、知宵が怪訝そうな表情してるのは伝わってきた。

 それは簡単。あたしの"求める"というのは、単純に話し相手、相談相手、人生のパートナーとしてで…心の底から信頼できる人として。


「何事も共有してくれることかしら。嬉しいことから悲しいことまで、全てを受け入れて慈しんで、支え合って生きていくものでしょう?夫婦って」


 ふわりと風が入り込んでくる。冷気が心まで落ち着かせてくれた。


「…無理ね。言葉だけであなたの言うほどまでに変えるのは無理よ」

「…言葉だけ?」

「ええ。彼は…もう満足しているのでしょう?日結花といるだけでいいと言っているのだから」

「…うん」


 あの人は本当に欲がない。もっともっとやりたいことがあってもいいのに。


「なら…やはり難しいわ。今までの話からすると、言葉だけで彼…郁弥さんを変えられるとは到底思えないもの」

「…むぅ」

「散々日結花が試してきた結果が今なのだし…試していないことといえば告白くらいかしら?」

「う…」


 身体を起こしてあたしに視線を送ってくる。目をそらした。気まずい。

 告白は…できればしたくない。なんでかな…恋人になってからもっと色々話してもらえばいいって最初は思ってたはずなのに、恋人になる前…今の段階でちゃんと友人として、一人の信頼できる人になりたいって…そんな感じのことを思っちゃったのかも。


「…あたし、ばかね」


 我ながらずいぶんとわがままな。


「知宵。あたし、告白はしないわ。やっぱりちゃんと"対等"になりたいから」


 耳に届く雨の音が、さっきと変わらないはずなのに鮮明に聞こえる。

 いつだったか、あたしと郁弥さんで"対等"な友人になるとかそんな話をした覚えがある。少なくとも、あの頃よりは胸を張って友人だと言える。でもそれが"対等"かと言われると…全然言えない。


「そう…あなたがそれでいいならいいわ。私が伝えることは変わらないから」

「ん、お願いね」


 できるかどうかはわからないけれど…ハグくらいは挑戦してみよう。言葉で心を開いていくのは引き続き、加えてちょっとだけドキドキしてもらうことをやっていく。

 時間はあるから大丈夫。予定通りに、ゆっくりいけばいいのよ。話してもらえるまで、焦らないでいけばいいの。頑張るわ。

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