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恋よりさきのその先で  作者: 坂水 雨木
第3章 これまでとこれからと
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71. 頼ってもらうとか頼ってほしいとか

 

「……ねえ郁弥さん」

「…なんでしょう?」

「…あたしがなにに不満を持っているかわかる?」


 そう、あたしは不満を持っている。

 例えばあたしとのデートなのに他の女の子とニコニコ笑顔で話していたり。

 例えばお子様とのお話をずいぶん楽しそうに聞いていたり。

 例えばお子様の頭を気軽になでたり。

 …そうね、嫉妬よね。認めましょう。お子様にすら嫉妬したことを認めるわ。


「ええと…日結花ちゃんとのデートなのに、他の女の子と長々話してた、から?」

「…50点」

「割と低いね…じゃ、じゃあ…シエちゃんの頭をなでた、から?」

「80点」

「…まだ足りないか。…うーん、わかんないな」


 むむっと眉を寄せて考える姿が好き…じゃなくて、大事なことを忘れてるわよ。


「…あたしと話すときより楽しそうだったでしょ」

「え?」


 目を瞬かせてわかってない顔。可愛い…いやそうじゃなくて、自覚ないのかしら…。


「あたしと話すときよりずっと笑顔だったじゃない」

「…それは…」


 あんまり言いたくなかったけど、あたしに向けるよりも笑顔力が強かったから。ちゃんと言っておかないと…なんとなく嫌。もやもやする。


「…そうかもしれないね…でも、うん…僕からも聞くけど、日結花ちゃんに接してるときの僕ってどんな感じなの?」

「…郁弥さんが?」

「うん」


 柔和な笑みがあたしの心を緩めて楽しく…ううん、負けちゃだめよ、あたし。いつもの郁弥さんについてよね…。


「笑ったり泣いたり照れたり落ち込んだり、悩んだり怒っては…いないわね。…ん、そんな感じ」

「…ふふ、そうだよね。日結花ちゃん。僕が本当に自然体でいられるのって君の前でだけなんだよ?知ってた?」


 …し、知らなかった。自然体って…え、じゃ、じゃあ自然体じゃないときって…どうなってるの?


「…いえ、知らなかったわ。あたし以外のときは…どんななの?」


 少し、気になる。

 あたしの知ってる郁弥さんはあたしの前にいるときだけだから、それ以外の時間はわからない。

 だから…結構本気で、少しどころかめちゃくちゃ気になる。


「そうだねぇ…やっぱり笑顔が多いかな。悩んだり怒ったりはしないよ。あと…誰かの前で泣くことはないね」

「…お仕事みたいな?」


 あたしの営業スマイルに似てるやつ…でいいのかしら。


「うーん…半分正解?仕事ほど作ってはないからね。さっき話してたときのだと、笑顔で話さないと、優しく話さないと、安心させないと…って意識はしてたかな」

「……」


 なんていえばいいのかな…。あたしの恋人が変に考え過ぎてて可愛い。無駄に考え込んじゃうところがきゅんきゅんくる。


「…そこまで気にしなくてもいいのに」

「…そうなんだけどね。どうしても、さ…」


 苦笑いを隠し切れていない。

 らしいといえばこの人らしい。でも…できることなら気を楽にしてほしいとは思う。息の詰まる生き方は…きっと疲れちゃうから。


「ねえ、郁弥さん」

「なに?」


 こんなデートの最初からする話じゃないかもしれないけれど、今伝えておこうと思う。あたしだから、この人のことを大好きなあたしだから言えること。


「あなたがどんな人なのか、また一つわかったわ。だからこそ言うわね」

「…うん」


 笑顔の下でそんなことを考えていたなんて思ってもみなかった。

 言われてみれば、あたしに見せてくれている信頼度マックスのスマイルとは違ったようにも思えてくる。


「もう少し、あたしに頼ってくれていいのよ?」


 もともとは郁弥さんを支えたくて、信じて頼ってもらいたくて恋人を目指していた。一人で抱え込まないで、誰かに話してくれればいいって…ううん、あたしに話してほしかった。

 以前、郁弥さんはあたしが誰かを頼って幸せになってくれればいいとか言っていた気がする。

 だけど、あたしはそうじゃない。"あたし"に頼ってほしいのよ。"誰か"じゃない、"咲済日結花"じゃないとだめ。あたしがそうならないと…嬉しくないわ。好きな人が他の人に取られるのは嫌よ。いくら相手が幸せになるっていっても、全然祝えない。


「……頼ってないかな」

「ええ、まったく」

「あ、あはは…そっかぁ」


 苦笑して軽く頬をかく。

 きっと自覚はあったんだと思う。こんなにもあっさり納得してくれたのはそのせい。


「無理に頼ってとか、そこまでは言わないわ。少しだけわがままに、少しだけ遠慮をなくす。…それだけでいいのよ」

「遠慮…」

「わかるでしょ?前から言おうとは思っていたのだけど、郁弥さんのこと考えてたらなかなか言えなくて…」


 これまで何回もお話してご飯食べて、ちゃんとデートもした。どれもこれも積極的に誘ったのはあたしからで、向こうからのお願いは一度だけ。自分のことを話してくれたときだけだった。


「恋人になってほしいとか、そういうことじゃないの。…それはそれであるけど、それはいいのよ。どうせなってくれないんでしょ?」

「え…まあ、うん」


 気まずそうに頷かれた。

 …なんか変に間あったわね。ちょっと頬赤くなってるし……い、いえ。いいのいいの。今はそっちのことを考える時間じゃないわ。


「…もっとデートでやりたいこととか、もっとあたしにお願いしたいこととか…些細なことでいいのよ。聞いてほしいこととか、相談したいことでもいいわ。…あたしの前で楽になれるなら、あたしにくらい寄りかかってみてもいいじゃない」

「…あぁ……あ、あはは、ごめんね。ちょっと、泣きそう…」


 ふいっと後ろを向く。

 目に映る背中は震えているようで、言葉通り涙をこらえているのかもしれない。


「…」


 泣きそうな恋人の背中を抱きしめる。あたしよりすっごく大きいのに、抱きしめた感じはむしろ小さい。

 …とか言えたらいいのに。ここで抱きしめられないからだめなのよね…はぁ。


「……」


 …なにか言った方がいいのに、そのなにかが思いつかない。

 今かけるべき言葉がわからないのよ…。郁弥さんが頼ってくれないのは、きっとあたしに迷惑がかかるとか、たぶんそんな感じのことを思ってのはず。親しくなるのが怖いとかは…もうないと思う。だって、それについては踏み越えたもの。だから今の関係があるんだし、問題はそのあと。


「…はぁ…ごめんね、時間取らせちゃって」

「え、あ…う、うん。いいのよ?」


 なにも伝えられないまま勝手に落ち着いてしまった。…あたしのばか。


「それで…ありがとう。嬉しかったよ。会ってすぐこんなしんみりした話をするのもなんだけど…日結花ちゃんさ。僕のことよく見てるよね」

「え、うん。当然でしょ?」


 好きな人のこと見るのって普通よね?特にあたしなんて好き好き言っておいて知らないことだらけなんだから。少しでも知っていかないと。


「あはは…まあ、それはいいんだ。嬉しいことだから。…さっきの話だけど、一言でまとめると僕に頼られたいってことになるんだよね?」

「ええ」


 あたしからは頼っても逆がなかったから。…あたしじゃ色々足りないのはわかるけれど、それでも頼られたいのよ。


「そっか…言いたいことはわかる、かな。…でもね、前から言っていると思うんだ。僕はさ、日結花ちゃんと一緒にいて話せるだけで十分なんだよ。それ以上は、もういらないくらい。今この瞬間でさえ幸せいっぱいなんだ。だから…ごめんね、僕が日結花ちゃんにお願いしたいことはもうないよ。今みたいにさ、ただ少しだけ僕に時間を割いてくれる、それだけが、お願いといえばお願い…かな」


 柔らかな笑みが、言葉が、あたしの心に染み入る。

 あたしといるだけでいいって、あたしと話して一緒に過ごすだけでいいって…。


「お花見したときにさ。色々話したでしょ?そのときに、僕が日結花ちゃんの隣にいてもいいって…そこで幸せに笑ってもいいって言ってくれたから、僕個人としてはもう満足しちゃったんだよね」

「でも…目標は?」


 …あたしといろんなところに行っていろんなことして、そうすれば今以上に幸せになれるって話だった…はずよね。


「日結花ちゃんのやりたいことに付き合うやつだね。あれは…ふふ、ごめんね。正直面白いとは思うけど、やっぱり今がもう一番に幸せだから…それで日結花ちゃんにお願いしようとは思わないかな」

「……」


 郁弥さんがあたしと一緒にいてくれるのはいい。もうそれは変わらないわ。…問題は、これ以上を求めてくれないこと。今の時点がこの人にとっての一番になっちゃってること。


「じゃあ…あたしがあなたに頼ってもらうにはどうすればいいの?」


 正直なところ、あたしにできることはない。ここまで強引に進めてきて、その気になれば恋人にもなれるところまできた。でも、そこから先に進めない。恋人になっても…たぶん形だけで、そんなに関係は変わらない気がするし……急ぎすぎちゃったかも。もっと時間かければよかったのかな…。


「…そんなに落ち込まないでよ…困ったな」


 気が沈んで視線を下に向けていたら、大好きな人の心配そうな声が耳に届く。

 顔を上げれば案の定眉尻を下げた郁弥さんがいた。


「だって…」

「…僕が日結花ちゃんに一緒にいてほしいってお願いするだけじゃだめなのかな…?」

「…だめ」

「だめか…悩みもないし、相談事もないし。僕がやりたいことは…日結花ちゃんと話せるだけでいいから…あぁもう、本当にないな」


 悩みも相談もないなんて…どんな良い人なのよ。あたしといるだけでいいなんて…ばか。欲がなさすぎるわ…。


「…あたしに言いたいこととかもない?」

「言いたいこと……」


 ぽつりと復唱して言葉が途切れる。郁弥さんにしては珍しく考え込んでいる様子。


「…言いたいこと、ううん。言わなくちゃいけないことはたくさんあるよ。僕のことを受け入れてくれて、こんなにも考えてくれる日結花ちゃんに伝えないといけないことなら…」

「それは…いいわ。まだ決心がついてないんでしょ?」

「……うん」

「なら、ちゃんと決めてから話してくれればいいわ。それまで待ってるから」


 八胡南のカフェで郁弥さんが話してくれたことよね。親しくしたいのになりたくないとか、仲良くなるのが怖いとか、そういう話。どうしてそんな風に考えるようになったのか…が、たぶん今の。

 話が脱線してしまったけれど…結局どうすればいいのよ…。


「日結花ちゃん、ありがとう。…はぁ、ここまで言ってくれる日結花ちゃんに僕からできることがないなんて…日結花ちゃんのお願いに応えることすらできないなんて…無力だ……ん?」

「…なに?なにかあった?」


 ゆっくりと歩いていた足が止まる。なにか思いついたような表情を浮かべていて、今の話のどこかにヒントがあったらしい。

 …全然わかんない。


「日結花ちゃん」

「ん」


 名前を呼ばれて頷き返す。


「…君のお願いに応えることが僕のお願いなのかもしれない」

「…ん?…ええと、なに?どういうこと?」


 ちょっとよくわからなかった。あたしのお願いに応えることが…郁弥さんのお願い?


「…つまり、僕からこれ以上のお願いはないけど、日結花ちゃんのお願いになら応えてあげたいんだ。応えられないのが嫌なんだよ…。こんなにも僕のことを想ってくれる人に報いることができないなんて嫌だ。だから、日結花ちゃんのお願いに応えることを目指していけばいいんじゃないか…な…って…思ったんだけど」


 不安そうな顔してるところ悪いけど…。


「それ、矛盾してない?」


 …あたしのやりたいことに付き合うのとほとんど変わらないじゃない。全然頼られてる感じしないわ。


「…そうかな。日結花ちゃんにお願いしてもらう必要があるんだよ?僕のために僕にお願いをしてほしいんだ」

「……うーん…別に頼まれなくてもお願いするつもり、ていうかお願いしてるから…」


 実感が沸かない。


「じゃあ…言い方を変えるね。僕が日結花ちゃんとデートしたいから、そのための案を考えてくれないかな」

「っ…そ、それは…ええ、それならいいわっ」


 今のはわかりやすかった。あたしたちのデートコースを考えるってことよね。あたしから誘うんじゃなくて、郁弥さんから誘ってくれたってことで……あれ?


「ちょ、ちょっと待ちなさい。こんなデートしたいから付き合って?とかの方がお願いっぽくない?」

「あ……確かに…いや、でも僕がしたいデートって特にないから…」

「…そうだった」


 今が一番だからそれ以上求めてないんだった…。


「んぅ…なんかしっくりこなくなってきた。ねえ、ほんとにないの?あたしと行きたい場所とかやりたいこととか」

「うーん…やっぱり日結花ちゃんのお願い聞くくらいしかないかな」

「そう……ん、いいわ。とりあえずそれで妥協する」


 ちゃんと頼ってもらうのは…まだ少し早かったってこと。もっと近い距離になれば、今より遠慮もなくなって色々変わると思う。

 …少しずつ距離を詰めていくしかないわね。郁弥さんから近づいてきてくれたらいいのだけど…期待はしないでおきましょ。あたしがデート重ねて頑張って関係進めないと。

 ほんとに…知宵と胡桃が言ってた通り、地道に頑張るしかないのね。


「うん…なんかごめんね」

「あなたが謝らなくてもいいわよ。これはあたしの問題だもの」

「そっか」

「ええ。だから…今はお買い物しましょ?色々話し込み過ぎたわ。今日の本題に行くわよ」


 沈んだ、とまではいかないしんみりした空気を変え、今日のデートに話題を移す。これからはデートの話だけしよう。

 あとは楽しむだけよ。他のことは知らない。今は忘れるわ。


「あはは…そうだね、うん。今日は何を買うんだった?」

「まだ決めてないわ。母の日のは―――」



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